文学・思想の一丁目一番地

フロイト入門 哲学入門シリーズ14

第一章 フロイトってどんな人?

フロイトという名前を聞くと、多くの人は「無意識」や「夢占いの人」を思い浮かべるかもしれません。あるいは、なんでも性的な意味に結びつける人、という少し誇張されたイメージを先に持っている人もいるでしょう。しかし、フロイトを本当に面白く読むためには、まず彼を「奇抜な理論家」としてではなく、近代という時代のなかで、人間の心を新しい見方で捉え直した人物として見る必要があります。フロイトは、私たちが自分のことを「わかっている」と思っているその足元に、実は見えない動きがあるのではないか、と問いを立てた人でした。

ジークムント・フロイトは一八五六年に生まれ、オーストリアのウィーンを中心に活動した医師です。彼は最初から「精神分析」を完成された形で持っていたわけではありません。むしろ出発点は、神経の病気やヒステリーと呼ばれていた症状に向き合う、当時の医学の現場でした。手足が動かない、声が出ない、強い不安に襲われる、身体にははっきりした異常が見つからないのに苦痛が続く。そうした患者を前にして、当時の医学は十分に説明できないことが多くありました。フロイトはその「説明できなさ」を、ただの謎として放置せず、心の働きの問題として掘り下げていきます。

ここで大事なのは、フロイトが単に人の内面に興味をもった文学者や思想家ではなく、もともとは医学訓練を受けた人間だという点です。彼の文章には大胆な仮説が多く、後の時代から見れば問題点もありますが、それでも彼が一貫してやろうとしたのは、苦しんでいる人の症状を「意味のあるもの」として理解することでした。症状はただの故障ではなく、その人の生の歴史や葛藤のあらわれかもしれない。これは当時としてはかなり大きな転換です。今でこそ「ストレスで体調を崩す」「心の問題が身体に出る」という言い方は広く受け入れられていますが、その発想の土台を作った一人がフロイトでした。

フロイトが生きた時代は、科学が大きな力を持ち、合理性や進歩への期待が強かった時代でもありました。都市は発展し、技術は進み、人間は世界をどんどん理解できるようになっていく、という空気がありました。けれどフロイトは、その近代的な自信に対して、ある意味では冷や水を浴びせることになります。人間は理性的に生きているつもりでも、実際には自分でも気づかない欲望や恐れ、過去の記憶、抑え込んだ感情に動かされていることがある。つまり、近代が思い描いた「自分を完全にコントロールできる主体」というイメージに、ひびを入れたのです。この点でフロイトは、単なる心理学者というより、人間観そのものを変えた思想家と言えます。

たとえば、誰かの名前を呼ぼうとして、なぜか別の人の名前を言ってしまうことがあります。あるいは「今日は絶対に忘れちゃいけない」と思っていた約束を、なぜかその日に限って忘れてしまう。ふつうは「うっかりしていた」で済ませる場面です。しかしフロイトは、こうした小さな失敗にも心の動きが現れる場合があるのではないかと考えました。もちろん、すべてに深い意味があると決めつけるのは危険ですが、「自分の行動を自分が完全には説明できないことがある」という観察は、私たちにも思い当たるところがあるでしょう。たとえば会いたくない相手との予定だけ妙に忘れやすい、というのは、単なる記憶力の問題だけではないかもしれません。こういう日常のひっかかりを手がかりに、フロイトは心の奥にある力を考えようとしたのです。

フロイトの人生は、理論の発展だけでなく、時代の暴力とも切り離せません。ユダヤ系知識人であった彼は、ヨーロッパ情勢の悪化のなかで圧迫を受け、最終的にはロンドンへ亡命します。人間の理性や文明を信じたい気持ちがある一方で、人間の攻撃性や破壊性を見つめざるをえなかった背景には、こうした時代経験もありました。後年のフロイトが、個人の心だけでなく、宗教や文明、集団の心理にまで関心を広げていくのは偶然ではありません。人間の心を理解するには、個人の内面だけでなく、社会や文化の仕組みも見なければならないと感じていたからです。

ただし、フロイトを読むときには、敬意と距離の両方が必要です。彼の理論には、現在の研究から見て支持されにくい部分もありますし、ジェンダー観や家族観には時代的な偏りもあります。それでもなお、彼が残した問いは生きています。なぜ人は同じ失敗を繰り返すのか。なぜ頭ではわかっているのに感情が追いつかないのか。なぜ夢や言い間違いが妙に心に残るのか。なぜ人は自分自身を欺いてしまうのか。こうした問いは、現代の私たちにもそのまま刺さります。フロイトの価値は、「答えを全部正しく出したこと」だけではなく、「それまで見えなかった問題の立て方を作ったこと」にあるのです。

このシリーズでフロイトを読む意味も、まさにそこにあります。哲学はしばしば「人間とは何か」「自由とは何か」「理性とは何か」を問いますが、フロイトはそこに「そもそも人間は自分のことをどれだけ知っているのか」というねじれた問いを差し込みました。この問いが入るだけで、道徳、政治、宗教、教育、恋愛、家族、芸術の見え方まで変わってきます。人間は理性的な存在である、という見方を捨てる必要はありませんが、それだけでは足りない。フロイトは、その不足分を埋めようとしたのです。

だからフロイトは、好き嫌いが分かれる思想家であると同時に、一度は通る価値のある思想家でもあります。彼を読むことは、フロイトを信じることではありません。自分の心の説明書が、思っていたよりもずっと薄いのではないかと疑ってみることです。その疑いは、少し怖いものでもありますが、同時に人間理解を深くしてくれます。次の章からは、フロイトがどのような現場から出発し、どんな問題にぶつかり、どうやって「精神分析」という方法を作っていったのかを見ていきます。フロイトという人を知ることは、近代人である私たち自身の心の癖を知る入口でもあるのです。

続きはこちらから
フロイト入門 哲学入門シリーズ14
フロイト入門 哲学入門シリーズ14

哲学入門シリーズ一覧に戻る
うしPのページに戻る