文学・思想の一丁目一番地
ラットラッパー
第一章 ぼくの本当の仕事はラッパーである
登山靴の底に接着剤を塗るとき、端から三ミリくらい内側を狙う。外まで塗ると、圧着したときに茶色い接着剤がむにゅっと出る。出たら拭けばいいのだが、高田さんは出さない。刷毛を一度だけ缶の縁でしごいて、ぐるりと一周させる。靴底には最初から細い線が引かれていて、高田さんの刷毛はそこをなぞる。
ぼくは出す。
今日もかかとの横から一センチほど出した。
「鼠山、そこ」
高田さんが言った。
ぼくは親指に布を巻いて、はみ出した接着剤を拭いた。布が茶色くなった。高田さんはもう次の靴を持っていた。
工房には八人いる。全員が一日中いるわけではない。ぼくは月、水、金だけ来る。朝九時から午後四時まで。休憩が一時間ある。雨の日も晴れの日も午後四時になると帰る。冬なら外はもう薄暗いが、春から秋なら、かなり明るい。
手取りは五万円。
月に五万円。
自分で言うと、とても少なく聞こえる。
しかし週三である。
時給にしたら、そんなに悪くないんじゃないかと思っている。計算したことはある。ただし計算結果は忘れた。忘れたということは、たぶん期待した数字ではなかった。
うし子は週五で働いている。
ぼくと同い年の二十五歳で、朝から夕方までいる。梱包もするし、革も切るし、注文の電話にも出る。電話に出たときだけ声が一段高くなる。
月三十万円くらいもらっているらしい。
ちゃんと働いている人は三十万円。
ぼくは五万円。
工房の中に同じ年齢の人間が二人いて、毎月二十五万円の差が生まれている。年間なら三百万円になる。三百万円あれば中古車が買える。いや、新車も買えるのかもしれない。車には詳しくない。
高田さんは八十万円らしい。
これはうし子から聞いた。
八十万円に十二を掛けると九百六十万円になる。
ぼくは午前中、靴底を貼りながらそれを考えていた。
正社員にはボーナスというものがある。
高田さんにもあるはずだ。
そうすると一千万円を超える。
年収一千万円。
高田さんは、いまぼくの向かいで靴紐を通している。
灰色の作業着を着て、袖口に黒い革の粉がついている。昼はいつも魔法瓶のお茶を飲んでいる。軽自動車で来る。スマホの画面には透明のフィルムが貼られていて、右下に空気が入っている。
年収一千万円の人のスマホに、こんなに大きな気泡が入っているものだろうか。
ぼくは疑っている。
ただ、高田さん本人に給料を聞く勇気はない。
ちなみに日本で靴の左右が今のように明確に分かれるようになったのは、案外新しい。昔の靴には左右の区別が薄いものも多かったらしい。履いているうちに足の形になじませた。足には最初から右と左があるのに、靴のほうが長いあいだ気づかなかったのである。こういう話を聞くと、人類はたまに妙なところでのんびりしている。
ぼくの靴には左右がある。
仕事にも左右があるなら、こっちは左だと思う。
本当の仕事は、つまり右は別にある。
ラップだ。
午後三時二十分、棚から四十三センチの靴紐を取ったところで、一行できた。
革、貼る、金ない、でも韻ならある。
頭の中で二回言った。
弱い。
金ない、韻ならある、では説明しすぎている。
革貼る、腹減る。
こっちのほうがいい。
ぼくは靴紐を通しながら口の中だけ動かした。
革貼る、腹減る、日が暮れる。
日が暮れるは使わない。
ぼくの仕事は日が暮れる前に終わる。
午後四時、高田さんが壁の時計を見た。
「鼠山、今日はそこまででええぞ」
ぼくは作業台を拭いた。刷毛を溶剤につけ、エプロンを外した。うし子はまだ働く。机の上には箱が六個積んであった。
「お先」
「おつかれ」
うし子は箱の中へ薄紙を入れた。
外へ出ると、空が白かった。
工房は徳島市の端にある。道路を挟んだ向こうに田んぼがあり、その奥に家が並んでいる。山も見える。徳島では、だいたいどこかに山がいる。建物の隙間にもいるし、コンビニの駐車場の先にもいる。山を見ずに生きるほうが難しい。
自転車の鍵を開けた。
家までは二十分くらいだ。
この二十分も仕事である。
ぼくは漕ぎながらリリックを作る。
信号待ちでスマホにメモする。
走行中には触らない。ラッパーが交通事故で死んで、最後の検索履歴が「革貼る 韻」だったら嫌だからだ。
赤信号になった。
スマホを出す。
「革貼る 腹減る まだやれる」
メモした。
青になった。
漕ぐ。
