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フーコー入門 哲学入門シリーズ5

第1章 フーコーってどんな人?

ミシェル・フーコーは、二十世紀フランス思想の中でも、とびきり厄介で、とびきり頼もしい人物として立っている。厄介というのは、彼を一つの肩書きに押し込めようとすると、たちまち逃げ出してしまうからだ。構造主義者だと言えば、本人はその呼び名を嫌がる。ポスト構造主義だと言えば、そもそもその「ポスト」という言い方が時代整理の都合に見えてしまう。政治思想家だと言えば、彼は革命の理想よりも、もっと地味で具体的な現場――病院、監獄、学校、兵舎、家庭、診察室、役所――の作動の仕方に目を凝らす。哲学者だと言えば、彼は「哲学とはこうあるべきだ」という型を疑い、学問の境界線を踏み越えていく。だからフーコーは、立場よりも先に「作業」を見るべき人間である。何を信じたかより、何を疑い、どんなやり方で解体し、何を組み替えたか。その手つきにこそ人物像が宿っている。

フーコーは一九二六年にフランスで生まれ、一九八四年に亡くなった。時代としては、二つの世界大戦の影がまだ濃く、冷戦と植民地の解体が進み、学生運動や社会運動が噴き上がった時代である。彼の関心が「大きな理念」ではなく、「制度や知の実務が人をどう作るか」に向かったのは、この時代の温度と無関係ではない。人間は自由な主体として歴史を作る、という美しい物語が語られやすい時代に、フーコーはそれとは逆向きの質問を投げた。そもそも、その“自由な主体”という像は、いつ、どこで、どういう条件で成立したのか。自由を語る言葉そのものが、誰かを分類し、測定し、矯正し、正常と異常を分け、気づかぬうちに人を型にはめてはいないか。彼は人間を否定したいのではなく、「人間という概念がどのように作られてきたか」を疑ってみせたのである。

学問的な経歴としても、彼は境界線上に立つ。哲学を学びながら心理学や精神医学、歴史学、言語学、文学批評などへ自在に触手を伸ばし、思想の道具を目的に応じて持ち替えていった。その結果、フーコーの文章には独特の冷たさと熱さが同居する。冷たさとは、誰かの善意や悪意といった心理に回収しないところだ。彼は「権力者が悪いから抑圧が起きる」といった分かりやすい筋書きを拒む。熱さとは、現場の具体性への執念である。精神病院の扱い、医師の視線、監獄の建築、裁判の記録、統計、行政の言葉遣い。そういう、退屈に見える資料の束の中に、社会が人間を理解し管理する仕組みが刻まれていると彼は見抜いた。だからフーコーの思想は、読者の気分を高揚させるというより、視力を変える。見えていなかった構造が見えるようになる。すると、昨日まで当然だと思っていた世界の輪郭が、別の線で引き直されてしまう。

初期の代表作として知られるのが、『狂気の歴史』である。そこでフーコーは、狂気が単なる医学的事実として最初からそこにあったのではなく、ある時代の社会が「理性/非理性」を分け、施設に隔離し、言葉を奪い、沈黙させる過程の中で形づくられていったことを描く。ここで重要なのは、フーコーが「昔はひどかった、今は進歩した」と単純に言わない点だ。進歩の物語を疑い、進歩と呼ばれるものがどんな代償を伴っていたのかを追う。近代は人道的になったと言いながら、別の形の管理や排除を強化してはいないか。そういう問いが一貫している。

続く『臨床医学の誕生』では、病気を診る「まなざし」がどう成立したかが問われる。病気は身体の中にある、という素朴な理解に対して、フーコーは診察室の配置、病院制度、記録の方式、医師が何を“見えるもの”として扱うか、その条件を丹念にたどる。つまり彼は、知識が対象をただ写し取るのではなく、対象の形をつくり出す側面を暴きたい。ここから「知と権力」という有名な結びつきが見えてくる。知は中立で清潔なものではなく、人を分類し、正しい生き方を規定し、逸脱を名づけ、矯正する装置として働くことがある。

