うしPのサイト
文学・思想の一丁目一番地
ハッブル入門 科学者入門シリーズ23
第1章 田舎の少年が「空」を測る人になる
夜空は、誰にでも平等に開いている。都会の光に薄められた空でも、田舎の闇に沈み込む空でも、そこには同じ星が浮かぶ。ただし、同じ空を見上げても、受け取るものは人によって違う。多くの人にとって夜空は「きれいなもの」で終わる。けれど、ある人にとって夜空は「測れるもの」になる。エドウィン・ハッブルという男は、その後者の側に立った。
ハッブルの出発点は、最初から天文学者として整っていたわけではない。人生は直線ではなく、いくつもの分岐と引き返しでできている。彼もまた例外ではない。若い彼の周囲には、のちに歴史の教科書に載るような派手な天才エピソードが最初から並んでいたわけではない。むしろ、彼の輪郭は「何者になるのか決めきれない青年」の側に寄っている。だからこそ、彼が選び取った道の強さが見えてくる。
当時の天文学は、今よりずっと「場所」に支配されていた。望遠鏡の口径、乾いた空気、山の高さ、都市の灯りからの距離。どれもが観測の質を決める。現代なら衛星やネットワークで均される部分が、当時はむき出しの差として存在した。つまり、天文学者の才能だけでなく「どこにいるか」が勝敗を左右した。科学は頭脳の競技であると同時に、装置の競技でもある。そして装置は、資本と政治と名声が呼び込む。ハッブルの物語は、この冷たい事実と無縁ではない。むしろ、その上で勝ちに行った物語だ。
彼が生まれたのはアメリカ中西部、都会の学術サロンから遠い土地だった。遠い土地というのは不利にも見えるが、逆に言えば、余計な権威の空気を吸わずに済むとも言える。周囲に「当然こうだ」という常識が濃くない場所は、疑問が育ちやすい。夜が暗い場所は星が見える。星が見える場所では、星はただの飾りではなく、具体的な点として現れる。点は数えられる。数えられるものは比較できる。比較できるものは、やがて測定へ向かう。ここには、自然な階段がある。美しさから出発しても、いつの間にか「どれくらい」「どっちが」「どれだけ遠い」という問いに引きずられていく階段だ。
ただ、階段を上るには意志がいる。夜空が測れるものに変わる瞬間は、感動よりもむしろ執着の形をしている。「なんでこう見えるんだ」「このぼんやりした光の正体は何だ」「これを説明できる形にしたい」。科学はよく「好奇心」で語られるが、好奇心だけでは続かない。続くのは、少ししつこい性格だ。答えが出ない時間を耐え、同じ対象を何度も見直し、誤差に悩み、他人に馬鹿にされても手放さないしつこさ。ハッブルの内側にあったのは、そういう種類の頑固さだったのだろう。
面白いのは、彼がその頑固さを、最初から天文学一本に賭けなかったことだ。彼は回り道をする。時代の空気や家族の期待、社会的な評価の軸の中で、別の道に寄る。人は「まっすぐな成功譚」を好むけれど、現実の強さはむしろ回り道に宿ることがある。回り道は無駄に見えるが、そこで得た訓練が、別の場所で効く。ハッブルがのちに見せる、数字と観測と議論の粘り強さは、天文学の講義だけで育ったとは思えない。彼は自分を鍛える場を複数持った。その結果、単なる研究者ではなく「勝負できる研究者」になった。
彼が学術の世界へ本格的に足を踏み入れるころ、天文学にはちょうど大きな波が来ていた。望遠鏡が大きくなり始めたのだ。口径が増すということは、暗いものが見えるということだ。暗いものが見えるということは、宇宙が広がるということだ。ここが重要で、宇宙が広がるとは「宇宙が物理的に広がる」以前に、「人間が扱える宇宙の範囲が広がる」という意味を持つ。見えるものが増えれば、疑問が増える。疑問が増えれば、論争が増える。そして論争が増えるほど、決定打を出した者の勝利は大きくなる。ハッブルが戦ったのは、まさにそういう、勝てば世界観ごとひっくり返る舞台だった。
彼が向かったのは、当時の天文学の最前線だった。山の上の天文台。空気が澄んだ場所。巨大望遠鏡が据えられ、夜ごとに写真乾板が積み上がる場所。そこは、孤独と熱狂が混じる場所でもある。観測は待つ仕事だ。天候に振り回され、機械に振り回され、眠気に勝ち、手元のデータが何を意味するのかを考え続ける。派手な「発見の瞬間」より、むしろ「発見にたどり着くまでの退屈」が本体だ。そこで耐えられる人間は多くない。けれど、耐えた者だけが、夜空の中から秩序を引きずり出す。
ハッブルの眼は、単なるロマンチストの眼ではなかった。彼は空を眺めながら、空に秩序を要求した。星雲と呼ばれていたぼんやりした光の集まりに対しても、「これは同じ種類なのか、それとも別物なのか」と問う。分類したくなる。距離を知りたくなる。どれが近く、どれが遠いのかを知りたくなる。分類と距離、この二つはのちの彼の武器になる。分類は世界を「比較可能」にする。距離は世界を「尺度」に載せる。比較可能で尺度に載った世界は、あとは関係式が見つかれば勝ちだ。科学は、混沌をそのまま抱えて愛でるのではなく、混沌を切り分け、並べ、測り、関係に変える営みだ。ハッブルは、その工程を気持ちよくやれる人間だった。
ここまで来ると、彼の人生が「才能」と「時代」と「場所」の合流点に立っていることが見えてくる。もし望遠鏡が小さければ、彼のしつこさは宇宙の壁に阻まれて終わったかもしれない。もし彼が都会の権威の空気に染まりすぎていれば、「宇宙は天の川がすべて」という常識に居心地よく収まってしまったかもしれない。もし彼の性格がもう少し繊細で、失敗に弱ければ、夜ごとの観測の単調さに負けていたかもしれない。だが実際には、彼はその合流点に立った。そこで彼は、空を「測れるもの」にしたいという執着を、巨大望遠鏡という腕力で現実へ変えていく。
うしPのページに戻る