文学・思想の一丁目一番地

徳島の怪異集

徳島の怪異集の表紙
徳島の怪異集

 徳島の怪異集は徳島の怪異を10個集めた本です。

 徳島の片隅に残された、奇妙な記録を集めました。音もない駐車場で踊り続けるヤンキーと、それを見つめる人数の合わない少女たち。二度消える少女、きつねうどんを強要する女、スクワットを迫る男、人面二頭筋、百万円を落とすトイレのおじさん、そして阿波踊りの夜に現れたシリウス星人。警察記録、新聞記事、学校文書、役場資料。ありふれた公文書を読み進めるほど、徳島の日常は静かに壊れていく。笑えるのに気味が悪い。気味が悪いのに、どこか懐かしい。十の怪異を収録した、徳島発モキュメンタリー怪談集。あなたはどこまで信じる?


収録作
踊るヤンキー見るギャルたち
阿乃ちゃん再失踪事件
きつねうどんを強要する女
スクワットを強制する男たち
スーパー店長殺害事件
豊島夏子
人面二頭筋
トイレのおじさん
松茂のおこんさん
1996年8月14日

試し読み

踊るヤンキー見るギャルたち 徳島の怪異1

第一章 阿津良警察署 平成十一年六月二十日付「深夜騒音苦情対応報告」

 阿津良警察署地域課において、平成十一年六月十九日午後十一時三十八分、阿津良町大字阿津良一四七二番地付近からの騒音に関する一一〇番通報を受理した。

 通報者は同町在住の男性、六十一歳。氏名については、保存期間満了により廃棄された通報受理簿原本を確認できないため不詳である。

 通報内容は以下のとおり。

「旧ドライブインのところで若い子らが騒いどる。喧嘩ではないと思う。音楽も聞こえんけど、ずっと踊っとる」

 通信指令担当者が人数を確認したところ、通報者は「六人ぐらい」と回答した。

 同日午後十一時四十一分、地域課所属の巡査部長一名、巡査一名が警ら用無線自動車により現場へ向かった。

 現場となった旧阿津良ドライブインは、昭和六十二年まで飲食店として営業していた木造平屋建ての施設である。県道一八二号線に面し、敷地南側に普通乗用車二十台程度を収容できる未舗装駐車場を有する。

 営業終了後、建物は所有者の倉庫として使用されていたが、平成七年頃から実質的に放置されていた。

 夜間照明設備はない。

 道路側に設置された高さ約五メートルの水銀灯一基のみが、駐車場の一部を照らしていた。

 警察官二名が到着した時刻は午後十一時四十七分。

 現場では男子少年六名、女子少年三名を確認した。

 男子六名はいずれも駐車場中央付近におり、女子三名は県道側の縁石付近に立っていた。

 男子六名は互いに約一メートルから二メートルの間隔を空け、身体を左右に動かす、両腕を上げる、その場で回転する等の行為を繰り返していた。

 音楽を再生する機器は確認されなかった。

 車両については、原動機付自転車三台、自動二輪車一台、普通乗用車一台が駐車されていた。

 暴走行為、空ぶかし、飲酒、喫煙については確認されていない。

 警察官が警ら車から降車した後も、男子六名は直ちには行為を停止しなかった。

 巡査部長が、

「何しよんぞ」

 と声を掛けたところ、男子一名が警察官の方向を確認し、他の五名に停止するよう合図した。

 午後十一時四十九分、全員が行為を停止した。

 男子六名について所持品検査を実施したが、刃物、薬物その他違法性が認められる物品は所持していなかった。

 男子はいずれも県立阿津良西高等学校の生徒であり、年齢は十六歳から十八歳。

 氏名、住所、保護者連絡先を確認した。

 六名のうち二名は、過去に原動機付自転車の整備不良および深夜徘徊について指導歴があった。

 他四名について、当署における補導歴は確認されなかった。

 巡査部長が踊っていた理由を質問したところ、最初に回答した少年は、

「別に」

 と答えた。

 再度質問すると、

「踊れって言われたけん」

 と回答した。

 巡査部長は、誰に言われたのかを質問した。

 当該質問に対する回答について、報告書原本には記載がない。

 他五名についても個別に事情を確認した。

 確認結果欄には、全員について「概ね同旨」とのみ記載されている。

 男子六名の供述に食い違いがあったかどうかは不明である。

 同行した巡査が作成した勤務日誌には、次の記述がある。

「少年らはふざけている様子ではない。こちらが注意すると素直に従った。騒音については、現認時には特に認めず」

 通報理由となった騒音について、警察官は現場到着後、一度も確認していない。

 近隣住民からの追加通報もなかった。

 旧ドライブインから最も近い民家までは、直線距離で約二百八十メートルある。

 男子六名に対しては、午後十時以降の深夜徘徊に該当するとして口頭指導を実施した。

 うち十八歳の一名を除く五名について、保護者へ電話連絡を行った。

 午後十一時五十八分、男子六名はそれぞれ帰宅する旨を申し立てたため、現場から退去させた。

 ここまでの処理については、通常の深夜補導事案と大きな差異はない。

 問題となる記載は女子三名に関するものである。

 当初の現場確認欄には、

「女子少年 三名」

 と記されている。

 服装については、

「制服様衣服二名、私服一名」

 とある。

 制服の学校名は記載されていない。

 女子三名は男子六名から約十二メートル離れた県道側に立ち、警察官が現場へ到着した後も移動しなかった。

 男子六名が踊るのを見ていたと推定されるが、互いに会話をしている様子は確認されなかった。

 男子らに対する事情聴取中も、女子三名はその場に留まっていた。

 午後十一時五十五分頃、同行巡査が女子らの方向を確認した旨が勤務日誌に記載されている。

 記述は一行のみである。

「女子三名、県道側に引き続き所在」

 その後の記録はない。

 男子六名への指導を終えたのは午後十一時五十八分。

 警ら車が現場を離れた時刻は、翌六月二十日午前零時三分。

 女子三名が何時、どの方向へ立ち去ったのかは記録されていない。

 氏名確認は実施されていない。

 年齢確認も実施されていない。

 所持品検査、学校への連絡、保護者への連絡もない。

 当時の徳島県警察少年警察活動要綱では、夜間に徘徊する少年を現認した場合、必要に応じて氏名、年齢、住所等を確認し、本人の安全確保および非行防止のため適切な措置を講ずることとされていた。

 女子三名に対して、これらの措置を行わなかった理由は不明である。

 翌六月二十日午前一時十二分、当直責任者が作成した事件事故日報には、本件が「深夜徘徊少年に対する指導」として記載された。

 対象人数は六名。

 男子六名のみが計上されている。

 女子三名については記載されていない。

 同日午前八時三十分頃、地域課長が前夜の報告書を確認し、欄外に赤色鉛筆で一箇所追記している。

「女子は?」

 これに対し、担当巡査部長が同日午前九時頃、青色ボールペンで回答を書き込んでいる。

「関係なし」

 地域課長からの再質問、訂正指示等は確認されない。

 本件は少年事件として立件されず、男子六名についても補導記録のみが残された。

 旧阿津良ドライブイン周辺では、その後一週間、同種の騒音通報はなかった。

 ただし六月二十六日午後十時五十二分、県道を走行中の運転手から、

「駐車場に人が集まっているように見える」

 との通報が一件あった。

 警ら車が到着した時点では人影は確認されなかった。

 当該通報については、単独の不審者情報として処理されている。

 旧阿津良ドライブインに関する平成十一年六月中の警察記録は、現存する限り以上の二件のみである。

 なお、本件報告書には写真撮影を行った旨の記載はない。

 現場見取図も添付されていない。

 通常、軽微な補導事案では写真および見取図を作成しないため、この点に特段の不自然さは認められない。

 平成二十三年度の文書整理時、本件報告書は保存期間満了として廃棄対象となった。

 しかし実際には廃棄されず、阿津良警察署旧庁舎二階書庫の「交通関係雑件 平成十一年度」と記された保存箱から、平成二十九年八月に発見された。

 なぜ少年補導関係書類が交通関係の保存箱に混入していたのかは不明である。

 発見時、報告書は三枚綴りであった。

 一枚目および二枚目には、経年による変色以外の損傷はない。

 三枚目下部には約四センチ四方の欠損がある。

 紙が破れたものではなく、刃物等によって切り取られた痕跡と判断された。

 欠損箇所は備考欄の一部に該当する。

 現在確認できる最後の文章は、次のとおりである。

「男子少年六名については口頭指導の上、帰宅させた。女子三名については声掛けを実施せず」

 その直後から紙面が欠けている。

 文章が続いていたかどうかは確認できない。

 報告者欄には巡査部長の署名がある。

 確認者欄には地域課長の認印がある。

 書類上、本件は適正に処理済みである。

第二章 徳島南部日報 平成十一年六月二十一日付「深夜の駐車場で若者騒ぐ」

 平成十一年六月二十一日付の地方紙『徳島南部日報』朝刊十三面に、阿津良町で発生した深夜徘徊事案に関する記事が掲載されている。

 記事は社会面下部、二段組み。

 見出しは、

「深夜の駐車場で若者騒ぐ」

 小見出しは、

「高校生六人を指導 阿津良署」

 となっている。

 記事本文は以下のとおり。

「十九日午後十一時五十分ごろ、阿津良町阿津良の旧阿津良ドライブイン駐車場で、男子高校生六人が集まり、踊るなどしていたところを阿津良署員が発見した。六人はいずれも町内の高校に通う十六歳から十八歳の生徒。同署は深夜徘徊に当たるとして注意し、帰宅させた。現場には女子高校生四人もいたが、騒ぎには加わっていなかったという」

