ソクラテス入門 哲学入門シリーズ23
第一章 ソクラテスってどんな人?
ソクラテスは、西洋哲学の父と呼ばれる古代ギリシアの哲学者である。だが、彼自身は一冊の書物も残していない。名前は知っていても、実際に彼がどんな人物だったのか、何を考えていたのかを説明できる人は意外と少ないかもしれない。プラトンやクセノポンといった弟子たちの記録を通して、断片的に浮かび上がってくるソクラテス像。そこに私たちが見るのは、一人の奇妙な、そして強烈な人物である。
ソクラテスはアテナイの町にいた。学者ではなく、教師でもない。貴族でもなければ、政治家でもなかった。彼はただ、毎日のように広場や市場に出かけては、通りすがりの人間に声をかけ、対話をしかけるという変わった男だった。「あなたは善を知っているというが、それはいったい何か?」と唐突に問う。突然そんなことを聞かれた人々は戸惑いながらも答えるが、ソクラテスはさらに鋭く切り返して、矛盾を指摘し、問い詰めていく。その結果、相手は最初に自信満々に語っていたことが、実はよくわかっていなかったのだと気づかされる。言い換えれば、彼はアテナイの町を歩く「問いの発生装置」であり、「他人の無知を暴く達人」だった。
このやり方は当然、敵も多くつくった。偉そうにしていた政治家や詩人、教師や職人たちが、ソクラテスとの対話を通じて自分の浅薄さを暴かれ、恥をかく。そして、彼に腹を立てる。しかも、ソクラテスには見返りがない。金を取るでもなく、地位を得ようとするでもなく、ただ無償で、ひたすら「本当に大事なこと」を尋ねてまわる。
なぜそんなことをするのか? 彼自身によれば、それは神の命令だった。あるとき、デルポイの神殿で神託が下された。「ソクラテスこそが最も賢い人間である」と。これに驚いたソクラテスは、自分より賢い者を見つけようとして町を歩き、人々と対話を始めた。だが、知者とされていた人々は、誰も自分の無知に気づいていなかった。そのとき彼は気づいたという。自分は「知らないことを知っている」という点で、彼らよりも賢いのだと。
この「無知の知」こそ、ソクラテス哲学の出発点である。何かを「知っている」と思い込むことは、思考を止めることである。だが「知らない」と自覚すれば、人は問うことができる。探し続けることができる。哲学とは、まさにその問いの営みである。そしてそれは、答えを見つけるためではなく、問い続けることそのものに意味がある。だからこそソクラテスは、教師ではなく、対話者であり続けた。
だが彼が追い求めていたのは、単なる知識ではない。「善く生きること」そのものだった。彼は人間にとって最も重要なのは、金や名誉ではなく「魂」であると考えていた。そしてその魂を育てるためには、自分が何を知っていて、何を知らないのかを見つめ直し、正義や善、愛、節度とは何かを問わねばならない。彼にとって哲学とは、実践であり、生き方だった。
だからこそ、彼の生はそのまま哲学になった。粗末な服を着て、裸足で歩き、財産を持たず、質素に生きる。だがその姿勢は頑固で、どれほど不利な状況にあっても曲げることはなかった。自分が正しいと思うことを語る自由を決して手放さず、相手が誰であろうと問いを投げかけ続けた。
この姿勢がついに、彼の命を奪うことになる。紀元前399年、ソクラテスは「国家の神々を信じず、青年を堕落させた罪」で訴えられ、有罪となる。死刑宣告を受けたときも、彼は逃げようとしなかった。逃亡を勧める弟子の提案を退け、「法が不当だからといって法を破ってよいのか?」と自らを律し、毒杯を仰いで死んだ。
彼にとって、命よりも大事なものがあった。それは、自分の魂を裏切らないことだった。「吟味されざる生は、生きるに値しない」と彼は語る。その言葉通り、彼は最後まで、自らを吟味し続ける人生を貫いたのだ。
ソクラテスの死後、その生き様は弟子たちによって記録され、後世の人々に強烈な印象を残した。特にプラトンは、ソクラテスを主人公とした多くの対話篇を残し、師の思想を体系化していく。やがてアリストテレスがそれをさらに整理し、「哲学」という営みが学問として形を成していく。そういう意味で、ソクラテスは「哲学の祖」と呼ばれるにふさわしい存在である。
だがそれ以上に重要なのは、ソクラテスの哲学が「生き方」だったという点だ。私たちが日々の暮らしの中で、何かに迷ったとき、何が正しいのかわからなくなったとき、「それは本当に善いことなのか?」と自問するならば、その瞬間、私たちの中にもソクラテスが生きている。ソクラテスとは一人の人物の名であると同時に、ある問いの姿勢そのものであるのだ。