文学・思想の一丁目一番地
令和攘夷論
第一章 水道の止まった志士
水道が止まった朝、俺はようやくこの国の輪郭を見た気がした。蛇口をひねっても、金属の奥で空気がこすれるだけで、水は一滴も落ちてこない。洗面台には昨日の歯磨き粉が白く残り、コップの底には乾いた泡がこびりつき、鏡の中の俺は国を憂える人間というより、ただ顔を洗えない男だった。だが、そこから目をそらすわけにはいかなかった。顔を洗えないということは、まだ俺の精神が試されているということだ。
ガスは三日前に止まっていた。風呂に入れないことより、湯を沸かせないことのほうがこたえた。水を飲むにも、冷えたままでは内臓に悪い気がする。インスタントラーメンの袋はあるが、鍋に水を入れることも、火をつけることもできない。食べ物が目の前にありながら、食べ物にならない。文明とは、袋の中に入っているものではなく、それを食べられる状態へ変える見えない仕組みなのだと、その時の俺は深く理解した。
そう考えると、インフラとは国家そのものだった。水道、ガス、電気、道路、ゴミの日、そういう細かいものがきちんとつながっているから、人は人間の顔をして暮らせる。つながりがひとつ切れただけで、人は急に原始時代へ落ちていく。俺の部屋は六畳のアパートだったが、そこには小さな鎖国と開国が同時にあった。外には文明があり、内には止まった蛇口がある。俺はその境目に立っていた。
電気だけはまだ生きていた。だからスマホは充電できたし、夜になれば部屋に明かりもついた。しかし、ネット回線はとっくに解約していた。俺は窓際にスマホを置き、どこかの家から漏れているよく分からないWi-Fiを拾っていた。名前は英数字の羅列で、たまに切れ、たまにつながる。俺はその弱い電波を、まるで山中で湧き水を探す落武者のようにありがたがった。現代の落武者は、刀ではなくスマホを握っている。
電波が入る場所は決まっていた。窓の左下、カーテンの端を少し持ち上げたところ、そこへスマホを立てかけると、細い一本だけアンテナが出る。体を少し動かすと切れるので、俺は妙な姿勢で画面をのぞき込むことになる。国家を憂える文章を読むにも、動画を見るにも、検索するにも、俺はまず腰を曲げなければならなかった。思想は高い場所から語られるものだと思っていたが、実際には窓際の床にしゃがんで拾うものだった。
俺は攘夷論者だった。目的は日本を汚す外国人の排斥であり、日本の美しい文化と伝統を取り戻すことだった。もちろん、そんなことを正面から言えば、世間はすぐに顔をしかめる。いまの日本では、日本を愛すると言うだけで、変な人間扱いされる。だが、俺からすれば逆だった。自分の家の庭に知らない人間が入り込み、靴のまま畳に上がり、冷蔵庫を勝手に開けたら、誰だって怒る。それを国の単位で考えれば、俺の言っていることは少しもおかしくない。
もっとも、俺の部屋には畳もなければ、開けられる冷蔵庫もほとんどなかった。冷蔵庫には古い調味料と、いつ買ったか分からないチューブのからしが入っていた。守るべき日本の家屋は、俺の暮らしの中には見当たらない。だが、見当たらないからこそ、守らなければならないとも言えた。失ったものを守るというのは、矛盾しているようで、実は人間の自然な動きなのかもしれない。財布をなくした人間ほど、財布の大切さを語る。
世間的には攘夷論者だが、俺たちは志士と呼び合う。攘夷論者という言葉には、どうしても机の上の思想という匂いがある。だが、志士には体温がある。命を賭ける者、時代を斬り開く者、まだ誰も理解しない正しさを背負う者。その響きが俺は好きだった。もちろん、俺たちは刀を持っていない。持っているのはスマホと安いスニーカーと、コンビニのレジ袋くらいだった。それでも、時代に逆らうという意味では、同じ血が流れているはずだった。
集まりは、駅から少し離れた雑居ビルの一室で開かれていた。看板は出ていない。階段の踊り場には古い灰皿が置かれ、壁には剥がれかけたチラシの跡があり、部屋の中には折りたたみ椅子が十脚ほど並んでいた。日本の未来を語る場所としては、いささか湿っぽかった。しかし、歴史の始まりとは、だいたいそんなものなのだろう。きらびやかな宮殿ではなく、カビ臭い部屋から世界は動き出す。
