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ジャンク忍者PIN-ORE ジャンクノベル3
第一章 ジャンクショップの朝は戦い
なぜジャンクショップには手ごろなジャンクが転がっていないのか。誰もが一度は疑問に思ったことがあるだろう。店に入ったとき、ジャンク箱の中身はいつも微妙だ。謎メーカーの電源、誰が使うのか分からないキャプチャボード、OSどころかプロダクトキーすら読めない傷だらけのDVD。店員のやる気がないからじゃない。補充が遅いからでもない。理由はひとつ、開店と同時にジャンカー忍者たちの血で血を洗う戦いが始まるからだ。そして先月、その戦いの中で私は悟った。あの第八世代i7をめぐる惨劇の中で、私もまたその血の一滴だったことを。
ジャンカー忍者は忍者である。だから、開店前のジャンクショップにオタクたちが律儀に列を作っている、なんて光景は誰も見たことがない。外から見えるのは、コンビニの前でスマホをいじる大学生っぽい誰かとか、出勤前に寄ったサラリーマンとか、トラックの荷降ろしを待っている運転手とか、せいぜいその程度だ。だが実際は違う。あれはみんな変装だ。ジャンカー忍者たちは電柱の影に溶け、軽バンの運転席に潜み、向かいのカフェでモーニングを装いながら、ドアの向こうのジャンク箱をじっと見つめている。そう、私もその一人だ。
ぴっ、と自動ドアが鳴る。開店五分前。まだ閉まっているはずのドアの前に立ちながら、私はスマホを見ているふりをして、ガラスに映る景色を観察する。コンビニ前の大学生はイヤホンのコードを指でくるくる回し、トラックの運転手は腕を組んで欠伸をしたふりをしながら、視線だけをこちらに寄越してくる。みんな目が笑っていない。あれは人間の目ではない。ジャンクを漁る獣の目だ。私もだ。心臓がどくどくとうるさい。今日は特別な日。店内奥のジャンク箱に「レガリア」の文字があるのを、私は昨日ちらりと見てしまった。ぼろぼろの箱にかろうじて残ったロゴ。中身が本物かどうかは分からない。でも、ジャンカー忍者にとって、レガリアの箱はそれだけで価値がある。中二病みたいなその響きのせいかもしれない。
開店時間ぴったり。自動ドアが開く。ひゅう、と目に見えない一陣の風が吹き抜け、アルバイトの店員の髪が台風にさらされたみたいにふわりと揺れる。その瞬間、世界が切り替わる。大学生はイヤホンを耳から引きちぎり、トラックの運転手は信じられない俊敏さで駆け出し、スーツ姿のサラリーマンはネクタイを引きちぎって二重扉へ飛び込んだ。私はと言えば、スマホをポケットに滑り込ませると同時に足を踏み込む。これが、ジャンカー忍者の「開戦」である。
店に入った瞬間、空気が変わる。普通の客の目にはただの雑多な売り場だろう。しかし私たちには、床の反射、棚の隙間、ジャンク箱の高さがすべて戦場の地形図に見えている。一番奥の壁際、なぜか毎回配置が変わる「危ないゾーン」。そこに今日も、黄色い札とともにジャンク箱が積み上がっている。あそこだ。昨日見つけたレガリアの箱。まだ誰にも取られていなければ、の話だけれど。
私は全力で駆けだしたい衝動を押し殺し、早歩きの限界速度で売り場を抜けていく。走ったやつからマークされる。走るのは素人だ。走らないのが忍者。そう教えられた覚えはないが、身体が勝手にそう動く。カゴを持たずに歩き、適度にキーボードやケーブルに視線を投げて「普通の客」を演じながら、心の中だけでカウントダウンしている。「まだ誰も走らない、まだ誰も走らない、次の角を曲がったら全員ダッシュだ」
そのとき、視界の端で何かがきらりと光った。前方を歩いていたスーツ男が、ふっと姿を消した。いや、消えたのではない。棚の影に体を沈め、ショートカットで危ないゾーンへの直線ルートを確保したのだ。ジャンカー忍者の一人、だ。遅れたら取られる。そう思ったときには、私もまた走っていた。走るなとか言っていた自分を、三秒で裏切る。人生なんてそんなものだ。
