文学・思想の一丁目一番地

ジョン・コンウェイ 数学者1

第一章 ジョン・コンウェイってどんな人?

 数学者というと、机に向かって難しい数式を書き続けている人を想像するかもしれない。ところが、イギリスに生まれたジョン・コンウェイという数学者は、少し様子が違っていた。彼はゲームが大好きで、パズルを解くことに夢中になり、周囲の人々を捕まえては数学の話をしていた。しかも、その遊びの中から数学史に残るような発見を次々と生み出していたのである。

 コンウェイの研究室は、普通の大学教授の部屋とはかなり違っていた。机には本や紙が積み重なり、数学の模型や玩具があふれ、訪問者が座る場所にも困るほどだったという。ポケットにはトランプやサイコロ、ひもや硬貨などを入れて持ち歩き、それらを使って数学の面白さを説明していた。数学の教授というより、手品師か大道芸人のような人物だった。

 しかし、この変わった数学者は、決して趣味で数学をしていたわけではない。ケンブリッジ大学とプリンストン大学で研究を続け、数論や群論、幾何学、ゲーム理論などで重要な成果を残した。1981年には英国王立協会のフェローにも選ばれている。数学者として高く評価されていた一方で、本人は遊びと数学をほとんど区別していなかったのである。

 ジョン・ホートン・コンウェイは、1937年12月26日にイギリスのリバプールで生まれた。父親のシリルは化学実験室の助手として働き、母親のアグネスは読書好きだった。コンウェイが幼い頃のイギリスは、第二次世界大戦とその後の物資不足に苦しんでいた。そんな時代に育った少年は、早くから数字に強い関心を示していた。

 母親の回想によれば、コンウェイは4歳の頃には2の累乗を暗唱していたという。2の累乗とは、2を何度も掛け合わせてできる数のことだ。1、2、4、8、16、32、64、128という具合に、前の数を2倍すると次の数が現れる。数字そのものは難しくないが、規則を理解すると際限なく先へ進める。この単純な規則から無限に数が生まれるという性質は、のちのコンウェイの研究を思わせる。

 少年コンウェイには、もう一つ面白い特技があった。日付を聞くと、それが何曜日なのかを計算できたのである。たとえば、2030年1月1日が何曜日なのかを知りたいとする。普通ならカレンダーを見るところだが、彼は日付と曜日の間にある数学的な規則を利用して答えを求めた。のちにはこの計算方法を改良し、終末算法という名前で知られるようになった。

 11歳の頃には、将来ケンブリッジ大学で数学を学びたいと考えていた。実際に彼はケンブリッジ大学へ進学し、1959年に学士号を取得した。その後は著名な数学者ハロルド・ダヴェンポートの指導を受け、数論の研究を始める。1964年には博士号を取得し、大学で数学を教える立場になった。少年時代の夢を、ほとんどそのまま実現したことになる。

 ただし、コンウェイは最初から人前で冗談を飛ばすような性格だったわけではない。若い頃の彼は非常に内向的で、人との交流が得意ではなかったという。大学時代には自分を変えようと努力し、積極的に人と関わるようになった。やがて、数学について延々と語り続ける社交的な人物になっていく。生まれつき陽気な天才だったのではなく、現在知られている人物像には本人の努力も関係していたのである。

 ケンブリッジ時代のコンウェイは、バックギャモンというゲームに熱中していた。これはサイコロを振りながら駒を進める二人用のゲームで、偶然と戦略の両方が勝敗を左右する。普通の人なら遊び終わればそれで終わりだが、コンウェイはゲームの中に数学的な問題を発見した。どうすれば勝てるのか、どの局面が有利なのか、ゲームそのものを数学で表現できないかと考えたのである。

 もっとも、好きなことばかりしていれば、誰でも立派な数学者になれるわけではない。若いコンウェイ自身も、自分は本当の数学をしていないのではないかと悩んでいた。論文を十分に発表できていないことに罪悪感を覚え、研究者としての自信を失った時期もあった。周囲には次々と成果を出す数学者がいて、自分はゲームばかりしている。その時間が何かの役に立つ保証は、どこにもなかった。

 そんな彼に転機が訪れたのは、1960年代後半のことだった。数学者ジョン・リーチが発見した、24次元空間の特別な格子を調べる機会を得たのである。24次元と言われても、普通は何のことか分からないだろう。私たちが暮らす空間は縦、横、高さの三次元だが、数学ではそれ以上の次元も考えられる。コンウェイはその奇妙な空間の対称性を研究し、それまで知られていなかった有限単純群を発見した。

 有限単純群とは、数学における対称性の基本的な構造の一種である。たとえば正方形は、90度回転させても同じ形に見える。裏返したり回転させたりしても変わらない性質を数学的に調べると、そこには群という仕組みが現れる。コンウェイが研究したのは、それをはるかに複雑にした世界だった。この発見によって、彼は数学者としての自信と評価を大きく高めた。

 ところが、世界中でコンウェイの名前を有名にしたのは、この難解な数学的発見ではなかった。それが1970年に紹介されたライフゲームである。ライフゲームは、マス目の一つ一つを生きている状態と死んでいる状態に分け、周囲のマスの状態によって次の状態を決める仕組みだ。ルールは驚くほど簡単で、誰かが操作しなくても模様が変化していく。

 たとえば、三つの生きたマスを横一列に並べてみる。すると、次の瞬間には縦一列になり、その次にはまた横一列に戻る。これはブリンカーと呼ばれる模様で、ライフゲームの最も簡単な例の一つだ。わずか三つのマスでも、規則に従うことで運動しているように見える。さらに複雑な配置を作ると、まるで生命のような振る舞いまで現れる。

 このゲームは、科学雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』で数学コラムを担当していたマーティン・ガードナーによって紹介された。すると数学愛好家やコンピュータ愛好家たちが夢中になり、さまざまな模様を発見し始めた。やがてライフゲームは、単なる遊びの範囲を超えた研究対象になった。簡単な規則を組み合わせるだけで、計算機と同じような働きまで実現できるのである。

 しかし、コンウェイ本人の心境は複雑だった。彼はライフゲーム以外にも、数学的に重要な業績を残していたからである。特に誇りに思っていたのは、超現実数という新しい数の体系の発見だった。そこでは普通の整数や小数だけでなく、無限に大きな数や無限に小さな数まで扱うことができる。しかも、この発見もゲームの研究から生まれたものだった。

 こうしてコンウェイは、数学のさまざまな分野で成果を積み重ねていった。1980年代にはケンブリッジ大学の教授となり、その後アメリカのプリンストン大学へ移った。世界有数の大学で数学を教えるようになっても、遊び好きな性格は変わらなかった。学生たちとパズルを楽しみ、即興で数学の講義を始め、大学の廊下でも議論を続けていたという。

 同僚たちの回想によると、プリンストン大学のコンウェイは、数学の話をしたい人なら誰とでも話す人物だった。相手が著名な研究者でも、まだ数学を勉強している学生でも、面白い問題を持っていれば歓迎した。研究室に閉じこもるより、人々が集まる場所で議論することを好んだのである。彼の周囲では、講義室の外でも数学が行われていた。

 コンウェイが面白いのは、難しいことを簡単に説明するだけの人物ではなかった点にある。そもそも彼は、簡単に見えるものの中に難しい問題を見つけ出すことが得意だった。子どもでも理解できるゲームの規則が、計算理論につながる。囲碁の終盤に現れる小さな勝負が、無限大を含む数の体系につながる。彼にとって数学とは、身近なものを徹底的に考えることで開けていく世界だった。

 もちろん、コンウェイの人生が遊びだけで成立していたわけではない。研究が進まず悩んだ時期もあれば、世間からの評価に不満を抱いたこともあった。優れた数学者であることと、欠点のない人間であることは別の話である。それでも、彼が数学に向けた好奇心は衰えなかった。晩年まで新しい問題を考え、数学を人に伝え続けていた。

 2020年4月11日、コンウェイは新型コロナウイルス感染症による合併症で亡くなった。82歳だった。彼が残したのはライフゲームだけではなく、数の新しい体系や対称性の研究、数多くのゲームやパズルだった。その研究成果は数学者たちによって受け継がれ、ライフゲームはいまも世界中の人々によって遊ばれ、研究されている。

 コンウェイという人物を理解するうえで、最も重要なのは彼が何を発見したかだけではない。なぜそんな問題を考えたのか、どうして誰も気にしていなかった遊びに夢中になったのか、そして何を面白いと感じていたのかということである。普通の人が遊びとして片づけるものに、彼は数学の可能性を見つけていた。では、数学者がゲームで遊んでいるとき、その人は本当に仕事をしていないのだろうか。この疑問こそが、ジョン・コンウェイという数学者の人生を理解するための入口になる。

第二章 遊んでばかりいる数学者はクビにならないのか?

 大学の数学教授が、毎日ゲームばかりしていたらどうなるだろうか。学生とサイコロを振り、トランプで遊び、新しいゲームのルールを考える。研究論文はなかなか発表されず、本人も仕事らしい仕事をしていないと感じている。普通なら、そろそろ真面目に働いたほうがいいと言われそうだ。ところが、ジョン・コンウェイの場合は少し事情が違っていた。彼はゲームに夢中になることで、数学の新しい分野を切り開いてしまったのである。

 コンウェイは1964年、ケンブリッジ大学で博士号を取得した。その後も大学に残り、数学を教えながら研究を続けることになった。しかし、博士号を取ったからといって、順風満帆な研究生活が始まったわけではない。彼は自分が十分な数学的成果を出していないことに悩み、研究者としての将来に不安を抱いていた。

 そもそもコンウェイは、就職活動からして変わっていた。博士課程の終わりが近づいても、なかなか仕事を探そうとしなかったのである。ある日、大学の数学者イアン・カッセルズから仕事の応募について尋ねられた。コンウェイが何もしていないと答えると、カッセルズは募集している職があると教えた。しかし、コンウェイは応募の仕方さえ分からないという。

 そこでカッセルズは、道端の石垣に腰を下ろし、応募の手紙を書いてやった。宛先はカッセルズ自身である。つまり、採用する側の人物が応募者のために応募書類を書いていたのだ。何とも奇妙な光景だが、その年の応募は不採用だった。翌年に再び募集があり、コンウェイはようやく大学の職を得ることができた。

 こうして数学者として働き始めたコンウェイだったが、研究室に閉じこもって論文を書くような生活にはならなかった。彼が長い時間を過ごしたのは、数学科の談話室だった。そこには学生や研究者が集まり、お茶を飲みながら雑談したり、ゲームで遊んだりしていた。コンウェイはバックギャモンに熱中し、周囲の人々を相手に何度も勝負を繰り返していた。

 バックギャモンは、サイコロを使って駒を動かす二人用のゲームである。勝つためには相手の動きを予測し、偶然の結果に対応しながら、適切な戦略を選ばなければならない。数学者なら確率を計算して、合理的な手を選びそうなものである。しかし、コンウェイは必ずしも勝利を優先しなかった。むしろ、奇妙な戦略を試しては、どんな結果になるのかを面白がっていた。

 彼はわざと不利な状況に入り込み、そこから逆転を狙うことがあった。大きな危険を冒して勝負を続け、見事に逆転することもあれば、当然のように負けることもあった。長い時間を費やしたにもかかわらず、彼はバックギャモンの名手というわけではなかった。勝つこと以上に、何が起きるのかを知ることが好きだったのである。

 コンウェイは既存のゲームで遊ぶだけでは飽き足らず、新しいゲームも考案した。その一つがスプラウツという紙と鉛筆を使うゲームである。紙にいくつかの点を描き、二人のプレイヤーが交互に線で結んでいく。線は交差してはならず、それぞれの点から出せる線の数にも制限がある。さらに、新しく引いた線の途中には点を一つ追加する。これを繰り返し、最後に線を引けなくなった人が負ける。

 一見すると、子どもの落書き遊びである。しかし、少し考えると不思議な問題が現れる。最初に三つの点を描いた場合、何手で勝負が終わるのだろうか。最初の点を十個に増やしたら、結果はどう変わるのだろうか。どちらか一方が必ず勝てる戦略は存在するのだろうか。簡単なルールなのに、答えを求めようとすると数学的な考察が必要になる。

 コンウェイにとって、こうした疑問は魅力的だった。ゲームの勝敗には偶然が関係するものもあれば、最初の状態だけで勝敗が決まるものもある。どんなゲームにも共通する性質があるのか、勝つための戦略を数式で表現できるのか、そもそもゲームを数学の対象として扱えるのか。彼は遊びながら、そんな問題を考えていた。

 しかし、周囲の数学者が全員その生活を好意的に見ていたわけではない。数学の研究者には、難しい問題を解決し、論文を発表することが求められる。コンウェイ自身も、その基準を理解していた。毎日楽しそうにゲームをしていても、夜になると自分は何も成し遂げていないのではないかと考えた。遊んでいる時間は楽しいのに、その時間を振り返ると罪悪感が生まれてくるのである。

 彼が強く意識していた数学者の一人に、フランク・アダムズがいた。アダムズは代数的位相幾何学という分野で重要な研究を行い、極めて真剣に数学へ取り組んでいた人物である。コンウェイは、そんなアダムズが自分の遊び好きな生活を快く思っていないと感じていた。実際にどこまで批判されていたかはともかく、コンウェイの不安は本物だった。

 しかも、この頃のコンウェイには家族がいた。1961年に結婚し、娘たちも生まれていたのである。仕事を失うことになれば、自分一人の問題では済まない。数学の世界で成果を出さなければ、大学に残れなくなるかもしれない。彼は遊びに熱中する自分を止められず、その一方で研究者として失敗する未来を恐れていた。

 この時期をコンウェイは、後年ブラック・ブランクと呼んでいる。暗黒の空白とでも訳せる言葉である。周囲から見れば、学生たちに囲まれ、好きなゲームを楽しんでいる陽気な数学者だったかもしれない。しかし、本人の内側では、自分の数学的な才能が枯れてしまうのではないかという不安が膨らんでいた。遊びが楽しいことと、人生に満足していることは別なのである。

 転機は1960年代後半に訪れた。数学者ジョン・マッケイから、リーチ格子という奇妙な数学的構造について聞いたことがきっかけだった。リーチ格子は、24次元空間に点を規則正しく配置する仕組みである。私たちの三次元空間では想像しにくいが、数学的には24個の数を使って一つの点を表すことができる。この構造には、非常に豊かな対称性が隠れていると考えられていた。

 コンウェイは、この問題に強く引きつけられた。リーチ格子の対称性をすべて調べれば、数学の新しい発見につながるかもしれない。しかし、簡単に答えが出るような問題ではなかった。そこで彼は、ゲームに費やしていた時間を一部減らし、まとまった研究時間を確保しようと決意した。水曜日の夜と土曜日を研究に充て、問題に集中する計画を立てたのである。

 ところが、実際には驚くほど早く突破口が開けた。伝記作家シボーン・ロバーツが紹介した本人の回想によると、最初の土曜日に紙を広げて計算を始め、その日のうちに対称性の数を求めることができたという。その数は、831京5553兆6130億8672万である。日常生活ではまず使わないような巨大な数だが、これが数学的な構造を理解する重要な手がかりとなった。

 この研究から、コンウェイは三つの新しい有限単純群を発見した。有限単純群とは、対称性を研究する群論において、基本的な構成要素となる特別な群である。素数が整数の世界で重要な役割を果たすように、有限単純群は群の構造を理解するうえで重要な存在だ。コンウェイの発見は数学界で高く評価され、彼は一躍注目される研究者になった。

 ただし、ここで誤解してはいけないことがある。コンウェイがゲームで遊んでいた時間は、単純に無駄だったわけではないが、遊んでいたから自動的に大発見が生まれたわけでもない。彼には長年の数学的訓練があり、数論や論理学を研究した経験があった。リーチ格子の問題を解くためにも、専門的な知識と集中力が必要だった。遊びと研究の両方を経験していたことが、彼の独特な数学的感覚を育てたと考えられる。

 それでも、コンウェイにとって、この成功が持っていた意味は大きかった。ゲームばかりしている自分は本当の数学者ではないのかもしれない。そんな不安を抱いていた人物が、数学の最前線で重要な結果を発見したのである。彼は次第に、好きな問題を追いかける自分の研究方法に自信を持つようになった。

 そして1970年頃、さらに大きな出来事が起こる。コンウェイはゲームの研究を進めるうちに、超現実数という新しい数の体系を発見したのである。それは単なる遊びの副産物ではなく、数学そのものの可能性を広げる成果だった。彼は後年、ケンブリッジではゲームばかりしていることに罪悪感を抱いていたが、超現実数を発見してゲームをすることも数学なのだと理解した、と語っている。

 考えてみれば、数学の研究は必ずしも難しい数式から始まる必要はない。子どもの遊びに見えるゲームでも、規則を厳密に定めれば数学的な対象になる。そこから予想を立て、論理的に考え、証明できる性質を発見すれば、それは立派な数学の研究である。逆に、どれほど難しい数式を書いていても、新しいことを何も発見していない可能性だってある。

 コンウェイは、研究と遊びの境界を曖昧にした数学者だった。しかし、だからといって何でも遊んでいればいいと考えていたわけではない。彼が追いかけていたのは、遊びの中に現れる規則や構造である。何となく面白いから始めたことでも、徹底して考えれば深い問題に行き着くかもしれない。その可能性を誰よりも信じ、実際に結果を出した人物だった。

 では、遊んでばかりいる数学者はクビにならないのだろうか。答えは、大学で求められる研究や教育の責任を果たしているかどうかによる。コンウェイも研究成果を出せなかった時期には、本気で職を失うことを恐れていた。しかし、彼は最終的に、ゲームを研究することそのものを数学上の成果へと変えていった。仕事を放棄したのではなく、自分の好奇心を仕事の中心に据えることに成功したのである。

 そして、その好奇心が次に向かったのは、生命そのものを思わせる不思議なゲームだった。盤面にいくつかの駒を置き、簡単な規則に従って状態を変えるだけで、模様が動き始める。誰も操作していないのに、そこには何かが生きているような光景が現れる。コンウェイはやがて、この遊びによって世界中の人々を驚かせることになる。

第三章 たった数個のルールで生命は作れるのか?