 警察記録では、警察官が現場へ到着した時刻は午後十一時四十七分である。

 新聞記事では「午後十一時五十分ごろ」とされている。

 また、警察官は通報を受けて現場へ向かったが、記事では「署員が発見した」と記されている。

 いずれも地方紙の短い記事としては、通常生じうる程度の差異と考えられる。

 問題は女子の人数である。

 阿津良警察署の報告書では三名。

 新聞では四名。

 記事を書いた記者は、当時『徳島南部日報』阿津良支局に勤務していた森岡隆志、二十八歳。

 森岡は警察担当を兼務しており、平日の午前九時から十時頃に阿津良署を訪れ、前日夜から当日朝までの事件事故について取材することが多かった。

 当時の取材ノートは保存されていない。

 同紙編集部に残されている平成十一年六月分の出稿簿には、本件について、

「阿津良署 深夜徘徊六名 写真あり」

 との記載がある。

 女子に関する記述はない。

 記事には一枚の写真が添えられている。

 白黒写真。

 縦約四・五センチ、横約六・八センチ。

 夜間の駐車場を撮影したものとされ、中央付近に男子六名が写っている。

 画質は粗い。

 男子らは互いに距離を空け、三名が両腕を上げ、一名が身体を横に傾けている。

 残る二名は立ったまま、撮影者とは別の方向を見ている。

 警察官および警ら車は写っていない。

 写真の説明文には、

「踊る少年らを見る女子生徒四人=十九日深夜、阿津良町」

 と記載されている。

 しかし、掲載写真を確認する限り、女子生徒に該当する人物は一人も写っていない。

 写真右端には県道沿いのガードレール。

 左端には旧ドライブインの建物。

 男子六名より奥には雑木と看板が見える。

 人物と判断できる影は、男子六名以外に確認できない。

 平成二十九年、阿津良町史編纂室が同記事を資料として複写した際、担当者がこの点について新聞社へ問い合わせている。

 回答記録が残っている。

「写真説明については当時の紙面に基づくものであり、元写真が現存しないため確認できない」

 写真の撮影者についても不明である。

 通常、同紙の記事写真には撮影者名が付される。

 本件写真にはない。

 紙面データベース上では、写真番号「A110620-17」が登録されている。

 ただし、この番号に対応するネガフィルムは保存庫に存在しない。

 同日前後の番号は残っている。

 A110620-15は、町内小学校の田植え体験。

 A110620-16は、交通安全教室。

 A110620-18は、町議会定例会。

 A110620-17のみ欠番となっている。

 新聞記事そのものにも一つ不自然な点がある。

 本件が発生したのは六月十九日。

 記事掲載は六月二十一日。

 警察記録によれば、担当記者が署から情報を得られたのは早くても六月二十日午前以降と考えられる。

 ところが掲載写真は、写真説明上「十九日深夜」に撮影されたことになっている。

 記者が偶然現場にいたとの記録はない。

 警察官も写真撮影を実施していない。

 記事を書いた森岡記者は、平成十九年に退職している。

 平成三十年、町史編纂室が本人へ電話で問い合わせた記録が残されている。

 質問は三点。

 一、本件を覚えているか。

 二、写真は誰が撮影したものか。

 三、女子高校生が四名いたとの情報はどこから得たか。

 森岡は一について、

「記事は覚えている」

 と回答した。

 二については、

「たぶん自分ではない」

 と答えた。

 三については、最初に、

「警察発表でしょう」

 と回答した。

 編纂室担当者が「警察資料では三名となっている」と伝えたところ、森岡はしばらく返答しなかった。

 電話記録には「約十一秒沈黙」と記載されている。

 その後、森岡は、

「四人だったと思いますよ」

 と述べた。

 担当者が理由を尋ねると、

「写真を見れば分かるでしょう」

 と回答した。

 担当者は、掲載写真には女子が写っていないと説明した。

 森岡は、

「そうでしたか」

 と答えた。

 会話はそこで終了している。

 町史編纂室は後日、森岡に紙面の複写を郵送している。

 返信はなかった。

 ただし三週間後、森岡から編纂室へ電話があった。

 記録には、用件として次の一文のみが残されている。

「写真の右側は切っていますか」

 担当者は、新聞掲載面をそのまま複写したものだと回答した。

 森岡は、

「ならいいです」

 と言って電話を切った。

 何を確認しようとしたのかは不明である。

 平成十一年六月二十一日の紙面には、本件と直接関係すると考えられる記事がもう一件ある。

 同じ十三面の下部、「救急・火災」欄。

「十九日深夜、阿津良町内の県道で女子高校生一人を保護。体調不良を訴え、町内病院へ搬送。軽症」

 氏名、年齢、学校名は掲載されていない。

 発生時刻は六月二十日午前零時十二分。

 旧阿津良ドライブインから約二キロ離れた地点である。

 同紙は、この救急搬送と駐車場の記事を関連付けていない。

 紙面上では別件として扱われている。

 なお、『徳島南部日報』では平成二十四年から過去紙面の電子化作業を実施している。

 六月二十一日付十三面も電子化され、現在はマイクロフィルムから作成されたPDFとして保存されている。

 電子化担当者の作業記録によれば、本件写真について画像補正が一度行われている。

 理由欄には、

「黒つぶれ除去」

 とある。

 補正前画像は保存されていない。

 補正後の写真には、男子六名が写っている。

 それ以外の人物は確認できない。

 ただし、画像ファイルに付された作業用メモには、担当者が入力したと思われる短い記述が残っている。

「人数合わず。記事優先」

 何の人数が合わなかったのかについて、記録はない。

 平成十一年六月二十一日付の記事は、現在も同紙縮刷版で閲覧可能である。

 記事本文に訂正は出されていない。

 したがって新聞社の記録上、旧阿津良ドライブインにいた女子高校生は四名である。

 警察の記録上は三名である。

 男子高校生については、どちらも六名で一致している。

第三章 県立阿津良西高等学校「生徒指導記録」

 県立阿津良西高等学校には、平成十一年六月二十一日から同月二十五日まで、本件に関する生徒指導記録が残されている。

 同校は阿津良町中心部から西へ約三キロ、旧阿津良ドライブインからは県道を経由して約六キロの位置にある。

 当時の全校生徒数は五百八十二名。

 一学年六学級。

 普通科のほか、商業科を設置していた。

 六月二十一日月曜日、午前八時十五分、阿津良警察署から同校へ電話連絡があった。

 対応したのは生徒指導主事の浜田正雄、四十六歳。

 電話記録簿には、

「十九日夜、旧ドライブインにて本校男子生徒六名を指導。詳細確認願う」

 と記載されている。

 女子生徒についての記載はない。

 午前九時十分から、男子生徒六名への事情聴取が行われた。

 聴取は一名ずつ、生徒指導室で実施された。

 記録によれば、六名全員が十九日午後九時頃に町内のゲームセンター前へ集合し、その後、原動機付自転車等で旧ドライブインへ移動した。

 集合の目的について、一名は、

「暇だったから」

 と答えている。

 二名は、

「友達に呼ばれた」

 と回答。

 残る三名については、回答欄が空白である。

 午後十時四十分頃から駐車場にいたとされる。

 踊っていたことについては、六名とも認めた。

 音楽を流していた者はいない。

 学校側は当初、酒類または薬物の使用を疑った。

 六名はいずれも否定している。

 翌日、保護者同席で再度事情聴取が行われたが、供述に大きな変更はなかった。

 ただし、男子生徒の一人である三年二組の生徒だけが、六月二十二日の聴取で、

「最初は見るだけだった」

 と回答している。

 生徒指導主事が「何を見るつもりだったのか」と尋ねた記録はない。

 同日付の指導記録では、男子六名を一週間の校内謹慎とする案が記載されている。

 理由は深夜徘徊、学校の信用を損なう行為。

 最終的には六月二十三日の職員会議で承認され、六名は六月二十四日から三十日まで別室登校となった。

 処分について、特に異論は出ていない。

 女子生徒に関する記録が現れるのは、六月二十二日からである。

 同日午前十一時四十分、生徒指導主事が作成した別紙には、

「現場にいたと思われる女子生徒についても事情確認の必要あり」

 と記されている。

 誰から女子生徒の存在を聞いたのかは記載されていない。

 警察からの電話記録には男子六名しか書かれていない。

 六月二十一日付の新聞には女子高校生四名が現場にいたと報じられているため、学校側が記事を見て確認を始めた可能性がある。

 ただし、別紙には新聞記事の添付がない。

 同日午後一時十分から、女子生徒五名への事情聴取が実施されている。

 記録表の表題は、

「六月十九日旧阿津良ドライブイン関係生徒」

 男子六名の下に、女子五名分の欄が設けられている。

 現在保存されている複写資料では、女子五名の氏名、生年月日、住所、保護者名がすべて黒塗りとなっている。

 個人情報保護のため、平成二十九年の町史編纂室への資料提供時に処理されたものとされる。

 所属学級だけは確認できる。

 三年一組 一名。

 三年三組 二名。

 三年四組 二名。

 合計五名。

 五名はいずれも、六月十九日午後十時以降、旧阿津良ドライブインにいたことを認めたと記録されている。

 聴取記録は簡潔である。

「男子らが踊るところを見ていた」

「騒いではいない」

「飲酒、喫煙なし」

「午前零時以前に各自帰宅」

 五名とも概ね同様の内容となっている。

 学校側は女子生徒について、特別指導を行わなかった。

 男子生徒と同じく深夜に外出していたにもかかわらず、保護者への連絡も四名にしか実施されていない。

 残る一名については、保護者連絡欄が空白である。

 理由の記載もない。

 女子生徒五名の事情聴取票には、それぞれ担当教員の押印がある。

 一人目、浜田。

 二人目、浜田。

 三人目、副主任の岡部。

 四人目、岡部。

 五人目、浜田。

 したがって書類上、少なくとも二名の教員が女子五名の事情聴取に関与したことになる。

 しかし平成二十九年、町史編纂室が当時の教員へ確認した際、浜田と岡部の証言は一致しなかった。

 浜田は、

「女子も何人か呼んだと思う」

 と回答した。

 人数について尋ねると、

「四人だったかもしれない」

 と述べた。

 岡部は、

「女の子は四人です」

 と回答している。

 編纂室担当者が、記録上は五名になっていると伝えると、岡部は、

「五人分ありますか」

 と聞き返した。

 担当者は、五人分の事情聴取票が残っていると説明した。

 岡部はその後、

「では五人だったのでしょう」

 と回答している。

 それ以上の説明はない。

 学校の記録には、女子五名のうち誰が男子六名と交友関係にあったかも記載されている。

 一人目は男子生徒一名の交際相手。

 二人目は同じ中学校の卒業生。

 三人目は男子生徒二名と同じアルバイト先。

 四人目は、

「友人に誘われ同行」

 とある。

 五人目の交友関係欄には、

「不明」

 と記載されている。

 本人から事情を聴取し、氏名、住所、所属学級まで確認しているにもかかわらず、なぜその生徒が現場にいたのかについては不明とされている。

 さらに、五人目の事情聴取票だけ書式が異なる。

 他四名の用紙には、上部に平成十一年度の校内様式番号、

「生指様式二―三」

 が印刷されている。

 五人目には様式番号がない。

 罫線の幅もわずかに異なる。

 用紙自体は同じ学校の再生紙であり、後年追加されたものとは判断されていない。

 筆記具についても、記載の大部分は浜田が当時使用していた青色ボールペンと一致している。

 五人目の聴取時刻は午後二時三十五分。

 終了時刻は午後二時五十二分。

 その時間、浜田が生徒指導室にいたことは校務日誌から確認できる。

 ただし、学級担任欄には押印がない。

 三年四組の学級日誌も保存されている。

 六月二十二日の在籍者数は三十八名。

 出席三十七名。

 欠席一名。

 早退、遅刻なし。

 午後一時から三時までの授業について、生徒指導室へ呼び出された生徒がいた場合、通常は「公欠」または「指導」と記載される。

 同日、三年四組では女子一名について、

「五限 生徒指導」

 との記載がある。

 もう一名については何も記されていない。

 出席簿上、全授業に出席している。

 事情聴取票の時刻と両立しない。

 平成十一年度の生徒名簿も確認されている。

 三年一組、三年三組には、聴取票の黒塗り部分と一致する位置に該当する女子生徒が確認できる。

 三年四組については特定できない。

 個人情報保護処理のため氏名を直接照合できないことに加え、当時の名簿に訂正が一度行われているためである。

 三年四組の当初の在籍者数は三十七名。

 五月十日付で三十八名に訂正されている。

 転入、編入、復学の記録はない。

 訂正欄には教頭の認印。

 理由欄には、

「人数訂正」

 とだけ記載されている。

 同年度の四月七日に撮影された三年四組の集合写真も保存されている。

 写真台帳には、

「生徒三十七名、担任一名」

 と記載されている。

 写真を数えると、生徒は三十八名いる。

 この差異について、当時問題になった記録はない。

 六月二十三日の職員会議議事録には、旧ドライブインの件が議題四として記載されている。

「三年男子六名の深夜徘徊について」

 女子生徒に関する記載は一箇所のみ。

「女子五名については見物のみであり、厳重注意とする」

 その横に鉛筆による書き込みがある。

「四名ではないか」

 筆跡は特定されていない。

 さらにその下に、青色ボールペンで、

「確認済。五名」

 と書き加えられている。

 誰が何を確認したのかは記録されていない。

 会議出席者は校長以下三十四名。

 議事録上、この点について質疑は行われていない。

 同校では平成十一年度末、保存文書の整理が実施された。

 本件の男子生徒六名に関する指導記録は、生徒別ファイルへ移管された。

 女子五名の事情聴取票は移管されず、「その他生徒指導」と書かれた一冊の簿冊にまとめて綴じられた。

 そのため、現在も五名分が連続した状態で残っている。

 綴じ穴の位置から、後に一枚だけ挿入された形跡はない。

 資料上、女子五名は同時期に作成された一連の記録として扱われている。

 なお、平成十一年六月二十二日の学校日誌には、本件とは別に一件の記載がある。

 午後三時二十分。

「女子生徒一名、保健室にて休養。吐き気を訴える。三十分後回復し帰宅」

 氏名欄は空白。

 学年欄は「三年」。

 保健室の利用記録には該当する生徒がない。

 この記載と旧ドライブインの件との関連は確認されていない。

 平成十一年六月末をもって、学校側の指導は終了している。

 男子生徒六名は全員、所定の謹慎期間を終えた。

 女子生徒について追加指導は行われなかった。

 その後、同じ生徒による類似行為の記録もない。

 学校としては、本件は六月三十日付で処理済みとなっている。

 阿津良警察署の記録では、現場にいた女子は三名。

『徳島南部日報』では四名。

 県立阿津良西高等学校の記録では五名。

 男子生徒の人数については、すべて六名で一致している。

第四章 阿津良消防署「救急活動記録」

 阿津良消防署に保存されている平成十一年六月分の救急活動記録には、六月二十日午前零時十二分、阿津良町大字中野の県道上で女子高校生一名を保護した事案が記載されている。