危ないゾーンの手前で、私はブレーキをかける。すでに数人がジャンク箱の前に陣取っていた。彼らの目はジャンクの山の奥底を見ている。手前のキーボードや電源なんて、視界に入ってすらいない。私は息を整えながら、一歩だけ前に出る。レガリアの箱は──あった。昨日見た位置より少し奥まっている。誰かが一度触って戻したのか、あるいは箱自体が移動したのか。とにかく、まだ売れてはいない。勝機はある。
「その箱、寄こせ」
低い声がした。私が手を伸ばし、レガリアの箱の端に指をかけた瞬間、左側から伸びてきた手が箱を押さえ込む。声の主は、パーカー姿の若い男だった。目の下のクマが濃く、髪は寝癖で跳ねまくり、だが手つきだけはやたらと正確だ。彼は私の顔をちらりとも見ずに、箱だけを凝視している。
「いや、これは私が──」
言い終わる前に、男は左手をわずかに振った。ひゅっ、と空気を切る音がして、ジャンク箱の奥から何かが飛んできた。細長い緑色の板。DDR2メモリだ。私は反射的に身を引く。次の瞬間、さっきまで私の顔があったあたりをDDR2が通過し、後ろの棚に刺さった。こいつ、やりやがった。
「ジャンカー忍者に慈悲はない。ルールはひとつ、早いもの勝ちだ」
男はそう言うと、さらにもう一枚DDR2をつまみ上げた。私は思わず笑ってしまう。DDR2かよ、と思ったのだ。今どき誰がDDR2なんて欲しがるんだ。でも同時に悟る。今は武器としての価値しか見ていないのだ、と。だったら私にも、手はある。
私はジャンク箱の手前に転がっていたメモリ束から、素早く一本を抜き取る。これもDDR2だ。メーカーは知らない。ヒートシンクもついていない、地味なやつだ。でもいい。大事なのは世代でも容量でもない。今は、これが手裏剣であるという事実だけだ。
「やるっていうなら、やろうか」
私は自分でも驚くほど冷静な声でそう言うと、右手のDDR2をひねり、男に向かって放る。ふっと浮かせて、くるりと回転させる。彼もまた、同じタイミングでDDR2を投げる。空中で二枚のメモリがぶつかり合い、パチッと小さな火花が散った。店員の悲鳴が聞こえた気がするが、気にしている余裕はない。
勝負は一瞬だ。私は右手を振りながら、もう一枚、別のDDR2を左手で拾い上げていた。最初から二枚目を投げるつもりで、体勢を作っていたのだ。一本目が空中で相殺されるのを視界の端で確認しながら、私は二本目をノールックで放る。狙うのは男の額、ではない。目の上、ギリギリ眉毛のあたり。致命傷にはならないが、集中力を削ぐ位置。
見事に刺さった。いや、実際にはちゃんと刺さってはいない。ただ、男の額の前でDDR2がかすり、その反動で彼の体勢がほんのわずかに崩れた。それで十分だった。私はその隙にレガリアの箱を抱え込み、踵を返す。
「卑怯だぞ!」
背中に怒号が飛ぶ。でもそこには、悔しさと同時に、ほんの少しだけ驚きと、認めざるを得ない何かが混ざっていた。私は振り返らない。ジャンクショップの床を蹴り、レジへと向かう。腕の中のレガリアの箱は、思っていたよりずっと軽かった。
レジにたどり着いて初めて、私は息を吐いた。心臓がまだバクバクいっている。店員の女の子が震える手でバーコードを探している。さっきのメモリ戦争を見ていたのだろう。顔が青ざめている。
「あ、あの、ケガとか……」
「大丈夫。DDR2だし」
意味の分からない返事をしてしまった。DDR2なら大丈夫ってなんだ。自分でもおかしくて、笑いそうになる。レジの液晶に金額が表示される。思っていたより安い。やっぱりジャンクだ。中身は、もしかしたら動かないかもしれない。箱だけかもしれない。それでも、この瞬間だけは確かに「勝利」だった。
そのとき、背後から冷たい空気が流れ込んできた。レジの横の通路から、黒い影がぬっと現れる。私は振り返る。そこに立っていたのは、漆黒のパーカーを羽織った男だった。身長は高くないが、異様な存在感がある。顔の半分をマスクで隠し、髪はオイルで撫でつけたようにぴったりと額に貼りついている。その手には、信じられないものがぶら下がっていた。
