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ジェンナー入門 科学者入門シリーズ24

第一章 天然痘という“世界の天災”

人は、敵の顔を知っていると少しだけ落ち着く。狼なら狼の牙を思い浮かべればいいし、嵐なら雲の色を見れば備えられる。だが天然痘は、顔がない敵だった。目に見えないのに、村をまるごと変えてしまう。ある家から泣き声が聞こえたと思ったら、数日後には隣の家でも咳が出る。気づけば、道の端に人が倒れ、井戸の周りから笑い声が消えていく。医者が来ても、祈りが捧げられても、火を焚いて空気を浄めても、病は淡々と広がった。戦争のように前線がない。疫病はどこにでも潜りこみ、誰の胸にも手を突っ込む。だから当時の人々にとって天然痘は、災害というより運命に近かった。

天然痘の恐ろしさは、死ぬことだけではない。死ぬ確率が高い病は他にもあった。しかし天然痘は、助かった者にも爪痕を残す。高熱が出て、体が震え、やがて皮膚の下から何かが押し上げてくる。顔、腕、胸、背中。ぶつぶつとした赤い点が増え、膨らみ、膿を抱え、かさぶたになり、剥がれ落ちる。その過程が、本人の痛みだけでなく、周囲の心まで削る。親は子の顔に触れられない。触れた瞬間に感染が移るかもしれないからだ。抱きしめたいのに抱きしめられない。そこにあるのは「かわいそう」という感情より先に来る、もっと原始的な恐怖だ。病は倫理を剥ぐ。人間関係を薄くし、家族を疑心暗鬼にし、共同体の温度を下げる。

そして生き残っても、天然痘は人を“見た目”で縛る。痘痕と呼ばれる跡が顔に残ることがある。肌の凹凸は、鏡の中で自分を裏切る。周囲はそれを病の証拠として見る。顔立ちの美醜がそのまま人生の選択肢に直結していた時代、痘痕は単なる傷ではない。結婚の話が遠のき、仕事の口が狭まり、子どもがからかわれ、本人は人前に出ることを避けるようになる。感染症は身体の出来事であると同時に、社会の出来事でもある。天然痘は、命を奪うか、あるいは生き方を奪うか、そのどちらかを迫ってくる病だった。

なぜこんな病が、長い間“止められなかった”のか。現代の目から見ると、医療の未熟さは一目瞭然だ。だが当時の人々が無知だったという話ではない。むしろ、人々は必死に理解しようとしていた。原因を探し、予兆を読み、流行の波を記録し、薬草や瀉血やさまざまな治療を試した。それでも天然痘は手強かった。最大の理由は、敵が見えないからだ。ウイルスという概念がない。感染がどう起こるかの理屈がない。だから対策は、どうしても「雰囲気」や「経験則」に寄る。悪い空気が病を運ぶという考え方が広まり、臭いを消すために香を焚く。窓を閉めるべきか開けるべきかで争う。患者の衣服を焼く者もいれば、神の怒りを鎮めるために祈りを捧げる者もいる。これらは滑稽ではない。見えない敵に対して、人が取りうる自然な反応だ。問題は、運よく当たることはあっても、確実に当て続ける仕組みがないことだった。

さらに天然痘は、社会の移動と結びついていた。交易、巡礼、奉公、軍隊。人が動けば病も動く。都市は繁栄と同時に密集を生む。密集は感染の燃料だ。田舎の村が静かに暮らしていても、旅人が一人入ってくれば、穏やかな日常が数週間で崩れる。人々は旅人を恐れ、よそ者を疑うようになる。差別と排除が始まる。だがそれでも人の移動は止められない。食べるために働きに出る者がいる。売るために町へ行く者がいる。兵士として召集される者がいる。生存の構造が病の拡散を助けてしまう。疫病が厄介なのは、道徳や努力の問題ではなく、社会の配管に流れ込んでしまう点にある。

この時代、天然痘はただの病気ではない。“世界観”だった。病にかかった者は、たまたま運が悪かったのか、それとも何かの罰なのか。神が試しているのか。家系の呪いなのか。そうした解釈が当たり前に存在する。医者がいくら説明しても、説明の隙間に宗教や迷信や噂が入りこむ。しかも噂は速い。遠くの村で誰かが助かったという話は希望になるが、同時に「この薬さえ飲めば大丈夫だ」という誤解も生む。希望が暴走すると、失望はさらに深くなる。病が広がる時、人々が欲しがるのは確率ではなく確実性だ。「この方法なら絶対に助かる」と言い切ってほしい。だが医学が正直であるほど、それは言えない。ここに、疫病が社会を荒らすもう一つの理由がある。人は不確実さに耐えにくい。そして不確実さの中では、強い言葉が勝つ。

天然痘の歴史を読むと、恐ろしいのは病原体だけではないと分かる。恐ろしいのは、病が人間に突きつける「選択」だ。感染を避けるために誰かを見捨てるのか。家族を守るために隣人を追い出すのか。自分が助かるために危険な治療に賭けるのか。現代の私たちは、医学の知識を持ち、制度を持ち、数字で語れるようになった。しかし当時の人々にとっては、決断の材料がほとんどない。材料がないのに決断だけが迫ってくる。だから天然痘は、身体を壊すだけでなく、共同体の倫理を溶かしていく。心が先に折れることもある。未来が見えない時、人は現在を縮める。目先の安心に飛びつく。結果として、さらに病が広がる。疫病は、恐怖を媒介にして増殖する。

だが、人間は完全に無力ではなかった。絶望の中にも、細い糸のような“気づき”が積み重なっていく。たとえば、同じ家に住んでいても感染する者としない者がいる。ある一度かかった人は、次に流行が来ても倒れにくい。病気が治った者の世話をしても、二度目は起こりにくいように見える。これらは、まだ名前のない法則の影だ。免疫という言葉も、ウイルスという概念もない。けれど人々は、経験から「一度くぐり抜けた者は強いらしい」と感じていく。その感覚は、時に危険な賭けを生むこともあったが、同時に、病を“運命”から“扱える対象”へ引き下ろす第一歩でもあった。

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