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ChatGPTはAGIの夢を見るか
第一章 ChatGPTはAGIの夢を見るか
ChatGPTに「夏目漱石の『こころ』について説明して」と頼めば、数秒で答えが返ってくる。さらに「小学生にも分かるように」と付け加えれば表現を変え、「三行で」と言えば短くし、「批判的に読んで」と頼めば別の角度から論じ始める。プログラムを書かせることもできるし、旅行の計画も立てられる。恋人への謝罪文まで作れる。これだけを見ると、すでに機械が知能を持ったと言いたくなる。
しかし、ここで少し奇妙なことが起きる。
ChatGPTは『こころ』について語れるが、本を読んで胸が痛んだわけではない。北海道旅行を計画できるが、雪道で転んだことはない。コーヒーの味について説明できるが、苦いとも香ばしいとも感じていない。それでも文章の上では、まるで何十年も世界を経験してきた人間のように振る舞う。
これは知能なのだろうか。
この疑問こそ、現在のAIを考える入り口になる。
AIという言葉は、とても広い。囲碁を打つプログラムもAIなら、顔を識別するシステムもAIである。工場で不良品を見つけるカメラも、自動運転車も、動画サイトの推薦システムもAIと呼ばれる。ChatGPTのような生成AIは、その巨大な世界の一部にすぎない。
さらにChatGPTの中核には、大規模言語モデル、LLMと呼ばれる技術がある。LLMは大量の文章を学習し、与えられた言葉の続きとして何がもっともらしいかを予測する。かなり乱暴に言えば、ものすごく巨大で高性能な「文章の続きを当てる機械」である。
たとえば「むかしむかし、あるところに」と入力すれば、その次には「おじいさんとおばあさんがいました」が来やすい。「日本の首都は」と入力すれば「東京です」が来やすい。もちろん現在のLLMが行っている処理は、こんな単純な穴埋め問題ではない。しかし基本にあるのは、文脈から次に現れる語を予測するという仕組みである。
ここで不思議なのは、次の単語を当てる訓練を巨大な規模で続けた結果、単なる文章生成を超えた能力が現れたことだ。
翻訳ができる。要約ができる。プログラムが書ける。数学の問題もある程度解ける。与えられた条件について推論し、文章の矛盾を見つけ、ときには人間が思いつかなかったアイデアまで提案する。
研究者が一つ一つ「翻訳の仕方」「詩の作り方」「Pythonの書き方」を手作業でプログラムしたわけではない。大量の文章から言語の構造を学んだ結果、それらの能力がまとめて出てきた。
だからLLMの登場は衝撃的だった。
それまでのAIでは、一つの仕事に強い機械を作ることが多かった。チェスAIはチェスが強い。画像認識AIは画像を分類する。囲碁AIは囲碁を打つ。しかしChatGPTは一つの入力欄から、歴史、数学、料理、文学、プログラミングまで扱う。
ここでAGIという言葉が登場する。
AGIはArtificial General Intelligence、汎用人工知能の略である。「汎用」というところが重要だ。限定された一つの課題だけではなく、人間のように多くの領域をまたいで学び、考え、問題を解ける人工知能を指す。
ところが困ったことに、AGIには全員が納得する厳密な定義がない。
人間と同じくらい多くの仕事ができればAGIなのか。ほとんどの知的労働をこなせればいいのか。未知の問題を自力で学習できる必要があるのか。身体を持ち、現実世界で行動できなければならないのか。それともコンピューターの中だけで超人的な知能を示せば十分なのか。
この定義の曖昧さは、単なる言葉遊びではない。
たとえば、一万冊の医学書を記憶し、医師国家試験で満点を取るAIがあったとする。しかし病室に連れていくと、患者が顔をしかめた理由も分からず、床に落ちた点滴チューブを踏んでしまう。
このAIは医師より賢いのか、それとも驚くほど愚かなのか。
逆の例も考えられる。小さな子どもは医学書を一冊も読めない。しかしコップを押せば倒れることを知り、人が怒った顔をすれば行動を変え、知らない玩具を渡されれば触ったり振ったりして使い方を調べる。