一九六〇年代のフーコーを決定づけた書物が『言葉と物』である。ここで彼は、人間科学が「人間」という対象を当然のように中心に据えてきたこと自体が、実は歴史的な条件の産物だと示唆する。人間が世界の主人公として登場するのは永遠の真理ではない。むしろ一定の知の配置が成立したからこそ、そのように見えるようになった。フーコーが当時「人間は砂浜の顔のように消えるだろう」と語ったと伝えられるのは、挑発のためではない。人間を大切にするためにこそ、「人間」という概念の成立条件を問い直す必要がある、という逆説の表現なのだ。

この時期のフーコーは、自分の方法を「考古学」と呼んだ。遺跡を掘り出すように、ある時代の言説の層を掘り、何が語れる条件だったのかを探る。だが彼はやがて、それだけでは足りないと感じるようになる。言説の条件を示すだけでは、なぜその条件が権力関係と結びつき、現実の身体や制度を動かすのかが十分に描けない。そこで登場するのが「系譜学」である。ニーチェに学びつつ、起源の純粋さを求めるのではなく、偶然の連鎖、利害の衝突、管理の必要、恐れや期待といった雑多な力の絡まりの中から、現在の制度が組み上がっていく過程を追う。ここでフーコーは、思想家というより、歴史の探偵に近い。犯人探しではなく、仕組み探しである。

その系譜学の到達点として有名なのが『監獄の誕生』だ。公開処刑という派手な暴力から、監視と訓練による日常的な管理へ。権力が「痛めつける力」から「作り変える力」へと姿を変える過程が描かれる。フーコーが面白いのは、監獄を単なる失敗した制度として片づけないところだ。更生に失敗しているのに監獄が存続するのはなぜか。それは監獄が、犯罪者を減らす以上に、社会を分類し、警察や司法や行政の働きを正当化し、監視の技術を社会全体へ広げる役割を果たしているからではないか。こうした視点は、道徳的非難よりも一段深いところに入っていく。

一方でフーコーは、机の上の思想家に留まらなかった。とくに一九七〇年代、監獄や司法をめぐる運動に関わり、知識人の役割についても独自の立場を取った。「普遍的な真理を代表して人民を導く知識人」ではなく、「特定の現場で作動する仕組みを暴き、抵抗の回路を増やす知識人」。フーコーにとって思想とは、完成された教義ではなく、闘争のための道具である。だから彼は自分の著作を「道具箱」と呼び、読者が必要に応じて使い、壊し、組み替えることを望んだ。フーコー主義者になる必要はないし、なってはいけない、という態度すら感じられる。

晩年に向かうと、彼の関心は「主体化」と「倫理」へと移っていく。権力が人を作るという話だけでは、人はただの被害者になってしまう。だが現実には、人は自分を作りもする。そこでフーコーは、古代ギリシア・ローマの文献を手がかりに、「自己への配慮」や「自己の技法」を探るようになる。ここで彼が探しているのは、規範に従う道徳ではなく、生のスタイルとしての倫理である。人が自由になれる場所を、制度の外側に夢見るのではなく、制度や言説の内側でどう自分を扱い、どう距離を取り、どう別の生を発明できるのか。その可能性を問う。フーコーの思考が最後に辿り着いたのが、権力批判だけで終わらない、自由の技術としての哲学だという点は、しばしば誤解されがちな重要点である。

フーコーとは何者だったのか。ひとことで言えば、「当たり前の成立条件を疑う人」である。狂気、病、犯罪、性、正常、真理、主体、自由――それらは最初から自然にそこにあったのではなく、歴史の中で作られ、運用され、時に暴力的に固定されてきた。そして作られたものである以上、別の形に作り直す余地もある。フーコーは希望を安易に語らない。だが、希望が成立するための前提――世界は不変ではないという感覚――を、最も冷静な仕方で支えてくれる。その冷静さこそが、彼の危険さであり、同時に救いでもある。読者の目を覚まし、世界の仕組みを見えるようにしてしまうからだ。フーコーは、思想を「信じるもの」から「使うもの」へ変えてしまった人物なのである。

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