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ヒッチハイク~正木忠則君のケース~

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1 ヒッチハイク

 夏休みが始まった。僕は夜中の2時まで何をするでもなく、TVをつけたままマンガを読んだり、ネットを見たりして、意識の限界まで起きていた。たいていは朝7時に目が覚めて、そこからもう一度眠ると10時に目覚めて、さらにまた眠ると昼の2時になる。そしてようやく僕は布団から出る。朝から晩まで暑い日が続くので、火を使う料理を作る気にはなれない。電子レンジでうどんを温めて、水で洗い、麺つゆと、ねぎと、天かすを入れたぶっかけうどんを二杯食べる。そしてまた眠る。そうやって寝て起きての生活を三日続けると、体重が2キロ落ちていた。僕は布団の上で、あくびをしながら体を大きく伸ばすと、また眠った。

 こうして一週間が過ぎた。僕はパンパンに膨らんだバッグを持って部屋を出た。徳島の実家に帰るのだ。

 僕が向かったのは空港でもバスターミナルでもなく郊外にあるコンビニだった。僕は緊張をほぐすためにコーラを一本買って飲んだ。それからコンビニの窓ガラスの出っ張りに腰を降ろして、気持ちが浮かれている人を探した。

 5分ほど待っていると本日一人目の浮かれている人を発見した。僕は腰を上げて、その人に声をかけた。目と口の両端を頭の後ろまで伸ばすことをイメージして笑顔を作る。

「すみません、どこまで行くんですか?」

 男は赤の細いストライプが入った白のポロシャツにベージュのスラックスを履いていた。車の助手席から旅のにおいがしている。

「えっ、何ですか?」

 男はそう答えた。見ず知らずの相手に素直に行き先を答える人がどこにいるのだろうか? そう思うのは世界を知らない人だ。男はそのすぐ後に「上野まで行くんだけど?」と疑問系で答えた。意訳すると『僕は上野まで行くんだけど君は僕に何の用かね?』ということだ。上野という答えで、僕にとって彼は用無しとなったわけだが粗末に扱うことはしない。どんな世界でもアフターケアは重要だ。

「ヒッチハイクをしているんです。徳島まで行きたくて」と僕は答えた。

「へぇ、ヒッチハイク。徳島?」

「四国の」

 僕がそう言い足すと「あ~……」と男は間の抜けた声を出して空を見上げると「あぁ」と何かを納得したようにはっきりと声を出した。

 僕には彼の頭の中が透けて見えるようだった。徳島と言って、そのまま通じることはほとんどない。そのあとに四国と言い足すと、香川……愛媛……高知……あとひとつなんだっけ。あぁ、目の前いるこいつが言っていた徳島か、という風に思い出してくれる。

「すまないけど、上野に行った後は日本橋のホテルに泊まるから。仕方ないね。ごめん」

 男は申し訳なさそうに頭を下げた。

「いえ、こちらこそすみません。ご迷惑をかけてしまって」と僕も頭を下げる。

「ヒッチハイクなんて本当にあるんだ。徳島まで遠いけどがんばって」

「はいがんばります。ありがとうございました」

 僕は丁寧に言葉を重ねて、もう一度頭を下げると彼を見送った。彼はコンビニに入って、ペットボトルのジュースを買うと、僕に笑顔を向けて車に乗り、駐車場を出て行った。

 東京は大した街だ。東京でできないことは東京以外の場所へ行くことだけだ。東京の外から人は入ってくるが出て行く人は少ない。東京にいる99%の人は東京に用がある。ヒッチハイクで一番難しいのは東京を出ることだ。

 僕はコンビニの窓の出っ張りに一時間座り、20人の浮かれた人達に声をかけた。20人とも東京のどこそこへ行くと言い、ヒッチハイクをしていると驚いて、徳島と言ってそのまま通じた人は一人もいなかった。

 僕はまたコーラを買って飲んだ。そしてまた窓の出っ張りに腰を下ろすとホンダの黒い軽が駐車場に入ってきた。出てきたのは白い半袖の男で、顔が半分隠れる巨大なサングラスをかけていた。口はむすっとしているが気持ちは浮ついている。ここではないどこか遠い場所へ行こうとしていた。

 僕はコーラを一口喉に流し込むと腰を上げて彼に声をかけた。

「すみません。これからどこへ行かれるのですか?」

「えっ、俺に言ってるの?」と男は言い、続けて「帰るんだよ」と付け加えた。

「どちらまで?」

「福島」

 やった。ついに東京を出る人を見つけた。

「もし良ければ一緒に乗せていってもらえませんか」と僕は言った。

「どうして?」

「ヒッチハイクで徳島まで帰ろうとしているんです。実家がそこなんですよ。お盆までに帰ろうと思って」

「あぁ」

 彼の「あぁ」は珍しく徳島がどこにあるのか知っている「あぁ」だった。

「それは遠いね。どうしてヒッチハイクを? お金がないとか?」

「そういうわけでもないんですが」

「若さの冒険というわけか。俺もしてみたかったな、そういう旅」

 そう言った彼も僕とそう歳は違わないように見えた。

「でも、福島と徳島じゃ全然方向が違うよ。北と西だ」

「とりあえず東京を出たいんですよ。ここにいると人の流れがぐるぐる回っていますから。福島も徳島もまずは東京を出ないと行けないでしょう?」

「まあ、乗りなよ。でも俺は福島に行くよ。福島ってどこにあるか知ってる?」

「ありがとうございます。知っています」と僕は頭を下げた。とりあえず東京を出ることができれば第一関門突破だ。僕と彼は一緒にホンダの黒い軽に乗り、東京を出ることにした。