ぼくが自分のことを「ぼく」と呼ぶようになったのは中学生のころだった。
それまでは「うち」と言っていた。
ある日、急に恥ずかしくなった。
理由はない。
誰かに笑われた記憶もない。
ただ、自分の口から「うち」が出るたび、自分で自分の肩をつかんで揺さぶりたくなった。
「あたし」も駄目だった。
「私」はもっと駄目だった。
わたし。
口に出した瞬間、胸の中に白い光が走って、体が爆発する気がした。
そこで「ぼく」にした。
そのときは仮のつもりだった。
中学生が自分の一人称を仮設住宅みたいに扱っていた。
それから十二年たった。
ぼくは二十五歳になった。
いまでは「ぼく」と言うたび、これはこれでかなりまずいのではないかと思う。
二十五歳。
女。
一人称ぼく。
実家暮らし。
週三勤務。
ラッパー。
並べると全部が悪い方向へ協力している。
それでも「私」に戻すことはできない。
家で一人で練習したことがある。
私は今日、仕事へ行きました。
そこまで言ってやめた。
それはぼくではなかった。
誰だこいつと思った。
もはや、ぼく以外はぼくではない。
家に着くと、母の軽自動車が停まっていた。
玄関に入る。
「ただいま」
返事が台所から聞こえた。
ぼくの部屋は二階にある。
六畳。
机。
ベッド。
ノートパソコン。
安いマイク。
オーディオインターフェース。
壁にはレコードが一枚飾ってある。
ぼくのレコードではない。
中古屋で買った、知らない外国人のレコードだ。
ジャケットも気に入っていない。
ただ、レコードという物体を毎日見るために置いている。
いつか、ここにぼくのレコードを飾る。
普通の黒い盤ではない。
金ぴかのやつだ。
百万枚売れたら作ってもらう。
ゴールドプレス。
本当にそういう仕組みがあるのかは知らない。
調べると夢が壊れる可能性があるので、まだ詳しく調べていない。
レコードが百万枚売れる時代ではないことくらい知っている。
CDだって売れない。
音楽はスマホの中にある。
曲は触れない。
重さもない。
だからこそ、金ぴかの円盤が欲しい。
百万枚。
ぼくの名前をみんなが知っている。
レコード屋に山積みになっている。
駅前で高校生がぼくの曲を口ずさんでいる。
工房のラジオから流れて、高田さんが何も言わず靴底を貼っている。
そこまで想像すると、少し笑った。
無理だと思う。
かなり無理だと思う。
でも、本当に起きたら最高に面白い。
夕飯までに一曲作った。
一曲といっても一分である。
ぼくは十五秒を一クォートと呼んでいる。
一分は四クォート。
四クォートなら毎日作れる。
フリースタイルの練習にもなる。
SNSにも上げやすい。
ラジオでも使いやすいはずだ。
ラジオ局の人に聞いたことはない。
十五秒、十五秒、十五秒、十五秒。
四つ積めば一分。
今日は革貼る、腹減る、まだやれる、から始めた。
録音して、二回直した。
動画を投稿した。
再生数は七十三だった。
昨日の動画は二百十一。
一昨日は九十六。
フォロワーは四百八十二人。
どれかの数字が毎日動く。
一。
二。
ときどき五。
ゼロの日も、たぶんある。
でも全部を毎日確認しているわけではないので、ぼくの観測上では止まっていない。
止まっていないなら、まだ終わっていない。
夜八時を過ぎた。
黒いTシャツに着替えた。
胸には白い四角が印刷されている。
QRコード。
読み込めば、ぼくの動画へ飛ぶ。
母は最初、このTシャツを見て「値札ついたままちゃうん?」と言った。
ぼくは説明しなかった。
鏡を見る。
前髪を直す。
財布。
スマホ。
イヤホン。
家を出た。
暗くなったら、ぼくの仕事が始まる。
徳島駅のほうまで自転車で走った。
途中でビートを聞いた。
いつもの場所には五人いた。
街灯の下で輪になっている。
一人がラップしていた。
知らない顔が二人。
知っている顔が二人。
知っている二人のうち一人が、ぼくを見た。
視線が一秒止まった。
それから輪の内側へ戻った。
ぼくは自転車を停めた。
輪へ近づく。
一人分くらい空いていた場所が、ぼくが近づくにつれて狭くなった。
誰かが半歩動いた。
もう一人も動いた。
四人の肩が、きれいにつながった。
ぼくの入る場所がなくなった。
ビートは鳴っていた。
ラップも続いていた。
ぼくは輪の外に立った。
胸のQRコードだけが、街灯の下で白く光っていた。
うしPのページに戻る