その日、俺は水道が止まったことを誰にも言わなかった。ガスが止まったことも、Wi-Fiを拾っていることも言わなかった。言えば、同情されるかもしれない。同情されれば、俺の言葉は急に軽くなる。貧しいから怒っているのだろう、と見られるのは我慢ならなかった。俺は貧しいから怒っているのではない。日本が汚されているから怒っているのだ。順番を間違えられることは、思想にとって致命傷だった。
だが、腹は鳴った。誰かが日本人の精神性について話している時、俺の腹は小さく音を立てた。咳払いでごまかしたが、自分でははっきり聞こえた。精神性という言葉は便利だが、腹の音には勝てない。人間は胃袋を持つ動物であり、胃袋は思想よりも古い。武士道を語るにも、国体を語るにも、まず血糖値が必要になる。俺はその事実を知っていたが、知っていることと認めることは別だった。
会の終わり頃、年上の男が俺を呼んだ。名前は何度か聞いたが、俺は心の中で先生と呼んでいた。本当に先生なのかは知らない。ただ、声に人を従わせる湿った重みがあった。先生は俺の肩を軽く叩き、少し話があると言った。俺は背筋を伸ばした。歴史が動く時、人はだいたい別室へ呼ばれる。俺はそういう場面を何度も本で読んできた。
先生は、ある場所に住んでほしいと言った。家賃はいらない。水道光熱費も向こうが持つ。さらに給料も出る。俺は最初、何かの聞き間違いかと思った。部屋に住むだけで、金が出る。しかも水道とガスが使える。目の前に突然、文明が丸ごと差し出されたようだった。俺は平静を装ったが、胸の奥では蛇口から水が勢いよく流れ出していた。
仕事内容は単純だった。そこに住み、近所に住む外国人たちがいなくなるまで、住み心地を悪くする。直接手を出す必要はない。大きなことをしなくてもいい。ただ、相手がここには住めないと思うようにすればいい。先生はそう言った。俺は、これは任務だと思った。思想がついに生活へ降りてきたのだ。頭の中の攘夷が、住所を持つことになったのだ。
その瞬間、俺は自分の中に二人の人間がいることを感じた。一人は、日本の美しい文化と伝統を守るために立ち上がる志士だった。もう一人は、水道代を払えず、ガスも止まり、明日の飯をどうするか考えている男だった。二人は別人のようでいて、同じ喉から返事をしようとしていた。人間の動機は、川の合流地点のようなものだ。きれいな水と泥水が混ざっても、流れはひとつに見える。
俺は条件を確認した。家賃は本当にただなのか。水道光熱費も本当なのか。給料はいつ入るのか。先生はひとつずつうなずいた。俺は最後に、Wi-Fiはあるのかと聞いた。先生は少しだけ笑い、それもあると言った。その笑いに何か含みがあったのかもしれない。しかし、その時の俺にはどうでもよかった。現代の志士には、電波が要る。
俺はその仕事を引き受けた。返事をした瞬間、腹の底に温かいものが落ちてきた。正義に参加する高揚なのか、生活が救われる安堵なのか、自分でも区別がつかなかった。ただ、区別できないことは悪ではないとも思った。たとえば、空腹の子どもに飯を与える時、親切心と自己満足はきれいに分けられない。それでも飯は飯だ。俺の場合も同じだ。日本を守ることと、自分が生き延びることは、たまたま同じ道の上にあった。
部屋に戻ると、止まった蛇口は相変わらず黙っていた。ガス台も冷たく、窓際のスマホは弱い電波を拾ったり失ったりしていた。だが、俺の目には部屋が少し違って見えた。ここは終わりの場所ではなく、出発の場所だった。明日には新しい部屋がある。水が出て、湯が沸き、Wi-Fiが飛んでいる部屋だ。俺は畳のない床に座り、暗い画面に映る自分の顔を見た。顔は洗えていないのに、なぜか少しだけ引き締まって見えた。
人は、使命を得ると顔つきが変わる。たとえその使命が、誰かの住み心地を悪くすることでもだ。俺はそのことを、まだ問題だとは思っていなかった。むしろ、やっと自分の怒りに住所が与えられたのだと感じていた。怒りは、ただ胸の中にあるだけでは腐る。外へ出し、形を与え、対象を持たせなければならない。俺はその対象を得た。世界はようやく、俺に仕事を与えたのだった。
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