 覚知時刻は午前零時十二分。

 出動時刻、午前零時十四分。

 現場到着、午前零時十九分。

 傷病者接触、午前零時二十分。

 医療機関収容、午前零時四十一分。

 出動したのは阿津良消防署救急隊三名。

 通報者は県道を走行していた普通乗用車の運転者である。

 通報内容は、

「女の子が道路脇に座っている。具合が悪そうだ」

 と記録されている。

 現場は旧阿津良ドライブインから県道を東へ約二・一キロの地点。

 歩道のない片側一車線道路で、北側には水田、南側には用水路がある。

 周辺に住宅は少ない。

 傷病者は県道脇のコンクリート製境界杭の横に座っていた。

 年齢十七歳。

 県立阿津良西高等学校三年。

 意識清明。

 呼吸、脈拍、血圧に異常なし。

 外傷なし。

 飲酒を疑わせる臭気なし。

 瞳孔正常。

 本人は吐き気と軽い頭痛を訴えた。

 歩行は可能であったが、本人が医療機関での診察を希望したため、町立阿津良病院へ搬送された。

 救急活動記録上、傷病程度は「軽症」とされている。

 氏名は保存資料では黒塗りとなっている。

 ただし学校名、学年、年齢については残されている。

 このため、第三章に記載された女子生徒五名のうち一名と同一人物である可能性がある。

 学校側の資料には、六月十九日深夜から翌二十日未明に救急搬送された生徒についての記載はない。

 救急隊員が作成した活動記録には、搬送中の会話が一部残されている。

 通常、軽症者との会話内容が詳細に記録されることは少ない。

 本件では、備考欄の約半分が会話の記録に使用されている。

 救急隊員が氏名と住所を確認したところ、本人は即答した。

 生年月日も正確に答えた。

 現在地について尋ねると、

「中野の道」

 と回答した。

 学校名についても問題なく答えている。

 見当識障害は認められなかった。

 救急隊員は、なぜ一人で道路脇にいたのかを尋ねた。

 本人は、

「歩いて帰っていた」

 と答えた。

 どこから帰っていたのかを尋ねると、

「ドライブイン」

 と回答している。

 隊員は旧阿津良ドライブインのことか確認した。

 本人は肯定した。

 その後、次の会話が記録されている。

「誰といた」

「みんな」

「何人」

「六人」

 救急隊員は、男子生徒六名のことだと判断したとみられる。

 備考欄には、

「友人六名と現場にいた旨」

 と要約されている。

 しかし、その直後の会話は要約されず、そのまま残されている。

「六人で何をしていた」

「見ていた」

「何を」

 この質問に対する回答は記載されていない。

 空欄でもない。

 文字が書かれた形跡のある部分が、横線で消されている。

 訂正印はない。

 消された文字は複写資料から判読できない。

 続く記録では、救急隊員が別の質問をしている。

「踊っていたのは何人」

「六人」

 ここで会話記録は終了している。

 男子が六人。

 見ていた側も六人。

 この記録をそのまま解釈した場合、旧阿津良ドライブインには少なくとも十二名がいたことになる。

 警察記録では男子六名、女子三名。

 新聞記事では男子六名、女子四名。

 学校記録では男子六名、女子五名。

 救急記録では、傷病者本人を含むものかどうかは明確でないものの「見ていた」者が六名とされている。

 救急活動記録を作成したのは、当時二十九歳の消防士長、原田秀一。

 原田は平成二十六年に退職している。

 平成三十年、阿津良町史編纂室が本件について聞き取りを行った。

 原田は搬送そのものを覚えていた。

「夜中に高校生の女の子を拾った件でしょう」

 と回答している。

 当時の様子については、

「普通に受け答えしていた」

「酔っている感じではなかった」

「気分が悪いと言っていた」

 と説明した。

 町史編纂室担当者が、本人が「六人で見ていた」と話している記録を示した。

 原田は、

「そう書いてありますね」

 と答えた。

 担当者は、男子六名とは別に女子六名がいたという意味か尋ねた。

 原田は、

「それは違うと思います」

 と回答した。

 では何が違うのかと尋ねると、

「六人というのは踊っていた方でしょう」

 と説明した。

 担当者が記録を読み上げた。

「誰といた」

「みんな」

「何人」

「六人」

「六人で何をしていた」

「見ていた」

 原田はしばらく記録を見た後、

「この書き方だと、そうなりますね」

 と答えた。

 その後、原田は一度だけ質問している。

「その子は、六人の中に入っているんですか」

 町史編纂室側には回答できる資料がなかった。

 聞き取り記録では、その質問に対して「不明」と回答したことになっている。

 原田はそれ以上、本件について話さなかった。

 搬送先となった町立阿津良病院にも、同日付の救急外来受付記録が残されている。

 受付時刻は午前零時四十三分。

 主訴は頭痛、悪心。

 診察では身体的異常を認めず、三十分程度の安静後、保護者が迎えに来て帰宅した。

 投薬なし。

 検査なし。

 診断名は、

「一過性体調不良」

 とされている。

 診療録には、医師による短い問診記録がある。

「深夜、友人らと屋外にいた。帰宅途中に気分不良」

 友人の人数について記載はない。

 ただし看護記録の欄外に、鉛筆で、

「人数の話になると同じ答え」

 と書かれている。

 何を質問し、本人が何と答えたのかは残されていない。

 この鉛筆書きについて、記入者は特定されていない。

 同病院では平成二十二年に紙の診療録を電子化している。

 電子化作業時のスキャン記録によれば、本件診療録は二枚。

 表裏を含めて四面が保存されている。

 原本は平成二十七年度に廃棄された。

 電子化された画像のうち、二枚目裏面だけ解像度が著しく低い。

 文字の大部分は読めない。

 右下に数字らしい書き込みがある。

「6」

 その横にもう一文字あるが判読できない。

 病院側は診療内容に影響しないとして再調査を行っていない。

 救急活動記録には、もう一つ確認できない点がある。

 傷病者を発見した通報者についてである。

 一一九番通報受付票には、通報者氏名、住所、電話番号が記載されている。

 氏名は町内在住の男性。

 当時四十三歳。

 平成三十年時点でも同住所に居住していたため、町史編纂室が聞き取りを申し込んでいる。

 男性は救急車を呼んだこと自体は覚えていた。

 道路脇に女子高校生がいたため車を止め、声を掛けたという。

 担当者が、女子生徒は一人だったか確認した。

 男性は、

「一人やったと思います」

 と回答した。

 さらに、

「ほかにも誰かいませんでしたか」

 と尋ねたところ、

「道にはおらんかった」

 と答えている。

 担当者が質問を変え、女子生徒を発見する直前に旧阿津良ドライブイン前を通過したか確認した。

 男性は肯定した。

 帰宅のため毎日通る道だったという。

 旧ドライブインの駐車場に人がいたかと尋ねると、

「おった」

 と回答した。

 人数については、

「ようけおった」

 とした。

 具体的な人数を尋ねると、

「そこまでは見てない」

 と答えている。

 最後に、踊っている者を見たか尋ねた。

 男性は、

「踊ってる方は六人やった」

 と即答した。

 町史編纂室担当者は、なぜ六人だと分かったのかと質問している。

 男性は、

「六人しかおらんかったから」

 と回答した。

 その後に何か付け加えた形跡がある。

 聞き取り記録では一行が黒く塗りつぶされている。

 個人情報に関する部分として非公開処理されたものとされる。

 しかし、同じ記録内に氏名、住所、勤務先などの情報は別途黒塗りされており、この一行だけ文章全体が処理されている理由は示されていない。

 平成十一年六月二十日の救急活動は、午前一時三分をもって終了している。

 消防署の記録上、特異事案として扱われた形跡はない。

 救急隊員三名に対する追加報告の指示もなかった。

 傷病者は軽症。

 搬送後に再出動もない。

 事務処理上、本件は通常の救急搬送として完結している。

 阿津良警察署の記録では、見ていた女子は三名。

『徳島南部日報』では四名。

 県立阿津良西高等学校では五名。

 救急活動記録では六名。

 踊っていた男子の人数については、すべて六名で一致している。

第五章 旧阿津良ドライブイン 防犯ビデオ提出記録

 阿津良警察署に保存されていた平成十一年六月分の証拠品受払簿には、旧阿津良ドライブインに関する映像資料が一件記載されている。

 品名は、

「ビデオテープ 一巻」

 提出日は六月二十二日。

 提出者は旧阿津良ドライブイン所有者、佐伯義男、五十八歳。

 受領者は阿津良警察署地域課。

 備考欄には、

「十九日夜間分」

 とある。

 第一章の深夜騒音苦情対応報告には、防犯カメラについての記載がない。

 第二章の新聞記事にも、この映像は使用されていない。

 そのため、六月二十二日まで警察が映像の存在を把握していなかった可能性が高い。

 旧阿津良ドライブインは昭和六十二年に営業を終了している。

 ただし建物裏手の倉庫は、その後も所有者が農機具、古タイヤ、飲料ケース等の保管場所として使用していた。

 平成九年、倉庫から工具類が盗まれたため、防犯目的でビデオカメラ一台が設置された。

 カメラは建物南東側の軒下に固定され、駐車場中央から県道側までを撮影していた。

 録画方式はVHS。

 午後八時から翌午前五時まで、九時間を一本のテープへ長時間録画する設定となっていた。

 映像に音声はない。

 六月十九日夜のテープについて、所有者が警察へ提出した経緯は明確ではない。

 証拠品受払簿には、

「本人申告」

 とある。

 しかし佐伯が何を見て警察へ連絡したのか、聴取記録は残されていない。

 平成三十年の町史編纂室による聞き取りでは、佐伯はテープを提出したことを覚えていた。

「警察から言われたんと違うかな」

 と回答している。

 担当者が、警察側には依頼した記録がないと説明すると、

「ほな、自分で持って行ったんやろ」

 と答えた。

 映像を見たかとの質問には、

「見たと思う」

 と回答。

 何が写っていたか尋ねると、

「若いのが踊ってた」

 とだけ述べている。

 女子については質問されるまで言及しなかった。

 担当者が、

「見ていた女子高校生も写っていますか」

 と尋ねると、佐伯は、

「端におったな」

 と回答した。

 人数について尋ねたところ、

「数えたことない」

 と答えている。

 警察署で作成された映像確認表によれば、提出されたテープのうち午後十一時四十三分から同五十二分までが確認対象となっている。

 確認時間は九分十四秒。

 男子六名が駐車場中央にいる。

 記録開始時点ですでに踊っている。

 画面右側、県道寄りの位置に女子生徒と思われる人物が立っている。

 映像確認表には、三十秒から二分程度の間隔で状況が記録されている。

 最初の記載は午後十一時四十三分十八秒。

「男子六名、女子三名。男子踊る」

 午後十一時四十四分四十秒。

「男子六名。女子四名に見える」

 午後十一時四十六分二十六秒。

「男子六名、女子四名」

 午後十一時四十八分五十九秒。

「警察車両進入。女子五名」

 午後十一時五十一分十五秒。

「男子停止。女子五ないし六」

 最後の記録は午後十一時五十二分三十二秒。

「男子六名。女子六名」

 映像の途中で、新たな人物が駐車場へ入ったとの記載はない。

 県道を通過する車両は三台。

 いずれも停車していない。

 女子と記載された人物のうち、明確な移動が確認された者もいない。

 にもかかわらず、確認表上では三名から六名まで増えている。

 確認担当者は地域課の巡査一名。

 欄外に、

「画像不鮮明」

 と記載している。

 さらにその下には、

「再生機不良の可能性」

 とある。

 当時使用されていたVHSデッキについて、故障記録はない。

 別のテープを再生した際に同様の異常が発生したとの報告も確認されていない。

 平成二十九年、町史編纂室は阿津良警察署の許可を得て、当該テープのデジタル化を試みている。

 作業は町内の映像業者へ委託された。

 使用した再生機は業務用VHSデッキ。

 映像信号を直接取り込み、無圧縮形式で保存する方法が採られた。

 テープ自体にはカビ、切断、著しい磁性劣化は認められなかった。

 映像は午後八時二分から翌午前四時五十七分まで連続している。

 問題の時間帯も再生可能だった。

 作業報告書には、

「人物輪郭に著しいブレあり」

 と記載されている。

 ただし男子六名の輪郭は比較的安定している。

 男子一人がしゃがめば五人になる。

 立ち上がれば六人に戻る。

 その程度の判別は可能である。

 女子については異なる。

 県道側に並んだ人物は、映像の同じ時刻を繰り返し再生した際にも人数が一定しないと報告されている。

 報告書には、静止画を使用した確認結果が添付されている。

 午後十一時四十四分零二秒。

 一回目の確認、四名。

 二回目、四名。

 三回目、五名。

 午後十一時四十七分十九秒。

 一回目、五名。

 二回目、六名。

 三回目、五名。

 映像データそのものが再生ごとに変化するという意味ではない。

 同じ静止画像を表示している。

 確認者が数えた人数だけが一致しない。

 映像業者は原因として、人物同士の重なり、低照度、VHS特有の色滲みを挙げている。

 技術的には十分に起こりうる現象と結論付けた。

 ただし報告書末尾に、

「男子側について同様の計数困難は認められず」

 と追記されている。

 町史編纂室は同じ静止画像を職員六名に個別提示した。

 画像について事前説明は行わず、

「写っている人物の人数を記入してください」

 とのみ指示した。

 男子については六名全員が「六」と回答した。

 女子については回答が分かれた。

 三名と回答した者、一名。

 四名、二名。

 五名、一名。

 六名、一名。

 七名、一名。

 同じ職員に二日後、同じ画像を左右反転して再度提示した。

 男子については全員が再び六名と回答した。

 女子については、六名中四名が前回と異なる人数を記入した。

 七名と回答した職員だけは、二回目も七名とした。

 この職員は町史編纂室の臨時職員で、当時二十四歳。

 旧阿津良ドライブインについて事前知識はなかった。

 確認後の聞き取りで、

「七人目はどこに見えたのか」

 と尋ねられている。

 職員は、画像右端を指した。

 そこにはガードレールと道路標識の支柱が写っている。

 人物の輪郭は確認できない。

 職員は、

「そこじゃなくて、その左」

 と訂正した。

 左には女子と判断される影が二つ重なっている。

 どちらを指しているか再度確認すると、

「その間」

 と回答した。

 担当者は該当箇所を拡大した。

 職員は、

「これです」

 と答えた。

 拡大画像には人物と明確に判断できる像はなかった。

 翌日、この職員は確認作業から外れている。

 理由欄には、

「資料整理業務変更」

 とある。

 本件との関連は記載されていない。

 デジタル化された映像には、もう一つ警察記録と一致しない箇所がある。

 第一章の報告書では、警察官が現場へ到着した時点で女子三名を確認したとされる。

 警ら車が駐車場へ入る場面は、防犯映像にも記録されている。

 時刻表示は午後十一時四十七分十三秒。

 警ら車が停止する。

 運転席から巡査部長が降りる。

 助手席から巡査が降りる。

 二人とも男子六名の方向へ歩いている。

 この時、同行巡査だけが一度、県道側を振り返る。

 映像確認表には、

「女子五名」

 と記録されている。

 巡査は約三秒間、その方向を見ている。

 その後、男子らの方へ歩く。

 女子側へ近づくことはない。

 第一章の勤務日誌には午後十一時五十五分、

「女子三名、県道側に引き続き所在」

 と記載されている。

 この巡査は平成二十二年に警察を退職しており、平成三十年時点では県外在住のため聞き取りは行われていない。

 映像は午前零時を過ぎても続いている。

 男子六名は午後十一時五十八分頃から順次、車両へ移動する。

 午前零時一分までに全員が駐車場を離れる。

 警ら車は午前零時三分十二秒に退出する。

 県道側について、警察の映像確認表には記載がない。

