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アテナイはなぜアリストテレスを殺さなかったのか? 哲学的な問い20

アテナイはなぜアリストテレスを殺さなかったのか? 哲学的な問い20
アテナイはなぜアリストテレスを殺さなかったのか? 哲学的な問い20

第一章 アテナイはなぜアリストテレスを殺さなかったのか

 ソクラテスはアテナイで裁かれ、死刑になった。アリストテレスはアテナイで危険な立場に置かれながら、死刑にはならなかった。この二つの事実を並べると、すぐに一つの問いが浮かぶ。なぜアテナイは、ソクラテスを殺したのに、アリストテレスを殺さなかったのか。二人とも哲学者であり、どちらもアテナイと深く関わっていた。しかもアリストテレスは、アレクサンドロス大王の家庭教師だった人物でもある。政治的な危険度だけでいえば、ただ広場で人々に問いを投げかけていたソクラテスより、王権に近いアリストテレスのほうが、よほど危険に見えてもおかしくない。

 しかし、この問いには最初から小さな罠がある。アテナイはアリストテレスを殺さなかったのではない。アリストテレスが、殺されるかもしれない場所から去ったのである。ここを取り違えると、話はただの歴史の豆知識になる。ソクラテスは殺された。アリストテレスは殺されなかった。では、時代が寛容になったのだろうか。アテナイ人が反省したのだろうか。アリストテレスのほうが上手く立ち回ったのだろうか。答えは、そのどれか一つではない。重要なのは、都市と哲学者のあいだには、死ぬ関係と、逃げる関係と、黙らされる関係があるということだ。

 ソクラテスの死は、哲学史の中であまりにも大きな事件になった。彼は、アテナイの若者を堕落させた、不敬虔である、という罪で訴えられた。そして、逃げる機会がありながら、最終的に死を受け入れた。だからソクラテスは、哲学の殉教者のように見られる。真理のために死んだ人、国家の不正に屈しなかった人、魂の自由を守った人。そのイメージは強い。だが、強すぎるイメージは、別の問いを見えなくする。もし哲学者が危険な時代に生きるなら、必ず死ななければならないのか。生き延びるために逃げることは、哲学に対する裏切りなのか。それとも、逃げることもまた、哲学を守る一つの方法なのか。

 アリストテレスは、アテナイの生まれではなかった。彼はスタゲイラの出身であり、アテナイにとっては外から来た知識人だった。若いころプラトンの学園に学び、のちに自分の学問の場であるリュケイオンを築いた。彼は、広場で人々をつかまえて問い詰めるソクラテスとは違う。自然、生物、政治、倫理、詩、論理、形而上学まで、世界のあらゆるものを分類し、整理し、体系化しようとした。ソクラテスが街角で相手の思い込みを崩す人だとすれば、アリストテレスは巨大な書庫と研究室を作る人である。どちらも危険だが、危険の種類が違う。

 ソクラテスは、アテナイの内側からアテナイを困らせた。彼は市民に問いかけた。正義とは何か。勇気とは何か。善く生きるとは何か。相手が自信満々に答えると、その答えの穴を一つずつ示した。これは、知的には尊い行為である。しかし、日常の場面に置き換えると、かなり面倒な行為でもある。町内会の会議で、みんながなんとなく決めていることに対して、そもそも善とは何ですか、正しい決定とは何ですか、と毎回問い返す人物がいたらどうなるだろうか。最初は面白がられるかもしれない。だが、戦争に負け、政治が混乱し、若者への不安が高まっている時代なら、その人物はやがて共同体の敵に見えてくる。

 これに対して、アリストテレスの危険は、街角の対話よりも政治的な人脈にあった。彼はマケドニア王家と関係があり、アレクサンドロスの教育にも関わっていた。アレクサンドロスが生きているあいだ、マケドニアの力はあまりにも大きかった。アテナイは、かつての誇りを持ちながらも、現実にはマケドニアの力を無視できなかった。そういう状況で、アリストテレスは単なる哲学者ではない。支配者に近い知識人であり、勝者の側に近い人物に見えた。ここに、ソクラテスとは別の危うさがある。

 ところが、アレクサンドロスが死ぬと空気が変わる。強大な王が消えた瞬間、それまで押さえこまれていた反マケドニア感情が噴き出す。政治の世界では、空気が変わると、同じ人物の意味も変わる。昨日までは偉大な王の関係者だった人間が、今日からは憎むべき支配者の手先に見える。昨日までは優れた学者だった人間が、今日からは怪しい外国人に見える。本人が何かを新しくしたわけではない。それでも、周囲の感情の配置が変わるだけで、人は危険人物になる。