2 初めてのヒッチハイク

 大学一年生のある日、僕は駅の改札で財布がないことに気付いた。おまけに携帯電話もなくて人生終わったと思った。

 僕は気を取り直して地面をなめるように探しながら大学まで戻り、携帯電話を見つけた。しかし財布は見つからなかった。財布には電車の定期券が入っていたので僕は大学から歩いて帰らなければならなくなった。

 真夏のアスファルトを歩くと喉が渇いた。僕は通りかかった公園の水道で水を飲んで、日陰のベンチで一休みした。

 涼しい風に当たって再び歩き始めると、体が冷えて固くなっていたので、ううんと、うなりながら手や胸を横に伸ばした。すると一台の車がそばに止まった。スバルのインプレッサだ。

「どこまで行くんですか?」

 車には二人の若い男が乗っていて、助手席の男が窓から僕に話しかけてきた。僕は呆気に取られたが、馬鹿正直にアパートがある場所を答えていた。

「それって東京じゃないですか? それもすぐそこ」

 助手席の男が言ったので僕はうなずいた。

「まぁ、いいや。乗っていきなよ」

 僕はそれほど考えもせずに後部座席に乗り込んだ。僕は木刀を毎日二千回振っていて、人を見ると勝てるかどうかを値踏みする習性がある。僕はその二人を相手にしても勝つ自信があったので危険は感じなかった。

 二人は高校の同級生で、北海道から日本一周の旅をしている最中だった。その間に青森でヒッチハイカーを乗せ、三日間一緒に旅をして宮城の気仙沼で降ろし、宮城の岩沼辺りでまたヒッチハイカーを拾い、やはり三日間一緒に旅をして東京の日本橋で降ろしたそうだ。二人は僕が体を伸ばしているのを見て、ヒッチハイクをしていると勘違いしたらしい。

 東京はもんじゃ焼きよりナポリタンを食べる方がいいと教えてあげると、夜も近いのでナポリタンを出す店に行くことになった。

 僕は車に乗せてくれたお礼にナポリタンとグラタンを奢ると言っていたのだが、お金を払う時になって財布を落としていたことを思い出した。僕が「ごめん」と謝ると、二人は笑って、そこの代金を払ってくれた。

 二人は僕に借りだけを残して去った。名前はまだ憶えている。北海道の本田アキラ君と豊田スバル君、たぶん一生会うことはないだろうけれど、この恩はいつまでも忘れない。

 僕は偶然ヒッチハイクをして以来、見ず知らずの人を引っ掛ける奇妙な魅力に囚われてしまった。

 初めは伊豆の修善寺まで行った。夏目漱石がどうとかを本で読んで興味があった。

 実は人生初の意識的なヒッチハイクは失敗から始まった。どうせやるなら交通量の多い道路が良いだろうと、車がびゅんびゅん走る国道で半日立っていたのだが、車は一台も止まらなかった。

 いや、本当は三台停まった。でも三台ともタクシーだった。タクシーの運転手は僕がヒッチハイカーだと分かると三人とも舌打ちをして走り去った。

 車が目の前を通り過ぎていくたびに僕は泣きたい気持ちに襲われた。昼前には心の限界に達して、部屋に戻ると本当に涙を流した。

 二日目は知恵を絞って、ダンボールに『静岡 伊豆 修善寺まで』と書いて掲げた。すると車の通りが少なくなった時に車が停まった。人生初のヒッチハイク成功。この時はたまたまその人が伊豆へ行く予定だったが、僕は車さえ停まってくれれば必ず行き先まで乗せていってくれるものだという考えを再びヒッチハイクをする時まで抱いていた。

 初めてのヒッチハイクが成功して僕は自信が付いた。それで夏休みは東京から徳島までヒッチハイクで帰ってやろうという野望を抱いた。

 ……という話を福島に着くまでの間に話した。運転手の男はサングラス越しで表情は分からないが、楽しんでいるようには感じた。

「それじゃ、これが人生初のヒッチハイク? 徳島へ帰るまでの」と男は言った。

「いえ、今は三年生だから三回目です」

「ふぅん、面白いことをするんだね。俺もやってみたいよ」

 限りなく100%に近い確率で彼はやらないだろう。

 僕は郡山で降ろしてもらい、男に礼を言った。

「泊まるところはある?」と男は言った。

「その辺で寝ます。夏だから」

「若いね」

「そっちもまだ若いですよ」

「そうかな」

 男がサングラスを外した。サングラス詐欺だ。男はどう甘く見積もっても30は越えていた。40代でも通じるかもしれない。大きなサングラスとヒゲの薄さが年齢を隠していた。

「20代でも通じますよ」

 僕はお世辞を言って、そそくさと別れた。彼は嬉しそうな顔で僕を見送ってくれた。

 もう夕方になっていた。僕はイニシャルMのハンバーガー屋に入って、照り焼きバーガー二つと烏龍茶を夕食にすると、人気の少なそうな公園を探して、そこで眠ることにした。

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