 平成二十九年のデジタル化作業では、午前零時三分以降についても確認が行われた。

 映像業者の作業記録には、

「人物らしき像、残存」

 とある。

 時刻は午前零時三分二十八秒。

 警ら車が画面から消れた十六秒後である。

 午前零時五分。

 同じ位置に像がある。

 午前零時十分。

 同じ位置に像がある。

 午前零時十五分。

 同じ位置に像がある。

 午前零時二十分には確認できない。

 像がいつ移動したかは、照度不足のため判定不能とされている。

 人数欄はすべて空白である。

 作業員が記入を忘れたものではない。

 欄外には鉛筆で、

「数えない」

 と書かれている。

 誰の指示によるものかは不明である。

 平成三十年度の町史編纂作業終了後、デジタル化された映像は阿津良町立図書館の郷土資料室へ移管された。

 元のVHSテープについては、阿津良警察署が引き続き保管していたとされる。

 令和三年の庁舎移転時、証拠品台帳との照合が行われた。

 受払簿には当該テープの記載が残っている。

 返却日欄は空白。

 廃棄日欄も空白。

 現物は確認されなかった。

 所在不明として処理されている。

 なお、デジタル化された映像のファイル名は、

「ATURA_VHS_19990619_01」

 である。

 同じ保存フォルダには、作業時に作成された静止画像が十四枚残っている。

 番号は01から15。

 07だけが存在しない。

 作業報告書に削除の記録はない。

 画像一覧表には、07について次の記載が残されている。

「23:47:19 全景 人物確認用」

 備考欄は空白である。

 現在閲覧できる映像では、午後十一時四十七分十九秒の場面自体は確認できる。

 男子六名は画面中央にいる。

 県道側にも複数の人物が立っている。

 何人いるかについて、町史編纂室は最終報告書に記載していない。

 報告書末尾には、

「当該映像について、人物数の確定は資料整理上不要と判断した」

 とある。

第六章 平成十二年度「阿津良町青少年健全育成協議会議事録」

 阿津良町教育委員会に保存されている平成十二年度青少年健全育成協議会議事録には、旧阿津良ドライブインに関する協議が二回記録されている。

 最初の記録は平成十二年五月十八日。

 場所は阿津良町役場三階会議室。

 出席者は町長、教育長、小中学校長、阿津良警察署生活安全課長、PTA代表、民生委員、町議会議員等二十三名。

 議題は七件。

 旧阿津良ドライブインに関する事項は、議題六、

「青少年の夜間集合場所について」

 の中で扱われている。

 議事録によれば、町議会議員の一人が、

「昨年の六人の件以降、あそこはどうなっているのか」

 と質問した。

 何を指して「六人の件」としたのかは説明されていない。

 教育委員会職員は、

「現在、学校から特段の報告はありません」

 と回答している。

 議員は続けて、

「見る方については」

 と質問した。

 これに対し、教育委員会職員は、

「そちらも現在は確認しておりません」

 と回答。

 議事録には、その後約三分間の協議が「意見交換」として省略されている。

 通常、同協議会の議事録では発言要旨が個別に記録される。

 本件だけ、発言者および内容が省略されている。

 省略後、阿津良警察署生活安全課長が、

「現場へ行かなければ発生しないものと考えております」

 と発言している。

 何が発生しないのかは記載されていない。

 議員が、

「なら立入禁止にしたらよいのではないか」

 と提案。

 町総務課長は、土地が民有地であるため町による立入禁止措置は困難と回答した。

 所有者へ柵の設置を依頼する案も出された。

 ただし、最終的には、

「青少年への周知を徹底する」

 として議題は終了している。

 周知内容については資料が添付されていない。

 同年六月、町内の中学校、高等学校に配布された「夏季休業中の生活について」という通知が残されている。

 一般的な注意事項として、夜間外出、飲酒、喫煙、水難事故、交通事故への注意が列挙されている。

 その末尾に、

「旧阿津良ドライブイン付近へは、用事のない限り立ち寄らないこと」

 との一文がある。

 理由は記載されていない。

 翌平成十三年度以降、この一文は毎年ほぼ同じ文面で掲載されている。

 平成十九年度のみ、

「旧阿津良ドライブイン付近への立入りは禁止する」

 へ変更されている。

 平成二十年度には、再び、

「用事のない限り立ち寄らないこと」

 へ戻っている。

 変更理由について記録はない。

 第二回の協議は平成十二年十一月九日。

 同じく町役場三階会議室。

 議題三、

「青少年関係資料の取扱いについて」

 の中で旧ドライブインの件が取り上げられている。

 発端は、町内の中学校教員から教育委員会へ寄せられた問い合わせだった。

 問い合わせ文書は保存されていない。

 議事録によれば、教員が「昨年の事案について生徒へ説明するため資料を見たい」と申し出たとされる。

 教育委員会職員は警察資料の閲覧はできないと回答した。

 新聞記事については町立図書館で閲覧可能とした。

 その後、教育長が、

「映像の方はどうなっているのか」

 と質問している。

 警察署生活安全課長は、

「映像については教育用途で使うものではない」

 と回答した。

 教育長は、

「内容に問題があるのか」

 と再質問。

 生活安全課長は、

「内容というより、確認の仕方に問題が出る」

 と答えている。

 議事録にはここで括弧書きがある。

「出席者数名より質問あり」

 個々の質問内容は記載されていない。

 生活安全課長はその後、

「一度見れば分かるという種類のものではない」

 と説明。

 さらに、

「複数人で確認しても一致しない」

 と発言している。

 町議会議員が、

「何が一致しないのか」

 と尋ねた。

 生活安全課長は、

「人数です」

 と回答した。

 議員は、

「踊っていた方か」

 と確認。

 生活安全課長は、

「そちらは六人です」

 と答えている。

 その後の発言は一行分、黒塗りとなっている。

 黒塗りは個人情報保護を理由とした公開時の処理とされる。

 しかし当該部分の前後には個人名、住所、学校名は記載されていない。

 黒塗りの直後、教育長が、

「では、その資料は出さない方がよい」

 と発言。

 協議の結果、旧ドライブインに関する映像資料は、

「教育上の必要性が特に認められる場合を除き閲覧しない」

 との申し合わせがなされている。

 法的な閲覧禁止措置ではない。

 警察内部資料として正式に指定された形跡もない。

 翌年以降の議事録には、この申し合わせ自体が記載されていない。

 ただし平成十三年度の町立図書館資料整理簿には、

「旧ドライブイン関係については貸出不可」

 との手書きメモが現れる。

 平成十四年度、

「館内閲覧のみ」

 平成十五年度、

「要職員立会」

 平成十六年度、

「映像資料については教育委員会へ確認」

 と、条件が少しずつ追加されている。

 誰が追加を指示したかは不明である。

 平成十七年二月、町議会文教厚生委員会でも同件が短く取り上げられている。

 委員の一人が、

「ドライブインの資料だけ扱いが違う理由は何か」

 と質問。

 教育委員会は、

「過年度の協議によるもの」

 と回答した。

 委員は、

「危険な映像なのか」

 と尋ねている。

 教育委員会は、

「映像そのものに危険性があるとは認識していない」

 と答えた。

 さらに委員が、

「では見せてもよいのでは」

 と質問。

 教育委員会側は、

「閲覧後に同様の問い合わせが発生するため、事務負担を避ける観点から制限している」

 と回答している。

 議員が、

「同様の問い合わせとは何か」

 と尋ねた。

 回答は、

「人数確認に関するもの」

 だった。

 平成十二年から平成十七年まで、町役場および教育委員会には、旧阿津良ドライブインに関する問い合わせが十三件記録されている。

 問い合わせ者は教員四名、新聞記者二名、町職員三名、大学生一名、町議会議員二名、不明一名。

 内容の大部分は、

「現場にいた女子の人数を確認したい」

 というものだった。

 回答記録は統一されていない。

 平成十二年、警察資料に基づき三名。

 平成十三年、新聞資料に基づき四名。

 平成十四年、学校資料に基づき五名。

 平成十五年以降は、

「確定できない」

 と回答している。

 平成十六年八月の問い合わせ記録には、担当職員による手書きの注意書きがある。

「数字を答えないこと。新たに数えさせないこと」

 この注意書きは翌年度の問い合わせ簿にも転記されている。

 平成十七年度、

「人数について回答しない」

 平成十八年度、

「当該資料の人数確認は実施しない」

 平成十九年度には、

「映像静止画を作成しない」

 が追加されている。

 いずれも根拠となる規程は確認できない。

 平成二十年四月、町職員の異動に伴い、青少年健全育成担当者が交代している。

 新任担当者は前年までの注意書きについて教育委員会へ照会した。

 内部決裁文書が残されている。

「旧ドライブイン関係資料の取扱いについて、現行規程上の根拠を確認したい」

 上司の回答は、

「従前どおり」

 のみ。

 担当者はさらに、

「人数を確認しない理由が不明」

 と追記している。

 この文書は決裁を受けている。

 決裁印は課長、教育次長、教育長の三名。

 指示事項欄には、

「確認不要」

 と記載されている。

 平成二十二年度、阿津良町青少年健全育成協議会は組織再編により廃止された。

 業務は町青少年問題連絡会へ引き継がれている。

 引継書には、夜間徘徊、非行防止、学校間連絡、夏季巡回等の継続事項が記載されている。

 旧阿津良ドライブインは個別案件として載っていない。

 ただし引継書末尾の「資料取扱上の留意事項」には、一項目だけ具体的な記載がある。

「平成十一年度阿津良西高校関係資料について、映像確認を伴う照会は受け付けないこと」

 理由欄は空白である。

 平成二十九年、町史編纂室が過去資料を収集した際、この引継書について当時の教育委員会職員へ確認している。

 職員は、

「昔からそういう扱いだった」

 と説明した。

 いつからか尋ねると、

「少なくとも自分が担当した時には」

 と回答。

 なぜかと尋ねると、

「見ても結論が出ないから」

 と答えている。

 担当者は最後に、

「映像を見たことがありますか」

 と質問した。

 職員は、

「あります」

 と回答した。

 何人に見えたかとの質問に対する回答は、聞き取り記録には残されていない。

 代わりに余白へ、町史編纂室担当者の筆跡で一文が書かれている。

「この質問は以後しない」

 平成十二年度青少年健全育成協議会で協議された事項は、すべて翌年度までに処理済みとされている。

 青少年の夜間集合について、継続案件はない。

 旧阿津良ドライブインについても、行政上は特別な対応を必要とする場所には指定されていない。

 町有地でもない。

 立入禁止区域でもない。

 危険建築物の指定もない。

 それにもかかわらず、平成十三年度以降、町内の学校へ配布される夏季休業中の注意事項には、同じ一文が残り続けている。

「旧阿津良ドライブイン付近へは、用事のない限り立ち寄らないこと」

 令和八年度の通知にも、この一文は記載されている。

第七章 阿津良町立図書館「郷土映像資料利用票」

 阿津良町立図書館郷土資料室には、旧阿津良ドライブインに関する映像資料の利用記録が残されている。

 対象資料は、第五章で確認された防犯ビデオのデジタル化複製。

 資料番号は、

「郷映二九―一一七」

 平成二十九年十一月十四日付で登録されている。

 資料名は、

「旧阿津良ドライブイン防犯映像 平成十一年六月十九日」

 媒体はDVD-R一枚。

 一般貸出不可。

 館内閲覧のみ。

 閲覧には郷土資料利用申請書の提出を必要とする。

 平成二十九年から令和八年までの利用者は、利用者台帳上十一名である。

 内訳は町職員三名、大学教員一名、大学生二名、新聞記者一名、郷土史研究者二名、映像制作会社社員一名、職業欄未記入一名。

 同一人物による複数回の利用は、一回として数えている。

 閲覧時間は最短七分、最長一時間二十二分。

 資料そのものの映像時間は約九時間あるが、本件に関係する午後十一時四十三分から翌午前零時二十分までを閲覧する者が多い。

 利用票には「利用目的」のほか「備考」欄がある。

 通常、この欄には複写枚数、機器不良、閲覧時間延長等を職員が記入する。

 本資料については、十一名中七名の備考欄に、利用者本人が書いたとされる文章が残っている。

 最初の記載は平成三十年二月七日。

 利用者は県内の大学に所属する男性教員。

 利用目的は、

「地方社会における青少年文化の映像資料調査」

 閲覧時間は四十三分。

 備考欄には、

「七人いたと思う」

 と鉛筆で記載されている。

 図書館職員による追記はない。

 同年五月十九日。

 利用者は大学四年の女子学生。

 卒業論文資料として閲覧。

 備考欄には、

「右端を含めれば七人」

 とある。

 何の人数かは書かれていない。

 同年九月二日。

 町職員。

 利用目的、

「町史関連資料確認」

 備考欄、

「最初から七人いる」

 平成三十一年一月十四日。

 郷土史研究者。

「途中で増えたのではない。最初からいる」

 令和二年八月二十六日。

 新聞記者。

「七人目は道路側」

 令和四年十一月三日。

 映像制作会社社員。

「七名。撮影には使わない」

 令和六年六月十九日。

 利用目的未記入。

「七人です」

 以上の七件である。

 いずれも「七」という数字を含んでいる。

 図書館が利用者に人数を尋ねていた記録はない。

 利用案内にも人数確認に関する項目はない。

 平成十六年度以降、町では旧ドライブイン資料について「人数を確認しない」とする内部的な取扱いが続いていた。

 図書館にも同様の申し送りがあったとされる。

 郷土資料室のカウンター内には、令和元年度まで一枚の注意書きが掲示されていた。

「旧阿津良ドライブイン映像資料について、閲覧者から人数を尋ねられた場合は『資料上確定していません』と回答すること」

 この注意書きは令和二年度の館内改装時に撤去された。

 理由は、

「掲示物整理」

 と記録されている。

 平成三十年当時、郷土資料室を担当していた司書は二名。

 一名は平成三十一年に異動。

 もう一名は令和五年に定年退職している。

 町史編纂室による聞き取りでは、利用者が備考欄へ人数を書くようになった経緯について、二人とも覚えていなかった。

 一人は、

「こちらから聞くことはありませんでした」

 と回答。

 もう一人は、

「書かなくていいと言ったことはあります」

 と述べている。

 担当者が、誰に対して言ったのか尋ねると、

「何人か」

 と回答した。

 なぜ書かなくていいと伝えたのかとの質問には、

「みんな書くので」

 と答えている。

 七名の備考記載を除く四名の利用票には、人数に関する文章はない。

 ただし、そのうち一名、令和元年七月十三日に閲覧した大学生の利用票には、備考欄全体を二本線で消した跡がある。

 消去前の文字は部分的に判読できる。

 末尾に、

「人」

 という文字が残っている。

 訂正印はない。

 利用者本人による訂正か、職員によるものかは不明である。

 利用票は年度ごとにファイルへ綴じられている。

 平成二十九年度から令和八年度まで、本資料に関する利用票を数えると十二枚ある。

 しかし利用者台帳に記載されている利用者は十一名。

 十二枚目の利用票は令和三年度のファイルに綴じられている。

 利用日は、

「令和三年六月十九日」

 利用開始時刻、午後三時十二分。

 終了時刻、午後三時四十七分。

 資料番号は正しく記載されている。

 利用目的は、

「確認」

 氏名欄は空白。

 住所欄も空白。

 図書館利用者番号も記載されていない。

 受付者印は押されている。

 押印した職員は当時実在し、その日は勤務している。

 令和七年、資料整理の際にこの利用票が発見され、本人への確認が行われた。

 職員は受付印が自分のものだと認めた。

 ただし、利用者については覚えていないと回答している。