試験をすればAIが勝つ。未知の世界へ放り込めば、子どものほうがはるかに柔軟かもしれない。
すると「知能とは何か」という問題が急に難しくなる。
知識量なのか。推論能力なのか。学習能力なのか。環境への適応なのか。目的を達成する力なのか。それとも、それらを全部まとめたものなのか。
実はAIの歴史とは、この問いに対する答えが何度も変わってきた歴史でもある。
ある時代には「論理的に推論できること」が知能だと考えられた。別の時代には「大量の知識を持つこと」が重要だとされた。その後「データから学習できること」が中心になり、現在は巨大なニューラルネットワークが言語や画像を扱っている。
つまり人類は、知能という山を登りながら、何度も頂上を取り違えてきた。
チェスで人間に勝てば知能だと思った時代があった。コンピューターが世界王者を倒すと、今度は「チェスなんて本当の知能ではない」と言われた。囲碁は難しすぎると言われた。AIが囲碁でも人間を超えると、また「囲碁ができるだけでは知能ではない」と言われた。
そして今、AIは言葉を使い始めた。
これは大きな出来事である。なぜなら人間は、長いあいだ言語を知性の証拠として扱ってきたからだ。言葉を使って理由を説明し、冗談を言い、物語を作り、哲学について語る機械が現れると、人間と機械を分けていた境界線が急にぼやける。
しかし言葉が使えることと、世界を理解していることは同じなのだろうか。
雨に関する文章を百万回読んだAIは、雨について知っていると言えるかもしれない。しかし実際に雨に打たれ、服が濡れ、足元が滑りやすくなった経験はない。
それでも、雨について正確に答えられるなら理解していると言っていいのではないか。
逆に、人間の理解だって突き詰めれば、過去に見聞きした情報を脳が処理しているだけではないのか。
この問題には簡単な答えがない。
さらに現在のAIをややこしくしているものがTransformerである。ChatGPTをはじめ、多くのLLMはTransformerというニューラルネットワークの仕組みを基盤としている。その成功があまりにも大きかったため、いつの間にか「AI=LLM=Transformer」であるかのような印象さえ生まれている。
しかしAIの世界は、そんなに狭くない。
文章を生成しなくても、試行錯誤しながら行動を学ぶAIがある。自分自身と何百万回も対戦して強くなるAIがある。世界の変化そのものを予測しようとするAIもある。論理記号を操作する古典的なAIも、脳の神経活動をもっと直接的に模倣しようとする研究も残っている。
もしかすると未来のAGIは、ChatGPTを一兆倍大きくしたものではないかもしれない。
言語モデル、世界モデル、強化学習、記号推論、長期記憶、ロボット。それぞれ別々に発達してきた技術が組み合わさり、初めて汎用的な知能になる可能性もある。
あるいは、現在まだほとんど知られていない原理からAGIが生まれるかもしれない。
飛行機は鳥を巨大化して生まれたわけではなかった。翼を羽ばたかせる代わりに、固定翼とエンジンという別の方法で空を飛んだ。
同じことが知能でも起きる可能性がある。
人間の脳をそのまま再現する必要はないかもしれないし、Transformerを改良し続ける必要もないかもしれない。現在もっとも成功している方法が、最終的な方法である保証はどこにもない。
だから「ChatGPTはAGIなのか」という問いだけでは足りない。
もっと面白い問いがある。
そもそも、なぜ人類は知能を作ろうとしたのか。
昔の研究者は何を知能だと考えたのか。
なぜ何度もAIブームが起こり、何度も失望されたのか。
そして現在のLLMとはまったく違う方法で、知能を作ろうとしている研究者たちは何を見ているのか。
ChatGPTはAI史の終着点ではない。
むしろ長いAI史の途中で突然現れ、知能という言葉の意味をもう一度分からなくしてしまった存在である。
ChatGPTはAGIの夢を見るか。
その答えを探すには、いったんChatGPTから離れなければならない。
時計を巻き戻し、人間が初めて「考える機械」を本気で作ろうとした時代まで戻ってみよう。
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