 もしも神様になれるとしたら、どんな世界を作ってみたいだろうか。山や海を作り、動物や植物を生み出し、人間を住まわせるのも面白そうだ。しかし、世界を作るために必要なのは、必ずしも複雑な設計図ではないのかもしれない。ほんの数個のルールを決めておくだけで、生命のように振る舞うものが自然に生まれてくるとしたらどうだろう。ジョン・コンウェイは、そんな不思議な可能性を数学で探究した人物だった。

 1960年代のケンブリッジ大学で、コンウェイは奇妙な遊びに熱中していた。碁盤のようなマス目を用意し、その上に駒を並べ、決められた規則に従って駒を置いたり取り除いたりする。すると、最初は単なる模様だったものが、次第に形を変えていく。ある模様は消滅し、別の模様は同じ形を繰り返し、さらに別の模様は盤面を移動し始める。まるで生き物を観察しているようだった。

 この遊びが、のちにライフゲームと呼ばれるようになる。英語ではGame of Lifeという。直訳すれば生命のゲームだが、普通のゲームとはかなり違っている。勝つことも負けることもなく、対戦相手も必要ない。最初に駒を配置したら、あとは決められた規則に従って状態を変えていくだけである。プレイヤーが何もしなくても、盤面の世界は勝手に変化し続ける。

 では、コンウェイはなぜこんなゲームを考えたのだろうか。その背景には、ジョン・フォン・ノイマンという数学者の研究があった。フォン・ノイマンはコンピュータの基礎を築いた人物の一人であり、機械が自分自身の複製を作れるかという問題にも取り組んでいた。工場で機械を作ることはできるが、機械が自分自身と同じ機械を作れるとしたらどうだろう。しかも、作られた機械もまた自分の複製を作れるとしたら、機械は生物のように増殖できることになる。

 フォン・ノイマンは、この問題を数学的に考えた。実際に金属や歯車を使って機械を製造するのではなく、マス目の上に仮想的な機械を作るのである。それぞれのマスには決められた状態があり、周囲の状態によって次の状態が決まる。こうした仕組みはセル・オートマトンと呼ばれている。フォン・ノイマンは29種類の状態を持つ複雑な仕組みを考案し、理論上は自己複製する機械を作れることを示した。

 しかし、コンウェイはそこに疑問を抱いた。フォン・ノイマンの仕組みは確かにすごいが、あまりにも複雑すぎるのではないか。29種類もの状態が本当に必要なのだろうか。もっと簡単な規則でも、同じように複雑な働きをする世界が作れるのではないか。彼が考えたかったのは、自己複製の仕組みを一つずつ設計することだけではなかった。単純な規則から、予想もしなかった複雑さが自然に現れる可能性だった。

 たとえば、信号機を考えてみよう。赤、青、黄という三つの状態を持ち、一定の規則で色が切り替わっていく。規則が分かっていれば、次に何色になるのかは簡単に予測できる。しかし、同じような仕組みを何万個も並べ、それぞれが隣の状態に影響されるようにしたらどうだろう。個々の動きは単純でも、全体の動きは簡単に予測できなくなるかもしれない。

 コンウェイが求めていたのは、まさにそのような世界だった。ただし、彼は規則の種類をできるだけ少なくしたかった。最終的に選んだのは、各マスが生きているか死んでいるかという二つの状態だけを持つ仕組みだった。生きているマスには駒を置き、死んでいるマスは空白にする。それぞれのマスの運命を決めるのは、周囲にある八つのマスの状態だけである。

 ルールは驚くほど簡単だった。生きているマスの周囲に、生きているマスが二つか三つあれば、次の世代も生き残る。しかし、生きている隣人が一つ以下なら孤独によって死に、四つ以上なら過密によって死んでしまう。そして、死んでいるマスの周囲に生きているマスがちょうど三つあれば、そこに新しい生命が誕生するのである。

 重要なのは、すべてのマスが同時に次の状態へ変化することだ。あるマスが死んだからといって、その結果をすぐ隣のマスの判定に使ってはいけない。現在の盤面を全体として観察し、それぞれのマスの次の状態を決めたうえで、一斉に切り替えるのである。この一回の変化を一世代と呼ぶ。時間を進めるというのは、盤面全体の状態を一世代先へ移すことなのだ。

 試しに、三つの生きたマスを横一列に並べてみよう。すると、中央のマスには二つの隣人がいるので生き残る。しかし、左右の端のマスには隣人が一つしかいないため死んでしまう。その一方で、中央のすぐ上と下にある空白のマスは、三つの生きたマスに囲まれているため誕生する。結果として、横一列だった三つのマスは縦一列に変化するのである。

 では、もう一世代進めたらどうなるだろうか。今度は縦一列に並んでいるので、同じ規則によって横一列に戻る。その次はまた縦一列になり、さらに次は横一列になる。この繰り返しは、理論上いつまでも続く。三つのマスを置いただけなのに、永遠に動き続ける仕組みが完成してしまった。これはブリンカーと呼ばれる模様である。

 別の例も考えてみよう。今度は四つの生きたマスを、正方形になるように並べる。すると、四つのマスにはそれぞれ三つの隣人がいるため、すべて生き残る。周囲の空白のマスには、新しく誕生する条件を満たすものがない。したがって、次の世代も同じ正方形が残る。その次も、そのまた次も同じである。この模様はブロックと呼ばれ、何世代たっても変化しない。

 ここで不思議なことが起きている。ブリンカーもブロックも、まったく同じルールに従っている。それなのに、一方は動き続け、もう一方は静止している。違いは最初の配置だけである。さらに配置を少し変えると、数世代で消滅する模様も現れる。つまり、世界を支配する規則が同じでも、最初に何が存在するかによって未来は大きく変わってしまうのだ。

 コンウェイは、最初からこのルールを思いついたわけではなかった。彼と学生たちは、さまざまな規則を試していた。正方形だけでなく三角形や六角形のマス目も考え、生まれる条件や死ぬ条件を変更し、二つより多い状態を持つ仕組みまで試したという。大学の談話室では、碁石や硬貨などが駒として使われ、大量の方眼紙が実験に費やされた。

 しかし、規則を適当に決めるだけでは面白い世界にならなかった。ある規則では、どんな模様もすぐに死滅してしまう。別の規則では、生命が際限なく増え続け、盤面が埋め尽くされてしまう。どちらの場合も、最初のうちは面白くても、結果が簡単に分かってしまう。コンウェイが探していたのは、生命が生き残ることも死ぬこともあり、その先が簡単には予測できない規則だった。

 これは、ゲームを設計するうえでも重要な問題であるたとえば、将棋で先手が最初の一手を指しただけで勝ちになるという極端なルールを作ったら、ゲームとして成立しないだろう。反対に、どちらも絶対に負けない仕組みでも勝負は面白くならない。適度な複雑さと予測できなさがあるからこそ、プレイヤーは次の展開を知りたくなる。コンウェイは、誰も操作しない世界にも同じような面白さを求めていた。

 この試行錯誤の末に生まれたライフゲームは、コンウェイ自身を驚かせるような振る舞いを見せ始めた。中でも有名なのが、グライダーと呼ばれる模様である。五つの生きたマスを特定の形に配置すると、何世代か経過するうちに、模様全体が斜めに移動していく。駒を手で動かしているわけではない。すべてのマスが同じ規則に従って生まれたり死んだりする結果、形が移動しているように見えるのだ。

 グライダーを初めて見ると、小さな生き物が歩いているように感じられるかもしれない。しかし、そこには足も筋肉もなく、神経も存在しない。生き物を動かしているような特別な命令もない。ただ周囲のマスを数えて、次の状態を決めているだけである。それなのに、全体としては方向を持った運動が現れる。部分には存在しない性質が、全体になると現れるのである。

 こうした現象は、創発と呼ばれる考え方につながっている。創発とは、個々の要素の性質だけを見ていても分かりにくい振る舞いが、要素同士の相互作用から生まれることをいう。たとえば、一羽の鳥が空を飛ぶ仕組みと、何百羽もの鳥が群れを作って飛ぶ仕組みは同じではない。群れ全体には、個々の鳥だけを見ていても現れない模様や動きがある。

 ただし、ライフゲームが本物の生命を作ったわけではないことには注意が必要だ。ライフゲームの細胞は、現実の細胞のように栄養を取り込んだり、遺伝子を持ったり、化学反応を起こしたりするわけではない。生命のように見える振る舞いが現れることと、実際に生物が誕生することは別の問題である。コンウェイが発見したのは、生物そのものではなく、単純な規則が驚くほど複雑な振る舞いを生み出せるという事実だった。

 そして、この発見にはさらに大きな可能性が隠されていた。もしもグライダーを情報伝達のための信号として利用できたらどうなるだろうか。ある模様が別の模様に衝突し、その結果によって次の動きが変わるなら、情報を処理する仕組みが作れるかもしれない。情報を処理できるなら、計算することもできるかもしれない。コンウェイが考えていた単純な世界は、コンピュータの世界へとつながる可能性を秘めていた。

 1970年、コンウェイは数学の面白さを一般の人々に伝えていたマーティン・ガードナーに、ライフゲームを紹介した。ガードナーは雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』で数学のコラムを連載しており、読者を驚かせるような話題を探していた。彼はコンウェイの考えたゲームに強い興味を示し、同年10月号で紹介することにした。

 すると、予想を超える反響が起きた。読者たちは紙と鉛筆を使って模様を調べ、コンピュータを使える人々はプログラムを作り始めた。研究者や学生たちも、新しい模様の発見に夢中になった。ライフゲームには決められた正解がないため、誰でも自分の好きな配置を試すことができる。数学の専門知識がなくても、新しい発見をする可能性があったのである。

 この成功によって、コンウェイの名前は数学界の外にまで広まった。しかし、彼が考えていた問題は、ゲームが有名になったからといって解決したわけではなかった。むしろ、世界中の人々が実験に参加するようになったことで、さらに難しい疑問が生まれてきた。有限個のマスから始まった世界は、どこまでも成長し続けることができるのだろうか。それとも、いずれ必ず成長が止まるのだろうか。

 コンウェイは当初、有限の配置から無制限に増え続ける模様は存在しないのではないかと予想し、その予想を破った人に賞金50ドルを出すと宣言した。たかが50ドルと思うかもしれないが、数学者にとって重要なのは金額ではない。誰も知らないことを、初めて証明したり発見したりすることに価値があるのである。やがて、その予想を覆す驚くべき模様が発見されることになる。

 たった二つの状態と数個の規則しか持たない世界が、数学者の予想を裏切ってしまった。しかも、その規則を考えたのはコンウェイ自身である。世界の仕組みを完全に知っているはずの創造者が、自分の作った世界で何が起きるのかを知らなかったのだ。これはライフゲームの最も面白い性質の一つだろう。

 数学では、ある規則を決めることと、その規則から生じるすべての結果を理解することは同じではない。コンウェイは自分でルールを決めたが、そのルールが持つ可能性をすべて見通せたわけではなかった。単純な規則で作られた世界でさえ、創造者の想像を超えることがある。では、そんな世界の中に計算機を作ることは可能なのだろうか。次に待っていたのは、ライフゲームとチューリングの計算理論を結びつける、さらに奇妙な発見だった。

第四章 誰も操作しないゲームがコンピュータになる?

 コンピュータを作るためには何が必要だろうか。電気を流す回路や情報を記録する装置、計算を実行する部品などが思い浮かぶ。しかし、ジョン・コンウェイのライフゲームには、そのようなものが何一つ存在しない。あるのは無限に広がるマス目と、生きているか死んでいるかという二つの状態、そして周囲のマスによって次の状態が決まるという規則だけである。それなのに、驚くべきことにライフゲームはコンピュータと同じように計算することができる。

 これは単なる比喩ではない。ライフゲームには、理論上、普通のコンピュータで計算できるものなら何でも計算できる能力がある。この性質はチューリング完全と呼ばれている。ゲームの盤面で四則演算をするだけではなく、条件によって処理を変えたり、情報を記憶したり、計算を繰り返したりすることもできる。一定の条件を整えれば、ライフゲームの中に別のコンピュータを作り、そのコンピュータにプログラムを実行させることさえ可能なのだ。

 この不思議な能力を理解するためには、まずコンピュータとは何なのかを考える必要がある。私たちは普段、スマートフォンやパソコンを使って文章を書いたり、動画を見たりしている。しかし、コンピュータの内部で行われている処理を突き詰めると、情報を記憶し、決められた規則に従って状態を変化させるという仕組みに行き着く。画面に表示される複雑な映像も、内部では膨大な数の単純な処理によって実現されている。

 コンピュータの基礎を考えるうえで重要なのが、イギリスの数学者アラン・チューリングである。1936年、チューリングは計算という行為を数学的に表現するため、非常に単純な仮想的機械を考案した。現在ではチューリングマシンと呼ばれている。この機械は紙のテープに記号を読み書きし、決められた規則に従って動くだけのものだった。

 チューリングマシンには、文字を読み書きする装置と、左右に伸びるテープがある。たとえば、テープに0と1が並んでいるとする。機械は一つのマスを読み取り、現在の状態と読み取った数字に応じて、数字を書き換えたり、隣のマスへ移動したりする。そして、次のマスでも同じように処理を繰り返す。現代のコンピュータに比べれば、あまりにも単純な仕組みである。

 しかし、重要なのは機械の見た目ではなかった。チューリングは、適切な規則を持つ機械なら、ほかの計算機の動作を模倣できることを示した。こうした機械を万能チューリングマシンと呼ぶ。計算の手順を記号として与えれば、異なる計算を同じ機械で実行できるのである。現代のコンピュータがプログラムを入れ替えるだけで、文章作成にもゲームにも使えることを考えれば、その発想の重要性が分かるだろう。

 では、ライフゲームで同じことを実現するにはどうすればよいのだろうか。問題になるのは、ライフゲームには数字を読み取る装置もなければ、命令を実行する装置もないことである。もちろん、電気を流す回路も存在しない。生きているマスと死んでいるマスが、決められた規則に従って変化するだけだ。こんな世界で、どうやって情報を伝えればよいのだろうか。

 その答えの一つが、グライダーである。グライダーは五つの生きたマスからできており、四世代が経過するごとに斜め方向へ一マス移動する。実際には同じマスが移動しているわけではない。あるマスが死に、別のマスが生まれることによって、全体の模様が少しずつ移動していくのである。波が海を伝わるとき、水そのものが波と一緒に遠くまで移動するわけではないのと似ている。

 ここで、グライダーを情報として使うことを考えてみよう。ある場所にグライダーが到着したら1、到着しなければ0と決める。すると、グライダーが飛んでくるかどうかによって情報を伝えられることになる。電気信号を使う代わりに、移動する模様を信号として利用するのである。もちろん、実際には到着する時間や場所を正確に決めておく必要があるが、原理としては情報伝達の仕組みが成立する。

 しかし、グライダーを一つ飛ばせるだけではコンピュータにならない。計算するためには、信号を何度も発生させる仕組みが必要になる。そこで登場するのが、グライダー銃という奇妙な装置である。名前は物騒だが、もちろん本物の銃ではない。ライフゲームの盤面に特定の模様を配置すると、一定の間隔でグライダーが次々と飛び出すのである。

 最初のグライダー銃を発見したのは、マサチューセッツ工科大学のビル・ゴスパーたちだった。1970年11月のことである。ゴスパー銃と呼ばれるこの模様は、30世代ごとに新しいグライダーを発射する。大きな模様の一部が周期的に動き、その結果として小さなグライダーが生み出され、遠くへ飛んでいく。まるで工場が製品を作り続けているような光景である。

 この発見は、ライフゲームの歴史を大きく変えた。コンウェイは以前、有限個の生きたマスから始めた場合、生きたマスの数が際限なく増え続けることはないのではないかと予想していた。そして、その予想を覆す模様を発見した人に50ドルの賞金を出すと約束していた。ゴスパー銃は、グライダーを無限に生み出し続けることで、この予想を覆してしまったのである。

 ここで面白いのは、ライフゲームのルールを考えた本人でさえ、その世界で何が可能なのかを知らなかったという事実だ。コンウェイは神様のように世界の規則を決めたが、その世界で起きることをすべて予測できたわけではなかった。しかも、彼の予想が間違っていることを証明したのは、別の場所で研究していた数学者たちだった。ライフゲームは、すでに一人の発明家の手を離れ、世界中の人々が探索する新しい数学的世界になっていた。

 グライダー銃があれば、情報を連続して送り出すことができる。さらに重要なのは、グライダー同士が衝突すると、その後の模様が変化することである。ある角度から飛んできたグライダーが別のグライダーとぶつかると、互いに消滅したり、別の模様が生まれたりする。こうした性質をうまく組み合わせれば、信号を処理する仕組みが作れる。

 たとえば、二つの条件が両方とも成立した場合だけ、結果を1にする計算を考えてみよう。これはAND演算と呼ばれる。雨が降っていて、しかも傘を持っていない場合だけ、家に取りに戻るといった判断に使える。コンピュータでは、こうした単純な条件判断を大量に組み合わせることで、複雑な計算を実行している。

 ライフゲームでも、グライダーの進路や衝突を調整することによって、AND演算に相当する仕組みを構成できる。二つの信号がそろった場合だけ、特定の場所から信号を送り出すように設計するのである。同様に、OR演算やNOT演算に相当する仕組みも作れる。ORはどちらか一方でも成立すれば1になり、NOTは0と1を反転させる演算である。

 ここまで来ると、ライフゲームは単なる模様の変化ではなくなってくる。グライダーを信号として送り出し、ほかの模様との相互作用によって処理し、その結果を別の場所へ伝えることができる。必要な論理演算を組み合わせれば、加算や比較などの計算も実現できる。計算をしているのは、あくまで生きたマスと死んだマスの変化だけである。

 しかし、コンピュータにはもう一つ重要な機能が必要だ。それが記憶である。たとえば、2と3を足して5になったとする。その結果を一瞬だけ作れても、すぐに消えてしまうなら使い道は限られる。計算を続けるためには、途中の結果を保存しておかなければならない。そこで研究者たちは、ライフゲームの中に情報を記憶する仕組みを作る方法も考案した。

 記憶装置も、特別な新しいルールを追加して作るわけではない。グライダーや周期的に動く模様を組み合わせ、ある状態を保ち続ける構造を作るのである。情報を読み出したり、別の情報に書き換えたりできれば、計算の途中経過を保存できる。信号を処理する装置と記憶装置がそろえば、計算機を構成するための重要な条件が整う。

 1982年、コンウェイらが著した『Winning Ways for Your Mathematical Plays』では、ライフゲームが万能な計算能力を持つことを示す議論が提示された。その後も研究は続き、2000年にはポール・レンデルがライフゲームの盤面上にチューリングマシンを具体的に構築した。さらに2002年にはポール・チャップマンが、万能レジスタマシンとして働く模様を構成した。

 つまり、ライフゲームが計算機になるという話は、数学者が頭の中で想像しただけのものではない。実際に計算する構造が作られ、動作する様子まで確認されているのである。ただし、ライフゲームの計算機は非常に大きく、処理にも膨大な世代数が必要になる。日常生活で使うコンピュータの代わりになるという意味ではない。重要なのは計算の速さではなく、どこまでの計算を実現できるかという能力なのだ。

 ここで、奇妙な入れ子構造が生まれていることに気づく。現実のコンピュータを使ってライフゲームを動かし、そのライフゲームの中に別のコンピュータを作るのである。外側のコンピュータが内側の世界を計算し、内側の世界でも計算が行われている。さらに理論上は、その中で別のライフゲームを模倣することさえできる。コンピュータの中にコンピュータがあり、その中にもまたコンピュータがあるという構造が成立する。

 では、この仕組みをどこまでも続けられるのだろうか。数学的には、適切な条件を満たせば計算の階層をいくつも重ねることができる。しかし、現実のコンピュータには記憶容量や計算速度の限界がある。無限に広がるライフゲームの盤面を、そのまま現実の機械で扱うこともできない。数学的に可能であることと、現実の装置で実行できることは、厳密には区別しなければならないのである。

 それでも、ライフゲームが示した事実は驚くべきものだった。計算するために、最初から足し算や掛け算の命令を用意する必要はない。数字を表示する画面も、キーボードも必要ない。適切な規則と配置があれば、生きているか死んでいるかという二つの状態だけから、万能な計算の仕組みを作ることができるのである。

 そして、ここにはチューリングの研究につながるさらに深い問題が隠れている。チューリングは1936年、あらゆる計算について、いつか停止するかどうかを必ず判定する万能な方法は存在しないことを証明した。これは停止問題と呼ばれる。ライフゲームでも、計算機を模倣できる以上、計算の停止に対応する振る舞いを一般的に予測することはできない。

 ライフゲームの規則は、すべて分かっている。秘密の法則など存在しない。それにもかかわらず、ある複雑な配置が将来どうなるのかを判定する問題には、原理的な限界が存在する。規則を知っていることと、その規則から生まれる未来をすべて知ることは、まったく別の話なのである。

 考えてみれば、これは不思議なことである。誰かが勝手に決めた単純な規則の世界に、人間の計算能力についての深い限界まで現れてしまう。しかも、コンウェイはそのすべてを最初から設計したわけではない。ゲームの規則を決め、面白そうな模様を探しているうちに、ほかの人々が新しい可能性を発見していったのである。

 ライフゲームはコンウェイを世界的に有名にした。しかし、この成功は彼にとって必ずしも歓迎すべきことばかりではなかった。なぜなら、彼はライフゲーム以外にも数学的な大発見を成し遂げていたからである。ところが、人々は彼の名前を聞くたびに、あのマス目のゲームの話ばかりするようになった。数学者としての人生を代表するものが、自分の望んだものと違っていたのである。

第五章 自分の代表作が嫌いになることはあるのか?