 これは古代だけの話ではない。ある会社で、前の社長に重用されていた社員がいたとする。その社員は、仕事ができたから重用されていたのかもしれない。だが社長が失脚し、新しい派閥が力を持つと、彼の能力よりも、前の社長に近かったという事実のほうが目立つようになる。すると、昨日までの功績は、今日から疑惑の材料になる。アリストテレスも、それに似た位置にいた。彼の哲学が問題だっただけではない。彼の立っていた場所が、政治の変化によって危険な場所に変わったのである。

 では、アテナイはアリストテレスを本当に殺すつもりだったのか。ここは慎重に考える必要がある。都市が危険人物を処理する方法は、死刑だけではない。裁判にかける。罪を着せる。評判を落とす。居場所をなくす。弟子を不安にさせる。本人が自分から去るように圧力をかける。殺すことは、もっとも劇的な処理である。しかし、もっとも便利な処理とは限らない。むしろ、相手が勝手に出ていってくれるなら、そのほうが共同体にとっては都合がいい場合もある。

 ソクラテスは逃げなかった。だからアテナイは、彼を処刑するところまで進んだ。アリストテレスは逃げた。だからアテナイは、彼を殺すところまで進まなかった。この違いは、性格の違いだけではない。哲学の形の違いでもある。ソクラテスの哲学は、彼自身の生き方と切り離しにくかった。彼が逃げれば、彼の哲学そのものが揺らぐように見えた。法について語り、正義について問い、人間はどう生きるべきかを考え続けた人物が、自分の死の場面でどう振る舞うか。そこまで含めて、ソクラテスの哲学だった。

 一方、アリストテレスの哲学は、彼一人の死によって完成するものではなかった。彼の仕事は、問いを分類し、知識を整理し、世界の構造を考えることだった。彼には学校があり、弟子があり、著作があり、研究の方法があった。つまり、彼が生き延びれば、その知はさらに続く。ここでは、死ぬことが哲学の証明になるとは限らない。むしろ、生きて書き、教え、整理し続けることが、哲学の責任になる。ソクラテスが死によって哲学を刻んだ人なら、アリストテレスは撤退によって哲学を残した人である。

 もちろん、逃げることには弱さのイメージがつきまとう。正面から戦わなかった。命を惜しんだ。安全な場所へ退いた。そう見ることもできる。だが、それだけでは浅い。火事の中で最後まで建物に残る人は勇敢である。しかし、設計図を抱えて外に出る人もまた必要である。なぜなら、建物が燃えたあと、次の建物を作るには設計図がいるからだ。ソクラテスは、燃える都市の中で立ち尽くした人だった。アリストテレスは、設計図を持って外に出た人だった。この二人のどちらが偉いかではない。哲学には、死を引き受ける形と、生を引き受ける形がある。

 アテナイはなぜアリストテレスを殺さなかったのか。この問いへの最初の答えは、アリストテレスがアテナイから去ったからである。しかし、それは単なる逃亡ではない。そこには、哲学者と都市の関係についての深い問題がある。都市は、自分を不安にさせる問いを嫌う。都市は、自分を支配した権力に近い知識人を疑う。都市は、危険な人物を殺すこともあれば、追い出すこともある。そして哲学者は、そこで死ぬこともあれば、去ることもある。

 ソクラテスの死は、哲学が都市と衝突した時に何が起こるかを示している。アリストテレスの逃亡は、哲学が都市から身を引いた時に何が残るかを示している。二人の違いは、勇気と臆病の違いではない。殉教と継続の違いである。正面衝突と撤退の違いである。そして、この違いを考えることは、古代アテナイだけでなく、どんな時代にもつながっている。問いを持つ人間は、共同体の中でどこまで踏みとどまるべきか。いつ退くべきか。退くことは敗北なのか。それとも、別の形で考え続けるための戦略なのか。

 アテナイはアリストテレスを殺さなかった。だが、その事実の奥には、殺される前に去った哲学者の判断がある。都市が哲学者を殺す前に、哲学者が都市を見限ることもある。ここに、ソクラテスとは別の緊張がある。死ぬことでしか守れない思想がある一方で、生き延びなければ守れない思想もある。アリストテレスの物語は、そのことを教えている。哲学は、いつも広場で死ぬわけではない。時には、危険な都市を離れた場所で、静かに生き延びるのである。

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