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火星へ行こう君の夢がそこにある

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1

 星ひとつ見えない暗闇に青白い光に包まれた球体が孤独に浮かんでいる。種子島宇宙センターはもう見えないが、日本列島はまだ見えていた。

 宇宙船が地球を三周しながら航行速度まで加速すると、加速のGがなくなり船内を自由に移動できるようになった。その時に一郎は宇宙船の窓から地球を見たのだ。

 宇宙船はさらに地球を半周すると地球を離れ、火星まで行くことになっていた。人類初の有人火星飛行をするのだ。

 操縦席の赤いランプが点滅していた。

「こちら宇宙管制局。一郎さん、そちらに異常はありませんか?」

 管制局からの電話だった。一郎はイヤホンとマイクを着けていたので通話ボタンを押せばそのまま会話ができた。

「はい、今のところ異常ありません」と一郎は言った。

 五秒ほど間があった。地球にある管制局と距離があるので、電波が届くまでに時間がかかるのだ。

「そうですか、貨物室の点検は終わりましたか? 終わったらまた連絡してください」

「これから確認してきます」

 一郎はそう言ってからしばらく待ったが、イヤホンは静かなままだったので電話を切った。

 操縦室から居住空間へ出た。広さは十畳ほど。

 その居住空間の奥に貨物室がある。廊下はないのでドアを開けるとすぐに貨物室だった。貨物室のスペースは居住空間より三倍広い。居住室の下にはさらに大きな貨物室がある。

 貨物のほとんどは水と食料で占められていた。他には火星で活動するための火星四輪車と、火星で生育実験をするためのバラの苗が十株あった。

 火星四輪車は電気で動く大きなバギー車で、宇宙船の太陽光パネルからバッテリーに充電する。満タンまで充電すれば三時間動く。最高速度は時速二十キロ。

 バラは極地植生技術で作られた砂王(さおう)と青姫(あおひめ)というバラだ。

 砂王は太陽が照りつける砂漠でも育ち、半年間水がなくても枯れない品種で、葉っぱは針のように細くて硬い。白の五枚葉をしている。枝は薄い黄緑色でゴムのように柔らかかった。

 青姫は南極でも育ち、氷点下でも枯れないバラで、枝は深緑に黒を足したような暗い色をしている。そして鉄のように硬い。その枝からうちわみたいに大きな五枚葉が垂れ下がっていた。

 貨物はすべて床に紐でくくりつけられていた。床には紐をかけるための穴とフックがある。

 一郎は紐がゆるんでいないか確認した。特に火星四輪車は念のために紐を一度解いて結び直した。火星四輪車は貨物の中でも特に重いので壁にぶつかれば、宇宙船に穴を開けてしまう恐れがある。

 一郎が運転室に戻ると地球は夜に変わっていた。地上には人工的な黄色い光がクモの巣状に広がっている。

「貨物室の点検終わりました」

 一郎は管制局に電話をした。

「ご苦労様でした、これから船は火星に向かうコースを取ります」と返事があった。

 船の進行方向が変わり操縦席から地球が見えなくなる。その代わりに今度は月が見えた。

 宇宙船には三台のノートパソコンがある。それを使って地球の管制局とメールのやり取りをする。インターネットも使えた。液晶テレビが一台あって、それで衛星放送を観ることもできた。カメラもあるが、一郎は地球を撮り忘れたことに気づいた。火星から帰ってきた時には忘れないようにしなければならない。

 紙の本は重量があるので持ってくることはできなかったが、電子書籍端末は持ちこめた。地球を出発する前になるべくたくさん本のデータを入れておいた。壊れた時のために同じ物を二つ持ってきている。あとは携帯ゲーム機。これも同じ物を二つ。

 一郎は居住空間に戻ると、本を読んだりゲームをしたりして時間を過ごした。

 窓の外を見る度に月は大きくなり、やがて視界から消えた。

 管制局から電話がきた。

「月を越えました。ここから先はまだ誰も行ったことがない世界です。いってらっしゃい」

「それじゃあ、いってきます」

 一郎はそう言って電話を切った。目の前には黒い空間が見えているだけで火星はまだ見えない。

 時計を見ると地球時間で十九時になっていた。

 宇宙船には時計が二つある。青と赤のアナログ時計。青の時計は地球時間を表していて二十四まで数字が刻まれている。赤の時計は火星時間を表していて、二十五まで数字が刻まれている。二十四と二十五の間は他の数字より間隔が狭い。

 お腹が空いたので晩ごはんにした。貨物室から、きつねうどん、おにぎり、それとほうじ茶を持ってきた。

 きつねうどんはパック詰めされていて、レンジで温めて食べる。温めなくても食べることはできるが、あまりおいしくない。だしは地球で食べていた物と違い、粘り気があって粉っぽい。そして、うどんに絡む程度の量しかなかった。粘り気があるのは宇宙でだしを飲みこぼしても水分が四方八方に飛ぶことがないようにするためだ。

 食べ物はうどんの他にもラーメン、カレー、肉じゃが、みそ汁、豚汁、たこ焼き、梅干し、白米、炊き込みごはん。とにかくスーパーで缶詰やレトルト食品として売られている物はたいていあった。汁物はすべて粘り気がついていて粉っぽい。

 食後はほうじ茶をレンジで温めて飲んだ。これもパック入りでストローを使って飲む。

 それから歯を磨いた。宇宙で水は貴重品だ。歯ブラシではなくガムを噛んで磨く。宇宙用に作られた噛み歯磨きだった。最初はカチカチと音が鳴るほど硬いが、噛み続けているうちにガムは柔らかくなり、徐々に小さくなっていく。最後は飲み込んで終わり。

