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記帳ってなに? お金について考えよう9
第一章 記帳ってなに?
記帳とは、お金や取引の動きを記録することである。たとえば八月十五日に本を一冊千円で売ったなら、「八月十五日、売上、千円」と記録する。コンビニで三百円のノートを買ったなら、「八月十五日、文房具、三百円」と記録する。やっていることだけを見れば、驚くほど単純だ。数字を書いているだけにも見える。しかし、この単純な行為が、商売や家計を考えるための出発点になる。
なぜ記録しなければならないのだろう。千円で本を売ったことくらい、わざわざ書かなくても覚えていられそうである。今日一日の取引が二つしかないなら、それでも困らないかもしれない。ところが一週間、一か月、一年と時間が過ぎると、人間の記憶は急速に怪しくなる。三日前の昼食に何を食べたかさえ思い出せないことがあるのに、三か月前に何円使ったかを正確に覚えているのは難しい。
「先月は、それほどお金を使っていないはずだ」
そう思って銀行口座を見ると、予想よりずっと残高が少ない。すると不思議な気分になる。大きな買い物をした覚えはないし、豪華な旅行にも行っていない。それなのに、お金だけがなくなっている。もちろん、お金が夜中に足を生やして逃げたわけではない。千円、二千円、三百円という支出が何度も積み重なり、それを人間が忘れているのである。
ここに記帳の最初の役割がある。記帳すると、記憶に頼らなくてよくなる。今日何円使ったかを覚えておく必要はない。書いておけばいいからだ。これは、かなり重要な変化である。記帳とは、お金についての記憶を頭の外へ出す行為だと考えることもできる。人間の脳ではなく、紙やパソコンやスマートフォンに覚えてもらうのである。
たとえば小さなラーメン屋を始めたとする。一杯八百円のラーメンが、その日に五十杯売れた。売上は四万円である。店主は閉店後、レジの現金を見てうれしくなるかもしれない。しかし、その四万円がそのまま儲けではない。麺を買い、肉を買い、野菜を買い、電気やガスを使っている。家賃も払わなければならない。四万円入ってきたという事実だけでは、その日の商売がどれくらいうまくいったのか分からない。
そこで記帳が必要になる。「ラーメン売上、四万円」「豚肉仕入れ、八千円」「麺仕入れ、五千円」というように、お金の動きを残していく。すると、ただの現金の増減だったものに意味が生まれる。四万円が入ったことだけでなく、その四万円を得るために何を使ったのかが見えてくる。記帳しなければ、お金は入ったり出たりするだけだ。記帳すると、その動きに名前がつく。
家計簿も、広い意味では記帳の一種である。食費、電気代、家賃、娯楽費などを書いていけば、自分のお金がどこへ行っているのか分かる。ただし商売の記帳では、自分が分かればよいというだけでは済まない場合がある。税金を計算したり、事業の状態を確認したりするために、一定のルールに従って記録する必要が出てくる。そのルールをさらに発展させたものが、簿記につながっていく。
ここで、「記帳」と「簿記」は同じなのかという疑問が出てくる。よく似ているが、少し違う。記帳は文字どおり、取引を帳簿に記録する行為を指すことが多い。一方の簿記は、取引を一定の方法で分類し、記録し、最後には事業全体の状態が分かるようにする仕組みである。記帳が「書くこと」なら、簿記は「どう書き、どう整理し、どう読み取れる形にするか」という仕組みまで含んでいる。
学校の出席簿を想像すると分かりやすい。教師が毎日、生徒が出席したか欠席したかを記録していく。一日分だけなら、「今日は田中さんが休みだった」と覚えていられるだろう。しかし一年分となれば、記録がなければ分からない。出席簿があれば、「田中さんは今年十日休んだ」と後から確かめられる。記帳もこれと似ている。違うのは、記録する対象が出席ではなく、お金や取引だということである。
そして記帳には、もう一つ面白い特徴がある。記録すると、自分の感覚と現実が違っていたことに気づけるのだ。「外食にはあまりお金を使っていない」と思っていた人が、一か月記録してみる。すると外食だけで三万円使っていることが分かった。「広告費はたいしたことがない」と考えていた事業者が、一年分を集計すると売上の三割を広告に使っていた。記帳は、お金を増やす魔法ではないが、思い込みを壊す力を持っている。
