デュルケーム入門 哲学入門シリーズ8
第1章 デュルケームってどんな人?
エミール・デュルケームは、社会学を「思いつきの社会批評」から引き剥がし、大学で教え研究できる学問として立ち上げた人だ。近代の世界では、個人の自由や権利が大きくなっていく一方で、共同体の結びつきがほどけ、価値観がばらばらになりやすい。そうなると、人は自由になったはずなのに、なぜか不安になる。何を信じればいいのか分からなくなる。うまくいっている人の背後にも、どこか空洞が生まれる。デュルケームはその空洞を「個人の性格」や「時代の気分」のせいにせず、社会そのもののあり方として捉え直そうとした。彼の問いは、現代にもそのまま刺さる。なぜ社会は人を縛るのか。なぜ人は社会なしに生きられないのか。自由が増えるほど、なぜ孤独や絶望が増えることがあるのか。こうした問いに、彼は冷たい数字や抽象理論だけで答えようとしたのではない。むしろ「社会を理解しなければ、道徳も政治も教育も、どこかで壊れる」という切迫感があった。
デュルケームは1858年、フランス東部の町エピナルに生まれた。ユダヤ教の家庭で育ち、宗教的な伝統と学問の規律の中で青年期を過ごす。だが彼が選んだのは、宗教者としての道ではなく、世俗の学問だった。フランスは19世紀末から20世紀初頭にかけて、政治体制が揺れ、宗教と国家の関係が問い直され、急速な近代化が進む時代だった。人々は「昔ながらの規範」に頼りにくくなり、国家は国民をまとめ直す必要に迫られ、社会の統合をどう作るかが重大なテーマになっていた。デュルケームにとって社会学は、単なる観察ではなく、ばらばらになりかけた社会を理解し、支え直すための知の装置だった。彼が教育や道徳の問題を重視したのも、そのためだ。社会は自然にまとまるのではない。まとまる仕組みがあり、壊れる条件があり、支え直す手段がある。ならばそれを、主観ではなく確かな方法で調べなければならない。ここに彼の学問観の芯がある。
彼が社会学に持ち込んだ決定的な発想は、「社会には、個人の心の足し算ではない独自の現実がある」という考え方だ。社会は人間が作ったものだから、結局は個人の意志や感情から説明できる、という見方は直感的にはもっともらしい。しかしデュルケームは、そう簡単にはいかないと言う。たとえば言語や法律や慣習は、あなたが生まれる前から存在し、あなたが望もうと望むまいと、あなたの行動の選択肢を形づくっている。あなたが「挨拶なんてしない」と決めても、しないことで相手の反応が変わり、人間関係が変わり、仕事が進みにくくなるかもしれない。つまり社会は、外からあなたに圧をかける。しかもそれは誰か特定の個人が押しているのではなく、集団のルールとして働く。こうした現象を彼は「社会的事実」と呼び、社会学が扱うべき対象だとした。社会的事実は、個人の外にあり、個人を拘束し、しかも広く共有されている。ここを押さえると、社会学は急に輪郭を持つ。社会学は「みんなの気持ち」を語る学問ではない。個人の内面とは別の層にある、社会の力学を扱う学問なのだ。
この考え方は、個人を軽視するという意味ではない。むしろ逆だ。デュルケームは、個人が尊重される近代社会を肯定しつつ、それが成立する条件を問うた。近代的な個人主義は、単なるわがままや孤立ではない。個人を大切にするという価値そのものが、社会の中で育ち、共有され、教育され、制度として支えられて初めて成り立つ。だから彼は、個人の自由を守るには、社会の結びつきを破壊するのではなく、より適切なかたちに作り直さなければならないと考えた。人は社会から逃れて自由になるのではなく、社会の中でしか自由になれない。この逆説がデュルケームの面白さであり、現代への手がかりでもある。
