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チャールズ・バベッジ入門 科学者入門シリーズ53
第一章 バベッジってどんなひと?
チャールズ・バベッジという名前は、ふつうの歴史の授業ではあまり出てこない。けれど、もし「コンピューター」という文明に“祖先”がいるとするなら、その最前列に立っているのがこの男だ。バベッジは、現代の私たちが当たり前に使っている計算機の発想を、まだ電気すら支配的ではなかった時代に、歯車と金属と執念だけで引きずり出した。彼は未来の技術者というより、未来そのものに取り憑かれた設計者だった。
バベッジが生きたのは十九世紀、産業革命の熱が街に立ちこめていた時代だ。蒸気機関が工場を動かし、織物が大量生産され、鉄道が世界を縫い始める。機械が人間の筋肉を代行し、社会の速度が急激に上がっていく。そんな時代に、バベッジはもう一段深い場所を見ていた。筋肉だけではない。人間の“頭の仕事”もまた、機械に肩代わりさせられるのではないか。彼はその可能性を本気で信じた人だった。
彼の出発点は、意外なほど地味で、そして切実だった。「計算表が間違っている」。これが、バベッジの怒りの芯にある。航海、天文学、土木、保険、砲弾の軌道、税制、物流――十九世紀の国家と産業は、正確な数の上に立っていた。ところが当時の計算表は、人間が手で計算し、人間が手で写し、人間が手で印刷する。どこかで必ずミスが混ざる。しかもミスは、気づかれにくい。小さなズレが大惨事を生む。船が座礁し、橋梁設計が狂い、観測が歪む。バベッジにとってそれは、単なる作業上の欠点ではなく、文明の弱点だった。
彼は数学者として、当時の英国の知的エリート層にいた。ケンブリッジで学び、同時代の俊英たちと数学の改革に燃えた。古い学問の慣習に対して反骨心が強く、ただの“優等生”では終わらない気配を最初から持っている。理屈で通らないものに耐えられないし、非効率やごまかしを見ると黙っていられない。そういう性格は、世渡りには向かない。だが、未来をつくる人間には必要な燃料でもある。バベッジは、まさにそのタイプだった。
彼が面白いのは、数学者であると同時に、機械の世界にも深く踏み込んでいることだ。産業革命期の英国は、理論だけでなく、現場の工夫と加工技術が爆発的に進化していた。歯車、旋盤、規格、組み立て、分業、品質管理。バベッジはそれらを“技術の話”として眺めるだけでなく、「どうすれば人間の仕事を機械に移せるか」という思想として吸収していく。彼が後に書く工場と機械に関する分析は、単なる観察記ではない。社会が機械化されていく原理を、頭の中で設計図として組み立てる行為に近い。
そして彼は、計算を機械化するという一点に照準を合わせた。人間が計算するとミスをする。疲れる。飽きる。集中が切れる。手順を飛ばす。写し間違える。つまり人間は“計算装置”として不安定だ。ならば、安定した材料で、安定した動作をする装置を作ればいい。ここでバベッジは、発想の転換をやってのける。計算を「頭脳の芸」から「工業製品」へ落とし込んだのだ。計算は神秘ではない。手順の積み重ねだ。手順なら、歯車でも実行できる。彼は本気でそう考えた。
もちろん、言うは易しである。計算をする機械は、ただのからくり時計より遥かに難しい。桁上がりが必要で、間違いが許されず、部品同士の噛み合いは精密でなければならない。しかも当時の加工技術では、理想通りの精度を量産するのが簡単ではない。それでもバベッジはやる。なぜなら彼は、目の前の便利グッズを作りたいのではなく、文明の土台を作りたかったからだ。便利な道具なら妥協もできる。だが土台は妥協できない。彼の視線はいつも“次の時代の標準”に向いていた。
バベッジという人物を語るとき、しばしば「完成させられなかった人」という印象が先に来る。実際、彼は巨大な構想に挑み、資金や政治や人間関係に苦しみ、思うように完成へ届かなかった。けれど、その評価は半分しか見ていない。バベッジは「発明品」を残したというより、「発明の仕方」を残した人なのだ。世界がまだ持っていない機械を作るには、どんな部品が要るか。どんな加工精度が要るか。どんな工程が要るか。どんな制度が要るか。どんな予算配分が要るか。どんな説得が要るか。つまり“未来を現実に引きずり込むための全体設計”を、彼は自分の人生ごと使って描き切った。
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