 自分の名前が世界中に知られるようになったら、普通は喜ぶものだろう。しかも、その理由が自分の発明したゲームだったとしたら、なおさらである。多くの人々がそのゲームを楽しみ、コンピュータを使って研究し、何十年にもわたって新しい発見を続けている。発明家にとっては、これ以上ない成功のように思える。しかし、ジョン・コンウェイは自分を有名にしたライフゲームを嫌っていた時期があった。

 なぜそんなことになったのだろうか。ライフゲームには欠陥があったわけでも、発明を後悔するような事件が起きたわけでもない。むしろ、あまりにも成功しすぎたのである。世界中の人々がライフゲームに夢中になり、コンウェイの名前を覚えた。しかし、その一方で彼が本当に評価してほしかった数学的業績は、一般にはほとんど知られなかった。

 コンウェイは1970年頃、数学者として非常に充実した時期を迎えていた。24次元空間に存在するリーチ格子の対称性を研究し、新しい有限単純群を発見した。さらにゲームの研究から超現実数という新しい数の体系を生み出し、ライフゲームも完成させた。数学者が一生に一度でも成し遂げられれば幸運といえるような発見が、短い期間に集中していたのである。

 ところが、一般社会で有名になったのはライフゲームだけだった。1970年10月、マーティン・ガードナーが『サイエンティフィック・アメリカン』でライフゲームを紹介すると、大きな反響が起きた。コンピュータを利用できる人々はプログラムを作り、画面上で模様が変化する様子を観察した。数学の専門家でなくても参加できることが、人気を広げる大きな理由になった。

 当時のコンピュータは、現在のように誰でも気軽に使えるものではなかった。大学や研究所に設置された大型コンピュータは高価で、計算時間そのものが貴重な資源だった。それにもかかわらず、人々はライフゲームの模様を計算するために、膨大な時間を費やしていた。ライフゲームが流行した頃には、世界中のコンピュータの相当な割合が、このゲームを動かしていたという有名な推定まで語られるようになった。

 これほど広まったのだから、コンウェイが喜んでも不思議ではない。しかし、彼には別の思いがあった。ライフゲームは確かに面白いが、数学者としての自分を代表する仕事ではない。もっと深い問題を研究し、もっと重要な発見をしてきたという自負があったのである。本人にとっては数ある成果の一つにすぎなかったものが、世間では彼のすべてであるかのように扱われていた。

 コンウェイはインタビューで、数学の一般向けの本を手に取ると索引で自分の名前を探す、と語っている。自分が発見した数学について何か書かれているのではないかと期待するのである。ところが、該当するページを開いてみると、そこに書かれているのはいつもライフゲームだった。新しい本を見つけて期待し、索引からページを探し、またライフゲームに出会う。同じ経験が何度も繰り返された。

 これは少し想像してみると、かなり複雑な気分になる話である。何十年も研究を続け、数学の新しい領域を切り開いた人物がいたとする。ところが、世間からは学生時代に作ったパズルだけで知られている。どれほど新しい仕事をしても、紹介文には昔のパズルの名前が書かれる。そのパズル自体は好きだったとしても、ほかの仕事についても知ってほしいと思うのは自然なことだろう。

 特にコンウェイが誇りにしていたのは、超現実数の発見だった。普通の数には、1や2のような整数があり、0.5や0.25のような小数がある。さらに数学では、無限に大きな数や無限に小さな数について考えることもある。コンウェイはゲームを数学的に分析する中で、これらを統一的に扱える巨大な数の体系を構築した。本人にとっては、数学の世界そのものを広げる発見だった。

 それでは、超現実数とライフゲームのどちらが重要なのだろうか。実は、この質問に簡単な答えはない。超現実数は数学的に豊かな構造を持ち、数の概念そのものを考え直させる。一方のライフゲームは、単純な規則から複雑な振る舞いが生まれることを示し、計算理論や人工生命などの研究とも関係している。どちらも重要だが、その重要性の種類が違うのである。

 そして、ここにコンウェイの不満を理解するための大きな手がかりがある。数学者がある成果を評価するとき、その発見が既存の理論をどれほど発展させたか、どんな新しい問題を開いたかを考える。一方、一般の人々は必ずしもそうした基準では評価しない。理解しやすいか、実際に試せるか、面白い体験ができるかということも重要になる。

 ライフゲームは、この点で圧倒的に有利だった。超現実数を理解しようと思えば、数や集合についての考え方を少しずつ学ばなければならない。しかし、ライフゲームなら生きたマスをいくつか並べるだけで始められる。ルールは短時間で説明でき、画面を見れば何が起きているのかも分かる。数学的な背景を知らなくても、動く模様を見て驚くことができるのである。

 しかも、ライフゲームには発見の余地が残されていた。誰かが新しい模様を発見すると、別の人がそれを改良し、さらに複雑な仕組みを作っていく。初期の愛好家がグライダー銃を発見した後も、研究は終わらなかった。新しい周期で動く模様や、グライダーの進路を変える構造が次々と見つかった。発明者が研究をやめたとしても、ゲームそのものは成長を続けられるのである。

 ここで、さらに奇妙な問題が現れる。ライフゲームの規則を決めたのはコンウェイだが、ゲームの中に存在する無数の模様を考え出したのは彼一人ではない。グライダー銃の発見者はビル・ゴスパーたちであり、その後の発展にも大勢の人々が貢献した。発明者が知らなかった構造が次々と発見され、発明者の予想が間違っていることまで証明された。ライフゲームは、すでにコンウェイ個人の作品という枠を超えていた。

 それなら、発明者はどこまで自分の作品を所有できるのだろうか。最初の規則を決めたのは自分でも、その規則から何が生まれるのかをすべて知っているわけではない。ほかの人々が新しい発見を重ねることで、作品には自分が想像しなかった意味が加わっていく。コンウェイが作ったのは完成された一つの物語というより、誰でも探索できる世界の基本法則だったともいえる。

 しかし、コンウェイ自身にとっては、そこまで大きな仕事をしたという実感がなかったのかもしれない。彼はライフゲームについて、学生たちと楽しんでいた遊びが、ほかの人々の目には重要なものになってしまったという趣旨の発言をしている。自分では気軽に始めた遊びのつもりだったのに、それが世界的な名声の理由になってしまった。その落差に戸惑っていたのである。

 伝記作家シボーン・ロバーツとの関係にも、この複雑な感情が現れている。ロバーツはコンウェイの人生を調べ、2015年に『Genius at Play』という伝記を出版した。しかし、取材の過程でコンウェイは、またライフゲームばかり取り上げられるのではないかと強く警戒した。自分の人生を紹介する本までライフゲーム中心になれば、ほかの数学的成果がますます見えなくなってしまうと考えたのだ。

 2015年にGoogleで行われた講演でも、コンウェイはライフゲームへの複雑な感情を率直に語っている。自分がライフゲームの発明者としてばかり知られることを恐れ、ほかの研究成果が見落とされることに強い不満を示した。冗談を交えながら話していたとはいえ、その言葉には、数学者としての自分を正しく理解してほしいという切実な気持ちが感じられる。

 ただし、コンウェイがライフゲームを一貫して嫌い続けていたと考えるのも正確ではない。本人は2014年のインタビューで、以前はライフゲームが嫌いだと語っていたが、今では本当に嫌っているわけではないと説明している。長年にわたる不満が突然消えたのではなく、嫌悪感と誇らしさが同居していたようだ。自分が思うほどつまらない仕事ではなかったことも、次第に認めるようになっていた。

 その変化を示す面白い逸話がある。あるとき講演会で、コンウェイは生命の創造者という意味にも取れる紹介を受けた。もちろん、ライフゲームの発明者という意味である。彼はその呼び方を気に入り、ライフゲームで知られるのも悪くないと思うようになったという。単なるゲームの発明者ではなく、規則だけで動く小さな世界の創造者だと考えれば、確かに印象は大きく変わる。

 コンウェイの気持ちが完全に整理されたのかどうかは分からない。晩年にもライフゲームに対する不満を口にすることがあり、その一方でゲームの価値を認める発言も残している。人間の感情は、必ずしも一方向に変化するものではない。ある日には誇らしく思い、別の日にはうんざりすることもある。何十年も付き合ってきた代表作なら、なおさらだろう。

 そもそも、数学的な業績の価値は誰が決めるのだろうか。研究者本人が重要だと思う成果と、数学界が高く評価する成果と、一般の人々が面白いと感じる成果は必ずしも一致しない。しかも、評価は時代によって変化する。発表当時は単なる遊びだと思われていたものが、数十年後には重要な研究対象になることもある。

 ライフゲームの場合、発表から半世紀以上が経過しても研究は続いている。最初は紙と鉛筆で模様を調べていた人々が、やがてコンピュータを使うようになり、現在では巨大な構造を自動的に探索することもできる。発明当時には考えられなかった模様が見つかり、数学的な問題が解決されることもある。コンウェイが自分ではそれほど重要だと思っていなかったゲームには、本人が想像した以上の可能性が眠っていたのである。

 そして、もう一つ興味深いことがある。コンウェイが最も誇りにしていた超現実数も、実はゲームの研究から生まれているという事実だ。つまり、ライフゲームと超現実数は、まったく無関係な仕事ではなかった。どちらも、単純な遊びの規則を真剣に考えるという彼の研究姿勢から生まれたものである。外から見れば別々の成果でも、その根には共通する好奇心が存在していた。

 コンウェイは、世間に知られることと、自分の仕事を理解してもらうことの違いを経験した数学者だった。ライフゲームによって世界中に名前が広まったが、それだけでは満足できなかった。しかし、そのゲームが多くの人々に数学の面白さを伝え、次々と新しい発見を生み出していることも事実だった。自分の望んだ評価と、実際に世界へ与えた影響は、必ずしも同じものではないのである。

 では、コンウェイがそこまで誇りにしていた超現実数とは、いったい何なのだろうか。その発見の出発点も、やはりゲームだった。ただし、今度は生命のような世界を作るのではなく、ゲームの勝ち負けを数学的に考えるところから始まる。二人の人間が交互に手を打つという、ごくありふれた遊びの中に、数というものの正体を考え直させる秘密が隠されていたのである。

第六章 ゲームの勝ち負けは足し算できるのか?

 ゲームの勝ち負けを足し算できるとしたら、どんなことが起こるだろうか。たとえば、あるゲームで有利な状況をプラス3、不利な状況をマイナス2と表すことができれば、二つを組み合わせた結果はプラス1になる。算数としては簡単だが、そもそもゲームの局面を数で表すことなどできるのだろうか。ジョン・コンウェイは、この奇妙な問題を真剣に考えた数学者だった。

 そのきっかけとなったのが、古代中国で生まれた囲碁である。囲碁は黒と白の石を交互に置き、盤面の陣地を奪い合うゲームだ。ルール自体は比較的単純だが、勝つためには非常に複雑な判断が必要になる。将棋やチェスと同じように、何百年も研究されてきたにもかかわらず、現在でも人間が完全に理解したとはいえない奥深さを持っている。

 1960年代のケンブリッジ大学では、数学者たちの間で囲碁が流行していた。コンウェイの周囲にも強い囲碁の打ち手がいて、彼はその対局を観察していた。ところが、本人は囲碁が得意だったわけではない。後年のインタビューでは、囲碁を理解しようとしたが結局よく分からなかったと語っている。それでも、盤面を眺めているうちに一つの興味深い性質に気づいた。

 囲碁の終盤では、盤面のあちこちに小さな争いが残っていることがある。右上では黒と白が数目の陣地を奪い合い、左下では別の争いが続き、中央にもまだ打つ場所が残っている。序盤では盤面全体を考える必要があるが、終盤になると、それぞれの争いをある程度独立した問題として扱える場合がある。コンウェイは、この独立性に注目したのである。

 たとえば、右上の争いをゲームA、左下の争いをゲームBと名づけてみよう。どちらも一つの盤面に存在するが、右上に石を置いても左下の局面には直接影響しないとする。この場合、プレイヤーはAかBのどちらかを選んで一手を打つことになる。次のプレイヤーも、同じようにどちらかを選ぶ。つまり、二つの小さなゲームを並行して進めているように考えられるのだ。

 ここでコンウェイは、一つの大胆な発想にたどり着いた。二つのゲームを組み合わせることを、足し算と考えてみたらどうだろうか。ゲームAとゲームBを同時に進めることを、A+Bと表すのである。もちろん、これは単純に得点を足すという意味ではない。二つの局面を一つの大きなゲームとして扱い、その勝敗を調べようという発想だった。

 この考えを理解するために、囲碁より簡単なゲームを作ってみよう。まず、左というプレイヤーと右というプレイヤーを用意する。二人は交互に手を打ち、自分の番に合法的な手を一つも打てなくなった人が負ける。引き分けはなく、サイコロのような偶然も存在しない。すべての情報が両者に公開されているものとする。

 最初に、盤面に何も置かれていない状態を考えてみる。この場合、左にも右にもできることがない。先手になった人は、その時点で負けてしまう。この何もできない局面を、コンウェイの理論では0と表す。つまり、何もないゲームが数字のゼロに対応しているのである。

 次に、左だけが取り除ける赤い駒を一つ置いてみよう。左の番になれば赤い駒を取り除けるが、右には何もできない。左が先手なら駒を取ったあと、右は動けなくなって負ける。右が先手なら最初から動けないので負ける。どちらが先に始めても左が勝つ。この局面を1と表すことにする。

 反対に、右だけが取り除ける青い駒を一つ置いたらどうなるだろうか。今度は右が必ず勝つ。左は青い駒を取れず、右は自分の番が来れば駒を取り除けるからだ。この局面はマイナス1と表せる。左に有利なゲームを正の数、右に有利なゲームを負の数として扱うことができるのである。

 では、赤い駒と青い駒を一つずつ置いたらどうなるだろうか。これは、1というゲームとマイナス1というゲームを足した状態だ。左が先手なら赤い駒を取り除くしかない。続いて右が青い駒を取り除くと、左は何もできなくなって負ける。反対に右が先手でも、同じように右が負ける。つまり、どちらが先手でも後手が勝つのである。

 この結果は、何も置かれていないゲームと同じ勝敗を示している。しかも、この二つの駒は、ほかのゲームを追加しても互いの働きを打ち消す関係にある。だから、1+(マイナス1)=0と考えることができる。単なる数字の計算ではなく、ゲームの中でも正の数と負の数が打ち消し合うという性質が現れたのだ。

 もちろん、ゲームの勝敗をそのまま数字に置き換えているわけではない。重要なのは、ある局面に別のゲームを足したとき、どのような振る舞いをするかということである。異なる見た目の局面でも、どんなゲームと組み合わせても同じ勝敗を生むなら、数学的には同じ価値を持つものとして扱える。これがコンウェイの理論における重要な考え方だった。

 さらに、左だけが取り除ける赤い駒を二つ置いてみよう。右は何もできず、左は二回動くことができる。この局面は1+1、つまり2に対応する。同じように、右だけが取り除ける青い駒を二つ置けばマイナス2になる。たった数個の駒を使った遊びなのに、整数の足し算と似た構造が現れてくるのである。

 しかし、すべてのゲームが普通の数になるわけではない。ここからがコンウェイの理論の面白いところだ。今度は、左でも右でも取り除ける白い駒を一つ置いてみよう。先手になった人は白い駒を取り除けるので、後手は何もできずに負ける。つまり、このゲームでは必ず先手が勝つのである。

 この局面をプラス1と呼ぶことはできない。プラス1なら左が必ず勝つはずだが、このゲームでは右が先手なら右が勝つ。マイナス1でもないし、ゼロでもない。ゼロなら後手が勝つはずだからだ。そこでコンウェイの理論では、このような局面を星印の*で表す。*は普通の実数とは異なる、特別なゲームの価値なのである。

 では、白い駒を二つ置いたらどうなるだろうか。先手が一つ取り除くと、後手がもう一つ取り除き、先手は動けなくなる。つまり、今度は後手が必ず勝つ。先ほどのルールでは、これはゼロに対応する。したがって、*+*=0という奇妙な足し算が成立するのである。

 これは普通の数の世界では考えられない。ゼロではないものを自分自身と足したらゼロになるというのは、実数では不可能だからだ。しかし、ゲームの世界では自然に起こる。白い駒が一つなら先手が勝ち、二つなら後手が勝つ。勝敗を決めるのは駒の数だけではなく、手番とゲームの構造なのである。

