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文学・思想の一丁目一番地
お前がやった 短文学10
第1章 目覚め、血の匂い
目が覚めた瞬間、何かがおかしいとわかった。
視界がすぐに焦点を結ばない。息が詰まるような空気。部屋の匂いが、変だ。湿っていて、金属のような匂いが鼻を刺した。
天井が見知らぬものだった。塗り直された白、うっすら浮かぶシミ。
右手が変なふうに重い。動かそうとして、違和感に気づいた。ぬるりとして、まとわりつくような感触。
ゆっくり起き上がって見た。
手に、血がついていた。
べっとりと。乾きかけて、黒ずんで。指の間、爪の隙間。誰の血なのかわからない。見た瞬間、胃が収縮した。何かまずいことが起きた。そういう身体の反応だけが、記憶より先にやってくる。
起き上がって、あたりを見回す。
ビジネスホテルの一室らしい。安い。ベッドの縁に黒いスーツのジャケット。床に転がった靴。自分のものだ。履いていた記憶はないけれど。
喉が渇いていた。水を探そうと立ち上がりかけて、右肘のあたりに紙が触れた。手書きのメモ。封筒のような紙の切れ端。にじんだボールペンの文字。
「お前がやった」
手書きの字は、自分の筆跡に似ていた。でも書いた記憶はまったくない。
この部屋に、他に誰かいた気配もない。
息を吸った。気持ちが悪い。喉の奥に粘りつくような不快感が残る。
風呂場に行って手を洗った。石鹸で何度もこすった。指の関節に詰まった血がなかなか落ちない。赤黒い泡が排水口に消えていく。何をしたのか。誰の血なのか。なぜ自分がここにいるのか。それがまるでわからない。
顔を上げて鏡を見た。
目の下にあざがあった。右目のまわりが紫色に腫れている。打撲。殴られたか、転んだか。頬も少し切れていた。
自分の顔が、自分のものに見えなかった。腫れた部分が表情を歪めているせいか、それとも記憶の欠落のせいか。まばたきのたびに、ひりついた。
とにかく、電話を確認しようと思った。スマホはベッドの下に落ちていた。画面にひびが入っている。パスコードは覚えていた。不自然なほど、スムーズに指が動いた。記憶の一部だけが生き残っている感覚。
電話帳に「美奈」という名前があった。着信履歴があった。午前2時すぎに3回。折り返すべきか迷う。だが、名前にも声にも心当たりがない。誰だ、美奈って。連絡をとるのが怖かった。
部屋のどこかに手がかりがないか探す。財布はあった。中身はほとんど現金。クレジットカードが1枚。免許証。名前は知っている。陽一。自分の名前。それは疑いようがなかった。
が、そのほかの情報が曖昧だった。職業、家、家族。どこで生きていたのか。何をしていたのか。すべて曇っている。大学の卒業証書も、社員証も、写真もない。ただ免許証の自分の顔が、いまの自分よりも若く見えた気がした。
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