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文学・思想の一丁目一番地
オタクに優しいギャルはもういない 短文学6
第1章 ユリの「おはよ~」
「オタクくん、元気してる~?」
そう言って、ユリは俺の肩をぽんと叩いた。乾いた音がした。俺の制服の肩は汗でじっとりしていたのに、彼女は気にした様子もなく指先でリズムを刻んでいった。まるで俺なんか存在してないみたいに軽やかに。俺は存在してるのに。
あの声は、天使の声だった。けれど天使の声なんて聞いたことがあるわけじゃない。ただ、天使ってのはああいう声をしてるんじゃないかと思った。明るくて、雑で、脈絡がなくて、残酷なまでに肯定的な声。どうしてそんな声がこの世界に存在できるんだろうと、何度も思った。
ユリはギャルだ。絵に描いたような。髪は明るい茶色で、毛先に向かってゆるく巻いてる。いつも爪が派手で、プリクラがスマホの裏に貼られてる。ミニスカートから伸びる足は、俺の視界を不意に支配する。油断してるとふくらはぎに目がいく。太ももに引きずり込まれる。俺の劣情が脈打つ。だがそのたびに自己嫌悪のナイフで自分を刺す。何回も。何回も。
――俺みたいなのが、ユリの脚に欲情してんじゃねえ。
机に爪を立てて、そっと深呼吸。ユリが笑いながら誰かと話してるのが聞こえる。「えー、それマジでウケるー!」教室の空気が一瞬ふわっと明るくなる。それはユリのせいだ。太陽みたいに見える。でも太陽ってやつは、近づいたら死ぬ。目を焼かれ、皮膚を焼かれ、骨をも溶かす。俺はそれを知ってる。
でもユリは、俺に話しかけてくれる。なぜか。それが謎だった。たぶん彼女の中で、俺は「いじってもOKな弱者枠」に分類されていたんだと思う。男子にも女子にも話しかけられない俺に、「おはよ~」って声をかけることで、自分の優しさを演出できる。あるいは演出じゃなくて、ただの反射だったのかもしれない。猫を見かけたら撫でたくなる、そういう類の。生き物に対する優しさ。
ユリにとって俺は、人間じゃなかったんだ。たぶん。俺はそれを分かっていた。でも、だからこそ、救われていた。ユリが俺を「男」として見ていないことが、俺にとっては一種の免罪符になっていた。もし見られていたら、俺はもっと惨めだった。性的に意識されないってことは、同時に拒絶もされていないってことだったから。
それでも、どうしようもなく俺はユリを見ていた。無意識に目が追う。教室の後ろで髪を束ねている姿。ガムをくちゃくちゃ噛みながらスマホいじってる姿。誰かのペンを無断で使って、そのまま返さないのに笑って済ませてる姿。そういう全部が、俺の中に積もっていく。きれいでもなく、清楚でもなく、だらしなくて、雑で、でもとにかく「明るい」存在。俺にないものを全部持ってる人間だった。
そんなユリに、俺は何もできなかった。ただ毎朝、机に突っ伏して「おはよ~」を待つ。声をかけてくれたら、それだけで一日が始まった気がした。かけてくれなかったら、今日もただの空気だったと思い知らされて、一日が終わった。情けない。ほんとに、情けない。
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