 ネット掲示板で人類初の有人火星行きの話題を探すと、一日で読みきれない量の書き込みがあった。三時間ほど掲示板を読んでいると、一郎は疲れたので眠ることにした。読み終わっていないところはパソコンにコピーして保存した。

 ベッドに入るとゴム製のベルトで体をベッドに固定した。宇宙だと体が浮いてあいまいな空間に投げ出された感じがする。

 部屋の明かりを消して、豆電球に変えた。初めての宇宙で眠れないと思っていたが、一郎は五分もしないうちに眠った。眠ったと思ったらすぐに目が覚めた。宇宙では昼も夜もないが、青い時計を見ると六時になっていた。地球ではもう明るい時間だ。一郎が窓の外に目を向けると暗い宇宙空間が見えた。

 朝ごはんのおにぎりとみそ汁を食べて、歯磨きも終えると、管制局に電話をした。

「おはようございます。定時連絡をします。火星はまだ見えません。異常もなしです」

 毎朝十時は管制局に連絡をすることになっていた。三分ほど待つと返事がきた。

「おはようございます。船は火星のコースを順調に進んでいます。良い一日を」

 一郎は居住空間に戻ると、ネット掲示板で自分のことが書かれていないか検索した。一回クリックして画面が切り替わるのに三分もかかった。今日も書き込みはあったが、三時間で読み終えた。一郎のことは、他の話題が埋め始めていた。

 昼ごはんを食べ終えると管制局から電話があった。電話に出て十分ほど無言のままだった。

「地球から距離が離れたので、これからの連絡はメールに切り替えます」

 電話から管制局の声が聞こえた。

「はい、分かりました」

 一郎が電話を切ってから五分ほど経つとパソコンにメールが届いた。

〈メール確認です。このメールはそちらへ届いていますか? 届いていたら返信をしてください。〉

 一郎は返信の内容を考えたが気の利いたことが思い浮かばなかったので

〈メールは届きました。ちゃんと届いています。〉とだけ書いて送った。それから十分が経った。

〈返信を受け取りました。メールの送受信に問題はありません。確認を終わります。〉と管制局から返信がきた。

 これで一郎がすることは何もなかった。船は自動操縦なので勝手に火星まで飛んでいく。これから三十日間、一郎がやらなければならないことは火星に着くまでの時間を一人で過ごすことだ。といっても火星に行けば誰かが待っているわけではないので結局はずっと一人のままだ。

 火星に一年近く滞在し、十五日で帰還する予定だった。帰りの日数が短いのは地球と火星の距離が一番近い時期に合わせているからだ。

 地球時間で夜になったのでベッドに入った。なかなか眠れないので、一郎は何故火星へ行くことになったのか思い出していた。

2

 一年前に宇宙飛行士を募集する広告が、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネット、あらゆる媒体で流された。『火星へ行こう、君の夢がそこにある』というのが宣伝文句だった。企画したのは火星開発公団という組織だ。

 募集要項には採用人数一人。仕事内容は人類初の火星到達、火星での簡単な実験と調査、そして火星からの帰還。健康な心と体を持つ人材を求む、と書いてあり、火星から帰還すれば報奨金一億円と書いてあった。さらにその後ろにカッコ付きで(この報奨金に税金はかかりません)と付け加えられていた。

 一郎は大学を卒業してから一年経つが、まだ一度も働いたことがなかった。歳が二つ上の兄二郎(じろう)も無職で三年間職についていない。さらに二歳上の長男三郎(さぶろう)だけが兄弟でただ一人働いている。職業は植木職人だ。木を植えるより枝を切ることが多いので、枝切り職人の方が実態に合っているよと言っていた。

 ニュースでは三十五歳以下の失業率は五十%を超えて二人に一人が無職だと言っていた。討論番組では就職活動をあきらめた人を加えれば、六割強の若者が職に就いていないと言っていた。それが本当なら三人のうち二人が無職ということで、一郎の兄弟がそのまま当てはまった。

 そんなある日、二郎が、火星行きの募集試験を受けるから、お前も試験を受けろ、と一郎に募集のパンフレットを押しつけた。

 募集要項には身長百七十五センチ以下、体重七十キロ未満と書かれていた。大学に通っていた頃の一郎は、身長が百六十八センチ、体重は五十六キロと小柄な体型だった。

 パンフレットの続きには、年齢不問、学歴不問、犯罪歴なし、虫歯なし、病歴なしの人材を求む、と書いてあった。一郎は一応大学を出ているがこの試験では問題ないらしい。犯罪歴は当然なかった。大人しいというより気が弱い性格なので犯罪どころかケンカらしいケンカもしたことがない。

 母は歯磨きにうるさく、小さい頃から寝る前に五分以上歯を磨かせたので虫歯は一本もなかった。入院するような病気もしたことがない。数年に一度風邪をひくかどうかだ。

 試験は書類審査と健康診断をした後、さいころで八人に絞り、百日間の架空閉鎖実験を行う。閉鎖実験の合格者が二人以上出れば、もう一度さいころを振って一人に絞ると書いてあった。何故さいころで決めるのかは下の方に『私達は運がある人を求めます』と書いてあった。

 こんな怪しげな計画に一郎は気が乗らなかったが、二郎から一緒に試験を受けろと何度も言われ続けているうちに受けると言ってしまった。

 それから二週間経つと、二郎が火星開発公団と書かれた封筒を一郎の目の前に置いた。宛名は一郎だった。

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