うしPのサイト

文学・思想の一丁目一番地

ヤンキーか奴隷か 短文学11

第一章 宣言:俺は弱者だ

自然界ではヤンキーが一番強い。

高校の教科書には載っていないし、道徳の時間にも出てこない。けれど、K市のコンビニ前で夜を過ごせば、そんなことは三日で理解する。生物は牙を持つものが支配する。鹿は角を、熊は爪を、ヤンキーは拳を。人間社会では牙は抜かれたと思われているが、それはあくまで昼間の話だ。夜になると牙は戻る。いや、昼間も牙はそこにある。見えないだけで。

だから人は法律を作った。牙を抜くために。法律とは論理の形をした檻だ。檻の中で暴れると、鉄の棒にぶつかって自分が痛い目を見るようにできている。法という名の鉄格子は、弱者のために作られた。牙を持たない者でも、鉄格子越しに強者を指さして笑えるように。論理はその笑いの延長線上にある。言葉で相手を封じる。文書で縛る。時間を奪う。牙を持たない分、口と手続きを鍛えた人間たちが築き上げたのが論理だ。

でも俺は、その論理を使いこなせない。暴力も持たない。牙を持たない。檻も持たない。

それが俺だ。

奴隷にもなれず、ヤンキーにもなれず、ただその間の空白を漂う弱者。

夜勤明け、コンビニ裏の資材置き場で缶コーヒーを飲んでいたら、真鍋たちがバイクでやって来た。マフラーの音が港の方から反響して、胃の奥に響く。俺はコーヒーの缶をポケットに押し込み、積まれた段ボールの影に入る。彼らは俺を見ていない。俺も彼らを見ない。こうして、力も理屈も持たない者は、時間をずらし、視線を避けて生き延びる。これは戦術ではない。反射だ。生まれたときからこの距離感を保つことだけで命を守ってきた。何も誇るべきことではない。だが、それしかできない。

奴隷——つまり法と論理の世界——に入れば、守ってくれる人もいる。川原がそうだ。彼はいつも正しい手続きを踏んで、正しい言葉を使う。警察も役所も彼の味方をする。真鍋に絡まれても、川原がいればスマホで動画を撮り、通報し、数日後には相手が学校から消えている。でも、俺は川原のようになれない。証拠を押さえるタイミングを逃す。言葉が出てこない。論理を維持するための集中力がない。奴隷の世界に入るには、奴隷としての資格がいる。俺にはその資格すらない。

時々思う。暴力と論理は、じつは同じ動物の両手じゃないかと。右手が拳で、左手が契約書。表の顔と裏の顔。牙と檻。どちらも支配のための道具であり、支配する側に回らなければ役に立たない。俺のように、どちらの側にも属さない者には、ただの風景にすぎない。川原が契約書を突きつける姿も、真鍋が拳を振り下ろす姿も、俺にはテレビの中の出来事のように見える。手を伸ばしても画面に触れるだけで、向こう側には届かない。

続きはこちらから
ヤンキーか奴隷か 短文学11
ヤンキーか奴隷か 短文学11
短文学一覧に戻る
うしPのページに戻る