 こうして考えると、ゲームには私たちが普段使っている数よりも豊かな性質が存在することが分かる。あるゲームでは必ず左が勝ち、別のゲームでは必ず右が勝つ。後手が必ず勝つゲームもあれば、先手が必ず勝つゲームもある。コンウェイの理論は、こうした違いを厳密に扱い、ゲーム同士を足したり比較したりする方法を与えた。

 ここで囲碁の終盤に戻ってみよう。右上と左下に二つの争いが残っている場合、どちらに先に打つべきだろうか。単純に得点が大きい場所を選べばよいとは限らない。ある場所は先に打てば大きな利益を得られるが、相手に先に打たれると大きく損をするかもしれない。別の場所は利益が小さくても、後回しにして問題ないかもしれない。

 つまり、ゲームの価値を考えるには、得点だけでなく手番も重要になる。自分が先に動いた場合と、相手が先に動いた場合では、同じ局面でも結果が違ってくるからだ。コンウェイの研究を発展させた組合せゲーム理論では、このような違いを数学的に分析できる。特に、先に手をつけることが重要な局面は、熱いゲームと呼ばれることがある。

 熱いという表現は、なかなか面白い。囲碁で急いで打たなければならない場所は、数学的にも熱いと考えられるのである。逆に、どちらが先に打っても結果に大きな違いがない場所は、比較的冷たいゲームとして扱える。もちろん、実際の囲碁のすべてを簡単な足し算で解けるわけではない。しかし、独立した終盤の局面を分析するために、こうした考え方が役立つことが分かってきた。

 のちに数学者エルウィン・バーレカンプとデイヴィッド・ウルフは、この理論を囲碁の終盤問題に応用した。二人が著した『Mathematical Go』では、プロ棋士でも難しいと感じる局面を数学的に分析する方法が紹介されている。コンウェイ自身も、この仕事を高く評価した。かつて囲碁を理解しようとして失敗した数学者の発想が、後世になって囲碁の高度な問題を解くために役立ったのである。

 ここで興味深いのは、コンウェイ自身が囲碁の名人になったわけではないことだ。彼は対局の戦略を完全に理解することができなかったが、その代わりに、ゲームの背後にある数学的な構造を発見した。囲碁の盤面を眺めていたとき、彼の関心は勝つための一手から、ゲームそのものが持つ性質へと移っていたのである。

 普通なら、ゲームが難しければ上達する方法を考えるだろう。しかし、コンウェイは別の問いを立てた。なぜ盤面の一部分を独立したゲームとして扱えるのか。ゲームを組み合わせたとき、勝敗はどんな規則に従うのか。ゲーム同士の関係を数字のように計算できるなら、そこにはどんな数学が隠れているのか。勝負に強くなることより、勝負という現象を理解することに興味を持ったのである。

 この発想は、それまでのゲーム理論をさらに広げるものだった。すでに数学者たちは、二人が同じ種類の手を打てるゲームについて研究を進めていた。しかし、囲碁のように、それぞれのプレイヤーが異なる選択肢を持つゲームを一般的に扱うには、より豊かな理論が必要だった。コンウェイは左と右の選択肢を区別することで、その問題に取り組んだのである。

 たとえば、ある局面で左が動いた場合にはゼロになるが、右には動ける場所がないとする。この局面は、先ほどのプラス1に対応する。反対に、左には動ける場所がなく、右が動くとゼロになるならマイナス1だ。両者が動くとゼロになるなら*である。コンウェイは、こうした局面を左右それぞれが選べる次の局面によって表現した。

 この方法が持っていた意味は大きい。ゲームの価値を考えるために、あらかじめ数字を与える必要がなくなったからだ。ゲームの規則と選択肢だけを使って、その局面の数学的な性質を定義できる。何もできない状態から始め、そこに新しい選択肢を加えることで、次々と異なるゲームを作っていくことができるのである。

 そして、コンウェイはあるとき驚くべきことに気づいた。こうして作られるゲームの中には、普通の整数と同じように振る舞うものが存在していた。さらに、整数だけでなく、二分の一のような分数に対応するゲームも作れたのである。ゲームを分析するために数学を使っていたはずが、いつの間にかゲームの中から数字そのものが現れ始めていた。

 これは、考える順番が逆になっているところが面白い。普通なら、まず数字を勉強してからゲームの勝敗を計算する。しかし、コンウェイはゲームの勝敗を考えているうちに、数字というものを新しい方法で作り直せることに気づいたのだ。ゲームを理解するために数を利用していたら、ゲームの中に数が隠れていたのである。

 しかも、そこから生まれる数は、学校で習う整数や小数だけでは終わらなかった。数の作り方をそのまま発展させると、無限に大きな数や、ゼロではないのにどんな正の実数よりも小さい数まで現れてくる。コンウェイは、囲碁の終盤という小さな世界を観察していたはずなのに、気がつけば数という概念そのものを拡張する入口に立っていたのである。

 では、何もないところから、どうやって数字を作ることができるのだろうか。そもそも、1という数字は最初から存在しているものなのだろうか。それとも、何かの規則に従って作り出せるものなのだろうか。コンウェイがたどり着いたのは、数の存在についての常識を揺さぶる発見だった。次に登場する超現実数は、数学者がゲームで遊んでいたら、まったく新しい数の世界が生まれてしまったという物語なのである。

第七章 ゲームを研究していたら新しい数が生まれた?

 世界に数字が一つも存在しなかったら、どうすれば数字を作ることができるだろうか。1も2も3もなく、ゼロという概念すら存在しない。足し算も引き算もできず、数を数えることもできない。そんな何もない世界から、数字を一つずつ生み出していくことは可能なのだろうか。ジョン・コンウェイは、ゲームの勝ち負けを研究しているうちに、この奇妙な問題に対する驚くべき答えを発見した。

 その答えが超現実数である。英語ではSurreal Numbersと呼ばれ、整数や分数、小数だけでなく、無限に大きな数や無限に小さな数まで含む巨大な数の体系だ。しかも、その作り方は意外なほど簡単である。複雑な数式から出発する必要もなければ、最初から数字の存在を認める必要もない。ただ二つの集合を用意し、そこに数字を振り分けていくだけで、新しい数が次々と誕生するのである。

 コンウェイがこの仕組みに気づいたのは、1969年頃のことだった。彼は囲碁の終盤を観察するうちに、独立した小さなゲームを足し合わせて考えられることに気づいていた。そして、ゲームを数学的に分析するため、左のプレイヤーが選べる手と、右のプレイヤーが選べる手を区別する方法を考えた。ところが、この仕組みを発展させると、普通の数字と同じように振る舞うものが現れ始めたのである。

 まず、何も存在しない世界を想像してみよう。左にも右にも選択肢はなく、動かせる駒も存在しない。この状態をコンウェイは、二つの集合の間に縦線を一本置いた記号で表した。左側には何もなく、右側にも何もない。これを中括弧で囲んだ{|}という記号が、超現実数の世界ではゼロに対応するのである。

 なぜ、何もない状態がゼロになるのだろうか。ゼロとは、何も存在しないことを表す数字だからだと考えれば、直感的には理解しやすい。しかし、コンウェイの構成で重要なのは、単に空っぽだからゼロと呼ぶわけではないことである。この記号がほかの数とどのように比較され、足し算などの演算でどう振る舞うかを定義すると、本当に普通のゼロと同じ性質を持つことが証明できるのだ。

 次に、左側にゼロを置き、右側には何も置かないことにする。記号で書けば{0|}となる。これは、左側にあるゼロより大きい数を作るという意味だ。ただし、ゼロより大きければ何でもよいわけではない。コンウェイの仕組みでは、条件を満たす数のうち、最も単純なものが選ばれる。その結果として現れるのが1なのである。

 反対に、左側には何も置かず、右側にゼロを置いてみよう。すると{|0}という記号になる。こちらは、右側にあるゼロより小さい数を表す。最も単純な数を選ぶという規則によって、今度はマイナス1が誕生する。何もないところからゼロが生まれ、その次にはプラス1とマイナス1が生まれたわけである。

 では、同じ操作を繰り返したらどうなるだろうか。左側に1を置き、右側を空白にすると、1より大きい最も単純な数として2が生まれる。さらに左側に2を置けば3になり、3を置けば4になる。反対方向にも同じ操作ができるので、マイナス2やマイナス3も作れる。こうして、私たちが普段使っている整数が次々と現れてくるのである。

 しかし、この仕組みが本当に面白くなるのは、左側と右側の両方に数を置いたときだ。たとえば、左側に0を置き、右側に1を置いてみよう。この場合、新しい数は0より大きく、1より小さくなければならない。条件を満たす数はいくらでもあるが、その中で最も単純な数として選ばれるのは二分の一である。つまり、{0|1}=1/2となる。

 ここで注意したいのは、左右の数の平均を計算しているわけではないことだ。たまたま0と1の間では、二分の一が最も単純な数になる。しかし、別の二つの数を置いたとき、その真ん中の数が選ばれるとは限らない。たとえば{0|2}は1になる。コンウェイの仕組みでは、数の大小関係に加えて、その数がどれほど早い段階で作られたかという性質が重要になるのである。

 この作られた順番は、数の誕生日と呼ばれている。最初に生まれたゼロは、ほかの数より早い誕生日を持つ。そして、ゼロを利用してプラス1とマイナス1が生まれ、その後に2や二分の一などが生まれていく。コンウェイは、数に誕生日があるという独特な考え方によって、どの数が最も単純なのかを数学的に扱えるようにした。

 さらに、左側に0を置き、右側に二分の一を置けばどうなるだろうか。この条件を満たす最も単純な数は四分の一になる。同じように操作を繰り返せば、八分の一や十六分の一など、どんどん小さな数を作ることができる。反対側でも同じ操作ができるので、負の分数も生まれる。わずかな規則だけで、数の世界が次第に広がっていくのである。

 ここまでなら、普通の数を少し変わった方法で作っているだけのように思えるかもしれない。しかし、コンウェイの発見はここでは終わらなかった。彼は、この仕組みを無限の段階まで続けたら何が起こるのかを考えた。有限回の操作だけではなく、無限に多くの数がすでに存在する段階まで進めてみたのである。

 たとえば、左側に0、1、2、3という具合に、すべての自然数を置いたとする。右側には何も置かない。この場合、新しく作られる数は、左側にあるすべての自然数より大きくなければならない。100よりも大きく、100万よりも大きく、どんなに巨大な自然数よりも大きい数である。有限の自然数では、この条件を満たすことができない。

 そこで現れるのが、オメガという記号で表される数だ。ギリシャ文字のωが使われ、すべての自然数より大きな数として扱われる。これは普通の実数には存在しない大きさである。実数の世界では、どれほど大きな数を選んでも、そこに1を足せばさらに大きな数が作れる。しかし、超現実数の世界では、最初からすべての自然数より大きいωを扱うことができるのである。

 そして、ここからがさらに奇妙だ。超現実数では、ωに1を足すこともできる。ω+1という数はωより大きく、ω+2はさらに大きい。ωを2倍したり、掛け合わせたりすることもできる。無限に大きな数を、普通の数字と同じように計算の対象にできるのである。ただし、無限を表す記号なら何でも同じように計算できるわけではない。超現実数では、独自の厳密な演算規則が定められているのだ。

 では、無限に大きな数の反対側には何があるのだろうか。コンウェイの体系では、無限に小さな数も作ることができる。たとえば、ゼロより大きいが、二分の一よりも小さく、四分の一よりも小さく、八分の一よりも小さい数を考えてみよう。さらに十六分の一や三十二分の一よりも小さく、どれほど細かく分けた正の分数よりも小さい。しかし、その数はゼロではない。

 普通の実数の世界では、この条件を満たす正の数は存在しない。どれほど小さな正の実数でも、十分に細かく分ければ、それより小さな正の分数が見つかるからだ。しかし、超現実数の世界では、そのような数が存在する。無限小と呼ばれる数である。超現実数ではωの逆数である1/ωも考えられ、これはゼロより大きく、どんな正の自然数nについても1/nより小さい。

 これは、単に非常に小さな数という意味ではない。0.0000001のようにゼロがたくさん並んだ小数でも、無限小にはならない。どれほどゼロを増やしても、有限個である限り、それは普通の正の実数だからだ。超現実数の無限小は、すべての正の実数より小さく、それでもゼロではないという、日常の数の感覚では捉えにくい性質を持っている。

 こうしてコンウェイは、何もないところから出発して、整数や分数だけでなく、実数全体と無限大や無限小を含む数の体系を作り上げた。そこには円周率πも平方根2も含まれている。しかも、異なる数を足したり掛けたりしても、計算の結果は再び超現実数になる。普通の実数を大きく拡張しながら、数学的に整った構造を保っているのである。

 ただし、ゲームの局面がすべて超現実数になるわけではない。前の章で登場した、先手が必ず勝つ*というゲームを思い出してほしい。これは{0|0}と表されるが、左側の数が右側の数より小さいという条件を満たさないため、超現実数ではない。コンウェイの理論では、一般のゲームと、その中で数として扱える特別なものを区別しているのである。

 コンウェイにとって、この発見は衝撃的だった。本人は後年、超現実数を発見したときのことを振り返り、何週間も夢を見ているような気分で過ごしたと語っている。数学の中に巨大な新世界を見つけたように感じ、その美しさに夢中になっていた。普通なら新しい定理を証明したことを喜ぶところだが、彼は新しい大陸を発見した探検家のような気持ちになっていたのである。

 しかも、超現実数という名前を考えたのはコンウェイ自身ではなかった。名前をつけたのは、コンピュータ科学者として有名なドナルド・クヌースである。クヌースは1974年に『Surreal Numbers』という小説形式の数学書を出版し、男女二人が新しい数の世界を発見していく物語を書いた。コンウェイはもともと単に数と呼んでいたが、クヌースの考えた名前を気に入り、その後は自分でも使うようになった。

 1976年には、コンウェイ自身が『On Numbers and Games』という本を出版した。直訳すれば『数とゲームについて』となる。この本で彼は、ゲームの理論と数の構成方法を体系的に説明した。驚くべきことに、コンウェイは後年の序文で、この本の原稿の大部分を一週間で書いたと明かしている。午前8時半から深夜まで執筆を続け、長い間考えてきた数学を一気に文章にしたのである。

 しかし、コンウェイが本当に重視していたのは、この発見を自分の手柄にすることではなかった。彼は超現実数について、発明したというより発見したのだと繰り返し語っている。自分が勝手に数を作ったのではなく、ゲームの性質を調べていたら、そこに数の体系が存在していたというのである。最初から目的地を決めていたわけではなく、探索しているうちに未知の世界へ入り込んでしまったのだ。

 考えてみれば、これほど不思議なことはない。囲碁の終盤を理解しようとしていた数学者が、ゲームの勝ち負けを足し算する方法を考え、そこから数そのものを作る方法を発見した。しかも、その数の世界には、私たちが学校で習った数字だけでなく、無限大や無限小まで含まれていた。囲碁が強くなりたかったはずなのに、気がつけば数学の新しい宇宙を発見していたのである。

 ただし、ここには一つの重大な疑問が残っている。コンウェイが超現実数を発見したというなら、その数は彼が考える以前から存在していたのだろうか。人間が規則を決めて作った数なのだから、発明したと考えることもできる。しかし、いったん規則を決めると、その結果は人間の好き勝手には変更できない。では、数学というものは人間が作った世界なのか、それとも人間が見つけ出す世界なのだろうか。

 コンウェイ自身も、この問題に強い関心を持っていた。ゲームから数が現れたという経験は、数学者にとって何かを発明することと、何かを発見することの違いを考えさせるものだったのである。数字は人間の頭の中にしか存在しないのか。それとも、人間が誰も考えていなくても、数の性質は最初から決まっているのか。超現実数の発見は、コンウェイを数学の哲学という、さらに深い問題へと導いていくことになる。

第八章 数学は人間が発明するものなのか、それとも発見するものなのか?

 数学者は数学を発明しているのだろうか。それとも、もともと存在していた数学的な真実を発見しているのだろうか。たとえば、誰も数学を知らない世界があったとして、そこでも1+1は2になるのだろうか。人間が一人も存在しない宇宙でも、円周率は同じ値になるのだろうか。ジョン・コンウェイは、こうした数学の存在そのものに関わる問題について、独特な考え方を持っていた。

 2016年、アメリカのプリンストンにある書店で、コンウェイの伝記をめぐる対談が開かれた。その席で、一人の聴衆が彼に質問した。超現実数は発見したものなのか、それとも発明したものなのか。普通なら、どちらの言葉を使っても大きな違いはないと思うかもしれない。しかし、コンウェイはこの質問に強く反応した。自分は超現実数を発明したのではなく、発見したのだと主張したのである。

 彼によれば、超現実数は自分自身を驚かせたものだった。何か新しい数の体系を作ろうとして、部品を組み合わせて設計したわけではない。囲碁の終盤を数学的に考えていたら、そこに予想もしなかった数の世界が現れたのである。本人にとっては、未知の大陸を発見した探検家のような経験だった。自分で作ったものなら、そこまで驚くはずがないという感覚だったのだろう。

 しかし、ここには不思議な問題がある。超現実数の規則を考えたのはコンウェイ自身ではなかったのか。左側にある数より大きく、右側にある数より小さい数を作るという方法は、人間が決めた約束事である。その約束事から生まれた数字を、なぜ発見したと言えるのだろうか。人間が作ったルールなら、そこから生まれるものも人間の発明ではないのだろうか。

 この問題を考えるために、チェスを例にしてみよう。チェスにはキングやクイーン、ナイトなどの駒があり、それぞれ動き方が決められている。ナイトは縦と横に異なる歩数を組み合わせて移動し、クイーンは縦横斜めに進める。こうした規則は自然界から発見されたものではない。人間が考え、長い歴史の中で整えてきた約束事である。

 では、チェスの規則から導かれる事実も、人間が自由に決められるのだろうか。たとえば、最初の配置から白が一手目に指せる合法手は20通りある。ポーンを動かす手が16通り、ナイトを動かす手が4通りだ。この20という数を気に入らないからといって、明日から30に変更することはできない。規則を変えれば別だが、同じ規則を維持する限り、答えは変わらないのである。

 つまり、ゲームの規則は人間が発明したものでも、その規則から何が導かれるのかは、人間の好みとは無関係に決まっている。コンウェイの超現実数でも、同じようなことが起きた。彼はゲームを分析するために規則を定めたが、その規則から実数全体が現れ、さらに無限大や無限小まで生まれることを、最初から意図していたわけではなかった。

 この違いは、数学の発明と発見を考えるうえで重要である。人間は規則を選ぶことができる。しかし、いったん規則を選べば、その規則が持つ性質を自由に変更することはできない。ある定理が正しいことも、ある問題に解答が存在しないことも、論理的な関係によって決まる。数学者の仕事は、自分で用意した規則の中に隠れている性質を、一つずつ見つけ出すことだとも考えられる。