彼の学問が注目された大きな理由の一つは、方法へのこだわりだ。デュルケームは、社会を語るときにありがちな「道徳的な説教」や「政治的な好悪」をいったん脇に置き、社会的事実を「もの」として扱うべきだと主張した。ものとして扱うとは、冷たく扱えという意味ではない。先入観や願望で対象を歪めず、外から観察し、比較し、検証し、説明の筋道を確かめるということだ。社会は目に見えないからこそ、物理的なモノよりも、簡単に主観で塗りつぶされてしまう。だからこそ社会学には、意識的に距離を取る態度が必要になる。彼の本がしばしば硬く感じられるのは、この距離の取り方が徹底しているからだ。ただ、その硬さは「人間に冷たい」からではない。むしろ、社会をいい加減に語ることが、結果的に人を傷つけると知っていたからだ。
デュルケームの名を決定的にしたのは、『自殺論』である。自殺という現象は、最も個人的で心理的な出来事だと考えられがちだ。ところが彼は、国や地域や宗教や家族形態によって自殺率が安定した差を持つことに注目し、社会の状態が自殺に影響することを示そうとした。彼が重視したのは、社会が人をどれだけ「統合」しているか、そして人の欲望や行動をどれだけ「規制」しているか、という二つの軸だ。統合が弱すぎれば人は孤立し、規制が弱すぎれば欲望が際限なく膨らみ、どちらも人を不安定にする。ここから見えてくるのは、近代社会の落とし穴だ。自由が増えることは良いことだが、同時に結びつきと規範の再設計が必要になる。そうしないと、人は自由の中で迷子になる。デュルケームが社会学を「近代の病理」を診断する学問として構想したことが、ここでよく分かる。
彼のもう一つの大きな業績は、宗教を社会学の対象として捉え直したことだ。宗教を迷信や非合理として切り捨てるのではなく、宗教が持つ社会的機能、つまり人々を結びつけ、価値を共有させ、共同体を生きたものにする働きに注目した。彼は宗教の核心を「神聖なもの」と「俗なもの」の区別に見いだし、儀礼が共同体を再生産する仕組みを分析する。ここでも重要なのは、宗教を個人の内面の信仰だけで説明しないことだ。人が一人で何を信じるかではなく、集団が何を神聖化し、どんな場で熱狂し、どのように同じ世界を共有するのか。そういう集団の動きの中に、宗教の力がある。現代の私たちが宗教以外の場面、たとえばスポーツ観戦やイベントやネットの祭りのような熱狂を見たときにも、デュルケームの視点は妙に説明力を持つ。社会は、周期的に「われわれ」を更新する場を必要とする。その必要が形を変えて現れるのだ。
こうして見ると、デュルケームは単なる学者ではなく、近代社会の設計図を描こうとした思想家でもある。彼は極端な個人崇拝にも、古い共同体への郷愁にも寄りかからない。分業が進み、価値観が多様化し、人々が違いを抱えたまま共存しなければならない社会で、どうすれば結びつきを作り直せるのか。その答えとして彼が重視したのが、教育であり、職業集団のような中間団体であり、道徳の再構築だった。国家がすべてを抱え込むのでもなく、個人がバラバラに放り出されるのでもない。中間のレベルで、人が互いに責任を持てるような結びつきが必要だという発想は、今日の社会問題にも直結している。孤独、格差、分断、ネット上の炎上、仕事の不安定化。これらは形を変えたアノミーとして読むことができるし、統合と規制のバランスが崩れたときに何が起きるかという彼の問いは、いまも新しい。
デュルケームの生涯は、学問の制度化とともにあった。大学で社会学の地位を築き、雑誌を創刊し、研究者の共同体を作り、社会学を継承可能な学問にした。彼が作った土台の上で、甥のマルセル・モースらが新しい展開を生み、さらに後の機能主義や教育社会学、宗教社会学へと広がっていく。だからデュルケームを読むことは、単に一人の学者を知ることではない。社会を「見えるもの」として捉えるための視力を手に入れることに近い。自分の感じ方だけで世界を説明しようとすると、世界はあまりに理不尽に見える。しかし社会的事実という層を認めると、理不尽さの輪郭が立ち上がり、どこを変えれば何が変わるのかという地図が描けるようになる。デュルケームは、その地図を描くための最初の強い線を引いた人なのである。