「名前を書かせずに閲覧させることは通常ありません」

 と説明。

 利用票を見せられると、

「自分が押したなら、何か理由があったんでしょう」

 と答えている。

 理由を尋ねられても思い出せなかった。

 この利用票には備考欄にも記載がある。

「映像は前回と同じ」

 前回がいつを指すのかは不明である。

 同一人物による過去の利用記録は確認できない。

 さらにその下に、

「七名確認」

 とある。

 筆跡は氏名欄を除く他の記載部分と同一とみられる。

 図書館側は、この一枚を利用者台帳へ追加していない。

 理由は、

「利用者を特定できないため」

 とされている。

 したがって公式な利用者数は現在も十一名である。

 十二枚目の利用票は無効資料として廃棄されず、元の位置に綴じられている。

 令和三年六月十九日の館内入館者数は百二十七名。

 図書館では入口の赤外線センサーにより入館者数を自動計測していた。

 個人を識別する機能はない。

 郷土資料室の利用者は職員が別途記録している。

 同日の郷土資料室利用者は四名。

 地籍図閲覧二名。

 町議会会議録閲覧一名。

 旧ドライブイン映像閲覧一名。

 前者三名は利用者台帳に記録されている。

 最後の一名に対応する氏名はない。

 防犯カメラ映像も保存されていた。

 保存期間は三十日で、当時の映像は令和七年時点で既に消去済みだった。

 ただし令和三年六月十九日の業務日誌に、閉館時の記載が残っている。

「郷土資料室DVDドライブ内にディスクあり。回収」

 通常、閲覧終了時には職員がディスクを回収する。

 利用者自身がDVDドライブから取り出すことは認められていない。

 同日午後五時十五分、閉館作業中に発見されたとされる。

 十二枚目の利用票では、閲覧終了時刻は午後三時四十七分。

 約一時間半、ディスクが機器内に残されていたことになる。

 担当職員は事故報告を作成していない。

 業務日誌には、

「破損なし」

 とだけ書かれている。

 翌六月二十日、資料状態確認が行われた。

 映像ファイルに異常なし。

 ディスク表面にも傷なし。

 資料ケース内の目録カードには、鉛筆による数字が一つ書き加えられていた。

「7」

 誰が記入したかは不明。

 令和四年の資料点検時、この数字は消しゴムで消されている。

 点検担当者は、

「書誌情報ではないため」

 と処理理由を記載している。

 現在、目録カードには薄い筆圧痕だけが残っている。

 令和六年六月十九日には、本資料を閲覧した利用者から一件の質問があった。

 カウンター記録によれば、

「映像に出ている七人の女子について、名前が分かる資料はあるか」

 との問い合わせ。

 職員は、

「人数自体が確定していない」

 と回答した。

 利用者は、

「人数の話ではなく、名前を知りたい」

 と再度質問している。

 職員は学校関係資料には個人情報が含まれるため公開できないと説明。

 利用者はそれ以上質問せず退館した。

 その人物の利用票には、

「七人です」

 と記載されている。

 同日、職員が資料ケースを確認したところ、異常はなかった。

 ただし郷土資料室の閲覧用パソコンに、一枚の静止画像が保存されていた。

 ファイル名は、

「7.jpg」

 職員が作成したものではない。

 利用者によるファイル保存は禁止されているが、当時はUSB接続等を制限していなかった。

 画像は旧ドライブイン映像の午後十一時四十七分十九秒付近を切り出したものだった。

 第五章で欠番となっていた静止画像07と、時刻が一致する。

 画像自体に加工の形跡は確認されなかった。

 男子六名は明瞭に確認できる。

 県道側には複数の人物がいる。

 令和六年六月二十日、図書館職員三名で画像を確認している。

 確認記録には人数を記載する欄が設けられていた。

 三名とも空欄。

 欄外に、

「従前の取扱いにより計数せず」

 と記載されている。

 画像ファイルは業務上不要として削除された。

 削除後、ごみ箱も空にされている。

 令和七年度の郷土資料点検では、本資料の閲覧条件が見直された。

 従来の「館内閲覧のみ」に加え、

「静止画保存不可」

「複写不可」

「閲覧時職員立会」

 の三項目が追加されている。

 理由欄には、

「資料管理上の都合」

 とある。

 人数に関する記載はない。

 令和八年四月現在、本資料は閲覧停止にはなっていない。

 所定の申請を行えば、現在も閲覧できる。

 図書館の資料検索端末にも登録されている。

 資料詳細画面には、内容紹介として一文だけ表示される。

「平成十一年六月十九日、旧阿津良ドライブイン駐車場を撮影した防犯映像」

 出演者数の記載はない。

 郷土資料室では、令和八年度から利用票の様式が変更された。

 新様式では備考欄が廃止されている。

第八章 県立阿津良西高等学校「平成十一年度卒業アルバム訂正について」

 県立阿津良西高等学校が平成十二年三月に発行した平成十一年度卒業アルバムには、三年四組の集合写真に関する訂正記録が残されている。

 卒業アルバムは全百十二ページ。

 三年四組は四十二、四十三ページに掲載されている。

 四十二ページ上部に集合写真。

 下部に生徒氏名。

 四十三ページには修学旅行、体育祭、文化祭等の写真が配置されている。

 集合写真の撮影日は平成十一年四月七日。

 校舎南側の中庭で撮影された。

 担任一名、生徒三十八名。

 アルバム掲載時の説明も、

「三年四組 三十八名」

 となっている。

 第三章で確認された同校の写真台帳では、この写真について、

「生徒三十七名、担任一名」

 と記載されていた。

 撮影時点ですでに人数が一致していない。

 平成十一年度当初の三年四組生徒名簿も三十七名。

 五月十日付で三十八名へ訂正されている。

 転入、編入、復学の記録はない。

 卒業アルバムでは、三十八名分の生徒氏名が掲載されている。

 氏名は五十音順。

 男子十九名。

 女子十九名。

 学校保存用アルバムの名簿と、卒業証書授与台帳を照合したところ、男子十九名は全員一致した。

 女子については十八名のみ一致する。

 一名分の氏名は、卒業証書授与台帳に存在しない。

 ただし、アルバム上に架空の氏名が追加されているわけではない。

 掲載されている十九名の女子の氏名は、すべて同年度に三年四組へ在籍した記録のある生徒のものである。

 問題は別にある。

 集合写真には、女子が二十名写っている。

 平成二十九年、町史編纂室が旧ドライブイン関係資料を整理した際、三年四組の人数不整合を確認するため、卒業アルバムの集合写真を拡大した。

 男子十九名。

 女子二十名。

 担任一名。

 合計四十名。

 写真説明では生徒三十八名。

 氏名欄も三十八名。

 写真だけ、生徒が一人多い。

 町史編纂室は人物の位置を特定するため、生徒一人ずつに番号を付した。

 前列十三名。

 中列十三名。

 後列十三名。

 担任一名。

 生徒は合計三十九名。

 このうち男子十九名、女子二十名。

 氏名欄との対応が取れなかったのは、後列右から四人目の女子生徒だった。

 制服姿。

 肩までの黒髪。

 正面を向いている。

 顔は他の生徒と同程度の鮮明さで確認できる。

 写真の端に偶然写り込んだ人物ではない。

 後列の生徒と同じ間隔で並んでいる。

 左右の生徒との肩の高さも揃っている。

 制服も同校のものと一致する。

 町史編纂室では、平成十一年度の生徒手帳用写真と集合写真を照合した。

 三十八名については個人写真と一致した。

 後列右から四人目だけ、一致する写真がなかった。

 同年度の一年生、二年生についても確認したが、該当者は特定されていない。

 平成十二年三月二十三日、卒業式の三日後、学校から三年四組の保護者宛てに一枚の文書が発送されている。

 表題は、

「卒業アルバム記載事項の訂正について」

 本文は次のとおり。

「先般配布いたしました平成十一年度卒業アルバムにつきまして、三年四組の在籍人数に誤りがございました。下記のとおり訂正し、お詫び申し上げます」

 訂正前、

「女子十八名」

 訂正後、

「女子十九名」

 男子十九名に変更なし。

 合計は三十七名から三十八名へ訂正。

 写真についての記載はない。

 氏名の追加、削除もない。

 この通知だけを読むと、単純な人数表記の誤りを訂正したように見える。

 しかし卒業アルバム本体では、もともと女子の氏名は十九名分掲載されている。

 訂正通知を反映させる箇所が存在しない。

 アルバムのどこにも「女子十八名」という表記はない。

 学校保存文書には、訂正文書の起案用紙も残されている。

 起案日は平成十二年三月二十一日。

 起案者は三年四組担任。

 件名、

「卒業アルバム人数訂正について」

 起案理由、

「保護者より人数の相違について指摘あり」

 どの保護者から指摘があったかは記載されていない。

 電話記録、来校記録、文書による申し出も確認されていない。

 校長、教頭、学年主任の決裁印がある。

 備考欄には、教頭の筆跡で、

「写真は訂正不能につき人数のみ処理」

 と書かれている。

 町史編纂室は平成三十年、当時の三年四組担任へ聞き取りを行った。

 担任はアルバムの訂正通知について、

「そんなこともあったと思う」

 と回答。

 何を訂正したのか尋ねると、

「生徒の数が間違っていたんでしょう」

 と述べた。

 担当者が集合写真を示し、

「この写真には生徒が三十九人写っています」

 と説明した。

 担任は写真を数えなかった。

「名簿は三十八だったはずです」

 と回答した。

 担当者は、後列右から四人目の女子を指し、

「この生徒は誰ですか」

 と尋ねた。

 担任は約二十秒写真を見た。

 その後、

「分かりません」

 と答えている。

 続けて、

「他のクラスの生徒が入った可能性は」

 と尋ねられると、

「集合写真に他クラスの生徒が入ることは普通ない」

 と回答した。

 担当者が、

「撮影時に気付かなかったのでしょうか」

 と質問すると、

「写真を撮る時に人数なんか数えませんから」

 と答えている。

 この発言自体に不自然な点はない。

 集合写真では、欠席者や撮影順の変更により人数確認が不十分になることもある。

 ただし、アルバム制作時には氏名と写真の照合が行われている。

 学校側と写真業者の間で交わされた平成十二年一月の校正票が残っている。

 三年四組の欄には、

「氏名確認済」

「人数確認済」

「欠席者なし」

 の三項目すべてに丸印が付けられている。

 担当教員の認印もある。

 写真業者は徳島市内の東四国写真社。

 平成二十一年に廃業している。

 同社から学校へ納品されたネガフィルムは保存されていない。

 ただし、学校には校正用の試し焼きが一枚残っている。

 試し焼きと完成版アルバムの集合写真に、構図上の違いはない。

 後列右から四人目の女子も写っている。

 試し焼き裏面には、赤鉛筆による書き込みがある。

「一名多い?」

 その下に青いボールペンで、

「三八でよい」

 とある。

 筆跡は特定されていない。

 さらに写真右上には、小さく、

「写真三九」

 と鉛筆で書かれている。

 この数字が撮影番号を意味する可能性も検討された。

 しかし同年度の写真整理番号は「11-3-4-01」の形式で付されており、単独の「39」は使用されていない。

 卒業式当日の出席記録では、三年四組の卒業生は三十八名。

 卒業証書も三十八通。

 証書番号は連番で、欠番はない。

 式場座席表にも三十八席が割り当てられている。

 保護者席の割当数にも異常はない。

 卒業後の進路記録も三十八名分。

 就職十四名。

 大学、短期大学進学九名。

 専門学校進学七名。

 その他八名。

 合計三十八名。

 記録上、三十九人目の生徒は卒業していない。

 平成十二年五月、学校では卒業アルバムの残部整理が行われている。

 職員用、図書室用、学校保存用を除き、余部は廃棄された。

 この際の物品整理簿に、

「三年四組写真差替え案 中止」

 との記載がある。

 差し替える予定だった写真は残っていない。

 中止理由も不明。

 平成二十九年、町史編纂室は三年四組の卒業生三名から聞き取りを行っている。

 三名は、旧ドライブインにいた女子生徒の特定を目的として選ばれたものではない。

 町史資料収集への協力者として連絡が取れた者である。

 一人目は集合写真を見て、

「懐かしい」

 と回答。

 人数については特に言及しなかった。

 後列右から四人目を指して名前を尋ねると、

「分からない」

 と答えた。

 二人目は、

「この子、誰だったかな」

 と述べた後、同級生二名の名前を挙げた。

 いずれも写真内の別の位置に写っている。

 そのことを説明すると、

「じゃあ分からん」

 と回答した。

 三人目は写真を見た直後、

「これ、学校にあったやつですか」

 と質問した。

 担当者が卒業アルバムの複写であると答えると、

「うちのと同じならいいです」

 と述べた。

 何が同じなのか尋ねると、

「人数」

 と回答した。

 担当者は、

「何人ですか」

 と質問している。

 三人目は答えなかった。

 代わりに、

「数えない方がいいと思います」

 と述べた。

 この発言について理由を尋ねたが、

「昔そう言われた気がする」

 との回答にとどまった。

 誰から言われたのかは覚えていないという。

 町史編纂室では、この聞き取りをもって卒業生への追加調査を中止している。

 中止理由は、

「個人特定の必要性が低い」

 と記録されている。

 令和二年、県立阿津良西高等学校では校舎改修に伴い、古い卒業アルバムの整理が行われた。

 平成十一年度分も一時的に図書室から書庫へ移された。

 移動時の資料点検表には、

「三年四組集合写真 要確認」

 との記載がある。

 翌月の再点検では、

「確認済」

 へ変更されている。

 確認内容は記録されていない。

 令和五年、同校同窓会が卒業アルバムの一部をデジタル化した。

 平成十一年度三年四組の集合写真もスキャンされた。

 公開用データでは、個人情報保護のため顔部分にぼかし処理が施されている。

 人物数は数えられる。

 生徒三十九名。

 担任一名。

 デジタル化作業者は外部委託先の社員二名。

 作業報告書には異常の記載はない。

 ただしファイル名は、

「H11_3-4_38persons.jpg」

 となっている。

 誰が「38persons」と命名したかは不明。

 同窓会から学校へ提出されたファイル一覧にも同じ名称が使用されている。

 令和八年度現在、平成十一年度卒業アルバムは学校図書室で閲覧可能である。

 貸出はできない。

 訂正通知はアルバム最終ページの内側に貼り付けられている。

 通知には、

「女子十八名を十九名に訂正する」

 とある。

 アルバムには女子十九名の氏名が掲載されている。

 集合写真には女子二十名が写っている。

 後列右から四人目の女子について、氏名は確認されていない。

 なお、旧阿津良ドライブインの防犯映像で県道側に並んでいた女子のうち、個人を特定できるほど鮮明に顔が写っている者はいない。

 そのため、この女子が六月十九日夜に現場にいたかどうかは確認できない。

 学校側も両資料を照合していない。

 平成十一年度卒業アルバムに関する訂正は、平成十二年三月二十三日付で完了している。

 学校の記録上、三年四組の卒業生は三十八名である。

 この人数は現在まで変更されていない。

第九章 阿津良町住民基本台帳システム更新記録

 阿津良町では、平成十三年度から住民基本台帳事務の電算化を実施している。

 それ以前の住民記録は紙の住民票、世帯票、転出入届等によって管理されていた。

 平成十三年七月、町役場住民課では既存資料を新システムへ入力するため、全住民について紙台帳との照合作業を行った。

 対象者数は一万一千八百四十二名。

 作業期間は七月二日から九月二十八日。

 町職員七名、臨時職員十二名が従事した。

 照合結果報告書によれば、氏名表記の誤り三十一件、生年月日の誤り四件、旧字体変換による不一致百七件、既に転出した者の処理漏れ二件が確認された。

 いずれも修正されている。

 そのほか、

「原因不明レコード 一件」

