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国家入門2 ウェストファリア条約以後の世界

第1章 ウェストファリア条約とはなにか

一六四八年。

ヨーロッパは、ほとんど燃え尽きていました。

ドイツ中部を中心に三十年も続いた戦争――いわゆる「三十年戦争」は、もともとカトリックとプロテスタントの対立として始まりましたが、途中からは宗派の争いというよりも、諸侯と皇帝、列強と列強が入り乱れる「ヨーロッパ規模の大戦争」に変質していきます。

村は焼かれ、人口は減り、略奪が横行し、人々は「誰のために、何のために戦っているのか」さえ分からない。

前巻で見たような、「重なり合う権威」が、宗教と身分と領主を巻きこみながら、ぐちゃぐちゃに衝突した結果が、この戦争でした。

その長すぎる戦争に、ひとまず「終わり」を与えたのが、いわゆるウェストファリア条約です。

正確には、ヴェストファーレン地方の、ミュンスターとオスナブリュックという二つの都市で結ばれた複数の条約の総称ですが、ここではまとめてウェストファリア条約と呼ぶことにします。

では、この条約は、いったい何を変えたのでしょうか。

ウェストファリア条約が「近代国家の出発点」として語られるとき、よく挙げられるキーワードは三つです。

領土

主権

相互承認(他国がそれを国家として認めること)

もちろん、一六四八年の人びとが、いきなり「はい、今日から近代主権国家です」と宣言したわけではありません。

それでも、あとから振り返ると、この条約を境に「ゲームのルール」が大きく書き換わったことは確かです。

第一に、「誰の領土か」をはっきりさせる作業が行われました。

それまでドイツ世界では、皇帝や諸侯、都市、教会が複雑に入り組み、「この土地を最終的に支配しているのは誰なのか」が曖昧なままでも、とりあえず歴史は回っていました。

しかし、あまりにも多くのプレイヤーが、あまりにも多くの名目で戦争に参加する状態は、あまりに危険である、ということを三十年戦争は教えてしまったのです。

そこで条約は、ある地域について「この諸侯が、対外的に責任を負う支配者である」と、比較的はっきりさせていきます。

村人にとっては相変わらず「領主」として見えるその存在が、対外的には「一つの小さな国家のように扱われる」方向へと変わっていきました。

第二に、宗教の問題を政治の秩序に組み込む試みがなされました。

すでに一六世紀のアウクスブルクの和議で、「その土地の支配者が宗教を決める(cuius regio, eius religio)」という原則は確認されていましたが、ウェストファリア条約ではこれを広げつつ、複数宗派の共存をある程度認める方向に舵が切られます。

もちろん、これで宗教対立が魔法のように消えたわけではありません。

それでも「宗教戦争を際限なく続けるより、領土ごとにある程度の線引きをして、互いに飲み込む」方向へと、ヨーロッパが動いたという意味で、この条約は一つの節目になりました。

第三に、後の国際政治学が「ウェストファリア主権」と呼ぶことになる、内政不干渉の原則が徐々に形をとっていきます。

条約そのものに、今日の教科書に出てくるような「主権の定義」が書いてあるわけではありません。それでも、

「ある領土の中で何が行われているかは、基本的にはその支配者の問題であり、他国は口を出すべきではない」

という暗黙の了解が、この時期から強まっていきます。

こうして、ぼんやりしていた「国家の境界線」は、少しずつ濃く、固くなっていきました。

世界は、「誰のものか分からない戦争」が起こる場から、「それぞれの国家が、自分の領土について責任を負う場」へと姿を変えていきます。

ウェストファリア条約は、理念だけの話ではありません。

きわめて現実的な「勝ち負け」と、「地図の書き換え」を伴うものでした。

たとえば、

フランスとスウェーデンは、戦争の勝者として領土と影響力を拡大し、列強としての地位を確立していきます。

ネーデルラント連邦(オランダ)やスイスの独立は、国際的に承認されました。

逆に、神聖ローマ帝国とハプスブルク家の権威は、大きく傷つきます。

ここで重要なのは、「どの国が得をしたか」という軍事的・外交的な勝敗に加えて、

「どの単位が国際政治のプレイヤーと見なされるか」というレベルで、選別が起こっていることです。

「帝国」や「教会」といった、前近代的な超国家的権威の影響力は弱まり、

代わりに「領土を持つ複数の国家」が、互いを承認し合いながら、バランスを取る世界が立ち上がっていきます。

それは、前巻で見たような

教会

諸侯

都市

慣習法や身分秩序

といった、複数の権威がもつれ合った世界が、少しずつほどけていき、

「国家」という一本太い糸に巻き直されていく過程の出発点でもありました。

もっとも、現代の国際政治学で語られる「ウェストファリア体制」は、ある意味では「あとづけの神話」です。

実際の一七〜一八世紀ヨーロッパは、依然として身分秩序や王朝間の婚姻、教会の影響力に満ちていて、

教科書に描かれるような「きれいで自律的な主権国家」からはほど遠いものでした。

それでも、ウェストファリア条約は、こうしたあとづけの象徴になりうるだけの意味を持っています。

それは、次のような問いに対する、一つの歴史的な答えだったからです。

「なにを世界の『基本の単位』とみなすのか」

中世的な世界では、その答えは「キリスト教世界全体」だったり、「特定の王朝」だったり、「身分秩序」だったりしました。

そこでは国家は、数ある枠組みの一つにすぎませんでした。

これに対して、ウェストファリア条約以後の世界では、

「領土を持ち、そこに住む人々を統治する主体」=国家が、

世界のルールを決める「基本の単位」として前景化していきます。

後の時代の人びとは、この変化をさかのぼって説明するために、「ウェストファリア体制」というラベルを貼ったのです。

つまり、ここで私たちが扱う「ウェストファリア条約」とは、

一六四八年に結ばれた具体的な平和条約であると同時に、

その後の世界史をふり返るための、一つの「象徴的な起点」

でもあります。

この本で国家を考えるとき、私たちはしばしばこの「神話としてのウェストファリア」と対話することになります。

国家とは何か、主権とは何か、国際秩序とは何か――こうした問いの多くは、ウェストファリア以後の世界でこそ、はっきりとした形をとり始めたからです。

本書『国家入門2 ウェストファリア条約以後の世界』は、まさにこの地点から始まります。

前巻で見たのは、「国家以前」の世界――重なり合う権威、宗教共同体、身分秩序が支配していた時代でした。

それに対して今巻で目を向けるのは、

国家が、世界の基本単位として立ち上がり、

その力を高め、肥大させ、

やがて自らがつくり出した秩序を揺るがしていく

というプロセスです。

ウェストファリア条約は、その長い物語の「第一ページ目」にあたります。

ここで定められた、あるいはあとから読み取られた

領土

主権

相互承認

という三つの柱は、その後の数世紀にわたって、国家のかたちと国際秩序の枠組みを規定し続けました。

次の章からは、この「ウェストファリア以後の世界」が、絶対王政と主権国家の時代を経て、

やがて植民地帝国と国民国家の時代へと展開していく様子をたどっていきます。

国家が「ゲームのプレイヤー」として、どのように自分の身体をつくり、どのようなルールで互いを牽制しあい、そして、どのようにして自らのつくった秩序を破壊してしまったのか――。

その長い道のりを追う入口として、この第一章では「ウェストファリア条約とは何か」を、象徴的な意味合いも含めて押さえておきました。

ここから先の章で、国家はますます存在感を増し、やがて世界を戦場に変えてしまいます。

そのスタートラインに立っているのが、一六四八年のウェストファリアなのだ、とまず心にとめておきましょう。

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