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国家入門3 第二次世界大戦以後の世界

第一章 ウェストファリアから第二次世界大戦までのまとめ

この第三巻は「第二次世界大戦以後の世界」をテーマにしているが、その前提として、そもそもここまでの数百年で「国家」というものがどう変わってきたのかを、もう一度だけ振り返っておきたい。第一巻では、主権国家が成立する前の世界、つまり領主・都市・教会・帝国などが入り乱れた、ゆるやかな支配の網の目をたどった。第二巻では、ウェストファリア条約以後の近代国家が、戦争と外交と帝国支配を通じて力を増し、「国家こそが世界秩序の基本単位だ」という常識を作り上げていく過程を追った。この第一章は、その二冊分を一気に俯瞰し、「第二次世界大戦」という巨大な断絶の手前までの流れを、一つの物語としてつなぎ直す作業である。

まず出発点は、一六四八年のウェストファリア条約だった。三十年戦争で疲弊したヨーロッパは、宗教の違いをめぐる内戦を続けるよりも、「領域を持った君主同士が相手の主権を認め合い、とりあえず国境の内側で何をしていても口を出さない」というルールに賭けた。これがいわゆる「主権国家体制」である。ここで国家は、単に王の私有財産ではなく、「領域+住民+統治権」という一つのパッケージとして意識されはじめる。宗教的な正しさよりも、「どこからどこまでが誰の土地か」ということの方が重要になる。世界は、神学的な地図から、線と色で塗り分けられた政治地図へと変わった。

一七〜一八世紀には、絶対王政とバランス・オブ・パワーが、この新しい体制の典型的な姿を作り上げた。フランス、イギリス、プロイセン、オーストリア、ロシアといった王国が、軍隊と財政と官僚制を整え、「常備軍を持つ国家」が標準になる。戦争は宗教戦争というより、「他国の勢力が伸びすぎないようにするための調整手段」として扱われるようになった。列強間の同盟や条約は、ひとつの国家がヨーロッパを支配してしまう「覇権」を防ぐための仕組みだった。国家同士は互いを認めつつも、常に疑い、牽制し合う。その緊張の中で、外交と戦争が一体化した国際秩序が出来上がっていく。

しかし十八世紀末から十九世紀にかけて、この体制に大きな亀裂が入る。フランス革命とナポレオン戦争である。そこで登場したのは、「王のための国家」ではなく、「国民のための国家」という発想だった。人民主権とナショナリズムが結びつき、「この国家はこの民族のものだ」という考え方が広がる。国家は単に領土を管理する装置ではなく、「国民」という想像上の共同体を形づくる象徴になっていった。ナポレオンの戦争は、国民軍を動員する「総力戦」の原型となり、各国は自らも同じような動員体制を整えざるをえなくなる。十九世紀のヨーロッパは、ウィーン体制という保守的な秩序のもとで安定していたように見えるが、その地下では、民族運動や自由主義運動が「国民国家」を求めてうごめいていた。

同時に、ヨーロッパの外側でも大きな変化が起きていた。帝国主義である。十九世紀後半、イギリスやフランスを先頭に、列強はアジア・アフリカを次々と植民地化していった。ここでは、ウェストファリア的な「主権の相互承認」は、ヨーロッパ内部に限ってのルールに過ぎなかったことがはっきりする。ヨーロッパ列強は、非ヨーロッパ世界の政治体を「主権国家」としては扱わず、従属させる対象とみなした。主権国家体制は、地球全体にきれいにコピーされたわけではなく、「主権国家同士のクラブ」と「その外側に広がる支配領域」という不平等な二重構造として広がったのである。

帝国主義は、もう一つの変化とも結びついていた。産業革命と資本主義の拡大である。大量生産と機械化によって、国家はかつてない経済力と軍事力を手に入れた。戦争はますます「工業生産」と結びつき、鉄道や電信が動員を可能にした。列強は、原料と市場を求めて植民地争奪戦に乗り出す。国家は、単に領土を守るだけでなく、自国企業の利益を世界規模で守る主体へと変わっていった。軍艦は貿易の護衛であり、同時に外交の威圧手段でもあった。こうして国家は「陸軍・海軍・産業・金融」を束ねる総合的な権力装置へと拡大していく。