GTX5090。最新世代、常識外れの化け物GPU。その箱を、彼はまるでスーパーの特売品みたいに片手でぶらぶらと持っている。レジ前の空気が一瞬で凍りついた。店員の女の子も、他の客も、みんなその箱に目を奪われる。男は私のレガリアの箱には一瞥もくれず、ただ淡々とレジカウンターに自分の獲物を置いた。
「……すげえ」
思わず口から零れる。自分の声がやけに小さく聞こえる。男はゆっくりとこちらを振り向いた。目だけがマスクの上に露出している。その目は、あまりにも静かで、あまりにも何も映していなかった。
「箱を巡って戦っている段階か」
それだけ言うと、男は視線をレジに戻した。声には侮蔑も嘲笑もない。ただの事実確認みたいな響きだった。その何気なさが、逆に胸に刺さる。私は返す言葉を見つけられない。さっきまで自分の中で鳴り響いていた勝利のBGMが、一瞬で止んでしまったような気がした。
会計が終わる。彼は財布をしまい、GTX5090の箱をひょいと持ち上げる。まるでティッシュ箱でも持つみたいに軽々と。そして去り際、ほんの一瞬だけ、こちらを見た。
「レガリアの箱。悪くないな」
そう呟いた気がした。聞き間違いかもしれない。でもその一言で、私はまた呼吸を取り戻した。悪くない。だけど、まだまだだ。箱を手に入れて喜んでいるレベルでは、あのGTX5090には届かない。自分の位置がはっきり分かってしまう。
店を出て、冷たい外気に当たる。レガリアの箱を抱えて歩きながら、私はふと振り返った。ジャンクショップのガラス窓の向こうで、さっきのDDR2忍者がまだジャンク箱を漁っている。その背中は悔しさで固まっているようで、でもどこか楽しそうでもあった。ああ、そうか。これは戦いであり、遊びであり、修行なのだ。そう思うと、胸の奥が少しだけ温かくなる。
家に帰って、レガリアの箱を机の上に置く。ふたを開ける前に、私はしばらく眺める。傷だらけで、角は潰れ、ロゴも剥がれかけている。それでも、この箱は今日の私の勝利の証だ。中身がどうであれ、それは変わらない。
ふと、箱の側面に細いマジックの線が引かれていることに気づいた。よく見ると、それは小さな文字になっていた。「よくここまで辿り着いたな」。私は思わず固まる。こんな落書き、店で見たときにはなかったはずだ。いや、気づかなかっただけか。でも、こんな場所に、こんな文字をわざわざ書く店員がいるだろうか。
「……誰だよ」
呟いた瞬間、背後で椅子がきしむ音がした。振り向くと、いつの間にか部屋の隅に誰かが座っていた。よれよれのチェックシャツに、色あせたジーンズ。髪は白髪混じりでぼさぼさ。目の下のクマは深く、だがその目だけは妙に透明だ。
「おかえり。レガリア、ちゃんと持って帰ってこれたじゃないか」
見知らぬおじさんは、当たり前のようにそう言った。私は悲鳴を飲み込みながら、第一声をどうするか必死で考える。誰だこいつ。なぜ私の部屋にいる。通報した方がいいのでは。でも、その前に、彼の言葉の意味が頭の中で引っかかっていた。
ちゃんと持って帰ってこれた、という言い方。まるで、最初からそれを試していたみたいじゃないか。
「その箱、試験用に流しておいたんだ。レジまで辿り着けるかどうかを見るためにな」
おじさんは、私の考えを先回りするように続けた。喉が鳴る。やっぱりそうなのか。じゃあ、この人は──
「今日からお前は、サンディおじさんの弟子だ。ジャンク忍者見習いじゃない。本物のジャンカー忍者として育ててやる」
彼は、どこか誇らしげに、自分の胸を親指で指した。サンディおじさん。そう名乗るその男こそ、私がまだ知らないジャンク忍者の世界の、本当の入口だった。
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