これは体重計にも少し似ている。「最近ちょっと太った気がする」という感覚だけなら、二キロなのか五キロなのか分からない。体重計に乗れば、数字が出る。数字が出たからといって、すぐ痩せるわけではない。しかし現状は分かる。記帳も同じで、お金の問題を直接解決するものではない。まず現在地を数字に変える道具なのである。
だから記帳したからといって、必ず節約しなければならないわけでもない。毎月一万円をゲームに使っていると分かったとしても、それを本人が楽しみのために必要だと考えるなら、やめる必要はない。大切なのは、一万円使っているという事実を知ったうえで選択することである。「たいして使っていないと思っていたら、実は一万円だった」という状態と、「一万円使っていると知っていて、それでも使う」という状態はまったく違う。
商売では、この違いがさらに大きくなる。感覚だけで経営していると、「なんとなく売れている」「最近ちょっと厳しい」という言葉しか出てこない。しかし記帳していれば、「先月は売上が二十万円で、広告費が三万円だった」「今月は売上が二十五万円だが、広告費が八万円になった」という比較ができる。売上だけを見ると今月のほうが好調だが、利益まで考えると話が変わるかもしれない。
つまり記帳とは、過去を残すだけの作業ではない。過去の記録を使って、現在を判断するための準備でもある。さらに記録が蓄積すると、未来について考える材料にもなる。毎月の家賃や通信費が分かれば、最低限必要な生活費を見積もれる。毎月の売上や仕入れ額が分かれば、「このまま続けたら半年後はどうなるだろう」と考えられる。未来は記帳できないが、記帳した過去から未来を考えることはできる。
ただし、記帳すれば自動的に正しい情報が手に入るわけではない。千円使ったのに百円と書けば、帳簿は間違った世界を作ってしまう。そもそも書き忘れれば、その取引は帳簿の中では存在しないことになる。だから記帳では、「何を、いつ、いくらで記録するのか」が大切になる。レシートや領収書を残しておくのも、後から記録を確かめるためである。
ここには少し不思議なところがある。現実のお金と、帳簿の中のお金は同じものではない。財布から千円が出ていったという出来事が現実にあり、その出来事を「八月十五日、食費、千円」と書いたものが記録である。記録は現実そのものではなく、現実を数字と言葉に置き換えたものだ。それでも人間は、その記録を見ることで、現実のお金の動きを理解できるようになる。
考えてみれば、人間はお金以外でも同じことをしている。カレンダーには予定を書き、日記には出来事を書き、病院では体温や血圧を記録する。記録する理由は、全部を覚えていられないからだけではない。記録を並べることで、単独の出来事からは見えなかった変化が見えてくるからだ。昨日の体温だけでは分からなくても、一週間分を並べれば「少しずつ下がっている」と分かる。
お金も同じである。一回の買い物、一回の売上だけでは、大きな意味を持たないことがある。しかし一か月、一年と記録が積み重なると、「何に使っているのか」「何から収入を得ているのか」「以前より良くなっているのか」が見えるようになる。一つ一つの数字は小さいが、並べることで物語になる。帳簿とは、数字で書かれたお金の履歴でもある。
記帳という言葉には、どうしても地味な響きがある。机に座り、レシートを見ながら数字を入力する姿は、冒険とはほど遠い。しかし、その地味な作業によって、「なんとなく」しか分からなかったお金の世界が、少しずつ見えるようになる。何円入ってきたのか、何円出ていったのか、何に使ったのか。それらを記録することで、お金は初めて考えられる材料になる。
記帳とは、単に帳簿へ数字を書くことではない。忘れてしまう人間が、お金の出来事を残し、あとから確かめられるようにする仕組みである。そして記録が積み重なれば、自分の感覚が正しかったのかも確かめられる。お金について考えようとするとき、最初に必要なのは難しい計算ではない。まず「何が起きたのか」を残すことなのである。
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