 との記載がある。

 当該レコードには氏名がない。

 氏名欄は空白。

 ふりがな欄も空白。

 生年月日欄は、

「00000000」

 性別欄は、

「女」

 世帯主氏名は空白。

 続柄も空白。

 住所のみが登録されている。

「阿津良町大字阿津良一四七二番地」

 旧阿津良ドライブインの所在地である。

 住民となった日については、

「平成十一年六月十九日」

 と記録されている。

 異動事由は、

「転入」

 転入前住所は空白。

 届出日は平成十一年六月十九日。

 届出人氏名も空白となっている。

 通常、氏名、生年月日、届出人等を入力せずに住民票を作成することはできない。

 平成十三年度に導入されたシステムでも、必須項目が空欄の場合は登録処理を完了できない仕様だった。

 システム開発会社へ照会した記録が残されている。

 八月十日、住民課職員がファクスで、

「氏名、生年月日未入力の住民レコードが旧データ内に存在する。移行処理上あり得るか」

 と問い合わせている。

 開発会社の回答は、

「移行前データに同様の情報が存在した場合を除き生成されない」

 だった。

 町側は、平成十一年六月の住民異動届を確認している。

 六月十九日に受理された転入届は三件。

 夫婦と子一名からなる一世帯のみである。

 転入先住所は阿津良町大字中野。

 旧ドライブインとは関係がない。

 六月十九日付で大字阿津良一四七二番地へ転入した者の届出は存在しない。

 同番地には、当時も土地所有者の佐伯義男が所有する旧ドライブイン建物があった。

 ただし佐伯本人の住所は別の地区にある。

 同番地を住居として登録した人物は、町の記録上ほかに確認されていない。

 住民課は当該レコードを入力ミスと判断した。

 平成十三年八月十四日、削除処理が実施された。

 処理者は住民課主任。

 承認者は課長。

 修正理由欄には、

「実在確認不能のため」

 と記載されている。

 削除後、住民基本台帳人口は一名減少した。

 通常、誤登録を削除した場合は統計上の人口補正が行われる。

 しかし同月末の町人口統計では、前月からの人口増減が一致しなかった。

 出生八名。

 死亡十一名。

 転入二十二名。

 転出十九名。

 計算上、人口は増減なしとなる。

 実際の人口も前月と同数。

 削除した一名分が反映されていない。

 住民課では計算式の誤りとして処理している。

 同年十一月十二日、住民基本台帳の定期点検が行われた。

 その際、削除したはずのレコードが再び登録されていることが確認された。

 氏名なし。

 生年月日なし。

 性別、女。

 住所、阿津良町大字阿津良一四七二番地。

 住民となった日、平成十一年六月十九日。

 前回と同一内容。

 新たに入力された履歴はなかった。

 登録日時欄には、

「平成十三年十月一日 00:00」

 と表示されている。

 十月一日は月曜日。

 午前零時に住民課端末を操作した職員はいない。

 役場庁舎への入退庁記録にも該当者はいない。

 開発会社はシステム障害を調査した。

 調査結果では、データベースのバックアップ復旧、同期処理、夜間バッチのいずれでも、削除済みレコードを新規登録する機能は確認されなかった。

 会社側は、

「旧移行データが残存している可能性」

 を指摘した。

 町は十二月三日、二度目の削除を行った。

 この際、紙資料についても再調査している。

 平成十一年度住民票除票。

 転入届。

 戸籍附票。

 固定資産課税台帳。

 選挙人名簿。

 国民健康保険被保険者台帳。

 いずれにも該当者は存在しない。

 ただし、平成十二年度の町民税課税対象者集計表で、一件だけ人数の不一致が確認された。

 課税対象者数、五千六百十四名。

 氏名別一覧、五千六百十三名。

 一名多い。

 課税額の合計には影響がない。

 課税額零円の者として計上されていた可能性があるが、個別資料は確認できなかった。

 平成十四年二月、問題のレコードは三度目の確認を受けている。

 二度目の削除後、再登録はされていなかった。

 住民課は事案を終了扱いとした。

 ところが同年六月に作成された町内地区別人口統計では、大字阿津良地区の人口が住民一覧より一名多く集計されている。

 電算担当者は集計プログラムの不具合を疑った。

 個別レコードを確認したが、不正な住民票は存在しなかった。

 再集計すると人数は一致した。

 原因は特定されていない。

 平成十五年以降、同住所について特別な確認は行われていない。

 住民基本台帳上、旧ドライブイン所在地に居住者はいない。

 平成二十九年、町史編纂室が旧ドライブイン関係資料を調査した際、住民課に残されていた平成十三年度の移行記録を発見した。

 編纂室は問題のレコードについて、住民課へ照会している。

 回答は、

「電算移行時の誤データと判断している」

 だった。

 編纂室は、なぜ誤データに平成十一年六月十九日という具体的な日付が入っているのかと質問した。

 住民課は、

「元データが残っていないため不明」

 と回答した。

 旧ドライブインで男子高校生六名が踊っていたのは、平成十一年六月十九日深夜である。

 この日付との一致について、住民課は、

「住民基本台帳事務との関連は認められない」

 としている。

 町史編纂室はさらに、住所の一致について確認した。

 回答は同じだった。

「関連は認められない」

 平成十三年当時、最初の削除処理を行った住民課主任にも聞き取りが行われた。

 主任は既に退職していたが、問題のレコードを覚えていた。

「名前がない住民票が一件あった」

 と回答している。

 当時どう考えたか尋ねると、

「データ移行のバグだと思った」

 と述べた。

 再登録されたことについても記憶していた。

「二回消したと思います」

 と答えている。

 担当者が、

「住所が旧ドライブインだったことは覚えていますか」

 と尋ねると、

「それは覚えています」

 と回答した。

 なぜ覚えているのかという質問には、

「住所が住所だったから」

 とだけ答えている。

 編纂室担当者は、

「平成十一年の件を知っていたのですか」

 と尋ねた。

 主任は、

「知っていました」

 と回答した。

 男子六名の件についてか確認すると、

「そうです」

 と答えた。

 女子の人数について質問した記録はない。

 聞き取り票の余白には、

「人数の質問はしない」

 との手書きメモがある。

 この記載は第六章で確認された町史編纂室の内部方針と一致する。

 住民基本台帳以外にも、同住所を使用した記録が一件確認されている。

 平成十八年度の阿津良町ごみ収集地区別世帯数一覧。

 旧ドライブインのある大字阿津良第三区について、世帯数は二百四十一世帯。

 住民基本台帳上は二百四十世帯。

 一世帯多い。

 収集委託料は世帯数ではなく収集量で算定されているため、支払いへの影響はない。

 平成十九年度の一覧では二百四十世帯に戻っている。

 訂正記録はない。

 平成二十四年、住民基本台帳法の改正に伴うシステム更新が行われた。

 全住民データが再度移行された。

 移行エラー一覧には、旧ドライブイン住所に関する記録はない。

 ただし移行作業後に作成された「無人住所一覧」には、大字阿津良一四七二番地が含まれている。

 この一覧は、家屋が存在するが住民登録がない住所を抽出したものだった。

 備考欄には、

「空家」

 とある。

 旧ドライブインは住宅ではない。

 同年の固定資産台帳でも用途は、

「店舗・倉庫」

 となっている。

 なぜ無人住宅確認の対象になったのかは不明。

 平成二十七年、旧ドライブインの解体計画が進められた際、所有者確認のため住民課にも照会が行われている。

 土地所有者は佐伯家。

 居住者なし。

 この時点でも住民登録はない。

 解体担当部署へ提出された照会回答書には、

「住民登録 なし」

 と記載されている。

 その右側に鉛筆で、

「現在は」

 との書き込みがある。

 記入者は特定されていない。

 令和八年、町史編纂室資料の再整理に伴い、平成十三年度のデータ移行報告書が再度確認された。

 問題のレコードを印刷した帳票も一枚残っていた。

 感熱紙のため文字は薄くなっている。

 氏名欄、空白。

 生年月日、空白。

 性別、女。

 住所、阿津良町大字阿津良一四七二番地。

 異動年月日、平成十一年六月十九日。

 世帯番号は、

「1472-0001」

 同住所の世帯人数欄には、

「1」

 と印字されている。

 帳票右下には、システムが自動出力した処理区分がある。

「正常」

 手書きの丸印が付いている。

 その横に、平成十三年当時の担当者によるものとみられる書き込みがある。

「削除済」

 さらにその下、別の筆記具で一文字だけ追記されている。

「再」

 住民課では令和八年六月、念のため現行システム上の住所検索を実施した。

 大字阿津良一四七二番地。

 登録住民なし。

 世帯なし。

 住民票コードなし。

 異常なし。

 同月末の阿津良町人口は一万二百七十一名。

 住民基本台帳から出力された氏名別一覧も一万二百七十一名で一致している。

 ただし地区別人口を合計すると、一万二百七十二名になる。

 住民課は現在、集計プログラムの確認を行っている。

第十章 旧阿津良ドライブイン解体工事 入札仕様書

 平成二十七年、旧阿津良ドライブインの解体工事が実施された。

 建物は昭和四十六年築。

 木造平屋建て、延床面積百八十六・四平方メートル。

 営業終了後も倉庫として使用されていたが、平成二十年代に入り屋根の一部が崩落し、外壁にも腐食が確認されていた。

 土地および建物は民有財産である。

 通常であれば、所有者が自己負担で解体する。

 しかし県道拡幅事業に伴い敷地の一部を阿津良町が取得することとなり、建物除却費を含めて町が工事を発注した。

 工事名は、

「町道阿津良中野線改良事業に伴う既存建築物除却工事」

 契約金額、五百八十二万一千二百円。

 工期、平成二十七年十月五日から十一月二十七日。

 施工業者は町内の川北建設株式会社。

 一般競争入札には四社が参加した。

 入札手続きに特段の問題は確認されていない。

 工事内容は建物の解体、基礎撤去、廃材処分、整地。

 駐車場舗装については未舗装であるため対象外。

 通常の小規模解体工事だった。

 ただし、入札時に配布された特記仕様書には、工事内容と直接関係しないとみられる条件が四項目記載されている。

「現場作業は原則として六名を一班として実施すること」

「午後十一時から翌午前五時まで現場内へ立ち入らないこと」

「旧駐車場東側から西方向を撮影する記録写真を作成しないこと」

「工事記録写真について、写真中の人物数を記載しないこと」

 いずれも仕様書第二十七条、

「その他留意事項」

 に記載されている。

 一項目目について、通常の工事仕様では作業内容に応じて必要人員を定めることはある。

 しかし、解体作業全般を六名一班に固定する合理的理由は確認されていない。

 実際の施工計画では、重機運転者一名、誘導員一名、解体作業員三名、現場監督一名の計六名が基本班となっている。

 大型廃材の搬出時には運転手が加わるため、現場内の人数は七名以上になる。

 この点について施工業者から質問が出されている。

 平成二十七年九月十七日付の入札質問回答書。

 川北建設から、

「六名を一班とする条件について、車両運転手、資材搬入者等も人数に含むか」

 との質問。

 町建設課の回答は、

「継続して作業に従事する者を一班六名とする。搬出入のため一時的に現場へ入る者は含まない」

 となっている。

 同社はさらに、

「安全管理上、人員を増減する必要が生じた場合はどうするか」

 と質問している。

 回答は、

「作業内容により変更可。ただし可能な限り六名単位とすること」

 だった。

 なぜ六名なのかについては説明されていない。

 二項目目の夜間立入禁止については、近隣住民への騒音配慮として不自然ではない。

 しかし工事そのものの作業時間は午前八時三十分から午後五時までと別条項で定められている。

 午後十一時以降の立入りをあえて禁止する必要はない。

 川北建設もこの点を質問している。

「資材確認等で夜間に現場へ立ち入る必要が生じた場合も禁止か」

 町の回答は、

「原則禁止」

 のみ。

 緊急時については、

「警察または消防の立会いがある場合を除く」

 と追記されている。

 三項目目は記録写真の撮影方向を指定するものだった。

 公共工事では着工前、施工中、完成後の状況を写真で記録する。

 町の工事写真管理基準では、施工範囲全体を確認できるよう複数方向から撮影することが推奨されている。

 特定方向からの撮影を禁止する規程はない。

 旧駐車場東側から西方向を撮影した場合、建物正面と駐車場全体が一枚に収まりやすい。

 記録上はむしろ有用な位置だった。

 入札参加業者の一社が、

「当該撮影禁止条件は隣接地のプライバシー保護によるものか」

 と問い合わせている。

 町建設課は、

「隣接地保護を目的としたものではない」

 と回答。

 では何を目的とするかとの再質問には、

「過年度の事務処理との整合上必要」

 と答えている。

 過年度のどの事務処理を指すのかは示されていない。

 四項目目は工事写真中の人物数を記載しないというものだった。

 通常の工事写真では、作業員の人数を必ず記載する必要はない。

 そのため条件そのものが工事へ与える影響は小さい。

 ただし川北建設では、施工管理用に写真ごとの作業内容、使用機材、作業人数を記録する社内様式を使用していた。

 同社は、

「自社管理資料についても人数記載を避ける必要があるか」

 と質問した。

 町の回答は、

「町提出分のみでよい」

 だった。

 これにより、川北建設の社内資料には通常どおり人数が記録されている。

 工事初日、十月五日。

 作業員六名。

 十月六日、六名。

 十月七日、六名。

 十月八日、六名。

 十月九日、五名。

 この日は作業員一名が体調不良で欠勤している。

 施工日誌によれば、午前九時四十分、町建設課職員一名が現場確認に訪れている。

 確認事項は工程、安全柵、廃材分別。

 異常なし。

 ただし同日午後、町から施工業者へ電話があり、

「明日から六名に戻せるか」

 との確認が行われている。

 川北建設側は人員配置上問題ないと回答した。

 電話記録には、理由について、

「仕様書どおり」

 としか記載されていない。

 工事期間中、夜間立入り禁止が実際に問題となった事例が一件ある。

 十一月二日午後十時三十六分、現場に設置した仮設フェンスの一部が強風で倒れた。

 近隣住民から川北建設の現場監督へ電話があった。

 監督は自宅から現場へ向かおうとしたが、仕様書を思い出し、町建設課の緊急連絡先へ電話した。

 対応した職員は、

「十一時までに出られるなら入ってよい」

 と回答した。

 監督は午後十時五十一分に現場到着。

 フェンスを復旧し、午後十時五十八分に退出した。

 作業時間は七分。

 翌日提出された異常報告書には、

「午後十一時前に現場外へ退出したことを確認」

 との町側の追記がある。

 強風によるフェンス倒壊そのものより、退出時刻が明記されている。

 十一月十日、建物本体の解体が完了した。

 十一日から十三日にかけて基礎撤去。

 十六日、整地作業。

 十七日、完成写真撮影。

 川北建設の写真台帳には、着工前二十三枚、施工中百八十四枚、完成後十八枚、合計二百二十五枚が登録されている。

 町へ提出されたのは、そのうち七十六枚。

 写真番号に欠番はない。

 提出写真のほとんどに人物は写っていない。

 安全管理上、作業中の写真では作業員が写り込むこともある。

 しかし人物数の記載は一切ない。

 川北建設の社内版写真台帳には、人数が記載されている。

 町史編纂室が令和元年に同社の協力を得て確認したところ、工事期間中の作業人数は一日平均六・二名。

 特段の異常はない。

 ただし十一月十七日の完成写真について、社内台帳と町提出版で一箇所だけ違いがある。

 写真番号221。

 撮影位置、駐車場南東角。

 撮影方向、西。

 特記仕様書で禁止されていた方向である。

 社内台帳には写真が存在する。

