文学・思想の一丁目一番地
絶対に儲かる話が存在しないのはなぜ? お金について考えよう6
第一章 もし絶対に儲かる話があったら
もし、絶対に儲かる方法があったらどうなるだろう。
たとえば、百万円を入れると、一年後には必ず百十万円になって戻ってくる箱があるとする。故障することはない。誰かに盗まれることもない。法律で禁止されることもない。百万円を入れれば、どんなことがあっても百十万円になる。しかも一回限りではなく、何度でも使える。
そんな箱があったら、百万円を持っている人は使うだろう。百万円を持っていない人でも、使おうと考えるかもしれない。銀行から年五%の金利で百万円を借りて、箱に入れればいいからだ。一年後には百十万円になるので、銀行へ百五万円を返しても五万円が残る。
それなら、百万円ではなく一千万円借りればいい。一億円でもいい。借りたお金に年五%の利息を払っても、必ず年十%で増えるなら、借りられるだけ借りた方が得である。
この時点で、少し妙なことが起き始める。
絶対に儲かる箱があるなら、それを知った人はできるだけ多くのお金を箱へ入れようとする。自分のお金だけでは足りないので、他人のお金まで借りようとする。すると世の中では、お金を借りたい人が急増する。銀行も「それほど借りたいなら、金利を上げても借りるだろう」と考えるかもしれない。
金利が六%になる。七%になる。それでも箱は十%増やしてくれるので、まだ儲かる。八%、九%と金利が上がっても、まだわずかに利益が残る。
ところが、借入金利が十%になればどうだろう。百万円を借りて箱へ入れると、百十万円になる。しかし銀行へ返す金額も百十万円である。利益はゼロだ。
絶対に儲かる箱そのものは、何も変わっていない。それなのに、人々が箱を利用しようとした結果、箱から得られる儲けは消えてしまった。
ここには、お金について考えるうえで非常に重要な仕組みが隠れている。
儲かる方法が見つかると、人はその方法を利用する。大きく儲かるなら、もっと多くの人が利用する。資金も集まってくる。そして人やお金が集まるほど、その儲けを生み出していた条件そのものが変化していく。
もっと身近な例で考えてみよう。
ある町では、一個百円でリンゴが売られているとする。そして隣町では、まったく同じリンゴが一個二百円で売られている。二つの町を移動する費用はほとんどかからない。
このことを知った人は、百円の町でリンゴを買い、二百円の町で売ればいい。一個売るたびに百円儲かる。百個なら一万円である。
しかも、リンゴそのものに特別な加工をする必要はない。安い場所で買い、高い場所で売るだけだ。
こんなに簡単なら、やがて別の人も気づくだろう。百円の町へリンゴを買いに行く人が増える。するとリンゴの需要が増え、百円だった値段が百二十円、百五十円と上がっていくかもしれない。
一方で、二百円の町にはリンゴを売りに来る人が増える。リンゴが余り始めれば、二百円では売れなくなる。百八十円、百六十円と値段が下がっていく。
やがて、一方では百五十円で買い、もう一方では百五十一円で売るような状態になるかもしれない。一円の利益は残っている。しかし運搬費や手間を考えれば、もう誰もやりたがらない。
最初は百円もあった利益が、人々が儲けようとしたことで、一円まで縮んでしまったのである。
ここに少し奇妙な逆説がある。
儲かるから、人が集まる。そして人が集まるから、儲からなくなる。
つまり、本当に簡単で、本当に安全で、誰でも利用できる儲け話ほど、長くはその状態を保てない。
道端に一万円札が落ちている場面を考えてもいい。誰も通らない山奥なら、一万円札が何日も残っている可能性はある。しかし駅前の人通りが多い場所なら、いつまでも落ちているとは考えにくい。価値が分かり、拾うことができる人が大勢いるからだ。
市場で起きていることも、これに少し似ている。
もちろん現実には、本当に道端へ一万円札が落ちていることもある。そして金融市場にも、ごく短時間なら「ほとんど拾うだけ」に近い利益が生じることがある。
たとえば、まったく同じ価値を持つものが、ある市場では一万円、別の市場では一万百円で取引されていたとする。安い市場で買い、高い市場で同時に売れれば、その価格差を利益にできる。このような取引は、裁定取引と呼ばれる。
裁定取引は「絶対に儲かる話など、この世には存在しない」と単純に言い切れない理由でもある。
条件がきれいに揃えば、理論上はかなり安全に利益を得られる状況が存在する。しかし、その価格差に気づく人が一人だけとは限らない。金融機関、投資家、コンピューターも同じ価格差を探している。
一万円で売られているものを大勢が買えば、その価格は上がる。一万百円で売れるものを大勢が売れば、こちらの価格は下がる。百円あった差は五十円になり、十円になり、一円になっていく。
利益があるから取引され、取引されるから利益が消えるのである。
ここまで考えると「絶対に儲かる話がない」という言葉の意味も少し変わって見えてくる。
絶対に近い儲け話が、一瞬たりとも存在しないわけではない。むしろ問題なのは、それが誰にでも見え、誰でも実行でき、いくらでも繰り返せる状態では残りにくいことである。
仮に一円の利益が絶対に得られる取引が見つかったとしても、一回しかできないなら大したことはない。一億回繰り返せるなら、一億円になる。そこで今度は、その取引を一億回実行できる設備や資金を持つ人が有利になる。
コンピューターを使って一秒間に大量の取引をする技術が必要かもしれない。莫大な資金が必要かもしれない。価格差を発見する知識が必要かもしれない。あるいは、ほんの数秒で消える機会を捉える速度が必要かもしれない。
すると「誰でもできる絶対に儲かる話」は、だんだん姿を変えていく。
儲けそのものが完全に消える場合もある。利益は残っていても、それを手に入れるために特別な技能が必要になる場合もある。大量の資金を持つ者だけが、小さな利益を積み上げられる場合もある。
ここで重要なのは「儲けるためには危険を冒さなければならない」と、すぐに結論づけないことだ。
危険をほとんど取らずに得られる利益もある。ただし、そういう利益は大勢が欲しがる。その結果として、利益が小さくなりやすい。
反対に、高い利益が残っている場所を見ると、何か理由があることが多い。失敗する可能性がある。大きなお金を長期間動かせなくなる。専門知識が必要である。面倒な作業を続けなければならない。他人には分からない判断をしなければならない。
何かが難しいから、人が集まりきらない。人が集まりきらないから、利益が残る。
そう考えると、儲けとは不思議な存在である。
誰も知らない儲け方なら、大きな利益が残るかもしれない。しかし広く知られれば、人々が押し寄せて利益を削っていく。誰でも簡単にできるようになればなるほど、競争は激しくなる。
だから「絶対に儲かる方法を教えます」という言葉を聞いたとき、本当に考えるべきなのは、それが嘘かどうかだけではない。
もし本当に儲かるのなら、なぜその利益はまだ残っているのだろう。
なぜ他の人は同じことをしていないのだろう。
誰でもできるのなら、なぜ競争によって利益が消えていないのだろう。
この問いを持つだけで、儲け話を見る目はかなり変わる。
絶対に儲かる話が存在しないのではない。
絶対に近いほど安全で、簡単で、誰にでも開かれた儲け話は、見つけられた瞬間から自分自身を消し始めるのである。
儲かるからこそ、儲からなくなる。
では、その利益を消していく力は、具体的にはどのように働くのだろうか。次に考えなければならないのは、同じものなのに値段が違うという、奇妙でありながら当たり前に起きている現象である。
うしPのページに戻る