 コンウェイは2006年のインタビューで、数学の美しさについて興味深い話をしている。彼は正多面体や星形の多面体に強い関心を持ち、紙などを使って立体模型を作ることを好んでいた。なかでも注目していたのが、ケプラー・ポアンソの立体と呼ばれる星形正多面体である。その数は、厳密な定義のもとで全部で四種類しか存在しない。

 四種類という数は、人間が適当に決めたわけではない。十七世紀にヨハネス・ケプラーが二種類を研究し、十九世紀にはルイ・ポアンソが残る二種類を発見した。その後、数学者オーギュスタン・コーシーが、該当する立体は四種類に限られることを証明した。つまり、数学者たちがどれほど美しい新しい模型を作ろうとしても、同じ定義を満たす五番目の立体は存在しないのである。

 コンウェイは、この事実に数学の美しさを感じていた。自分が新しい立体を一つ追加したいと思っても、そうすることはできない。数学の世界では、人間が作りたいものを自由に作れるとは限らないからだ。彼にとって数学とは、想像力を使う分野であると同時に、想像力だけでは変更できない厳密な構造を持つ世界でもあった。

 ここで、数学の発見という言葉の意味が少し分かってくる。新しい星形正多面体を発見しようとする数学者は、好き勝手に立体を描いているわけではない。定義に従って考え、どんな立体が条件を満たすのかを調べている。四種類しか存在しないと証明されたなら、それ以上は見つからない。その事実は、数学者の希望によって変わるものではないのである。

 しかし、それでも数学が人間とは独立して存在していると証明されたわけではない。この問題については、古くから哲学者たちが議論を続けてきた。数学的な対象が人間の認識とは無関係に存在すると考える立場は、数学的プラトニズムと呼ばれる。一方で、数学を記号操作の体系として捉える考え方や、数学的対象そのものより構造に注目する考え方も存在する。

 たとえば、プラトニズム的な立場から見れば、円周率πは人間が発見する以前から数学的な真実として存在していたことになる。円周率の小数を何兆桁まで計算したとしても、その数字を人間が作ったことにはならない。もともと決まっていた値を、少しずつ明らかにしているだけだというわけである。

 反対に、数学は人間が定めた記号と規則によって成立していると考えることもできる。この立場では、数学が人間とは無関係にどこかの世界に存在する、とまで考える必要はない。重要なのは、定義された規則に従って矛盾のない推論ができるかどうかである。数学的対象の実在を認めなくても、数学の有効性や厳密さを説明しようとすることはできる。

 コンウェイの発言は、数学的プラトニズムに近い感覚を示している。しかし、彼が哲学上の特定の学派に従っていたと断定する必要はない。むしろ興味深いのは、難しい哲学書を読んで結論を出したというより、自分自身の研究経験から数学的な存在の不思議さを実感していたことである。超現実数を発見したとき、彼は目の前に新しい世界が開けたように感じたのだった。

 もう一つ、コンウェイの数学観を理解するうえで面白い発言がある。彼は人間以外の知的生命体が何に興味を持つのか、という問題に関心を持っていた。たとえば、火星に高度な文明が存在しているとする。その文明の住人たちは、人類の歴史や文学には興味を持たないかもしれない。しかし、数学なら共通の関心を持てるのではないかと考えたのである。

 火星人が存在するとして、その身体の形や言語は人間とまったく違うかもしれない。手足が何本あるのかも分からず、音声によって会話するとも限らない。しかし、彼らが数学的な図形を研究しているなら、正方形の対角線と辺の長さの関係を発見する可能性はある。ユークリッド幾何学のもとでは、辺の長さが1の正方形の対角線は√2になる。その関係は、研究する生物の種類によって変わるものではない。

 もちろん、火星人が私たちと同じ数学を発展させる保証はない。地球人とは異なる概念から出発し、私たちには想像できない数学を作るかもしれない。それでも、同じ条件を定めて同じ問題を考えれば、論理的に導かれる結果は一致するはずである。コンウェイは、こうした人間の文化や歴史を超えて成立する性質に、数学の普遍性を感じていた。

 これは、ライフゲームについても同じことが言える。ライフゲームのルールを知らない火星人に、マス目と生死の規則だけを教えたとしよう。彼らが十分に研究すれば、ブリンカーやグライダーを発見するかもしれない。実際には地球人が発見した模様でも、その振る舞いは地球人だけに通用するものではない。規則そのものが同じなら、同じ初期配置から同じ結果が現れるのである。

 しかも、ライフゲームには、その規則を考えたコンウェイ本人でさえ知らなかった性質が数多く存在していた。彼はゲームのルールを決めたが、そこからどんな模様が生まれるのかをすべて理解していたわけではない。グライダー銃のような仕組みも、別の研究者たちによって発見された。世界の創造者が、その世界のすべてを知っているとは限らないのである。

 では、コンウェイがライフゲームを考えなかったとしても、グライダーは存在していたのだろうか。少なくとも、あの規則を持つ数学的な体系を考えれば、特定の配置が四世代ごとに斜めへ移動するという関係は必然的に成立する。人間がその関係に気づいていようといまいと、規則に従った結果は同じだ。その意味では、グライダーの性質は発見を待っていたとも言える。

 この考え方には、数学者を少し謙虚にさせるところがある。どれほど優れた研究者でも、自分の考えた定義からどんな結果が現れるのかを完全に予測することはできない。簡単な規則から予想もしなかった世界が生まれ、長年研究されてきた問題に突然新しい解法が見つかることもある。数学者は新しい世界の創造者であると同時に、その世界を歩き回る探検家でもあるのだ。

 コンウェイが超現実数を発見したときの興奮も、この探検家という比喩で考えると理解しやすい。彼は最初から無限大や無限小を含む数の体系を設計しようとしていたわけではなかった。ゲームの性質を調べていたら、思いがけず巨大な数の世界に出会ってしまったのである。自分が想像していなかったものが、論理的な構造として目の前に現れた。その経験が、発明ではなく発見という言葉にこだわる理由だったのだろう。

 ただし、数学が発見なのか発明なのかという問題に、現在でもすべての人が納得する答えがあるわけではない。人間が選んだ規則から、人間の意図しなかった真実が導かれることは確かである。しかし、その真実が人間とは独立した世界に存在するのかどうかは、さらに別の哲学的な問題だ。コンウェイの研究は、この二つの問題を考えるための実例を与えてくれる。

 そして、彼の好奇心は数の世界だけに向けられていたわけではない。図形や対称性についても、人間の想像を超える豊かな構造が存在すると考えていた。私たちの暮らす三次元空間ですら、すべての対称性を理解することは簡単ではない。それなら、四次元や五次元、さらに24次元の空間には何が隠れているのだろうか。

 コンウェイは、この問いに対しても驚くべき発見をしていた。24次元空間に存在する特別な格子を研究し、それまで知られていなかった巨大な対称性の構造を発見したのである。人間の目には見えず、日常生活で経験することもできない空間に、数学的には厳密な秩序が存在していた。ゲームの中に新しい数を見つけた数学者は、今度は24次元の世界に隠された対称性を探し始めることになる。

第九章 24次元の世界には何が隠れているのか?

 ボールを一つ置いて、その周囲に同じ大きさのボールを並べるとしよう。中央のボールに接触させながら、互いに重ならないように配置する。いったい何個まで並べられるだろうか。答えは12個である。これは単純な問題に見えるが、数学的に証明するのは意外なほど難しい。さらに驚くべきことに、24次元の空間では、一つの球に19万6560個もの球を接触させることができる。ジョン・コンウェイが研究していたのは、そんな想像を絶する世界だった。

 そもそも、24次元とは何なのだろうか。私たちが暮らす世界には、縦、横、高さという三つの方向がある。物体がどこに存在するのかを表すには、三つの数字があればよい。たとえば、部屋の中に置かれた椅子の位置を、壁からの距離、床からの高さなどで表すことができる。このように三つの数字で位置を表せる空間を、三次元空間と呼んでいる。

 では、四次元の空間はどうだろうか。位置を表すために四つの数字が必要になる空間だと考えれば、数学的には難しくない。さらに五次元なら五つ、十次元なら十個の数字を使う。24次元なら、位置を表すために24個の数字が必要になる。私たちの目ではその全体を直接見ることはできないが、数学的には問題なく扱えるのである。

 たとえば、ある生徒の成績を国語、数学、英語、理科、社会という五つの数字で表すとしよう。すると、一人の生徒を五次元空間の一つの点として表現できる。もし24科目の成績を使えば、その生徒は24次元空間の点になる。もちろん、成績表が本当に24次元の物理的空間になったわけではない。しかし、24個の数字を持つ対象を数学的な空間の点として扱うことはできるのである。

 コンウェイが研究した24次元空間も、基本的には同じ発想で理解できる。ただし、単に24個の数字を並べるだけではない。その空間の中で点と点の距離を定義し、幾何学的な形を考え、さらに球を配置する。二次元や三次元で行っている幾何学を、24次元まで拡張するのである。目で見えないからといって、そこに数学的な規則が存在しないわけではない。

 ここで最初のボールの問題に戻ろう。二次元では、同じ大きさの円を中央の円に接触させながら六個並べられる。蜂の巣のような六角形の配置を想像すればよい。三次元では、同じ大きさの球を12個接触させることができる。このように、一つの球の周囲に最大何個の球を接触させられるかという問題を、数学では接吻数問題と呼んでいる。

 接吻数という名前は、英語のキッシング・ナンバーを訳したものである。球と球が接触する様子を、キスになぞらえたわけだ。数学には時々こういう妙にロマンチックな名前が登場する。しかし、問題そのものは非常に難しい。三次元で最大12個になることは長く知られていたが、厳密な証明が得られたのは20世紀になってからだった。

 次元が増えると、この問題はさらに複雑になる。四次元では24個、八次元では240個の球を接触させられる。そして24次元では、なんと19万6560個である。次元が増えるだけで、接触できる球の数が爆発的に増加するのだ。しかも、この19万6560という数字は、適当に計算して出てきたものではない。実際にその配置を実現する、特別な数学的構造が存在しているのである。

 その構造がリーチ格子と呼ばれるものだ。発見者はイギリスの数学者ジョン・リーチで、コンウェイとは別の人物である。1960年代、リーチは高次元空間で球を効率よく詰め込む問題を研究していた。そして1965年頃、24次元空間に驚くほど規則正しく球を配置できる方法を発見した。その研究が発展して、現在リーチ格子と呼ばれる構造が知られるようになった。

 格子とは、点が一定の規則に従って並んでいる構造である。たとえば、方眼紙の縦線と横線が交差する場所に点を打っていけば、二次元の格子ができる。三次元なら、立方体を積み重ねたときの頂点のように点を並べればよい。こうした規則的な配置を24次元に拡張したものが、リーチ格子の基本的なイメージである。

 ただし、リーチ格子は単純な方眼紙を24次元に拡張しただけのものではない。非常に特殊な規則によって点が配置され、そこには驚くほど豊かな対称性が存在している。この格子の各点を中心として適切な大きさの球を置くと、互いに重ならず、非常に効率よく空間を埋めることができる。2017年には、この配置が24次元における最も密度の高い球の詰め込み方であることも証明された。

 しかし、コンウェイがリーチ格子に興味を持った理由は、球を詰め込むことだけではなかった。彼が注目したのは、その格子に隠されている対称性だった。そもそも、対称性とは何なのだろうか。数学では、ある図形を動かしても元の形と完全に重なるような変換を、対称性として考えることができる。

 たとえば、正方形を思い浮かべてみよう。正方形を90度回転させると、元の正方形とぴったり重なる。180度回転させても同じであり、270度回転させても同じである。さらに、上下や左右、対角線を軸として裏返すことでも、元の形に重ねられる。このような変換を数えると、正方形には全部で八つの対称性が存在する。

 ここで重要なのは、正方形が八つの対称性を持つという事実だけではない。対称性同士を組み合わせることもできるのである。たとえば、90度回転させてからもう一度90度回転させると、180度回転させたことになる。裏返してから回転させることもできる。このような変換の組み合わせを数学的に調べると、群と呼ばれる構造が現れる。

 群とは、ある規則に従って要素同士を組み合わせられる集合のことである。ただし、好きなものを集めれば何でも群になるわけではない。組み合わせた結果が同じ集合に属することや、元に戻す操作が存在することなど、いくつかの条件を満たさなければならない。正方形の八つの対称変換は、そうした条件を満たしているので、一つの群を作っている。

 では、24次元のリーチ格子には、いったい何個の対称性があるのだろうか。普通の正方形で八つなら、24次元でも数百個か数千個くらいだろうと思うかもしれない。しかし、実際の数字は桁違いだった。格子の原点を固定したまま、配置全体を元の形に重ねられる変換の数は、831京5553兆6130億8672万個にもなるのである。

 これは、数字で書くと8315553613086720000である。日常生活ではまず目にすることのない巨大な数だ。コンウェイが明らかにしたのは、この膨大な対称性の集まりが、数学的に非常に特別な構造を持っているという事実だった。単に対称性の数を数えただけではなく、それらがどのように組み合わさっているのかを解明したのである。

 コンウェイがリーチ格子の問題を知ったのは、数学者ジョン・マッケイから話を聞いたことがきっかけだった。リーチ自身も、この格子の対称性が重要な問題になることを予想していた。しかし、どのような群が現れるのかを完全に解明することはできなかった。ほかの数学者たちにも研究を勧めたが、なかなか解決には至らなかったのである。

 当時のコンウェイは、研究者としての自信を失いかけていた。数学の研究で十分な成果を出せていないと感じ、ゲームばかりしている自分に罪悪感を抱いていた。そこで、リーチ格子の問題に本格的に取り組むことを決意した。本人の回想によれば、まとまった時間を確保し、長期戦になることも覚悟していたという。ところが、予想外のことが起きた。

 コンウェイは、最初の集中的な計算で驚くほど大きな進展を遂げたのである。リーチ格子の対称性を計算し、そこに新しい群が存在する可能性を見いだした。さらに、当時の群論の第一人者であるジョン・G・トンプソンに相談した。トンプソンは、その巨大な数に関係する新しい単純群が存在する可能性を認め、さらに別の群が隠れていることも示唆した。

 コンウェイは研究を続け、最終的に三つの新しい有限単純群を発見した。それらは現在、コンウェイ群と呼ばれている。名前はCo1、Co2、Co3である。最も大きなCo1は、先ほどの巨大な対称性の群を、ある特別な二つの要素を同一視して得られる群である。残りの二つも、リーチ格子の特定のベクトルを固定する対称性から得られる。

 有限単純群とは、群論において非常に重要な存在である。整数の世界には素数があり、6は2と3に分解できるが、2や3はそれ以上小さな正の整数の積には分解できない。同じように、群の世界でも、特定の意味でそれ以上分解できない基本的な構造が存在する。それが単純群である。もちろん、群の分解は整数の素因数分解とは異なるが、基本的な構成要素を調べるという考え方には共通点がある。

 さらに驚くべきことに、コンウェイが発見した三つの群は、散在型単純群と呼ばれる特別な種類だった。有限単純群の多くは、一定の規則に従って無限に続く系列に属している。しかし、そうした系列に入らない例外的な群が存在する。それらは全部で26種類しかなく、コンウェイ群の三つも、その貴重な例外に含まれているのである。

 コンウェイの発見は1968年に発表され、翌1969年には詳しい研究成果が論文として出版された。この仕事によって、彼は群論の研究者として一躍注目される存在になった。長い間、自分は本当の数学をしていないのではないかと悩んでいた人物が、数学の重要な問題を解決したのである。しかも、本人が予想していたよりも短い期間で、驚くべき成果を挙げてしまった。

 ここで面白いのは、コンウェイがリーチ格子そのものを発見したわけではないことだ。24次元空間の特殊な格子を見つけたのはリーチであり、その中に隠れた対称性を解明したのがコンウェイだった。同じ数学的な対象を見ていても、研究者によって関心を持つ問題が違うのである。一人の数学者が新しい構造を発見し、別の数学者がその構造の中に、さらに新しい数学を見つけることがある。

 また、24次元という数字にも注目したい。なぜ23次元でも25次元でもなく、24次元なのだろうか。これは、人間が適当に選んだ数字ではない。リーチ格子は、24個の数字を使う特殊な符号の構造とも深く関係している。その一つが拡張二進ゴレイ符号と呼ばれるもので、情報通信における誤り訂正符号の研究にもつながっている。

 誤り訂正符号とは、情報を送る途中で一部が間違っても、元の情報を復元できるようにする仕組みである。たとえば、0と1の数字を使って情報を送るとき、途中で一つの数字が反転してしまうかもしれない。そのような誤りを検出したり修正したりするために、情報へ余分な規則性を持たせるのである。24次元のリーチ格子には、この情報の規則性とも関係する美しい構造が隠れていた。

 つまり、球を効率よく詰め込むという幾何学の問題と、情報を正確に伝えるという通信の問題、さらに対称性を研究する群論の問題が、同じ数学的構造を通じて結びついていたのである。最初はまったく関係のない問題に見えても、深く研究していくと共通の規則が現れる。こうした意外なつながりこそ、コンウェイが数学に感じていた魅力の一つだったのだろう。

 そして、リーチ格子の発見は、コンウェイの人生においても大きな意味を持っていた。ゲームばかりしている自分に疑問を抱いていた数学者が、誰も見たことのない24次元の対称性を発見した。その成功は、彼に研究者としての自信を与えた。やがてコンウェイは、遊びの中にも重要な数学が存在することを、以前より強く信じるようになっていったのである。

 しかし、コンウェイ群の発見には、さらに驚くべき続きがあった。24次元のリーチ格子を研究していると、その周辺にはほかにも奇妙な単純群が現れてくる。そして、その研究をさらに進めると、数学者たちはモンスターと呼ばれる巨大な群へとたどり着くことになる。コンウェイが発見した対称性の世界は、単なる24次元の数学で終わるものではなかった。

 モンスター群は、散在型単純群の中でも最大のものである。その要素の数は、コンウェイ群とは比較にならないほど巨大だ。しかも、この怪物のような対称性は、整数論に現れる特殊な関数と奇妙な関係を持っていることが分かってきた。図形の対称性と数の性質という、一見すると無関係な数学の世界が、予想もしなかった形で結びついていたのである。

 コンウェイは、ゲームから超現実数を発見したときと同じように、24次元の対称性からも未知の数学へと進んでいった。どちらの場合も、最初からすべての結果を予想していたわけではない。一つの面白い問題を追いかけ、その先に現れた新しい問題へと進んでいったのである。数学の世界には、人間がまだ知らない構造が無数に隠されている。そして時には、24次元という想像もできない空間の奥から、モンスターまで現れるのだった。

第十章 数学にはモンスターが存在する?