 町提出版には含まれていない。

 撮影したのは現場監督。

 撮影時刻は午後四時十二分。

 建物は既に撤去され、整地された空き地が写っている。

 手前に重機のキャタピラ跡。

 奥に県道。

 作業員六名が整地後の確認作業を行っている。

 写真自体に異常は確認されていない。

 町史編纂室は現場監督へ、

「なぜ禁止されていた方向から撮影したのか」

 と尋ねている。

 監督は、

「忘れていた」

 と回答した。

 町へ提出しなかった理由については、

「写真を選ぶ時に思い出した」

 と説明している。

 担当者は写真に写る作業員を数えた。

 六名。

 監督にも確認した。

「六人ですね」

 と答えている。

 その後、担当者が、

「この写真を町へ提出していたら問題になったと思いますか」

 と尋ねた。

 監督は、

「分からんけど、出さんでよかったと思います」

 と答えた。

 理由を尋ねると、

「役場の人が最初から、そこだけは撮らんといてくれと言うてたから」

 と説明した。

 どの職員が言ったのかは覚えていなかった。

 仕様書作成の経緯についても調査が行われている。

 原案を作成したのは建設課技師。

 係長、課長、総務課契約担当の決裁を受けている。

 通常の解体工事仕様書を基に作成されており、問題の四項目だけ別の文書から転記されていた。

 技師の作業フォルダには、

「旧ドライブイン留意事項.txt」

 というファイルが残っていた。

 作成日時は平成二十七年八月三日午前九時十四分。

 内容は四項目のみ。

 作成者欄は空白。

 技師は、このファイルについて、

「上からもらったと思う」

 と回答した。

 誰から受け取ったのかは覚えていない。

 メール添付の履歴もない。

 共有サーバーの旧ファイルにも同名文書は確認されていない。

 文書のプロパティには、作成者として、

「seishonen」

 という文字列が残っている。

 建設課で使用されていた端末名、職員アカウント名には該当しない。

 町情報政策担当が調査した結果、平成二十二年度まで教育委員会青少年健全育成担当が共有フォルダ名として、

「SEISHONEN」

 を使用していたことが確認された。

 同フォルダは組織再編時に廃止されている。

 旧データは保存期間満了として平成二十五年度に削除された。

 問題の四項目がいつ作成されたのかは分からない。

 平成二十七年十一月二十七日、解体工事は完成検査を受けた。

 施工状態、廃材処分、整地状況に問題なし。

 検査結果は合格。

 工事代金は全額支払われた。

 旧阿津良ドライブインはこの日をもって建築物として存在しなくなった。

 翌年度の固定資産台帳からも建物情報が削除されている。

 土地は町道改良用地として処理された。

 工事関係書類の最終確認欄には、町建設課長の印がある。

 その下に、手書きで一文が追加されている。

「留意事項についても履行済み」

 何をもって履行を確認したのか、検査記録には記載されていない。

 旧ドライブインは解体された。

 夜間立入り禁止も、工事終了と同時に効力を失った。

 人物数を記載しないという条件も、当該工事限りのものである。

 ただし町が保管する完成写真七十六枚のうち、駐車場全体を東側から撮影した写真は一枚も存在しない。

第十一章 川北建設株式会社「解体工事事故報告書」

 旧阿津良ドライブイン解体工事に関する川北建設株式会社の社内資料には、平成二十七年十一月十七日付で一件の事故報告書が作成されている。

 事故区分は、

「その他」

 人的被害なし。

 物的被害なし。

 工事遅延なし。

 労働基準監督署への報告対象外。

 警察、消防への通報も行われていない。

 一般に事故として扱う必要のない内容である。

 報告書を作成したのは現場監督の高井修一、四十一歳。

 件名は、

「完成写真データ異常について」

 となっている。

 十一月十七日午後四時頃、建物撤去後の完成状況を撮影するため、高井はデジタルカメラで十八枚の写真を撮影した。

 撮影終了後、現場事務所のノートパソコンへ画像を転送。

 同社が使用していた工事写真管理ソフトへ登録した。

 ソフトには、画像から人物、重機、標識等を自動判別し、検索用のタグを付加する機能があった。

 人物認識は工事管理上必須ではなく、メーカーが写真整理の補助機能として提供していたものである。

 写真番号221を登録した際、ソフトは、

「人物 7」

 と判定した。

 高井は誤認識と判断した。

 写真には作業員六名が写っていた。

 一名はショベルカー脇。

 二名は駐車場中央。

 三名は県道側。

 全員について、当日の作業日誌で氏名を確認できる。

 当日現場へ入った作業員も、この六名のみだった。

 高井は人物タグを手動で、

「7」

 から、

「6」

 へ修正した。

 午後四時三十一分、写真台帳を保存。

 その後、町へ提出する写真を選定した。

 写真番号221は、第十章で確認された撮影禁止方向からの写真だったため、提出対象から除外されている。

 事故報告書によれば、この時点では異常は終了したものと考えられていた。

 翌十一月十八日午前八時十二分、高井が前日の写真を再度開いた。

 写真番号221の人物タグは、

「人物 8」

 となっていた。

 前日に修正した「6」は保存されていなかった。

 ソフトの更新履歴には、高井が午後四時二十九分に人物タグを修正した記録が残っている。

 その後、同画像を編集した履歴はない。

 高井は写真を拡大し、人物を数えた。

 六名。

 事故報告書には、

「目視では六名以外確認できず」

 と記載されている。

 高井は人物タグを削除した。

 数字を修正するのではなく、人物認識情報そのものを消去した。

 午前八時十九分、保存。

 パソコンを再起動。

 再度写真を開いた。

 人物タグは表示されなかった。

 同日午前九時四十分頃、事務員が工事写真台帳の整理を行った。

 写真番号221を開いた際、画面右側の自動分類欄に、

「人物 8」

 と表示された。

 高井が削除したタグが復元していた。

 事務員はソフトの不具合として、高井へ報告した。

 高井は別の写真で動作を確認している。

 写真番号219。

 作業員四名。

 認識結果、人物四名。

 写真番号220。

 作業員二名。

 認識結果、人物二名。

 写真番号222。

 人物なし。

 認識結果、人物なし。

 異常が確認されたのは221のみだった。

 午前十時十三分、川北建設本社のシステム担当へ電話連絡。

 担当者は画像データを複製し、別のパソコンで確認するよう指示した。

 高井は写真221をUSBメモリへ複製。

 現場事務所にあった別のノートパソコンへ移した。

 同じ写真管理ソフトへ登録した。

 人物認識結果は、

「人物 7」

 だった。

 一台目では八名。

 二台目では七名。

 高井を含む社員三名が、原画像を目視で確認した。

 三名とも作業員六名を確認している。

 報告書には、

「画面奥に人影様のものがあるとの意見一名」

 との記載がある。

 誰が発言したかは書かれていない。

 該当箇所は県道側のガードレール付近。

 画像を拡大すると、舗装面と雑草の境界に縦長の暗部が確認できる。

 工事前から設置されていた道路標識の影と判断された。

 午前十一時二分、画像をプリンターでA4用紙へ印刷。

 印刷物には六名の作業員が確認できる。

 高井は一人ずつ赤鉛筆で丸を付けた。

 番号も記入している。

 一。

 二。

 三。

 四。

 五。

 六。

 七以降の数字はない。

 この印刷物は事故報告書に添付され、現在も川北建設の保管資料に残っている。

 ただし用紙右端、県道側の余白に赤鉛筆による小さな印が一つある。

 丸ではない。

 短い縦線。

 記入者は不明である。

 午後一時十五分、写真管理ソフトのメーカーへ問い合わせが行われた。

 画像ファイル、ソフトのバージョン、使用パソコンの情報が送付された。

 メーカー側は人物認識機能について、

「参考機能であり、正確な人数を保証するものではない」

 と回答した。

 低解像度の画像、影、標識、植物等を人物として誤認識する場合があるとも説明している。

 川北建設側は、

「同一画像で認識人数が変わることはあるか」

 と質問した。

 メーカーは、

「解析条件により結果が変化する可能性はある」

 と回答した。

 技術的な異常ではないとの判断だった。

 川北建設は本件をソフトの誤認識として処理する予定だった。

 しかし午後三時二十八分、町建設課の工事監督員が現場事務所を訪れた。

 完成検査前の書類確認が目的だった。

 高井は、写真221について町へ提出しないことを説明した。

 撮影禁止方向から撮影したためである。

 工事監督員は写真を確認した。

 その際、高井が人物認識の不具合についても説明している。

 事故報告書には、工事監督員の発言として、

「その写真は残さなくてよい」

 と記録されている。

 高井は、町への提出対象から外すだけでよいか確認した。

 工事監督員は、

「会社で必要なければ消してよい」

 と回答した。

 高井は、

「社内では完成写真として保存する」

 と説明。

 工事監督員は、

「人数の情報だけは消してください」

 と述べた。

 高井は、人物タグを削除済みだが再び表示されると説明した。

 工事監督員は、

「なら写真ごと外してください」

 と回答した。

 高井は事故報告書に、

「発注者指示により当該画像を管理対象外とする」

 と記載した。

 ただし正式な工事指示書は発行されていない。

 午後四時十七分、写真221は写真管理ソフトから削除された。

 元の画像ファイルについても、現場事務所パソコンから削除。

 ごみ箱を空にした。

 USBメモリ上の複製も消去。

 町へは提出されていない。

 川北建設本社へ送付した問い合わせ用ファイルについては、メーカーからの回答後に削除したとされる。

 印刷物一枚のみが事故報告書に添付された。

 これにより本件は終了した。

 翌十九日、完成検査用写真の最終整理が行われた。

 写真番号は221を欠番とせず、以降の画像番号を一つずつ繰り上げている。

 そのため町へ提出された写真台帳上、221は別の画像を示している。

 削除された写真が存在したことは、台帳だけでは分からない。

 平成二十九年、町史編纂室が解体工事関係資料を調査した際、川北建設から事故報告書の提供を受けた。

 編纂室担当者は添付された印刷写真を確認した。

 作業員は六名。

 事故報告書に記載された経緯について、高井本人への聞き取りも行われた。

 高井は、

「ソフトの誤認識だと思っています」

 と回答した。

 七名と表示されたことについては覚えていた。

 翌日に八名になったことも覚えているという。

 担当者は、

「七から八へ増えた時、何か撮影条件が変わりましたか」

 と質問した。

 高井は、

「同じ写真ですから変わりようがない」

 と答えた。

 続けて、

「昔の映像のことは知っていましたか」

 と尋ねられている。

 高井は、

「工事が終わってから聞きました」

 と回答。

 誰から聞いたかは、

「役場の人だったと思う」

 とした。

 何を聞いたのか尋ねると、

「人数を数えたらあかんとか、そういう話」

 と回答している。

 担当者は、

「それを聞いたのは写真を削除した前ですか、後ですか」

 と質問した。

 高井はしばらく考え、

「後です」

 と答えた。

 聞き取り記録には、その回答の横に鉛筆で疑問符が付けられている。

 質問者が記入したものとみられる。

 町史編纂室は、添付写真をデジタルスキャンして保存している。

 解像度六百dpi。

 人物認識ソフトは使用していない。

 画像情報には、

「人物数」

 という項目があるが、空欄。

 平成三十年の資料整理時、担当者が手動で検索用タグを設定している。

「解体工事」

「旧ドライブイン」

「完成写真」

 人物に関するタグは付けられていない。

 令和四年、町史資料データベースの更新に伴い、画像解析機能が新たに導入された。

 保存画像から文字、建物、人物等を自動認識し、検索を補助するシステムである。

 全画像一万八千四百二十七点が一括処理された。

 旧ドライブインの完成写真も対象となった。

 処理結果一覧では、

「人物 6」

 と記録されている。

 異常は報告されていない。

 令和五年の再解析でも、

「人物 6」

 だった。

 令和六年、

「人物 6」

 令和七年、

「人物 6」

 令和八年四月のシステム更新後、全資料について再解析が実施された。

 五月二日、旧ドライブイン完成写真の人物タグだけが自動更新されている。

「人物 7」

 町史編纂室では誤認識として修正した。

 修正履歴には、

「7→6 目視確認」

 と残されている。

 翌五月三日、夜間の自動再解析後、同じ画像の人物タグが再度更新された。

「人物 8」

 担当者は当該画像を自動解析対象から除外した。

 五月四日以降、人物タグは表示されていない。

 画像自体は現在も保存されている。

 町史編纂室の資料管理記録には、本件について、

「機械判定の信頼性が低いため計数対象外」

 と記載されている。

 川北建設の工事事故報告書は、平成二十七年十一月十八日付で処理済みとなっている。

 人的被害なし。

 物的被害なし。

 工事への影響なし。

 事故原因は、

「画像認識ソフトによる誤判定」

 再発防止策は、

「当該機能を使用しない」

 とされている。

第十二章 阿津良町役場「観光SNS掲載企画に関する庁内メール」

 令和八年五月、阿津良町役場産業振興課では、町公式SNSの閲覧数増加を目的として、過去の町内写真を紹介する企画が検討された。

 企画名は、

「写真で見る平成の阿津良」

 町が保有する平成元年から平成二十二年頃までの写真、広報紙、映像等を使用し、当時の商店、祭り、学校行事、道路風景を週一回紹介する内容だった。

 担当者は産業振興課観光係の主事、藤田麻衣、二十六歳。

 藤田は令和四年度採用。

 旧阿津良ドライブインが営業していた時期を知らない。

 平成十一年の深夜徘徊事案についても、企画開始時点では知らなかったとされている。

 五月十二日午後二時十八分、藤田は庁内メールで町立図書館へ資料提供を依頼した。

 件名、

「平成写真企画に使えそうな資料について」

 本文には、

「平成らしい若者文化、昔の商店、廃業した店舗等の写真があれば教えてください」

 とある。

 図書館職員は同日午後三時十一分、候補資料十一件を返信した。

 平成四年の阿津良駅前。

 平成七年の夏祭り。

 平成九年のゲームセンター。

 平成十一年の旧阿津良ドライブイン。

 平成十三年の成人式。

 その他六件。

 旧ドライブインについては、

「防犯映像あり。利用条件については要確認」

 と記載されていた。

 藤田は翌十三日午前九時二十四分、図書館へ、

「ヤンキーが踊っているやつでしょうか。平成レトロとして面白そうです」

 と返信している。

 図書館側からの返答は、

「使用前に教育委員会へ確認してください」

 のみだった。

 同日午前十時十二分、藤田は教育委員会社会教育課へ問い合わせた。

「旧阿津良ドライブインの映像を町公式SNSで使用したいのですが、問題ありますか」

 社会教育課主査から十四分後に返信がある。

「映像は使用しないでください」

 藤田は、

「権利関係の問題でしょうか」

 と質問。

 主査は、

「権利関係ではありません」

 と回答した。

「では個人情報ですか」

「それもありますが、静止画も使用しないでください」

「人物の顔をぼかしても難しいですか」

「加工の有無にかかわらず不可でお願いします」

 藤田はそこで一度やり取りを終了している。

 午後一時四十五分、藤田は企画案を変更した。

 映像そのものを掲載せず、平成十一年当時の新聞記事を参考に文章だけで紹介する案だった。

 投稿文の下書きも保存されている。

「平成十一年六月、現在は解体された旧阿津良ドライブインで、高校生六人が音楽もないまま踊っていたとして警察から注意を受けました。道路側では女子高校生たちがその様子を見ていたといいます。いまでは少し不思議な平成の一場面です」

