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メンデレーエフ入門 科学者入門シリーズ50
第一章 周期表が生まれる前の世界
もしあなたが、机の上にばら撒かれた無数のネジと歯車を前にして「これは機械だ」と言われたら、たぶん途方に暮れる。形も大きさも金属の色も違う。しかも、その部品は日に日に増えていく。昨日までは見たこともない種類が、今日また追加される。名前だけが先に付けられ、性格は曖昧で、使い道は不明。けれど誰もが確信している。いつかこの散らかった部品たちは、ひとつの体系として噛み合い、動き出すはずだ、と。十九世紀半ばの化学は、まさにそんな状態だった。
化学という学問は、長いあいだ「変化の芸」だった。燃える、溶ける、匂う、爆ぜる。色が変わる。沈殿ができる。手の中で起こる奇妙な現象を記録し、再現できるようにする。それはそれで立派な知だが、材料が増えすぎると、芸はすぐに限界へ向かう。化学者たちは新しい物質を見つけるたびに、名前を与え、特徴を列挙し、瓶に入れて棚へ並べた。しかし棚は無限ではない。棚板が増えるほど、全体像は霞んでいった。元素と呼ばれる“基本の材料”が増え、化合物という“組み合わせの結果”は天文学的に増える。世界は、知れば知るほど散らかった。
当時の科学者たちが恐れていたのは、無知ではなく、整理不能になることだった。元素が十個しかないなら、全部覚えて手触りで理解できる。二十個でもまだいける。だが五十、六十、七十と増えた瞬間、暗記はただの苦行になる。しかも、増えた元素は均等に増えるわけではない。よく似た性質のものが集まって見つかることもあれば、まったく異質なものが突然現れることもある。金属と非金属、軽いものと重いもの、反応しやすいものとしにくいもの。何を基準に並べればいいのか。並べるという行為そのものが、研究の中心課題になっていく。
もちろん、誰も何もしていなかったわけではない。すでに化学には秩序の芽がいくつもあった。酸素や水素のように、反応の主役として頻繁に登場する元素がある。塩素、臭素、ヨウ素のように、互いに似た性質を持ちながら重さが違う一族もいる。アルカリ金属と呼ばれる軽く柔らかい金属たち、アルカリ土類金属という似た顔ぶれも知られていた。さらに、似た性質の元素が三つ組で現れることを指摘した者もいれば、音階のように一定間隔で性質が繰り返すと主張した者もいた。だが、その秩序は“点”でしかなかった。全体を貫く一本の糸が、まだ見つからなかったのだ。だから化学者たちは、半分は確信し、半分は祈りながら、同じ問いを繰り返す。なぜ似ているのか。なぜ違うのか。この世界は、何によって区切られているのか。
ここで重要なのは、周期表が発明品ではないということだ。天才が机の引き出しから完成品を取り出したわけではない。周期表は、世界がもともと持っていた規則性を、人間が見える形に“翻訳”したものだ。だからこそ、その誕生の前には必ず、翻訳不能な混乱がある。翻訳するための辞書がない状態で、別の言語を聞き続ける苦しさ。化学者たちは、その苦しさの中で仕事をしていた。
さらにやっかいだったのは、測定の不確かさだ。元素の性質は観察できても、原子の正体はまだぼんやりしていた。原子量という数値も、現在ほど確定していない。測り方が変われば値が変わる。純度が違えば性質も揺れる。つまり、並べようにも“正しい座標”が定まっていない。地図のない世界で、航海図を描こうとしているようなものだ。それでも彼らは諦めなかった。なぜなら、化学が産業と結びつき始めていたからだ。染料、肥料、薬品、金属加工。うまく整理できれば、人類は物質を意図的に設計できる。整理できなければ、偶然の発見に頼り続けるしかない。秩序の有無は、未来の力そのものだった。
しかも新しい元素は、ただ“たまたま掘り当てられる”だけではなくなっていく。炎色反応や分光という道具が登場し、光の線から未知の元素を嗅ぎ分ける時代が始まる。つまり、世界はより深く、より速く、元素を増やしていく方向に向かっていた。知識の洪水は止まらない。止まらないなら、泳ぐ技術ではなく、川の流れそのものを地図に描く必要がある。
十九世紀は、科学の“効率”が問われ始めた時代でもある。蒸気機関が走り、工場が回り、輸送が増え、都市が膨らむ。世界が速くなるほど、知識の整理は急務になる。化学者の机は、個人の趣味のための実験台ではなく、社会の心臓に繋がる装置になっていく。ならば、元素の一覧表が欲しい。反応の傾向が一目でわかる地図が欲しい。未知の物質を予測する羅針盤が欲しい。そうした要求が、学問の内部と外部から同時に押し寄せていた。
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