牛野小雪を知る場所

ブラッド・エグゼキューション

 私は正常

 皮膚の内側に見える青い線は静脈。でも不思議。青い静脈から出た血は赤黒い。手首に盛り上がった赤黒い血の丘が部屋の空気を鉄の臭いで満たした。

 私は死にたいと思っている。何故なのかは自分でも分からない。気付けばそうなっていた。

 傷口から盛り上がった血を見ると、私は何かから許された気分になる。血が出てから傷が塞がるまでの痛々しさを感じられる間、私は生きてることを猶予されていると感じる。

 でも私は誰に猶予されているんだろう。確かなのは目の前にある死という宿題だけ。死ねばこの宿題は終わり。残りの人生丸ごと夏休みにできる。でも死ねば人生終わりじゃない?

「アキちゃん」

 バス停に下りるとサキちゃんが声をかけてきた。サキちゃんとは住んでいる場所が全然違うけど、徳島駅にバスが着くのは同じ時間だった。

 サキちゃんは一瞬だけ私の手首に視線を向けた。そこにはケミカルグリーンのリストバンド。ケミカルイエローの糸でSmileという文字とニコッと笑っている顔が刺繍されている。目に痛いほどのケバケバしい蛍光色はいかにも科学繊維ですと主張していた。

 そのケバケバしい化学繊維の下にはリストカットの傷跡が隠されているのだが、サキちゃんはそれを知らない。

私の学校はぎりぎりで進学校じゃない学校。校則もぎりぎりで緩い。茶髪はダメで、金髪はもっとダメ。もちろん他の色も。でもケミカルグリーンのリストバンドなら何も言われない。

 校門ですれ違った先生が私の手首に一瞬鋭い視線を走らせたけど、私はSuper Smileを光速で返してあげる。価格は0円。「おはようございます!」なんて小学生みたいに元気で純粋な声もセットで付けてあげる。

 私ってすごくいい子に見えてると思う。先生もそう思ってるんじゃないかな。変なリストバンドをしているけど、根はいい子。そんな感じ。でもSmileの下にある何本もの傷跡を見たらビックリして死んじゃうかもしれない。

 私はリストカットの痕を誰にも見せたくない。でも、誰かに見せたいとも思っている。ホント矛盾してる。

「ハハ、ウケる」

 ナルハシ・ナツミの笑い声が教室中に響き渡った。その怪音波は教室の隅にいる私の耳に容赦なく侵入してくる。私とサキちゃんは静かに話していたんだけど、暴力的な笑い声によって、しばらくだんまりしてしまった。くそ、あの野郎(野郎じゃないけど)。あいつの変な笑い声のせいで私達のコミュニケーションがどうして中断されなきゃならないんだ。

 それにねえ、ナツミさん。あなたがさっき言ったこと、もし私が言ったらウケたと思う? テレビでお笑い芸人が言ったら放送事故レベルだったけど? 周りの子が笑っているのはあなたが面白い事を言ったからじゃなくて、あなたに気を使っているだけ。ちっとも面白くなかったよ。

 Smile. そんな毒々しいことを考えていたのに私は笑っていた。サキちゃんもうつむき加減で笑っている。ナルハシ・ナツミの笑い声、いや怪音波には『ここ笑うところ。OK?』という電波が添付されている。笑えない人間は壊れた携帯電話。私達は壊れていないことを証明するために笑っている。OK。私達は正常だ。ただ怪電波を受信しただけ。←仕事しろ電波局。税金返せ!

 大人しくて可愛らしいサキちゃんではFMナツミの怪電波に耐えられないだろう。私でもキツイかもしれない。いや、きっと他の誰もあいつの違法電波には耐えられない。あそこにいる取り巻き連中で本当に笑っているのは一人もいない。きっとそう遠くない日に全員ぶっ壊れるだろう。むしろそうなれ!

 私とサキちゃんぐらいUltra Deepコミュニケーションできる二人はいない。世界で一番のDeep worldを作り上げている。

 ナルハシ・ナツミ達なんてただ寄り集まっているだけ。自分達が面白がっていることを誰かに見せつけるために、つまらないことを喋って、つまらないことで笑い合っている。あっそう、勝手にすれば。私達は私達だけでやるから。

 本当の世界に来れば、あんな奴らなんかペラペラの薄っぺらだってことが暴かれてしまうだろう。真実のDeep worldには誰も踏み込めない。足を一歩踏み入れたが最後。コンドームより薄くぺしゃんこにされてしまうのだ。

「ハッハッハ」

 ナルハシ・ナツミの笑い声(訂正、怪電波)がまた教室中に送信された。取り巻き連中も奇声を上げて笑っていたが(まるで動物園。それじゃあナツミはボス猿? ウホウホ)、私とサキちゃんも隠れるようにして笑っていた。どうして笑っているんだ? 今度の話はちゃんと聞こえていた(嫌でも耳に入ってきた)。この前の連休に汽車で県外の愛媛県まで行って、外泊してきたというだけの話。それぐらい私にだってできる。お金さえあれば南極にだって行ける。ナルハシ・ナツミは不良の真似事をして良い気になっているだけ。OK。ちゃんと電波は受信している。私達は正常。おかしいのは受け取った電波の方だ。良かった。Smile.

続きはこちらから
ブラッド・エグゼキューションをAmazonで見る
ブラッド・エグゼキューションをAmazonで見る

ブラッド・エグゼキューションについての前日譚
短編一覧に戻る
牛野小雪のページに戻る