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ゲーム史入門ディケイド4 2010~2019年

第一章 “10年代”への助走――HD成熟、オンライン常態化、携帯・スマホの台頭

 2010年代に入る前、ゲームはすでに「一本買って終わり」から「続けて育てる」へと軸足を移しつつあった。背景には三つの流れがある。ひとつは据置機の高性能化、いわゆるHD世代の成熟。ふたつ目はインターネットが常に繋がった状態で遊ぶことが当たり前になるオンライン常態化(ブロードバンド=いつでも高速でつながる回線が家庭に普及)。そして三つ目は、携帯ゲーム機とスマートフォンが「手のひらの遊び時間」を広げ、生活のスキマをゲームで満たし始めたことだ。これらが合流して、10年代の「運営(ライブ)」中心の設計が生まれる下地になった。

 2000年代前半、据置ではPlayStation 2がDVD再生を武器に“家電の顔”となり、ゲームはリビングの主役へ押し出された。中盤にはXbox 360とPlayStation 3が登場し、光の表現や物理挙動といったHD表現(高精細な映像と複雑な計算で作るリアルな見た目)が一気に進化する。すると、発売後もデータを配信して遊びを広げるDLC(ダウンロードコンテンツ=追加のステージやアイテム)や、バグ修正・バランス調整のパッチ配布が当たり前になり、パッケージの中身は「出発点」に変わった。さらに実績/トロフィー(アチーブメント=達成記録の可視化)やリーダーボード(順位表)で「遊びの履歴」を共有できるようになり、ゲームはひとりのものから、みんなに見せる体験へと変質していく。

 PC側では、この変化を後押しするしくみが整った。デジタル配信(ネットから購入・ダウンロードして遊ぶ方式)が普及し、アップデートや追加販売が「ディスクを作らずに」実行できるようになったのだ。ユーザーは常に最新版で遊び、開発側はプレイヤーの反応を見ながら改良を重ねる。これは後にGaaS(Games as a Service=ゲームをサービスとして継続運営する考え方)へ自然につながる。加えて、インディー(少人数・個人の独立開発)も再浮上する。小さなチームでも配信プラットフォームに直接載せられるため、尖ったアイデアが世界へ届きやすくなった。ユーザー制作のMOD(改造データ=見た目や新要素を加えるファン制作物)文化も花開き、「遊びを自分たちで拡張する」動きが勢いを増す。

 日本の家庭では、携帯機が「日常の主戦場」を広げた。ニンテンドーDSは二画面とタッチ操作で遊びの直感を更新し、PSPはアドホック通信(近距離での本体同士通信)で協力狩りを日常化させた。電車や教室の昼休み、家のソファ――遊び場はリビングのテレビから人の移動に合わせて移動する。2009年にはDSのすれちがい通信(本体同士が近づくだけでデータ交換)で街に「見えないコミュニティ」が生まれ、ゲームが現実の人の流れを変えるほどの影響力を持ち得ることが示された。これは後の位置情報ゲームやAR体験の社会現象に直結する“予告編”だった。

 携帯電話(いわゆるガラケー)でも、ソーシャルゲーム(友人招待やランキングで広がる運営型のゲーム)が登場し、毎日のログインやイベント参加が行動のリズムを作り始める。ここではF2P(Free to Play=基本無料で始め、アイテム課金で収益化)が浸透し、従来の「買い切り」とは別の成功モデルが立ち上がる。ゲームは“買う物”から“続ける場所”へ。10年代のスマホ大波は、すでに日本のポケットで波打っていたのだ。

 そのスマホは2008年のアプリ配信ストアの登場で“世界最大の売り場”へ化ける。タッチ操作と常時接続を前提にした設計は、移動時間の数分でも成立するテンポを求め、通知やデイリー課題で「戻ってくる理由」を積む。ここで磨かれた運営ノウハウ――短いサイクルのイベント、季節に合わせたテーマ、ガチャの期待値設計(確率でアイテムを入手する仕組み)など――は、後に家庭用やPCの大作にも逆輸入されていく。10年代のヒット作に共通する「毎週のアップデート」「期間限定の祝祭感」は、この時点で基礎工事が済んでいた。

 実況文化(プレイ映像を配信し、視聴者とコメントで交流する文化)も芽を出す。動画共有サイトや生放送サービスの普及で、ゲームは「自分が遊ぶ」だけでなく「他人が遊ぶのを観る」娯楽にもなった。笑いどころや攻略の妙が、映像と声でリアルタイムに共有される。クリアの瞬間をみんなで祝う。視聴者の反応が次の挑戦を呼ぶ。この循環は10年代のeスポーツ(競技として観戦・興行する文化)やストリーマー経済の土台になる。ゲームはスクリーンの中だけで完結せず、コミュニティの中で育つ表現へと拡張した。

 開発の作り方も変わっていく。早期アクセス(開発中の段階で販売し、資金とフィードバックを得る方式)やクラウドファンディング(ネットで広く資金を募る方法)が登場し、ユーザーは作り手の「途中」を支えながら完成を待つ参加者となった。完成品を一方的に渡すのではなく、プロトタイプを磨きながら一緒にゴールへ向かう。10年代に一般化する「ロードマップ公開」「コミュニティ投票」は、この頃の実験が形になったものだ。

 もちろん、良いことばかりではない。オンライン常態化はDRM(デジタル著作権管理=不正コピー防止の仕組み)や常時接続前提の設計を強め、ネット環境に左右される不自由さも生んだ。F2Pとガチャは遊びの間口を広げた一方で、課金設計(どこで、どれくらいお金を使ってもらうかの設計)の倫理が問われ始める。国や業界団体による指針づくり、確率表示の義務化など、10年代に本格化する議論の火種はすでに揃っていた。ゲームが社会の大きなインフラに近づくほど、健全さや透明性が求められる――その自覚が芽生えたのも、この過渡期である。

 10年代以前の十余年は「技術・運営・コミュニティ」の三本柱が同時に伸びた時代だった。HD表現で“観たくなる”作品が増え、オンラインで“続けたくなる”仕組みが整い、携帯・スマホで“いつでも触れる”導線ができた。インディーは個性の鋭さで存在感を示し、動画と配信は発見の仕組みを刷新した。こうして2010年代の地平には、長く遊ばれ、観られ、語られ続けるゲームの姿が、すでにうっすらと見えていたのである。次の章から、その芽がどのように花開き、時に嵐にさらされ、また立ち直っていったのか――年ごとに追っていこう。

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