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エイダ・ラブレス入門 科学者入門シリーズ36
第一章 エイダ・ラブレスってどんな人?
エイダ・ラブレスという名前を聞くと、「世界初のプログラマ」という肩書きが真っ先に出てくる。けれど、彼女を本当に面白くしているのは、ただ“最初”だったからではない。彼女は、まだ存在しない未来の機械について、何ができて何ができないかを、言葉で切り分けて考えた人だった。しかもそれを、数学の手つきだけでなく、想像力の手つきでもやってみせた。計算機が現実の社会にまだ根を張っていない時代に、計算を越えて「規則で動くもの一般」の可能性を見ようとした。その視線が、今のコンピュータの感覚に妙に近い。
彼女は1815年、ロンドンで生まれた。父は詩人のバイロン、母は数学を好む女性だった。バイロンは恋愛とスキャンダルの象徴みたいな存在で、世間の注目を集める人物だったが、家庭は長く続かなかった。エイダが幼いころに両親は別れ、彼女は母のもとで育てられる。ここで重要なのは、母がエイダを「詩人の気質」から遠ざけようとしたことだ。バイロンのような激情や破滅の影を娘に重ねたくない。そこで母は、当時としては珍しいほど、数学や論理、自然科学の教育をエイダに与えようとした。これは愛情でもあり、恐れでもある。つまりエイダは最初から、世間の物語に巻き込まれた存在として生き始めている。詩人の娘という看板を背負いながら、母の望む“理性的な人間”へと矯正されていく。そのねじれが、後の彼女の強みになる。
ただし、エイダは「理性だけの人」ではなかった。むしろ彼女自身は、想像力を抑え込むより、理性と結びつけて伸ばそうとした。彼女は自分の内側にある詩的な感受性を否定せず、数学の世界に持ち込もうとする。数式や理論を、単なる正解の道具ではなく、世界を描くための言語として扱おうとするのだ。この姿勢が、後に“機械は計算だけにとどまらない”という発想へつながっていく。たとえば、規則で操作できるなら、数だけでなく音楽や文字や絵の構造も扱えるかもしれない。そんな見通しは、冷たい計算の世界からは生まれにくい。想像力が必要だった。
彼女の体調は幼い頃から安定せず、病気や療養が人生に影を落としている。長く寝込む時期があり、外の世界よりも頭の中で世界を組み立てる時間が増えた。これもまた、書く人や考える人にとっては、ある種の訓練になる。身体が自由に動かないぶん、思考が遠くへ行く。もちろん美談にはできないが、彼女の思考が、現実の制約の中で培われたことは確かだ。現代の感覚で言えば、エイダは「自分の体が出せない速度を、頭で出そうとする人」だったのかもしれない。
教育面では、当時としてはかなり恵まれている。上流階級の家庭に生まれ、家庭教師をつけられる立場にあった。女性が大学で学べるわけでもなく、学術コミュニティに正式に参加する道も限られていた時代に、個人的なルートで数学へ近づけたのは大きい。彼女は数学の才能そのものだけでなく、「学べる環境を作る」という社会的な条件も持っていた。ここを無視すると、エイダを“天才の奇跡”にしてしまうが、本当は条件と努力と執念が絡み合っている。その絡み合い方が、むしろ現実的で、手が届く感じがする。
彼女は若い頃から「機械」にも惹かれていた。機械といっても、今のような電子機器ではない。歯車とてこ、蒸気と金属の時代だ。それでも、機械が規則に従って動く姿は、論理と相性がいい。エイダは、何かを自動化すること、あるいは手順を切り出すことに関心を向けていたと言われる。彼女が飛行機械の構想に夢中になった逸話も残っている。実現するかどうかは別として、「自然の法則と設計の法則を接続したい」という欲望が見える。つまりエイダは、数学を紙の上の遊びにせず、現実の仕組みへ橋を架けようとしていた。
そして決定的なのが、チャールズ・バベッジとの出会いである。バベッジは、計算表を自動で作るための機械を構想していた。手で計算して表を作る時代に、誤りはつきもので、誤りが社会にまで波及する。だから、機械にやらせたい。ここまでは切実な実務の要請だ。しかしバベッジの構想はそこから先へ進み、より汎用的な「解析機関」というアイデアに向かう。歯車の組み合わせで、いろんな計算手順を実行できる。エイダが惹かれたのは、この“汎用性”の部分だった。単に速い計算機ではなく、規則を切り替えれば別の仕事をする機械。これは、現代でいうプログラム可能な計算機の芽だ。
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