二十世紀に入ると、この拡大し続ける国家のあいだで、緊張は決定的な爆発点に達する。第一次世界大戦である。一九一四年に始まったこの戦争は、これまでの戦争と比べても桁違いの動員規模と殺戮を特徴とした。国民皆兵・徴兵制・戦時経済によって、国家は社会全体を戦争に組み込んだ。これは、ナショナリズムと帝国主義と同盟システムが絡み合った結果だった。サラエボ事件そのものは偶発的だったとしても、その背後には、列強が互いの勢力圏を疑い、抑え込み合う構造があった。ここで「戦争は外交の延長」という古い常識は、あまりにも大きな代償と引き換えに、きしみ始める。

第一次世界大戦後、パリ講和会議とヴェルサイユ体制は、新しい秩序を築こうとした。国際連盟が設立され、「集団安全保障」という理念が掲げられる。民族自決の原則に基づいて、多くの新しい国民国家が誕生した。しかしそれは不完全で不安定なものであり、列強の思惑や旧帝国の遺産によって、国境線は多くの火種を抱えたまま引かれた。さらに、敗戦国ドイツへの厳しい賠償と領土の喪失は、深い不満を残した。戦争を防ぐための国際連盟は、アメリカの不参加や一国一票制の限界などもあって、十分な強制力を持てなかった。旧来の主権国家の論理と、「戦争を違法化しようとする試み」との間で、国際秩序は中途半端に宙づりにされたのである。

一方、国内政治のレベルでも、国家のかたちはさらに変形していく。ロシア革命によるソ連の誕生は、「社会主義国家」という新しいモデルを提示した。そこでは、私有財産の否定と計画経済が掲げられ、国家は経済と社会を徹底的に管理する主体となる。イタリアやドイツでは、ファシズムやナチズムが台頭し、「国家そのものを崇拝の対象にする」ような全体主義体制が生まれた。ここでは、国家は単なる行政機構ではなく、「民族」や「階級」といった抽象的な主体の意志を代弁する存在として描かれる。個人は国家に溶け込み、異論は敵として排除される。民主主義国家と全体主義国家のあいだで、「国家の正当性とは何か」「国民はどこまで動員されうるのか」という根本的な問いが突きつけられた。

経済危機も、この問いをさらに鋭くした。一九二九年の世界恐慌は、資本主義世界に深刻な打撃を与えた。失業が溢れ、市場の自己調整に任せるやり方では社会が崩壊しかねないことが露呈する。ここで国家は、経済に介入して雇用を守り、福祉を提供し、需要を創出する「ケインズ的国家」としての側面を強めていった。国家は「夜警国家」から、「福祉国家」「介入国家」へと変わる途中にあった。それは同時に、国家の責任と権限がかつてなく膨張したことを意味する。人々の生活は、以前よりも強く国家政策に結びつけられていった。

こうして二十世紀前半までの流れを振り返ると、「国家」は三つの方向に同時に拡大していたことが見えてくる。第一に、領域と軍事の面での拡大。帝国主義と総力戦によって、国家は地球規模の戦争を起こす力を持った。第二に、国内社会への浸透。徴兵制、教育、福祉、経済介入を通じて、国家は国民の生活の隅々まで入り込んだ。第三に、イデオロギーとしての膨張。ナショナリズム、ファシズム、社会主義といった「国家を通して世界をどう作り変えるか」という壮大なビジョンが競い合った。国家は、もはや単なる領主の事務所ではなく、「世界を変える主体」として振る舞おうとしたのである。

その帰結として訪れたのが、第二次世界大戦だった。この戦争は、第一次世界大戦で露呈した問題が解決されないまま放置された結果でもあり、同時に、全体主義国家と民主主義国家のあいだの決定的な衝突でもあった。そこでは、軍事技術と工業力とプロパガンダが総動員され、ホロコーストのような大量虐殺も行われた。国家は、人類史上かつてない規模で破壊の能力を発揮し、その正当性を自ら掘り崩した。戦争の末期には、核兵器が登場し、一つの国家が他の国家どころか地球そのものを破壊しうる力を示した。ここに至って、「主権国家が互いに戦争することを認め合う」というウェストファリア以来の基本ルールは、そのままでは維持不可能になったと言ってよい。

本書が扱うのは、この大戦後に、国家と国際秩序がどう変わらざるをえなかったのかという問題である。第二次世界大戦までの世界は、主権国家が自らの力を最大限に膨らませた結果、その重みで自壊しかけた時代だったと言えるかもしれない。戦後の世界は、その瓦礫の上で、「国家はこれ以上何をしてはいけないのか」「国家に何を期待すべきなのか」「国家を超える枠組みはありうるのか」という問いに向き合っていく。その出発点に立つために、ここまでの歴史をひとまとまりの物語として振り返るとき、私たちは、戦後世界の奇妙さと必然性を、少しだけクリアに見ることができるだろう。

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