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ノーバート・ウィナー入門 科学者入門シリーズ44
第1章 ノーバート・ウィナーってどんな人?――天才と孤独と“問いの執念”
ノーバート・ウィナーという名前は、現代では「サイバネティクスの父」として語られることが多い。けれど彼をただの“学問の創始者”として片づけてしまうと、この人物のいちばん面白い部分を取り逃がしてしまう。ウィナーは、天才だった。しかも、ただ賢いだけの天才ではない。世界の仕組みを理解したいという執念が強すぎて、時に周囲の人間との距離感さえ壊してしまうタイプの天才だった。彼の人生をたどると、「知性とは、幸福を保証しない」という現実が見えてくる。同時に、「それでも考えることはやめられない」という、人間の不思議な尊厳も見えてくる。
ウィナーは一八九四年、アメリカのミズーリ州コロンビアに生まれた。父親は語学や文学に強い学者で、家庭内での教育に強いこだわりを持っていたと言われる。早くから英語だけでなく、さまざまな言語や教養に触れ、普通の子どもが“学校で学ぶ順番”を踏み越えるように、知識の階段を飛び越えていった。天才の逸話として語られるのは、幼いころから異常な速度で学習し、十代の前半で大学に入ったという話だ。こういうエピソードは派手で、わかりやすい。だが、ウィナーの核心はそこではない。彼の凄みは「理解する速度」より、「疑問を持つ深さ」にある。
彼は数学者として成長していくが、数学という学問に対する態度が最初から独特だった。数学を“美しい形の世界”として愛する人もいるし、数学を“道具として便利だから使う”という人もいる。ウィナーはその両方を持っていた。美しさに惹かれる感性と、現実に突き刺さる道具としての強さ、その二つを同時に信じていた。それはつまり、数学を「紙の上の芸術」に閉じ込めなかったということだ。彼は数学を使って、世界の動きの奥にある原理に触れようとした。世界はなぜ予測できるのか。予測できるなら、何がその予測を壊すのか。壊れるとしたら、どうすれば壊れにくくできるのか。こういう問いを、数学という言語で追いかけていった。
ただし、その知性は“本人を生きやすくする方向”には必ずしも働かなかった。天才はしばしば誤解される。天才は万能だ、天才は何でもできる、天才は勝ち続ける、と。だが現実には、突出した能力は周囲との温度差を生む。簡単に言えば、話が通じない。本人が悪気なく言ったことが、相手にとっては攻撃に聞こえる。あるいは、本人が「当然こうだろう」と思っていることが、相手にはまったく当然ではない。そのズレが積み重なると、天才は孤独になりやすい。ウィナーもその例外ではなかった。彼は人づきあいが得意なタイプではなく、むしろ不器用さを抱えたまま成長していった。
しかし、その不器用さは彼の弱点であると同時に、彼の思想を生む土壌にもなった。なぜなら、彼は人間を“理想化しすぎない”からだ。人はいつも合理的ではない。人は間違える。人は感情に支配される。人は同じことを繰り返す。そういう人間の現実を、ウィナーは身をもって体験している。そして彼はそこで絶望して終わるのではなく、「では、その不完全さを含めたうえで、世界はどう動くのか?」と考える方向へ進んでいく。これが後に、サイバネティクスという巨大な発想へ繋がっていく。機械は正確で、人間は不正確だ、という単純な二元論ではない。不正確さも含めて“制御”する方法があるのではないか。つまり、世界の揺らぎを前提とした設計が可能ではないか。そんな問いが、彼の中で育っていった。
ウィナーの人生には、もう一つ重要な背景がある。それは、二十世紀という時代そのものだ。二十世紀は、科学が“思想”から“力”へ変貌した世紀だった。昔の科学は、世界を理解することに重点があった。だが近代以降、科学は世界を変える道具になった。蒸気機関が社会を変え、電気が生活を変え、通信が距離を潰し、兵器が戦争の形を変えた。科学が進歩するほど、社会は便利になる。だが同時に、社会は脆くもなる。新しい技術は、人間を楽にするが、人間の選択肢を奪うこともある。技術は人を豊かにするが、人を無力にすることもある。ウィナーは、この矛盾に気づくのが早かった。彼は科学者であると同時に、“科学の倫理”を自分の問題として引き受けた人でもあった。
その姿勢は、戦争の時代に一気に重さを増す。第二次世界大戦は、科学を総動員する巨大な戦争だった。数学者も物理学者も、実用のために呼び出される。計算は兵器になる。理論は殺傷力になる。科学者は、自分が作ったものが人を殺す現場に繋がっているという事実から逃げられなくなる。ウィナーもこの流れの中で、戦争に関わる研究に触れていく。ここで彼の“問いの執念”が別の方向に伸びる。敵機を落とすためには未来を予測しなければならない。未来を予測するためには、情報が必要だ。情報は遅れる。遅れれば外れる。外れれば制御できない。では、遅れを含めたうえで、どうやって当てるのか。どうやって追いつくのか。どうやって修正するのか。こうして彼は、「予測」「誤差」「修正」というテーマに取りつかれていく。
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