 数学にはモンスターが存在する。もちろん、鋭い牙や巨大な爪を持つ怪物ではない。数学者たちが発見した、あまりにも巨大で複雑な対称性の構造に、モンスターという名前がつけられているのである。しかも、この怪物には奇妙な秘密があった。まったく関係がないはずの数論の世界と、謎めいた関係を持っていたのだ。ジョン・コンウェイは、この関係を研究する中で、数学史に残る大胆な予想を発表することになる。

 モンスターの正体を理解するためには、前の章で登場した群という概念を思い出す必要がある。群とは、一定の規則に従って要素を組み合わせられる数学的な構造である。たとえば、正方形を90度回転させたり、裏返したりする操作を集めると群ができる。正方形の場合、そのような操作は全部で八種類ある。つまり、正方形の対称性から作られる群には八つの要素がある。

 では、もっと複雑な図形を考えたらどうなるだろうか。正方形よりも立方体のほうが多くの対称性を持っている。さらに高次元の空間では、私たちの想像をはるかに超える数の対称性が現れる。コンウェイが研究した24次元のリーチ格子にも、膨大な数の対称性が存在していた。ところが、数学者たちはその先に、さらに巨大な群が存在することを予想していたのである。

 それがモンスター群だった。モンスター群は、有限単純群と呼ばれる数学的構造の一つである。有限単純群とは、ある意味でそれ以上分解できない基本的な群のことだ。整数における素数のような役割を持っていると考えれば、イメージしやすいかもしれない。数学者たちは長年にわたり、この基本的な群をすべて分類しようとしていた。

 その研究の中で、ほとんどの有限単純群は、一定の規則に従う系列として整理できることが分かってきた。しかし、どの系列にも当てはまらない例外的な群が存在していた。それらは散在型単純群と呼ばれ、全部で26種類ある。コンウェイが発見した三つの群も、その仲間だった。そして、26種類の中で最も巨大なのがモンスター群なのである。

 では、モンスター群にはいったい何個の要素があるのだろうか。答えは、およそ8×10の53乗個である。数字で書けば54桁にもなる。これは、日常生活で扱うことなどまずない巨大な数だ。しかも、ただ巨大なだけではない。これほど多くの要素を持ちながら、数学的には一つの単純群を形成している。そのあまりの規模から、モンスターという名前がつけられたのである。

 モンスター群の存在は、1970年代前半にベルント・フィッシャーやロバート・グリースらの研究によって予想されていた。しかし、存在を予想することと、実際にその群を構成することは別の問題だった。数学では、ある条件を満たすものが存在するはずだと考えても、それが本当に存在するとは限らない。そこで数学者たちは、この怪物を数学的に構成する方法を探し始めた。

 この問題に重要な貢献をしたのが、ロバート・グリースだった。グリースは1982年、モンスター群を具体的に構成することに成功した。これによって、数学者たちが予想していた巨大な群が、本当に存在することが確かめられたのである。もちろん、54桁もの要素を一つずつ紙に書き出したわけではない。膨大な対称性を統一的に表現できる数学的な構造を作り、その性質を証明したのだ。

 ところが、モンスター群の研究には、それ以前から奇妙な出来事が起きていた。1978年、数学者ジョン・マッケイが、ある数字の一致に気づいたのである。その数字は196884だった。どこにでもありそうな整数だが、実は数学のまったく異なる二つの分野に、この数字と深く関係する数が現れていたのだ。

 一方はモンスター群の研究だった。群の対称性を行列によって表現する方法を、表現論という。たとえば、図形を回転させる操作を、数字の並んだ行列として扱うことができる。同じようにモンスター群も行列で表現できるが、その最も小さな非自明既約表現の次元は196883になる。つまり、モンスター群の基本的な表現に、196883という数字が登場するのである。

 もう一方は、数論や複素解析に登場するj関数という数学的な関数だった。j関数は、モジュラー関数と呼ばれる特別な関数の代表例である。複素数を入力すると別の複素数が出てくる関数で、ある種の変換を行っても値が変わらないという美しい性質を持っている。十九世紀から研究されてきた重要な関数であり、楕円曲線の分類にも関係している。

 j関数は、適切な変数を使うと無限に続く級数として表現できる。その展開には、744、196884、21493760、864299970という数字が順番に現れる。これらは数学的な計算によって決まる係数であり、人間が好き勝手に並べたものではない。関数の性質を調べれば、誰が計算しても同じ数字が現れるのである。

 マッケイは、この中の196884という数字を見て驚いた。モンスター群の表現に現れる196883と、たった1しか違わなかったからだ。つまり、196884=196883+1という関係が成立していたのである。196883はモンスター群の最小の非自明既約表現の次元であり、1は自明な表現の次元に対応する。二つを足すと、j関数の係数とぴったり一致した。

 これだけなら、単なる偶然かもしれない。たとえば、ある町の人口が196884人で、別の町の人口が196883人だったとしても、それだけで二つの町に秘密の関係があるとは考えないだろう。数学でも、大きな数字を大量に調べていれば、偶然の一致が見つかることはある。実際、最初にこの発見を聞いた数学者たちの中には、偶然だと考える人も少なくなかった。

 しかし、話はそこで終わらなかった。次に現れる21493760という数字も、モンスター群の表現に関係する数字から作れることが分かったのである。具体的には、21296876と196883と1を足すと21493760になる。この21296876も、モンスター群の既約表現の次元だった。つまり、j関数の係数が、モンスター群の表現の次元を組み合わせたものと一致していたのである。

 さらにその次の864299970という数字にも、同じような関係が見つかった。ここまで一致が続くと、単なる偶然として片づけるのは難しくなってくる。モンスター群とj関数は、何か深いところで結びついているのではないか。数学者たちは、そんな疑問を抱くようになった。しかし、なぜ対称性を研究する群論と、複素関数を研究する数論がつながるのか、当時は誰にも説明できなかった。

 この奇妙な一致に強い関心を持ったのが、ジョン・コンウェイとサイモン・ノートンだった。二人はモンスター群の構造について研究を進め、j関数との関係を詳しく調べ始めた。単に数字がいくつか一致するというだけでは、数学的な理論として十分ではない。その背後に、すべての一致を説明する共通の構造が存在するはずだと考えたのである。

 1979年、コンウェイとノートンは『Monstrous Moonshine』という論文を発表した。日本語ではモンスター・ムーンシャインと呼ばれる。ムーンシャインは本来、月光という意味を持つ英語だが、口語ではたわごとや根拠のない空想という意味でも使われる。つまり、この論文の題名には、怪物についての途方もない話という冗談めいた響きが込められていたのである。

 実際、二人の予想は非常に大胆だった。モンスター群とモジュラー関数の間には、偶然では説明できない厳密な関係が存在するというのである。しかも、その関係は最初に見つかった数字の一致だけに限らない。モンスター群のさまざまな要素に対応して、特別な性質を持つモジュラー関数が現れるはずだという、より一般的な予想を立てたのだった。

 ここで重要になるのが、表現論という考え方である。モンスター群の各要素を行列として表現すると、その行列の対角成分を足したトレースという数を計算できる。コンウェイとノートンは、こうした数を無限に続く級数としてまとめたとき、特別なモジュラー関数が現れると予想した。数字の一致を単なる偶然として扱うのではなく、群全体の構造と関数の性質を結びつけようとしたのである。

 ただし、予想を立てることと証明することは違う。どれほど多くの数字が一致していても、その関係が無限に続くと証明できなければ、数学的には未解決の問題として残る。コンウェイたちは数多くの計算によって予想の正しさを確かめたが、当時の数学には、それを完全に証明するための道具がそろっていなかったのである。

 その後、数学者たちはモンスター・ムーンシャインを説明するための研究を進めた。1980年代には、イゴール・フレンケル、ジェームズ・レポウスキー、アルネ・マーマンが、モンスター群と関係する無限次元の数学的構造を作り上げた。これはムーンシャイン加群と呼ばれる。j関数の係数がモンスター群の表現の次元と一致する理由を、具体的な構造によって説明する重要な成果だった。

 しかし、それでもコンウェイとノートンの予想がすべて証明されたわけではなかった。残された問題に取り組んだのが、数学者リチャード・ボーチャーズである。彼は群論や数論だけでなく、物理学の理論からも数学的な道具を取り入れた。特に重要だったのが、弦理論と関係する頂点作用素代数という仕組みだった。

 弦理論は、物質の基本的な構成要素を点ではなく、振動する小さなひもとして捉える物理学の理論である。その数学的研究から発展した手法が、モンスター群とモジュラー関数の関係を理解するうえで役立ったのである。これは、弦理論が現実の宇宙を正しく説明していると証明されたという意味ではない。物理学の研究から生まれた数学的な道具が、別の数学的問題の解決に利用されたということだ。

 1992年、ボーチャーズはモンスター・ムーンシャイン予想を証明した。最初に奇妙な数字の一致が発見されてから、約14年が経過していた。かつてはたわごとのように思われていた関係が、厳密な数学的定理として認められたのである。ボーチャーズはこの業績などによって、1998年にフィールズ賞を受賞した。フィールズ賞は、数学における特に権威ある賞の一つである。

 こうして振り返ると、モンスター・ムーンシャインの歴史は、一つの数学的な発見がどのように成長していくのかを示している。最初にマッケイが数字の一致に気づき、トンプソンらがその意味を考え、コンウェイとノートンが大胆な予想を立てた。その後も多くの数学者が研究を重ね、最終的にボーチャーズが証明へとたどり着いた。一人の天才がすべてを解決したのではなく、何人もの数学者が異なる役割を果たしたのである。

 コンウェイの役割も、この流れの中で理解する必要がある。彼がモンスター群そのものを発見したわけでも、最初に196884という数字の一致に気づいたわけでもない。しかし、その奇妙な一致を単なる偶然として片づけず、より深い数学的構造が存在するはずだと考えた。そして、ノートンとともに具体的な予想を発表し、その後の研究が進む方向を示したのである。

 ここには、コンウェイという数学者の特徴がよく現れている。彼は、普通なら見過ごされてしまうような奇妙な現象に強い関心を持っていた。ゲームの中に数が隠れていることを発見したときも、24次元の格子に巨大な対称性を見つけたときも、出発点は不思議だという感覚だった。なぜそんなことが起きるのかを考え続けることで、新しい数学の世界へ進んでいったのである。

 それにしても、なぜモンスター群とj関数は関係していたのだろうか。数学的には、この関係を説明する理論が構築され、厳密な証明も与えられた。しかし、なぜこれほど異なる数学的対象が、そもそも同じ構造の中に現れるのかという直感的な疑問は、今でも興味深い研究の動機になっている。数学では問題を解決することが、新しい問題を生み出すことにもつながるのである。

 そして、モンスター・ムーンシャインには、もう一つ面白い特徴がある。研究が進むにつれて、最初は無関係に見えた数学の分野が次々と結びついていったことだ。有限群の表現論から始まり、数論や複素解析へ進み、さらに無限次元の代数や数理物理学まで関係してきた。一つの巨大な対称性を理解しようとした結果、数学のさまざまな分野を横断する理論が必要になったのである。

 数学は、それぞれの専門分野が独立して存在しているように見える。しかし、深く研究していくと、遠く離れた問題の間に思いがけない関係が発見されることがある。コンウェイは、こうした数学のつながりを数多く経験した人物だった。ゲームから数が生まれ、24次元の格子から新しい群が見つかり、巨大なモンスター群が数論の関数と結びつく。まるで数学の世界全体が、一つの巨大なパズルになっているかのようだった。

 しかし、コンウェイの好奇心は、巨大な数や抽象的な対称性だけに向けられていたわけではない。もっと身近で、誰でも手に取ることのできるものにも、彼は数学的な問題を見つけていた。その一つが、ひもで作る結び目だった。普通の人なら何気なく結んでしまうひもにも、数学者にとっては不思議な問題が隠れている。モンスターを追いかけた数学者は、今度は一本のひもの中に存在する、形と構造の秘密を調べていくことになる。

第十一章 結び目には指紋があるのか?

 靴ひもが絡まっているとき、私たちは何とかしてほどこうとする。しかし、もしもひもの両端がつながっていたらどうなるだろうか。輪になったひもに結び目ができている場合、その結び目をほどくことはできるのだろうか。ハサミで切ってしまえば簡単だが、それでは反則である。ジョン・コンウェイは、こうした身近な結び目にも数学的な問題を見つけていた。しかも、彼が研究したのは結び目のほどき方だけではなかった。そもそも、二つの結び目が同じものかどうかを判定する方法を考えていたのである。

 数学で結び目を研究するときには、普通のひもとは少し違うものを考える。ひもの両端をつなぎ、一本の閉じた輪にしてしまうのである。その輪を自由に曲げたり、引っ張ったりすることはできる。しかし、途中で切ったり、ひも同士をすり抜けさせたりしてはいけない。こうした条件のもとで、結び目がどのように変形するのかを研究する分野を結び目理論と呼ぶ。

 たとえば、何も結んでいない普通の輪を考えてみよう。これは自明な結び目と呼ばれる。ところが、輪をねじったり重ねたりすると、見た目は複雑な形に変わってしまう。机の上に置くと、ひもが何度も交差しているように見えるかもしれない。しかし、その輪を持ち上げて動かせば、元の単純な円に戻せることがある。見た目が複雑でも、数学的には同じ結び目なのである。

 反対に、どう頑張っても単純な輪に戻せない結び目も存在する。その最も簡単な例が、三葉結び目と呼ばれるものだ。英語ではトレフォイル・ノットという。三つの交差を持つ結び目で、普通の輪とは本質的に異なる構造を持っている。どれほどひもを引っ張っても、切らずに普通の輪へ戻すことはできない。

 では、三葉結び目と普通の輪が異なることを、どうやって証明すればよいのだろうか。実際にひもを動かしてみて、どうしてもほどけなかったとする。しかし、それだけでは証明にならない。自分がほどき方を知らないだけかもしれないからだ。数学では、誰がどんな方法を試してもほどけないことを、論理的に示さなければならないのである。

 この問題は、十九世紀から多くの数学者を悩ませていた。当時、物理学者ウィリアム・トムソン、後のケルヴィン卿は、原子がエーテルの渦によってできているという仮説を考えていた。渦が輪になって結ばれていれば、その結び目の種類によって異なる原子を説明できるのではないかという発想だった。この原子模型は後に否定されたが、結び目を分類する数学的研究は残った。

 数学者ピーター・テイトは、さまざまな結び目を調べて一覧表を作り始めた。交差が三つの結び目、四つの結び目、五つの結び目という具合に、複雑さによって分類しようとしたのである。しかし、ここには重大な問題があった。同じ結び目でも、ひもを動かすだけで見た目を変えられる。二つの異なる図が、実は同じ結び目を表している可能性があるのだ。

 コンウェイは少年時代から、この結び目の分類に興味を持っていた。高校生の頃には、結び目を効率よく整理する方法を考え始めていたという。そして大学で数学を研究するようになってから、その方法をさらに発展させた。複雑な結び目を一つの巨大な図形として扱うのではなく、いくつかの小さな部分に分け、それらを組み合わせて表現する方法を考えたのである。

 たとえば、複雑に絡まったひもの一部分を切り取って観察してみよう。切り取った範囲には、四本のひもの端が現れることがある。その内部で二本のひもがどのように絡み合っているのかを調べ、一定の規則に従って記号に置き換える。こうした部分的な構造はタングルと呼ばれる。コンウェイは、タングルを組み合わせることで、複雑な結び目を効率よく表現できるようにした。

 この方法はコンウェイ記法と呼ばれている。複雑な結び目を、短い数字や記号の組み合わせで表せるのである。たとえば、三葉結び目は3、八の字結び目は22という簡潔な記法で表現できる。もちろん、その数字だけを見ても結び目の形がすぐに分かるわけではない。しかし、規則を知っていれば、記号から結び目の構造を読み取れるのである。

 この記法によって、コンウェイは大量の結び目を効率よく分類した。1970年に出版された論文では、交差が11個以下の素な結び目を整理し、10個以下の交差を持つ絡み目についても一覧を示した。素な結び目とは、より単純な結び目をつなぎ合わせたものとして分解できない結び目のことである。この作業によって、十九世紀に作られた一覧表の間違いも発見された。

 特に面白いのは、過去の一覧表に同じ結び目が二回登場していたことだ。見た目が違うため、別の結び目として数えられていたのである。コンウェイは新しい分類方法を使い、それらが実際には同じ結び目であることを見抜いた。さらに、一覧表から抜け落ちていた結び目も発見した。昔の数学者たちが長年かけて調べた問題を、新しい見方によって整理し直したのである。

 しかし、記法だけでは結び目の分類は完成しない。二つの結び目が同じであることを示すためには、一方をもう一方に変形する方法を見つければよい。しかし、異なることを示すのは難しい。どんなに複雑な変形をしても同じにならないと証明するには、見た目とは別の数学的な性質が必要になる。そこで重要になるのが、不変量という考え方だった。

 不変量とは、形を変えても変わらない性質のことである。たとえば、三角形の紙を机の上で回転させても、辺の長さは変わらない。裏返しても三つの角があることは同じだ。結び目の場合も、ひもを切らずに変形する限り、変わらない数学的な性質が存在する。異なる不変量を持つ二つの結び目は、同じ結び目ではありえないのである。

 コンウェイが重要な貢献をしたのが、結び目に多項式を対応させる方法だった。多項式とは、文字と数字を使って作る数式のことである。たとえば、1+x²という式は多項式だ。コンウェイは、それぞれの結び目に一定の規則で多項式を対応させる方法を発展させた。現在ではアレクサンダー・コンウェイ多項式と呼ばれている。

 たとえば、普通の輪に対応するコンウェイ多項式は1である。一方、三葉結び目に対応する多項式は1+z²になる。そして、交差が四つある八の字結び目では1-z²になる。これらは互いに異なる数式だから、三つの結び目も互いに異なると判断できる。見た目がどれほど複雑に変化しても、多項式は変わらない。いわば、結び目の指紋のようなものなのである。

 コンウェイの方法が優れていたのは、複雑な多項式を比較的簡単な手順で計算できるようにしたことだった。ある交差を別の交差に変えたり、交差をほどいた形に置き換えたりすると、それぞれの結び目の多項式の間に決まった関係が成立する。この関係はスケイン関係と呼ばれる。複雑な結び目を少しずつ単純な形へ変えながら、数式を計算できるのである。

 しかし、ここには落とし穴があった。指紋のように使えるといっても、結び目の多項式は本物の指紋ほど完全ではない。同じ多項式を持つ結び目が、必ずしも同じ結び目とは限らないからだ。異なる結び目なのに、計算すると同じ多項式が現れる場合がある。つまり、指紋が一致していても、別人である可能性が残っているのである。

 この問題を象徴するものが、コンウェイ結び目と呼ばれる特別な結び目だった。これは11個の交差を持ち、コンウェイが研究したことから彼の名前で呼ばれるようになった。ところが、この結び目には奇妙な性質があった。アレクサンダー多項式を計算すると、何も結んでいない普通の輪と同じ1になってしまうのである。

