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ジェームズ・ワット入門 科学者入門シリーズ25
第一章 蒸気機関以前の世界と「熱の無駄」
ジェームズ・ワットの物語を始めるなら、まず「なぜ蒸気機関が必要だったのか」を、空気の手触りごと取り戻す必要がある。蒸気機関は便利な道具として発明されたのではない。困り果てた現場があって、その困り方が切実で、しかも当時の人間の腕力や水車や馬力では、もう追いつかなかった。その圧力が、蒸気という“見えない力”を、社会の中心に押し上げていく。
十八世紀のイギリスで、もっとも分かりやすい現場は炭鉱だ。石炭は暖房にも工業にも必要で、掘れば掘るほど国が動く。しかし深く掘るほど、敵が現れる。地下水である。浅い層なら、桶で汲むか、人が踏むポンプでどうにかできた。だが深くなると水はしつこく、流入も速い。水が溜まると作業は止まり、坑道は泥の湖になる。つまり炭鉱にとって排水は「付随作業」ではなく、生死を分ける主戦場だった。
ここで登場するのが、蒸気機関以前の“動力”たちだ。風車、水車、馬、そして人間。水車は強力だが、川のある場所に縛られる。風車は気まぐれだ。馬は移動できるが、食べさせ続ける必要があり、疲れる。炭鉱の排水は、長時間、一定の力を出し続けることが求められる。しかも多くの炭鉱は、川の水量が足りない場所や、地形の都合で水車が置きにくい場所にあった。結局、現場は“燃料がある場所で燃料を掘る”という矛盾を抱える。石炭を掘るために大量の動力が要り、その動力を得るために、また石炭を燃やす。だがその循環を成立させる装置がない。だからこそ、熱を力に変える機械に目が向く。
蒸気の力を最初に大規模に使ったのは、ワットではない。彼より前に、トマス・ニューコメンが「大気圧機関」と呼ばれる装置を実用化していた。仕組みは、言ってしまえば単純だ。シリンダーの中に蒸気を入れてピストンを持ち上げ、そのあと蒸気を冷やして凝縮させる。蒸気が水に戻ると体積が急に小さくなり、シリンダー内は真空に近づく。すると外の大気圧がピストンを押し下げる。この押し下げる力を、梁(ビーム)を介してポンプに伝える。こうして排水ができる。蒸気が押すのではなく、大気が押す。だから大気圧機関だ。
具体的な現場を一つ想像してみよう。炭鉱のそばに、木と鉄で組まれた巨大な梁があり、ゆっくりと上下している。片側には長いポンプ棒が坑道へ降りていき、もう片側にはシリンダーとピストンが据えられている。周囲では石炭が燃え、ボイラーから蒸気が送られ、弁を開け閉めする作業員が汗だくで動く。装置はうるさい。蒸気の吹き、凝縮の音、梁の軋み。だがそれでも、地下の水が下がり、採掘が再開できる。ニューコメン機関は、炭鉱の延命装置として、すでに「必要な道具」になっていた。
しかしこの装置には、致命的な癖があった。効率が悪い、というより、熱を捨てている。なぜか。シリンダーが一つしかないからだ。蒸気を入れるとシリンダーは温まる。次に凝縮させるには冷やさなければならず、冷水を噴き込む。するとシリンダーは冷える。次のサイクルでまた蒸気を入れると、その蒸気の一部は「ピストンを動かす前に、冷えたシリンダーを温めるために凝縮してしまう」。つまり蒸気が仕事をする前に、熱が壁に吸われて消える。これは偶然の損失ではない。構造的に、毎回必ず起きる損失だ。
ここで重要なのは、当時の石炭が「安いから問題ない」と単純に言い切れない点だ。炭鉱の近くでは石炭は比較的手に入るが、どこでもそうではない。しかも石炭は燃やせば燃やすほど、運搬・保管・管理が必要になる。さらに、燃料費は工場や鉱山の経営に直撃する。ニューコメン機関は“動く”が、“食う”。たとえば炭鉱の所有者にとって、排水ができて採掘量が増えても、燃料代が嵩んで利益が減れば、導入の旨味は薄れる。別の場所では、燃料の確保自体が難しい。蒸気機関が真に社会を変えるには、「炭鉱の隣でしか成立しない怪物」から、「より広い場所で使える動力」へ変わらなければならない。その障害が、まさにこの熱の無駄だった。
この“熱を捨てる構造”を、もう少し生活感のある比喩に落とすなら、こうだ。冬の夜、部屋を温めたいのに、毎分ごとに窓を全開にして外気で冷やし、またストーブを焚いて温めるのを繰り返しているようなものだ。ストーブの火力を上げれば上げるほど、外に捨てる熱も増える。部屋が一定温度に落ち着く気配がない。ニューコメン機関が抱えていたのは、まさにその“落ち着かなさ”である。熱は力に変わる前に、落ち着き先を失って散っていく。
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