 この段階では女子の人数は書かれていない。

 午後二時七分、藤田は社会教育課へ下書きを送り、

「映像を使わず文章だけなら掲載可能でしょうか」

 と確認した。

 回答は午後二時四十一分。

「掲載自体はおすすめしません」

 行政内部のメールとしては、やや曖昧な表現である。

 藤田は、

「禁止ということでしょうか」

 と返信した。

 主査は、

「禁止する根拠はありません」

 と回答。

 続けて、

「ただし人数について本文に記載しないでください」

 と付け加えている。

 藤田は、

「男子六人という部分もですか」

 と質問した。

 返信は、

「男子六名は構いません」

 だった。

 藤田はさらに、

「女子の人数だけ書かないという意味でしょうか」

 と確認。

 回答は、

「はい」

 のみ。

 このやり取りについて、産業振興課内では特に問題視されていない。

 藤田は上司である観光係長へ相談した。

 係長は過去の経緯を知らず、

「何か事件でもあったんちゃうか」

 と口頭で答えたとされる。

 藤田は町の文書管理システムで「旧阿津良ドライブイン」を検索した。

 該当文書は四十七件。

 道路工事。

 解体工事。

 固定資産。

 青少年健全育成。

 図書館資料。

 町史編纂。

 このうち閲覧権限のある資料を順次確認している。

 同日午後四時十三分、藤田は観光係長へメールを送った。

 件名、

「ドライブインの件、ちょっと変です」

 本文には、

「資料によって女子が三人、四人、五人、六人になっています。どれが正しいのか分からないので、人数を書かない理由は分かりました」

 とある。

 係長は、

「なら使わん方が無難」

 と返信した。

 藤田は、

「でも平成レトロ企画としてはかなり面白いと思います」

 と返している。

 係長から返信はなかった。

 翌五月十四日午前九時六分、藤田は町史編纂資料データベースへアクセスした。

 検索履歴には、

「旧ドライブイン」

「平成十一年六月十九日」

「女子」

「七人」

 の四語が残っている。

 最後の「七人」を検索した理由は不明である。

 その時点で藤田が閲覧した文書には、七人という数字を含む資料も存在していた。

 第七章の図書館利用票。

 第十一章の画像認識記録。

 どちらを先に確認したかはアクセスログから判別できない。

 午前九時三十八分、藤田は社会教育課主査へ再びメールを送っている。

「これって、資料を見る人によって人数が違って見えるという話ですか」

 返信はない。

 午前九時五十二分。

「図書館の利用票に七人と書いている人が何人もいますが、これは何か調査したんでしょうか」

 返信なし。

 午前十時十六分。

「平成十一年当時の学校資料まで人数が違うのは、映像の画質の問題では説明できないと思います」

 返信なし。

 午前十一時三分、藤田の所属する産業振興課長から本人へ口頭で、

「この件の調査は観光業務ではないため終了するように」

 との指示があった。

 指示を受けた経緯について、産業振興課長は後に、

「社会教育課から電話があった」

 と説明している。

 誰から電話があったのかは記憶していない。

 藤田は調査を中止した。

 同日午後、企画一覧から旧阿津良ドライブインを削除している。

 しかし五月十五日午前八時四十一分、藤田から観光係長へ一件のメールが送信されている。

 件名は空白。

 本文には、

「昨日の資料、映像そのものは見ていません」

 とだけ書かれている。

 係長は、

「了解」

 と返信した。

 このメールが送られた理由について、令和八年七月の内部確認で藤田本人への聞き取りが行われている。

 藤田は、

「自分から書いたんですよね」

 と確認した。

 担当者が送信記録を示すと、

「書いたことは覚えていません」

 と回答した。

 映像を見たかとの質問には、

「見ていません」

 と答えている。

 静止画像を見たか尋ねると、

「たぶん見ていないと思います」

 と回答。

 町史データベースのアクセスログでは、五月十四日午前九時二十二分、第五章で確認された防犯映像の資料ページを開いている。

 ただし映像ファイル自体の再生履歴はない。

 静止画像のダウンロード履歴もない。

 そのため藤田が実際に映像を見た事実は確認されていない。

 観光企画は旧ドライブインを除外して継続された。

 第一回は平成六年の阿津良駅前商店街。

 第二回は平成十年の町民プール。

 第三回は平成十二年の夏祭り。

 いずれも町公式SNSへ掲載され、特段の問題は発生していない。

 旧ドライブインの投稿案は、共有フォルダ内の「不採用案」へ移された。

 五月二十八日、産業振興課ではSNS投稿素材の整理が行われている。

 担当者が不採用案フォルダを確認したところ、旧ドライブイン関係のファイルが三点存在していた。

 一点目、

「旧ドライブイン投稿案.docx」

 二点目、

「新聞記事参考.pdf」

 三点目、

「odoruyankee_7girls.mp4」

 藤田は三点目について、

「作っていない」

 と申告した。

 ファイル容量は二百四十六MB。

 作成日時は五月十四日午前九時四十七分。

 更新日時も同じ。

 作成者情報は空白。

 ファイル名は半角英数字。

 町職員が内部資料へローマ字のファイル名を付けること自体は珍しくない。

 ただし本件について、庁内では「旧ドライブイン」「平成十一年映像」と呼ばれており、「odoruyankee」という名称を使用した記録はそれ以前に確認されていない。

 また「7girls」という表記も、行政資料上では使用されていない。

 ファイルは動画形式として認識された。

 しかし再生しようとすると、

「対応していない形式、またはファイルが破損しています」

 と表示された。

 情報政策担当が調査したところ、動画ファイルとして必要なヘッダー情報が存在しなかった。

 ファイル内部の大部分はゼロデータ。

 一部に文字列が含まれていたが、映像として復元できる内容ではなかった。

 ウイルス、外部からの侵入、マルウェア感染は確認されていない。

 誰がファイルを作成したかも特定できなかった。

 情報政策担当は、

「一時ファイル等が誤った拡張子で保存された可能性」

 と結論付けている。

 ファイルは業務上不要として六月二日に削除された。

 削除の際、産業振興課長が、

「念のため画面を保存しておくように」

 と指示した。

 ファイル一覧を表示したスクリーンショットが一枚残されている。

 三点のファイル名が確認できる。

「旧ドライブイン投稿案.docx」

「新聞記事参考.pdf」

「odoruyankee_7girls.mp4」

 スクリーンショットには、Windowsのファイル一覧以外の情報は写っていない。

 この画像は内部確認資料へ添付され、現在も保存されている。

 七月十一日、情報政策担当が資料整理のためスクリーンショットの画像情報を確認した。

 画像解析機能による自動説明が付加されていた。

「フォルダ内に三つのファイル。文書二件、動画一件」

 異常なし。

 人物は写っていない。

 七月十二日、同じ画像について自動説明が更新されている。

「フォルダ内に四つのファイル。文書二件、動画二件」

 実際に表示されているファイルは三件である。

 情報政策担当は再解析を実施した。

 結果は、

「ファイル三件」

 に戻った。

 この処理について障害報告は作成されていない。

 令和八年八月、産業振興課は「写真で見る平成の阿津良」企画を終了した。

 全十二回。

 旧阿津良ドライブインは掲載されなかった。

 企画終了報告書には、

「権利関係、個人情報等により不採用とした資料四件」

 とある。

 旧ドライブインもその一件として処理されている。

 同年九月、年度途中の文書整理により不採用投稿案は削除された。

 旧ドライブインの投稿文案も現存しない。

 庁内メールは保存期間中のため残されている。

 最後に本件へ言及したメールは、九月三日午後四時二十六分、藤田から社会教育課主査へ送られたものだった。

 件名、

「確認だけです」

 本文には、

「来年度以降も旧ドライブインはSNS等で扱わないという理解でよいでしょうか」

 とある。

 社会教育課主査は十二分後に返信している。

「特に禁止事項ではありません。各担当課で適切に判断してください」

 藤田は、

「分かりました」

 と返信した。

 その後にもう一通、下書き状態のメールが保存されている。

 宛先は設定されていない。

 送信もされていない。

 作成日時は九月三日午後四時四十三分。

 本文は一行。

「じゃあ、どうして七人って書いたファイルが先にあったんですか」

 このメールは下書きのまま、令和八年九月現在も藤田の庁内メールボックスに残されている。

第十三章 阿津良町「令和九年度防犯カメラ設置事業計画」

 令和九年度、阿津良町建設課は町道阿津良中野線と県道一八二号線の交差点付近へ、防犯カメラ一基を新設する計画を策定した。

 設置予定地は阿津良町大字阿津良一四七二番地付近。

 旧阿津良ドライブイン跡地である。

 建物は平成二十七年に解体済み。

 現在、敷地の大部分は町道法面および空き地となっている。

 計画理由は、

「夜間における交通事故防止および不法投棄抑止」

 事業費は三十八万六千円。

 カメラ本体、支柱、通信機器、設置工事費を含む。

 町議会九月定例会へ提出された補正予算案でも、特別な説明は行われていない。

 近年、同交差点では接触事故が二件発生している。

 また空き地への家庭ごみ投棄が年三件程度確認されていた。

 防犯カメラ設置場所として不自然な条件はない。

 令和八年十月十四日、建設課、総務課、生活環境課による現地確認が実施された。

 参加職員は五名。

 設置位置、撮影範囲、電源確保方法等を確認している。

 現地確認報告書には、

「支柱位置について異議なし」

「民家内部を撮影しないこと」

「県道通行車両のナンバーが過度に鮮明にならない設定とすること」

 等が記載されている。

 報告書末尾には、総務課情報政策担当から一件の追加条件が付されている。

「人物自動計数機能は使用しないこと」

 理由欄は空白。

 今回導入予定のカメラには、人物検知、車両検知、侵入検知等の画像解析機能が標準搭載されている。

 人物自動計数機能もその一つである。

 撮影範囲内に存在する人間を自動判別し、時間帯別の通行人数を集計できる。

 町内では既に三か所で同型機種を使用している。

 阿津良駅前。

 町民体育館駐車場。

 阿津良中央公園。

 いずれも人物自動計数機能を使用している。

 旧ドライブイン跡地だけ、機能を停止する理由は説明されていない。

 建設課担当者は十月十六日、情報政策担当へ庁内メールで問い合わせた。

「計数機能を使用しない理由について、仕様書に記載する必要がありますか」

 返信は、

「不要です」

 だった。

 担当者は、

「他地点では使用していますが、本地点のみ停止する理由を求められた場合は」

 と再度質問。

 情報政策担当は、

「運用上必要ないため、としてください」

 と回答した。

 翌日、建設課が作成した仕様書案には、

「人物自動計数機能は無効化した状態で納品すること」

 との一文が追加された。

 カメラ設置業者からも質問が出ている。

「初期設定では有効となっている機能のため、管理者画面から停止処理を行う形でよいか」

 町は、

「可」

 と回答した。

 令和九年四月八日、カメラ設置工事が完了した。

 施工業者二名。

 町職員二名。

 電気工事業者一名。

 合計五名が現場に立ち会った。

 設置後、画角確認のため約三十分間の試験撮影が行われた。

 映像は正常。

 道路、空き地、交差点の一部が確認できる。

 旧ドライブイン跡地の大部分も画面内に入る。

 情報政策担当者が管理画面を確認し、人物自動計数機能を無効にした。

 設定記録には、

「People Counting:OFF」

 と残されている。

 四月十日から正式運用開始。

 映像保存期間は七日間。

 異常検知がない場合、古い映像から自動的に上書きされる。

 常時監視は行わない。

 警察、町職員等から照会があった場合のみ映像を確認する運用となっている。

 四月中の照会は二件。

 不法投棄一件。

 物損事故一件。

 いずれも必要箇所の映像が保存されていた。

 画像に異常はない。

 五月、六月にも特段の問題は報告されていない。

 六月十九日午後十一時四十三分、カメラの通信状態を監視するサーバーから一件の警告が出ている。

 内容は、

「解析モジュール設定変更」

 だった。

 変更者欄は、

「SYSTEM」

 時刻、午後十一時四十三分十二秒。

 情報政策担当が翌朝確認したところ、人物自動計数機能が有効になっていた。

「People Counting:ON」

 管理者による操作履歴はない。

 前日までの設定記録では無効。

 機器メーカーへ問い合わせたところ、停電、再起動、ファームウェア更新等によって設定が初期値へ戻る可能性があるとの回答だった。

 当夜、停電は発生していない。

 機器再起動の記録もない。

 自動更新も実施されていない。

 町は機器側の一時的な不具合と判断した。

 六月二十日午前九時十二分、人物自動計数機能を再度無効化。

 以後、設定変更は確認されていない。

 同日、設定確認の一環として、前夜の計数ログが自動保存されていたことが判明した。

 通常、人物自動計数機能を有効にすると、五分ごとの検知人数が管理サーバーへ記録される。

 六月十九日午後十一時四十三分から、六月二十日午前零時二十一分までのログが残されていた。

 情報政策担当はログを業務上不要として削除する予定だった。

 ただし設定異常の確認資料として、建設課へCSV形式の一覧が一度送付されている。

 送付先職員が印刷した紙資料が、令和九年度防犯カメラ設置事業ファイルに残されている。

 記録は次のとおり。

 六月十九日 23:43 0

 六月十九日 23:44 0

 六月十九日 23:45 0

 六月十九日 23:46 0

 六月十九日 23:47 7

 六月十九日 23:48 7

 六月十九日 23:49 7

 六月十九日 23:50 7

 六月十九日 23:51 7

 六月十九日 23:52 7

 六月十九日 23:53 7

 六月十九日 23:54 7

 六月十九日 23:55 7

 六月十九日 23:56 7

 六月十九日 23:57 7

 六月十九日 23:58 7

 六月十九日 23:59 7

 六月二十日 00:00 7

 六月二十日 00:01 7

 六月二十日 00:02 7

 六月二十日 00:03 7

 六月二十日 00:04 7

 六月二十日 00:05 7

 六月二十日 00:06 7

 六月二十日 00:07 7

 六月二十日 00:08 7

 六月二十日 00:09 7

 六月二十日 00:10 7

 六月二十日 00:11 7

 六月二十日 00:12 6

 六月二十日 00:13 6

 六月二十日 00:14 6

 六月二十日 00:15 6

 六月二十日 00:16 6

 六月二十日 00:17 6

 六月二十日 00:18 6

 六月二十日 00:19 0

 六月二十日 00:20 0

 六月二十日 00:21 0

 この時間帯、警察、消防への通報はなかった。

 県道を通過した車両は複数ある。

 歩行者の目撃情報はない。

 防犯カメラ映像も確認された。

 六月十九日午後十一時四十六分。

 空き地に人影なし。

 午後十一時四十七分。

 人影なし。

 午後十一時五十分。

 人影なし。

 午前零時。

 人影なし。

 午前零時十二分。

 人影なし。

 午前零時十八分。

 人影なし。

 人物として確認できる対象は、一度も映っていない。

 情報政策担当は画像解析の誤認識と判断した。

 六月二十日午後、カメラメーカーへ計数ログと映像の一部を送付している。

 メーカーの技術回答では、

「映像上に人物として認識可能な対象は確認できない」

「路面反射、植物、圧縮ノイズ等を誤認した可能性がある」

 とされた。

 町はそれ以上の調査を行わなかった。

 計数ログは七月一日、管理サーバーから削除されている。

 カメラ映像も通常の保存期間を過ぎ、上書きされた。

 印刷された一覧だけが事業ファイルへ残った。

 六月二十六日、建設課担当者は計数ログについて情報政策担当へ一度だけ質問している。

「午前零時十二分から人数が一人減っていますが、機械的にそういう誤認はありますか」

 情報政策担当からの返信は、

「あります」

 だった。

 担当者は、

「十九分に全員いなくなったことも同様ですか」

 と質問。

 返信は、

「誤認なので意味を求める必要はありません」

 となっている。

 やり取りはそこで終了している。

 令和九年七月、阿津良警察署から町へ一件の照会があった。

 六月十九日深夜の映像を保存していないかという内容だった。

 照会理由は、

「過去事案に関する確認」

 とされている。

 町は保存期間満了のため映像なしと回答した。

 計数ログの存在については回答していない。

 警察から追加照会はなかった。

 同年八月、建設課では防犯カメラ設置事業の完了報告書を作成した。

 事業効果、

「夜間交通安全および不法投棄抑止に有効」

 機器不具合、

「六月十九日に解析機能設定の一時的変更あり。復旧済み」

 その他、

「特記事項なし」

 と記載されている。

 町議会への報告も同内容だった。

 防犯カメラは現在も稼働している。

 人物自動計数機能は無効。

 六月二十日以降、設定が勝手に変更された記録はない。

 旧阿津良ドライブインに関する一連の行政資料についても、追加調査は予定されていない。

 阿津良町では、本件を事故、事件、災害のいずれにも分類していない。

 平成十一年六月十九日の深夜徘徊事案は処理済み。

 旧ドライブインは解体済み。

 関連する青少年指導も終了済み。

 住民基本台帳上の不整合は修正済み。

 映像資料は閲覧制限下で保存済み。

 防犯カメラの設定異常も復旧済みである。

 令和九年度防犯カメラ設置事業について、未処理事項はない。

 なお、六月十九日午後十一時四十七分から午前零時十八分までの計数ログを印刷した用紙には、建設課担当者による確認印が押されている。

 その裏面には、鉛筆で一行だけ書かれている。

「踊っていた方は、映っていない」

(おわり)

続きはこちらから
徳島の怪異集の表紙
徳島の怪異集
徳島の怪異
うしPのページに戻る