 もちろん、コンウェイ結び目が普通の輪と同じというわけではない。実際には、ほどくことのできない複雑な結び目である。しかし、多項式を使う方法では、その違いを見分けられない。しかも、木下・寺阪結び目という別の結び目とも、いくつもの重要な不変量が一致していた。数学者たちは、この奇妙な関係に強い関心を持つようになった。

 コンウェイ結び目と木下・寺阪結び目は、ミューテーションと呼ばれる操作によって結びついている。結び目の一部分を取り出し、180度回転させてから元の場所へ戻すと、別の結び目が現れることがあるのだ。これは生物の突然変異になぞらえて名づけられた操作である。結び目の構造は変化しているのに、多くの不変量は変わらないという不思議な現象が起こるのである。

 そして、この二つの結び目には、さらに難しい問題が隠れていた。数学者たちは、結び目が四次元空間で滑らかな円盤の境界になれるかどうかを研究していた。この条件を満たす結び目を、スライス結び目と呼ぶ。三次元空間では複雑に絡まっている結び目でも、四次元空間に持ち込めば、余分な方向を利用して滑らかな円盤を張れる場合があるのである。

 木下・寺阪結び目は、スライス結び目であることが知られていた。では、それと多くの不変量が一致するコンウェイ結び目はどうなのだろうか。数学者たちは長い間、この問題を解決できなかった。さまざまな数学的手法を使っても、スライスであるとも、そうではないとも証明できなかったのである。

 この難問に転機が訪れたのは2018年だった。当時、テキサス大学オースティン校の大学院生だったリサ・ピッチリーロが、数学の研究集会でコンウェイ結び目の問題を知ったのである。彼女は、この問題を自分の研究方法を試すための練習問題として考えた。そして驚くべきことに、一週間もかからずに解決してしまった。

 ピッチリーロが証明したのは、コンウェイ結び目が滑らかな意味ではスライス結び目ではないという事実だった。彼女はコンウェイ結び目と特別な四次元構造を共有する別の結び目を作り、その結び目の性質を調べた。その結果から、コンウェイ結び目にも滑らかな円盤を張れないことを証明したのである。何十年も数学者たちを悩ませた問題が、意外な方法によって解決されたのだった。

 この研究成果は2020年2月13日、数学の専門誌『Annals of Mathematics』にオンライン掲載された。ジョン・コンウェイが亡くなる約二か月前のことである。彼が発見に関わった結び目は、半世紀近くにわたって数学者たちの研究対象となり、ついに新しい世代の数学者によって重要な性質が解明されたのである。

 ただし、コンウェイ結び目については、もう一つ注意すべき点がある。滑らかな円盤を張れないといっても、連続的な円盤なら張ることができる。数学では、この二つを区別している。つまり、四次元空間では、連続的に変形できることと、滑らかに変形できることの間に、本質的な違いが現れる場合があるのだ。コンウェイ結び目は、その違いを示す重要な例にもなったのである。

 ここまで来ると、一本のひもから始まった問題が、まったく別の世界へつながっていることが分かる。最初は、二つの結び目が同じかどうかを判定したいだけだった。しかし、研究を進めていくうちに、多項式や代数的な構造が現れ、さらに四次元空間の性質まで問題になってきた。身近な結び目の中にも、数学者が何十年も考え続けるような深い問題が隠れていたのである。

 コンウェイにとって、こうした研究は特別なものではなかった。ゲームを調べれば新しい数が現れ、24次元の格子を調べれば巨大な群が現れる。そして、一本のひもを調べれば四次元空間の謎へつながっていく。彼が興味を持ったのは、対象が大きいか小さいかではなく、そこにどんな数学的な構造が隠れているのかという問題だったのだろう。

 そして、コンウェイの好奇心は、ついに数学の世界そのものを飛び出していく。彼が晩年に取り組んだ問題の一つは、宇宙の出来事が最初から決まっているのかというものだった。私たち人間に自由意志があるとして、電子のような小さな粒子にも、それに似た自由があると言えるのだろうか。結び目を通じて目に見えない四次元空間を研究した数学者は、今度は量子力学の世界で、自由意志という奇妙な問題に向き合うことになる。

第十二章 電子にも自由意志があるのか?

 もしも電子に自由意志があるとしたら、どう思うだろうか。電子は人間のように考えることも、言葉を話すこともできない。好きな食べ物があるわけでもなく、将来の夢を持っているわけでもない。それなのに、電子のような小さな粒子にも自由意志があるかもしれないと主張した数学者がいた。ジョン・コンウェイである。しかも、彼は単なる思いつきでそう言ったのではない。数学的な定理を証明したのである。

 その定理は、自由意志定理と呼ばれている。英語ではFree Will Theoremという。コンウェイはプリンストン大学の同僚だった数学者サイモン・コッヘンとともに、この定理を研究した。二人が導き出した結論は、非常に奇妙なものだった。もしも人間が自由意志を持っているなら、素粒子もある意味で自由意志を持っているというのである。

 ただし、ここでいう自由意志は、私たちが普段使っている意味とは少し違う。コンウェイたちは、電子が何かを考えたり、自分の人生を選んだりしていると証明したわけではない。彼らが問題にしたのは、粒子の振る舞いが過去の状態によって完全に決まっているのかということだった。人間の意識を研究していたというより、宇宙の未来がどのように決まるのかを研究していたのである。

 この問題を理解するためには、まず決定論という考え方を知る必要がある。決定論とは、ある時点の世界の状態と自然法則が決まっていれば、その後に起こる出来事もすべて決まっているという考え方だ。たとえば、ボールを空中に投げたとする。ボールの重さや速さ、空気抵抗などを正確に知っていれば、どこに落ちるのかを計算できる。ニュートンの古典力学は、そのような予測を可能にする理論だった。

 では、宇宙全体についても同じことが言えるのだろうか。もしも宇宙に存在するすべての粒子の位置や運動を完全に把握できたら、未来の出来事をすべて予測できるのかもしれない。明日の天気だけでなく、百年後の社会や、一人の人間が何を考えるのかまで計算できるのだろうか。十九世紀の数学者ラプラスは、自然界のすべての状態を知る知性が存在すれば、過去も未来も見通せるという考えを示した。

 この考え方を突き詰めると、人間の自由意志にも疑問が生まれる。たとえば、今日の昼食にカレーを食べるか、ラーメンを食べるか迷ったとしよう。本人は自由に選んでいるつもりでも、その選択が脳内の物理的な状態によって完全に決まっているなら、別の選択をすることは最初から不可能だったのかもしれない。自由に決めたという感覚そのものが、物理法則によって生まれた結果だという考え方もできる。

 ところが、二十世紀に入ると物理学の世界で大きな変化が起きた。量子力学の誕生である。量子力学は、電子や原子などの非常に小さな世界を説明する理論だ。しかし、その世界では古典力学とは異なる現象が起こる。ある粒子について詳しく調べても、測定結果を一つに決められず、それぞれの結果が現れる確率しか予測できない場合があるのである。

 たとえば、ある粒子を測定したとき、結果がAになる確率が半分、Bになる確率が半分だったとする。同じ条件で実験を何度も繰り返せば、AとBはおよそ半分ずつ現れる。しかし、次の一回にどちらが現れるのかを、量子力学は一般に確率としてしか予測しない。自然界には、本当に偶然が存在しているのではないかという問題が生まれたのである。

 ただし、確率でしか予測できないからといって、本当に未来が決まっていないとは限らない。サイコロを振ったとき、何の目が出るのかを正確に予測するのは難しい。しかし、サイコロの位置や速度、床との衝突などを完全に計算できれば、古典力学では結果を予測できるはずだ。私たちが知らないだけで、結果を決めている何かが存在する可能性は残っている。

 量子力学についても、同じような考え方があった。粒子の内部には、まだ人間が発見していない情報が隠れているのではないか。その情報を知ることができれば、測定結果を完全に予測できるのではないか。このような考え方は、隠れた変数の理論と呼ばれている。アインシュタインをはじめ、多くの物理学者が量子力学の確率的な性質に疑問を抱いていた。

 コンウェイとコッヘンが取り組んだのも、この問題に関係していた。粒子の振る舞いは、過去の情報によってすべて決まっているのだろうか。それとも、どれほど詳しく過去を調べても、未来の結果を決められない場合があるのだろうか。二人は量子力学と相対性理論の性質を組み合わせ、この問題を数学的に考え始めた。

 ここで重要な役割を果たしたのが、粒子のスピンという性質だった。スピンとは、電子や原子などが持つ量子力学的な角運動量である。名前だけを見ると粒子が自転しているように思えるが、実際に小さな球が回転しているわけではない。古典的な回転に似た数学的性質を持っているため、スピンという名前がつけられているのである。

 コンウェイたちが定理の証明で扱ったのは、スピンが1という値を持つ粒子だった。電子そのもののスピンは二分の一なので、定理の実験設定をそのまま電子に当てはめることはできない。重要なのは、特定の量子力学的な性質を持つ粒子について、何が証明できるのかということだった。

 スピン1の粒子について、ある方向のスピンの成分を二乗した量を測定すると、適切な単位では結果は0か1になる。さらに、互いに直角な三つの方向について測定すると、結果は必ず0、1、1の組み合わせになる。つまり、三つの方向のうち一つだけが0になり、残りの二つは1になるのである。

 この規則は、コンウェイたちの定理でSPINと呼ばれた。英語でスピンという意味だ。三つの方向を選んで測定すると、0が一つと1が二つ現れる。単純な規則に思えるかもしれない。しかし、ここには数学的に非常に奇妙な問題が隠れていた。

 もしも粒子が、測定される前からすべての方向について答えを持っていたらどうなるだろうか。たとえば、上方向なら0、右方向なら1、前方向なら1という具合に、どの方向の測定にも最初から答えが用意されているとする。測定する人は、その答えを読み取っているだけだという考え方である。

 ところが、さまざまな方向の組み合わせについて、この方法で矛盾なく答えを割り当てることはできない。1967年、サイモン・コッヘンとエルンスト・シュペッカーは、一定の条件のもとではそのような割り当てが不可能であることを証明した。これはコッヘン・シュペッカーの定理と呼ばれている。

 少し分かりやすく考えてみよう。たくさんの箱があり、それぞれに0か1の数字を書かなければならないとする。ただし、決められた三つの箱を選ぶと、必ず0が一つと1が二つ含まれていなければならない。最初の組み合わせでは、簡単に数字を割り当てられるかもしれない。しかし、箱の組み合わせを次々と増やしていくと、どのように数字を書いても規則を満たせなくなる場合がある。

 粒子のスピンにも、それと似た問題が存在していた。あらかじめすべての測定方向に0か1の答えを書き込んでおこうとすると、量子力学の要求と矛盾するのである。つまり、測定結果が単に粒子の内部へ書き込まれた答えを読み取ったものだという説明には、重大な制約があることになる。

 しかし、ここで問題が一つ残る。測定結果は、粒子の内部にある情報だけで決まっているとは限らない。測定装置の向きや、遠く離れた別の粒子の状態が関係している可能性もある。単純な答えの割り当てが不可能だからといって、それだけですべての決定論を否定できるわけではないのである。

 そこでコンウェイたちは、量子もつれという現象に注目した。量子もつれとは、二つの粒子の測定結果が、離れた場所にあっても特別な関係を持つ現象である。たとえば、適切な状態に用意した二つのスピン1粒子を遠く離し、同じ方向についてスピンの二乗を測定すると、結果が一致するという関係を作ることができる。

 この性質を、二人はTWINと名づけた。双子という意味である。二つの粒子がどれほど離れていても、同じ方向について測定すれば対応する結果が一致する。もちろん、粒子が人間の双子のように相談しているわけではない。量子力学が予測する相関関係を、双子という言葉で表現したのである。

 さらに、相対性理論の考え方も利用した。特殊相対性理論によれば、情報を光より速く伝えることはできない。たとえば、地球と火星にそれぞれ測定装置を置いたとしよう。地球で測定する方向を選んだ瞬間、その情報が火星に到達することはできない。光が移動するだけの時間が必要だからである。

 コンウェイたちは、こうした情報伝達の制限と、実験者が測定方向を自由に選べるという前提を組み合わせた。そして、粒子の測定結果が過去の情報によって完全に決まっていると仮定すると、矛盾が生まれることを示したのである。

 ここでいう自由な選択とは、実験者が測定装置の向きを、過去の情報によって完全に決められることなく選べるという意味だ。人間があらゆる意味で自由であることを前提にする必要はない。測定方向を選ぶという、ごく限られた行為についての自由があればよいのである。

 すると、驚くべき結論が現れる。実験者の選択が過去の情報によって決まっていないなら、粒子の反応も過去の情報だけでは完全に決まらない。コンウェイとコッヘンは、この関係を自由意志定理として発表したのである。

 二人が決定的な着想にたどり着いたのは、2004年8月19日のことだった。プリンストン大学にあるコッヘンの研究室で、二人は黒板を使って議論していた。量子力学の奇妙な性質をどのように説明すればよいのか考えているうちに、ある数学的な結論が見えてきた。しかし、最初は自分たちが何を証明したのか、はっきりとは理解していなかったという。

 やがてコンウェイは、自分たちが示した結果の意味に気づいた。人間に自由意志があるなら、粒子にも自由意志があるという結論だった。コッヘンも考えた末に、その表現を認めた。二人は最初から自由意志を証明しようとしていたわけではなかった。量子力学の問題を考えているうちに、自由意志という哲学的な問題へ到達してしまったのである。

 2006年、二人は自由意志定理を論文として発表した。さらに2009年には、前提条件を改良した強い自由意志定理を発表した。こちらではSPINとTWINに加えて、MINと呼ばれる条件を使っている。MINは、離れた二つの実験者の測定方向の選択と、相手側の測定結果との関係に制約を与える条件である。初期の定理で使われたFINという条件を置き換えることで、議論をより精密にしたのだった。

 しかし、この定理を理解するときには、重要な注意点がある。自由意志定理は、人間に自由意志が存在することを証明していない。人間に自由な選択があるという前提から出発し、その場合には粒子の反応について何が言えるかを調べているのである。最初の前提そのものが正しいかどうかは、定理だけでは判断できない。

 また、粒子が人間のように意識を持っていることも証明していない。定理でいう自由とは、過去の情報だけで反応が決定されていないという数学的な性質である。何かを望んだり、理由を考えたり、善悪を判断したりする能力とは違う。粒子が自由意志を持つという表現は印象的だが、人間の自由意志と同じ意味で理解すると誤解が生まれてしまう。

 さらに、自由意志定理の前提条件をどう解釈するかについても、議論が存在している。実験者の選択と粒子の過去の状態が独立しているという前提を認めなければ、別の説明を考える余地がある。また、量子力学には非局所的な関係を認める解釈もあり、定理があらゆる決定論的な理論を無条件に否定するわけではない。

 コンウェイ自身も、人間の自由意志を証明できたとは考えていなかった。彼は2013年のインタビューで、人間の行動が宇宙の過去によって完全に決まっているという考えを証明によって否定することはできないと認めている。その一方で、自分は人間に自由意志があると強く信じているとも語っていた。数学的な証明と、自分自身の哲学的な信念を区別していたのである。

 では、なぜこのような定理が重要なのだろうか。それは、自然界の出来事をどのように説明できるのかという問題に関係しているからだ。ある粒子の測定結果が過去の情報で完全に決まっていると説明したいなら、その説明は量子力学の性質や相対性理論の制約と両立しなければならない。自由意志定理は、そうした説明に厳しい条件を課しているのである。

 そして、ここにはコンウェイの研究を貫く特徴が現れている。彼はライフゲームで、単純な規則から複雑な世界が生まれることを示した。超現実数では、ゲームの規則から無限大や無限小を含む数の世界を発見した。そして自由意志定理では、自然界の規則を組み合わせることで、宇宙の未来について予想外の結論を導いたのである。

 ライフゲームの世界では、すべての未来が最初から決まっている。最初のマス目の配置が決まれば、その後の変化は完全に計算規則によって定まる。ところが、現実の量子力学の世界では、同じように過去の状態から未来が完全に決まるとは限らない。コンウェイは、自分が作った完全に決定論的な世界と、現実の宇宙の不思議な違いに向き合うことになったのである。

 コンウェイは2009年、プリンストン大学で自由意志定理について六回の公開講義を行った。第一回では自由意志と決定論を取り上げ、その後に量子力学や相対性理論を説明し、最終回では自由意志をめぐる哲学的な議論へ進んだ。難解な数学の問題でありながら、一般の人々にも理解してもらおうとしていたのである。

 考えてみれば、電子の自由意志という題名ほど、人々の好奇心を刺激するものはなかなかない。電子は何かを考えているのか、宇宙の未来は決まっているのか、人間は本当に自由なのか。コンウェイは、そのような問いに簡単な答えを与えたわけではなかった。しかし、数学によって問いの意味を明確にし、何が証明できて、何がまだ分からないのかを示したのである。

 コンウェイが追いかけていたのは、単なる計算問題ではなかった。世界はどんな規則に従っているのか、その規則から何が生まれるのか、そして人間はその世界をどこまで理解できるのか。少年時代から数学の不思議に夢中になっていた彼は、晩年になっても同じ好奇心を持ち続けていた。

 ライフゲームを作った数学者が、最後には宇宙の自由意志を考えるようになった。ずいぶん遠くまで来たように思えるが、実はどちらも規則と結果の関係を考える研究だった。コンウェイにとって数学とは、決められた答えを計算するだけの学問ではなかった。世界がどうしてそのように振る舞うのかを知るための、終わりのない探究だったのである。

第十三章 遊び続けた数学者は、世界に何を残したのか?

