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俺はもう家に金を入れない 短文学3

第一章 財布のヒモは誰のものか

給料日。会社のデスクの引き出しに無造作に放り込んであった封筒を取り出し、手のひらで何度か叩く。中身の重みを確かめる仕草は、昔は「よし、これで今月も家族を養える」という安堵を意味していた。だが今は違う。叩けば叩くほど、皮膚の奥から不快な震えが湧き出す。何かが腐っている。それが何かはまだはっきりしないが、確かに腐ってる。

俺はそのまま封筒を上着の内ポケットにしまった。帰宅して玄関のドアを開けると、マキナの足音がリビングから聞こえてきた。あの速さ。あの硬さ。金の匂いを嗅ぎつけた犬みたいな足音だ。

「おかえり。今日、給料日でしょ?」

はいはい、そうですよ。俺の稼いだ金があなたの管理下に入る日です。今日はまさに“召し上げ記念日”ってわけだ。心の中でそう毒づいていたら、笑顔で手を差し出してくるマキナの指が急に小さな蟹のハサミみたいに見えてきて、笑いそうになった。

「今日はね、保険の更新もあるし、子どもの習い事の引き落としもあるし、それと固定資産税も……」

とにかく金が足りない、って話だ。その構造はいつも変わらない。こっちが給料を持ってくる、向こうが内訳を並べる。その形式は、もう十年近く続いてる。俺の役割は、ATMとして封筒を提出すること。家庭内議会での発言権もなく、ただ数字としての存在。稼ぐ男。それが俺。

だけど今日は違う。

俺は、封筒を渡さなかった。

「え?」

マキナが固まる。その顔には“想定外”っていう字幕が浮かんでいた。あまりにもテンプレ通りで、逆に感心するレベルだった。

「今日は、渡さない。というか、これからは渡さないと思う」

俺の声は思ったより静かだった。自分でも驚くほど冷静だった。もっと怒鳴ってしまうかと思っていたが、怒りではないのだ。これは、宣言。もっといえば、自分の意思を取り戻す一歩だった。

マキナは顔をしかめて、まるで変なにおいでも嗅いだみたいに鼻を鳴らした。

「……何言ってんの? 家庭っていうのは支え合いでしょ? あなたが稼いで、私が管理して、そうやって成立してきたじゃない」

「支え合い、ね。俺は支えられてる実感がないんだが」

「何それ? 私がどれだけ家のことしてるか知らないでしょ。食事、掃除、子どものこと……。あなただって、自分ひとりじゃ何もできないでしょ?」

そう言われて、俺は黙った。確かに、俺は家事が得意じゃないし、子どもとの接し方もうまくない。でも、それは俺が無能だからではない。そう振る舞うように、そう位置づけられてきた結果なんだ。俺が家に金を入れているのは「生活のため」だったはずなのに、いつの間にかそれは「従属のため」になっていた。

「……これは、支配だよ、マキナ。お前が俺を支配したいだけだ」

「は?」

マキナの眉が一気に跳ね上がる。怒りと困惑の混じった、あの特有の表情。俺はそれを何百回と見てきた。そのたびに折れてきた。でも、もう折れない。

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