メルロ=ポンティ入門 哲学入門シリーズ27
第一章 メルロ=ポンティとはどういう人
モーリス・メルロ=ポンティ(一九〇八年〜一九六一年)は、二十世紀フランスを代表する哲学者であり、現象学の系譜に連なりつつも独自の思想を切り拓いた人物である。彼の哲学は「知覚」や「身体」といった日常的でありながら深遠な主題を通して、私たちの世界理解の根本に迫ろうとするものであり、難解であると同時に、どこか人間的な温もりを湛えている。その思索はサルトル、カミュと並ぶ存在として戦後フランスの知的風景を形づくり、今なお文学、芸術、心理学、認知科学など多くの分野に影響を与え続けている。
メルロ=ポンティは一九〇八年にフランスのロシュフォールに生まれた。父を幼くして亡くし、少年期は母とともに暮らした。成績優秀な彼はパリの名門リセ・ルイ=ル=グランを経て、フランス最高の高等教育機関であるエコール・ノルマル・シュペリウール(ENS)に進学する。ここで彼はジャン=ポール・サルトルと出会い、以後長きにわたって友情と論争を重ねることになる。当時のフランスでは、デカルト的な精神中心主義が強く支配しており、哲学とは理性によって世界を捉える営みとされていた。だが、メルロ=ポンティはその枠に満足せず、現象学という新たな潮流に注目する。現象学とは、「ものが私たちにどのように現れてくるのか」を問う哲学であり、経験や感覚の次元に立脚して世界を捉えようとする試みであった。彼はとりわけフッサールの思想に強い影響を受けながら、それを土台として自らの思索を開始した。
彼の名を一躍知らしめたのは、一九四五年に出版された主著『知覚の現象学』である。この書物においてメルロ=ポンティは、人間が世界を理解する原点は「知覚」であり、しかもその知覚は「身体」を通して成立していると論じた。彼にとって、人間とは単なる思考する主体ではなく、触れ、歩き、見、聞く存在である。そしてそうした身体的な関係のなかでこそ、世界は立ち現れてくる。私たちは「見ること」によって世界を捉えるが、その「見る」という行為は、眼球の動きや首の傾き、さらには全身の姿勢にまで依存している。つまり、世界は頭の中の抽象的な概念ではなく、「生きられた身体(le corps propre)」によって意味づけられているのである。
このような見解は、当時の哲学界において革新的であった。デカルト以来の「精神と身体の二元論」を否定し、主観と客観のあいだの絶対的な境界線を溶かすような、根源的な視点の転換を示していたからだ。メルロ=ポンティの身体論は、今日のフェミニズム思想やポストヒューマン論、また人工知能研究にまで深い影響を及ぼしている。
彼の関心は哲学の内部にとどまらなかった。彼は芸術、とりわけ絵画に対して深い洞察を示し、とくに画家セザンヌの作品を通して「見ること」の根源的な経験を論じた。また、彼は同時代の文学にも鋭い目を向け、言語や表現がどのようにして世界を「開示する」のかを問い続けた。芸術は単に感情を表現する手段ではなく、むしろ世界の意味が新たに立ち上がる現場であり、それはまさに彼が目指していた哲学の営みそのものであった。
政治的にも、彼は「沈黙」せずに発言する知識人であった。戦後の混乱のなか、彼は一時期マルクス主義に接近し、『テロス』誌などを通じて活発に論陣を張った。だが、スターリン体制への失望やハンガリー動乱に対するソ連の介入を経て、彼は共産主義から距離をとるようになる。この政治的転回は、彼とサルトルの決裂を招いたとも言われている。だが、メルロ=ポンティは一貫して、「思想とは現実世界に関与すべきものである」という信念を失わなかった。
晩年、彼はさらに思索を深め、未完のまま遺された『見えるものと見えないもの』の執筆に取り組んでいた。この書物において彼は、「可逆性(réversibilité)」という新しい概念を導入する。たとえば右手で左手を触れるとき、人は「触れる者」であると同時に「触れられる者」でもある。このように、自己と世界、主観と客観は常に交差し、溶け合うような関係にある。彼はこの構造を通じて、「野生の存在(être sauvage)」とでも言うべき、言語や理性に先立つ原初の世界のありようを捉えようとしていた。
だが、その構想は志半ばで潰えることとなる。一九六一年、彼は五十三歳という若さで急逝する。突然の心臓発作であった。『見えるものと見えないもの』は草稿のまま出版され、彼の哲学は未完というかたちで幕を閉じた。だが、それは決して「終わった」ということではない。むしろ彼の思想は、その未完性ゆえに、今なお多くの人々によって読み返され、補足され、再解釈され続けている。
メルロ=ポンティとはどういう人だったのか。それは、「世界とは、すでに意味に満ちた空間であり、私たちは身体を通してその意味と交わる存在なのだ」と語り続けた人である。そしてその語り口は、厳格な論理よりもむしろ、繊細な筆致で世界をなぞる画家のようであった。彼は哲学者であると同時に詩人であり、思索する者であると同時に、沈黙の中に耳を澄ませる観察者だったのである。