 2020年4月11日、ジョン・コンウェイはアメリカのニュージャージー州で亡くなった。82歳だった。死因は新型コロナウイルス感染症による合併症である。世界中の人々が感染症の拡大に不安を抱いていた時期に、数学界は一人の特異な研究者を失った。ゲームを愛し、パズルに熱中し、数学のさまざまな分野で重要な発見をしてきた人物だった。しかし、彼の人生を振り返ると、単に優れた数学者が亡くなったという話では終わらないものが見えてくる。

 コンウェイが残したものを考えるとき、まず思い浮かぶのはライフゲームだろう。1970年に広く紹介されたこのゲームは、半世紀以上が経過しても世界中で遊ばれ、研究され続けている。生きているマスと死んでいるマスを用意し、周囲の状態によって次の世代を決める。ただそれだけの仕組みから、移動する模様や計算する装置まで現れるのである。しかも、新しい模様の発見は現在でも続いている。

 コンウェイ自身は、ライフゲームばかり注目されることに不満を抱いていた。しかし、考えてみればこれは不思議な成功だった。彼は一つのゲームを完成させて、人々に遊び方を教えただけではない。誰でも自由に探索できる数学的な世界を作ったのである。その世界には、発明者自身が知らなかった構造が存在し、ほかの研究者たちによって次々と発見されていった。

 そして、コンウェイが特に誇りにしていた超現実数も残された。ゲームの勝ち負けを数学的に考えるうちに、整数や分数だけでなく、無限大や無限小まで含む巨大な数の体系が現れたのである。彼が数学の規則を発明したのか、それとも未知の数学を発見したのかという問題は、簡単には答えられない。しかし、少なくとも一つだけ確かなことがある。コンウェイが生まれる前には知られていなかった数の世界が、彼の研究によって数学者たちに開かれたのだ。

 さらに、コンウェイ群と呼ばれる三つの有限単純群も発見した。24次元のリーチ格子を研究し、その中に隠された巨大な対称性を解明したのである。群論を専門としない人には、何がそれほど重要なのか分かりにくいかもしれない。しかし、有限単純群は数学の基本的な構造を理解するうえで重要な存在であり、コンウェイの発見はその研究の歴史に残るものだった。

 結び目理論では、複雑な結び目を分類する方法を発展させ、結び目に多項式を対応させる研究に貢献した。サイモン・ノートンとはモンスター・ムーンシャイン予想を発表し、巨大な対称性と数論の関係を明らかにするための道筋を示した。さらに晩年には、サイモン・コッヘンとともに自由意志定理を証明した。彼の研究は、数学の一つの分野に収まるものではなかったのである。

 しかし、これらの業績を並べるだけでは、コンウェイの本当の面白さは伝わらないかもしれない。彼は難しい数学を研究するだけでなく、誰でも楽しめる数学的な遊びを作ることにも熱中していたからだ。しかも、その遊びの中には、専門的な数学へとつながる仕組みが隠されていた。

 たとえば、コンウェイが深く研究した数列に、ルック・アンド・セイ数列というものがある。日本語に訳すなら、見たままを言う数列とでも呼べるだろう。最初に1という数字を書く。次に、その数字を言葉で説明してみる。一つの1があるので、1が一つという意味で11と書く。次はどうなるだろうか。

 11には1が二つ並んでいる。だから、次は21になる。21には2が一つと1が一つあるので、次は1211になる。さらに1211を説明すると、1が一つ、2が一つ、1が二つなので、111221になる。こうして、1、11、21、1211、111221という数列が生まれてくる。難しい計算は何も必要ない。ただ前の数字を観察し、そこに何が書かれているのかを説明するだけでよいのである。

 ところが、この単純な数列を研究すると、驚くほど複雑な数学が現れる。コンウェイは数列が長くなる速さを研究し、その成長率が特定の代数的な数によって決まることを明らかにした。さらに、一定の条件を満たす数列は、十分に操作を繰り返すと、限られた種類の基本的な部分へ分かれていくことも示した。その構造を化学元素になぞらえ、音声活性崩壊というユーモラスな名前までつけている。

 もう一つ、コンウェイが考案した有名な方法に終末算法がある。英語ではドゥームズデイ・アルゴリズムという。名前だけ聞くと世界の終わりを予言する恐ろしい計算に思えるが、実際には日付から曜日を暗算する方法である。コンウェイは幼い頃から曜日の計算が得意で、その能力を誰でも利用できるようにする仕組みを考えたのだった。

 たとえば、同じ年の4月4日と6月6日は、必ず同じ曜日になる。8月8日や10月10日、12月12日も同じ曜日だ。これは偶然ではなく、一年の中に存在する日数の規則によって決まっている。こうした覚えやすい日付を利用すると、ほかの日付の曜日も比較的簡単に計算できる。コンウェイは、普段ならカレンダーを見るだけで済ませる問題にまで、数学的な面白さを見つけていたのである。

 このような遊びには、重要な共通点がある。最初から高度な数学を知らなくても参加できることだ。ルック・アンド・セイ数列なら数字を読むことができればよい。曜日の計算なら、一週間が七日であることを知っていれば始められる。ライフゲームも、最初の規則を理解するだけなら難しい数学は必要ない。しかし、どの遊びも深く考えていけば、専門的な数学の問題へとつながっていくのである。

 コンウェイは、この面白さを人に伝えることが好きだった。プリンストン大学では、学生や同僚だけでなく、数学愛好家とも積極的に交流していた。大学の廊下や談話室、近くのコーヒーショップなどで、人々と数学の話をしていたという。相手が有名な教授であるかどうかは重要ではなかった。面白い問題を持っている人なら、誰とでも話をする人物だった。

 妻のダイアナによれば、コンウェイは数学だけでなく、あらゆることに興味を持っていたという。自宅には変わった数学愛好家が訪れることもあり、一緒に食事をしたり、庭で議論をしたりしていた。世界中から大量のファンレターも届いていたそうだ。大学教授という肩書きが、人々との交流を妨げる壁になっていたわけではなかったのである。

 さらに、コンウェイは子どもたちに数学を教えることにも熱心だった。大学生だけでなく、中学生や高校生を対象とする数学キャンプにも参加し、ゲームやパズルを使って数学の面白さを伝えていた。難しい定理を理解する前に、まず自分で考える楽しさを知ってもらう。そんな機会を作ることにも、彼は時間を使っていたのである。

 こうした活動は、研究論文の数だけでは評価できない。ある子どもが数学を嫌いだと思っていたとしても、コンウェイのゲームを体験すれば、少し考えが変わるかもしれない。数学とは学校の試験で正解を出すためのものではなく、自分で問題を発見して遊べるものだと気づく可能性がある。その子どもが将来数学者になるかどうかに関係なく、数学との付き合い方そのものが変わることには意味がある。

 ただし、コンウェイの人生を単純な成功物語にするべきではないだろう。彼は若い頃、自分が十分な研究成果を出せていないことに悩んでいた。ゲームばかりしている自分に罪悪感を抱き、数学者としての将来を不安に思ったこともある。ライフゲームが世界的に有名になってからは、ほかの研究成果が知られないことに不満を感じていた。好きなことを続ければ、すべてがうまくいくという人生ではなかったのである。

 また、彼の成功を遊び好きという性格だけで説明することもできない。コンウェイには高度な数学の知識があり、難しい問題に集中して取り組む能力もあった。リーチ格子の研究では膨大な計算を行い、超現実数の研究では厳密な理論を構築した。自由意志定理も、量子力学や数学的論理についての深い理解がなければ証明できなかった。遊んでいるように見えたとしても、その背後には長年の研究と訓練が存在していたのである。

 それでも、コンウェイの仕事には一貫した特徴があった。彼は何かの役に立つことが分かっている問題だけを選んでいたわけではない。むしろ、役に立つかどうか分からなくても、不思議だと思ったことを追いかけていた。その結果として、ほかの数学者たちが重要だと考える発見に到達することがあったのである。

 たとえば、ライフゲームを考えたとき、コンウェイは現在のコンピュータ技術への応用を予測していたわけではない。ゲームの規則を探究しているうちに、複雑な計算を実行できる仕組みが現れた。囲碁の終盤を考えていたときも、新しい数の体系を作るつもりではなかった。それでも、超現実数が生まれた。研究の価値が、始めた時点ですべて分かっているとは限らないのである。

 ここには、現代の私たちにとっても考える価値のある問題が隠れている。何かを始めるとき、どれほど利益が生まれるのか、どんな成果を得られるのか、何時間で完成するのかと考えることは珍しくない。もちろん、現実に生活するためには、そのような判断も必要である。しかし、最初から結果が分かることしか行わなければ、まだ誰も知らないものに出会う機会は少なくなってしまう。

 数学の研究では、問題の重要性が後になって分かることがある。最初は単なる遊びだと思われていたものが、別の研究分野と結びつくこともある。反対に、長い時間を費やしても、何も発見できないことだってある。コンウェイはすべての問題で成功したわけではないが、結果が分からないことを理由に好奇心を捨てる人物でもなかったのである。

 そして、彼の研究には、もう一つ共通する問題意識があった。それは、単純な規則から何が生まれるのかという疑問である。ライフゲームでは生と死の規則から複雑な模様が現れ、超現実数ではゲームの選択肢から数の体系が現れた。結び目ではひもの絡まり方から数学的な構造が現れ、自由意志定理では自然界の性質を組み合わせることで意外な結論が導かれた。

 コンウェイは、自分で決めた規則についてさえ、その結果をすべて理解できるわけではないことを知っていた。ライフゲームの未来を完全に見通すことはできず、超現実数が持つ豊かさも最初から予測していたわけではない。だからこそ、調べる価値があったのだろう。何が起きるか分かっていることより、何が起きるか分からないことのほうが、彼の好奇心を刺激していたのである。

 2020年にコンウェイが亡くなった後も、彼の名前を冠した数学的な対象は数多く残っている。コンウェイ群、コンウェイ多項式、コンウェイ結び目、コンウェイの自由意志定理、そしてライフゲーム。これらは今後も研究され、新しい発見につながる可能性を持っている。数学者が亡くなっても、その人が開いた問題の世界まで消えてしまうわけではないのである。

 コンウェイの人生から、誰もが重要な数学的発見をできるという教訓を引き出すことはできない。彼は並外れた能力と豊富な知識を持つ数学者だった。しかし、数学に向き合う姿勢については、専門家でなくても学べることがある。それは、分からないことをすぐに役に立たないと判断せず、不思議だと思ったものについて考え続けるという姿勢である。

 一本のひもにも、数枚のカードにも、方眼紙の上に並べた小さな駒にも、まだ知られていない問題が隠れているかもしれない。そこから何が生まれるのかは、実際に考えてみなければ分からない。コンウェイは、そうした身近なものを徹底的に調べることで、数学の広大な世界へ進んでいった人物だった。

 ジョン・コンウェイは、世界に何を残したのだろうか。重要な定理や新しい数の体系、数多くのゲームやパズルを残したことは確かである。しかし、それだけではない。数学とは特別な人だけが理解する難解な学問ではなく、誰でも好奇心を持って参加できる探究でもあることを、その生涯を通じて示したのである。

 ライフゲームの盤面に五つのマスを並べれば、今日もグライダーが動き始める。そこにコンウェイ本人はいないが、彼が定めた規則は変わらず働き続けている。そして、その小さな模様を見て、なぜこんな動きをするのだろうと疑問を持つ人が現れる。その人がライフゲームの盤面を次の世代へ進めるたびに、新しい問題が生まれるかもしれない。遊び続けた数学者が残した最も大きなものは、答えそのものよりも、まだ誰も知らない答えを探しに行きたくなるような好奇心だったのかもしれない。

参考文献

人物・生涯・数学観(第一章・第二章・第五章・第八章・第十三章)

1.MacTutor History of Mathematics「John Horton Conway」

 URL:https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Conway/

 概要:セント・アンドルーズ大学の数学史資料。コンウェイの幼少期、ケンブリッジ大学での研究生活、プリンストン大学への移籍、数学上の主要業績をまとめた伝記。生年月日や学歴、研究歴などの基本的な事実確認に適している。

2.Princeton University「Mathematician John Horton Conway, a ‘magical genius’ known for inventing the ‘Game of Life,’ dies at age 82」(2020年)

 URL:https://www.princeton.edu/news/2020/04/14/mathematician-john-horton-conway-magical-genius-known-inventing-game-life-dies-age

 概要:コンウェイが長年所属したプリンストン大学による追悼記事。同僚や家族の証言を通じて、学生との交流、研究室の様子、ゲームへの情熱、人柄などが紹介されている。主要な研究成果も網羅されており、人物像を理解するための重要な資料。

3.Siobhan Roberts「A Life in Games」Quanta Magazine(2015年)

 URL:https://www.quantamagazine.org/john-conways-life-in-games-20150828/

 概要:伝記『Genius at Play』の著者シボーン・ロバーツによる記事。若い頃の研究生活、数学者としての不安、ゲームに熱中していた日々、超現実数の発見までを詳しく描いている。コンウェイが遊びと研究をどのように結びつけていたのかを知るのに適した資料。

4.Siobhan Roberts「Science Lives: Mathematician John Conway」Simons Foundation(2014年)

 URL:https://www.simonsfoundation.org/news/john-conway/

 概要:本人へのインタビューを中心とする人物紹介。ゲームから超現実数が生まれた経緯、数学の発明と発見の違い、数学者としての価値観などが語られている。コンウェイ自身の考え方を調べるうえで重要な資料。

5.Manjul Bhargava「John Horton Conway (1937–2020)」Nature(2020年)

 URL:https://www.nature.com/articles/d41586-020-01515-1

 概要:数学者マンジュル・バルガヴァによる追悼記事。コンウェイの幅広い研究業績と、数学を遊びとして楽しむ姿勢を紹介している。群論、幾何学、結び目理論などの業績を総合的に理解するための資料。

ライフゲーム・計算理論(第三章・第四章・第五章)

6.Martin Gardner「Mathematical Games」Scientific American(1970年10月)

 URL:https://www.scientificamerican.com/article/mathematical-games-1970-10/

 概要:ライフゲームを世界的に有名にした歴史的な記事。コンウェイが考案した規則と、そこから生まれる複雑な模様を一般読者に紹介した。ライフゲームがどのように世間へ広まったのかを確認するための一次資料。

7.LifeWiki「Universal computer」

 URL:https://conwaylife.com/wiki/Turing_complete

 概要:ライフゲームの計算能力を解説した専門的な資料。チューリング完全性、万能計算機、ポール・レンデルによるチューリングマシンの実装などを紹介している。単純なマス目の世界が、なぜコンピュータと同じ計算能力を持てるのかを理解するために役立つ。

組合せゲーム理論・超現実数(第六章・第七章・第八章)

8.John H. Conway『On Numbers and Games』第2版序文

 URL:https://www.cut-the-knot.org/books/ONAG/prologue.shtml

 概要:コンウェイ本人が、囲碁の終盤研究から超現実数を発見した経緯を振り返った文章。ゲーム理論の研究を始めた理由や、著書の執筆事情、超現実数という名前の由来などが本人の言葉で説明されている。

9.Stanford Encyclopedia of Philosophy「Infinity」

 URL:https://plato.stanford.edu/entries/infinity/

 概要:無限という概念を数学と哲学の両面から解説した専門的な百科事典項目。超現実数についても取り上げられており、通常の実数を超えて無限大や無限小を扱う仕組みを説明している。超現実数を、数学の歴史や哲学の中に位置づけるための資料。

10.Donald E. Knuth『Surreal Numbers』著者公式紹介ページ(1974年刊)

 URL:https://cs-faculty.stanford.edu/~knuth/sn.html

 概要:コンウェイの超現実数を小説形式で紹介した数学書の著者公式ページ。超現実数の特徴、著書の刊行情報、クヌースによる命名についての言及などが掲載されている。超現実数が一般読者へどのように紹介されたのかを知るための資料。

24次元・対称性・モンスター群(第九章・第十章)

11.Wolfram MathWorld「Leech Lattice」

 URL:https://mathworld.wolfram.com/LeechLattice.html

 概要:24次元のリーチ格子を数学的に解説した資料。コンウェイ群Co1、Co2、Co3との関係や、24次元空間における球の配置について説明している。コンウェイの群論における業績を確認するための専門資料。

12.Henry Cohnほか「The sphere packing problem in dimension 24」Annals of Mathematics(2017年)

 URL:https://annals.math.princeton.edu/2017/185-3/p08

 概要:24次元空間において、リーチ格子が最も密度の高い球の配置を与えることを証明した研究論文。コンウェイ本人の論文ではないが、彼が研究したリーチ格子が現代数学でも重要な役割を果たしていることを示す資料。

13.John H. Conway・Simon P. Norton「Monstrous Moonshine」Bulletin of the London Mathematical Society(1979年)

 URL:https://doi.org/10.1112/blms/11.3.308

 概要:コンウェイとノートンが発表したモンスター・ムーンシャインの原論文。巨大な有限単純群であるモンスター群と、モジュラー関数の間に存在する奇妙な関係を研究している。数学の異なる分野が思いがけず結びついた歴史的な研究。

結び目理論(第十一章)

14.Wolfram MathWorld「Conway Polynomial」

 URL:https://mathworld.wolfram.com/ConwayPolynomial.html

 概要:コンウェイが発展させた結び目の多項式不変量について解説した資料。結び目に多項式を対応させる方法や、三葉結び目、八の字結び目などの具体例が紹介されている。結び目を数学的に区別する仕組みの説明に適している。

15.Lisa Piccirillo「The Conway knot is not slice」Annals of Mathematics(2020年)

 URL:https://annals.math.princeton.edu/2020/191-2/p05

 概要:長年未解決だったコンウェイ結び目の問題を解決した原著論文。コンウェイ結び目が滑らかな意味でスライス結び目ではないことを証明している。コンウェイの研究対象が、彼の晩年まで数学の重要な問題として残っていたことを示す資料。

16.Erica Klarreich「Graduate Student Solves Decades-Old Conway Knot Problem」Quanta Magazine(2020年)

 URL:https://www.quantamagazine.org/graduate-student-solves-decades-old-conway-knot-problem-20200519/

 概要:数学者リサ・ピッチリーロがコンウェイ結び目の難問を解決した経緯を紹介した記事。問題を知った大学院生が、短期間で長年の難問を解決したという興味深い物語が描かれている。専門的な研究成果を一般読者に説明する際に役立つ。

量子力学・自由意志定理(第十二章)

17.John Conway・Simon Kochen「The Free Will Theorem」(2006年)

 URL:https://arxiv.org/abs/quant-ph/0604079

 概要:コンウェイとコッヘンが発表した自由意志定理の原論文。量子力学と相対性理論に関係する前提を用いて、粒子の測定結果が過去の情報によって完全に決まるのかを論じている。定理の正確な内容を確認するための一次資料。

18.John Conway・Simon Kochen「The Strong Free Will Theorem」(2008年公開)

 URL:https://arxiv.org/abs/0807.3286

 概要:自由意志定理を改良した研究論文。初期の定理で用いられた前提条件を変更し、結果をさらに強化している。自由意志定理について説明する際に、最初の論文との違いを確認するための資料。

数学的な遊びと遺産(第十三章)

19.Wolfram MathWorld「Look and Say Sequence」

 URL:https://mathworld.wolfram.com/LookandSaySequence.html

 概要:数字を見たまま読み上げることで生成される数列を解説した資料。コンウェイが研究した数列の成長率や、音声活性崩壊と呼ばれる興味深い性質が紹介されている。コンウェイの遊び心と、そこから生まれる高度な数学を示す具体例として役立つ。

20.London Mathematical Society「John Horton Conway (1937–2020)」(2020年)

 URL:https://www.lms.ac.uk/news-entry/14042020-1413/john-horton-conway-1937-2020

 概要:ロンドン数学会による追悼記事。コンウェイ群や超現実数などの業績、数学的ゲームへの関心、学会からの評価を簡潔にまとめている。コンウェイが数学界に残した影響を総括するための資料。

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