ハンナ・アーレント入門 哲学入門シリーズ46
第1章 ハンナ・アーレントってどんな人?
ハンナ・アーレントという名前は、たいてい二つの言葉と結びついて記憶される。「全体主義」と「悪の凡庸さ」だ。前者は、ナチズムとスターリニズムを同じ射程で捉え、近代が生み出した新しい支配の形を解剖した仕事を指す。後者は、戦争犯罪を担った人物が怪物ではなく、ありふれた人物として現れることがあるという、不穏で、しかし現代社会の背骨に触れるような洞察を指す。けれどもアーレントをこの二つの見出しだけで理解したつもりになると、彼女の思想の芯にあるものを取り逃がしてしまう。アーレントは、政治を「権力闘争の技術」や「国家の運営術」としてではなく、人間が人間として生きるための条件そのものとして捉え直そうとした思想家だった。彼女にとって政治とは、誰かを従わせる支配の作法ではなく、異なる人々が同じ世界を共有しながら、言葉と行為を通して自由を現実の中に立ち上げていく営みだったのである。
アーレントは1906年に生まれた。彼女が生きた二十世紀は、歴史の歯車が人間を擦り潰す力を露骨に示した時代だった。世界大戦、革命、恐慌、民族主義の暴走、強制収容所、難民の増大。彼女の思想は、この時代の破局を「外側から観察した学者の評論」ではない。彼女自身が、ユダヤ人として、亡命者として、祖国から放り出された者として、その破局の内部を通過した。だからこそ彼女の言葉には、抽象的な理念よりも先に、「人間が世界から締め出される」とはどういうことか、という肌感覚がある。政治が壊れるとき、人間の生活の何が壊れるのか。逆に政治を取り戻すとは、具体的に何を取り戻すことなのか。アーレントが問い続けたのはそこだった。
若い頃の彼女は哲学を学んだ。師としてよく名前が挙がるのはハイデガーとヤスパースである。ハイデガーは存在を問う哲学で二十世紀の思想に巨大な影響を与えたが、同時にナチズムへの関与という影も背負った人物だ。ヤスパースは実存哲学の立場から、人間の自由や責任を重く見つめ、戦後には罪責の問題を論じた。アーレントはこの二人から、思考の鋭さと、思考が現実に対して負うべき責任の両方を学んだと言える。ただし彼女は、哲学の言葉がしばしば「ひとりで考える精神の営み」に寄りすぎ、複数の人間がぶつかり合い、言葉を交わし、世界を形作っていく公共の領域を軽視してきたことにも敏感だった。彼女は哲学者でありながら、哲学の癖を疑う人でもあった。思考は必要だ。しかし思考が現実から浮き上がると、かえって現実を壊す力に奉仕してしまうことがある。この緊張感が、彼女の文章の独特な温度を作っている。
ナチスの台頭は、彼女の人生を決定的に変えた。ユダヤ人に対する迫害が強まる中で、彼女はドイツを離れざるを得なくなる。亡命者であることは、単に「引っ越しをした」ことではない。国家に守られない存在になることだ。パスポートや国籍は、普段は紙切れに見えるが、危機のときにそれが人間を人間として扱うかどうかを分ける境界線になる。アーレントはこの経験を通じて、近代が誇った「人権」という理念が、実は国家の枠組みに依存しており、国家から締め出された人間は権利そのものを失ってしまうという矛盾を見抜いた。ここから生まれたのが、「権利をもつ権利」という有名な言い方である。それは、個々の権利のリスト以前に、そもそも権利を主張できる共同体に属すること、つまり政治的に世界へ参加する資格を持つことが必要だ、という意味を含んでいる。アーレントは、人間を守るはずの理念が、現実には最も弱い者から剥ぎ取られる構造を、亡命者の視点から暴いたのだ。
アメリカに移ってからのアーレントは、単なる被害者の記録者にはならなかった。彼女は破局の原因を分析し、破局を繰り返さないための条件を考える方向へ進んだ。その中心にあるのが「全体主義」という概念である。ここで重要なのは、アーレントが全体主義を「独裁のひどい版」くらいに縮めていないことだ。全体主義は、国家が強いというだけではない。大衆が孤立し、共通の世界を失い、現実を見分ける基準が崩れ、そこへイデオロギーがすべてを説明する万能鍵として入り込む。すると人間は、具体的な出来事を見て判断するのではなく、教条的な物語に出来事を押し込めるようになる。さらに官僚制と恐怖が結びつくと、誰もが「命令だから」「担当だから」「規則だから」と言い訳できる仕組みができ、責任が霧散する。アーレントが見ていたのは、人間を怪物に変える超自然的な悪ではなく、人間を現実から切り離し、判断力を麻痺させ、責任を分散させる近代社会の装置だった。
しかしアーレントの思想の魅力は、暗い診断だけにない。彼女は同時に、政治の肯定的な意味を掘り起こす。彼女が「人間の条件」と呼んだものの中核には、複数の人間が同じ世界を共有して生きるという事実がある。人間は一人ひとり違う。違うからこそ、世界は一つの視点に閉じないで済む。彼女はこの「複数性」を、人間の自由の条件として捉える。自由とは、心の中で好き勝手に思うことではなく、他者の前に姿を現し、言葉を交わし、何かを始めることにある。ここで出てくるのが「出生性」という考え方だ。人間は生まれてくる。生まれるということは、世界に新しい始まりが持ち込まれるということだ。だから政治の本質は、過去の因果に縛られてただ管理することではなく、新しい始まりを可能にする空間を作ることだ、と彼女は考えた。この視点は、絶望の時代にあってなお、希望を思想として手放さない強さを持っている。
アーレントはまた、権力と暴力を区別した。多くの人は、権力を暴力の強さだと思いがちだ。しかし彼女にとって権力とは、人々が共に行為し、合意し、同じ方向へ動くときに立ち上がる力である。暴力は物理的に相手を黙らせることができるが、黙らせた瞬間に、共通の世界を作る力を削る。暴力は即効性があるが、長期的には政治を痩せさせる。権力は時間がかかるが、共同の世界を厚くする。アーレントのこの区別は、政治を「支配の技術」とみなす直感に対して、別の地平を開く。政治は、殴り勝つことではなく、共に生きる世界を作ることなのだ。
そして彼女を一躍有名にし、同時に大きな論争を引き起こしたのが、エルサレムでのアイヒマン裁判を取材した報告である。アーレントがそこで書いた「悪の凡庸さ」という言葉は、悪を軽く見たという意味ではない。むしろ逆だ。悪は、特別な悪魔のような人格からだけ生まれるのではない。思考が停止し、他者の立場に立って判断する力が失われ、規則と役割の中に自分を埋めるとき、誰でも恐ろしいことに加担しうる。その平凡さこそが怖い、という意味である。つまりアーレントは、悪を遠い怪物として外部化するのではなく、自分たちの社会の条件の問題として引き戻した。だからこそ彼女の言葉は痛い。自分は違う、と言い切るための逃げ道を塞いでくるからだ。
まとめれば、ハンナ・アーレントは「二十世紀の破局を生きた亡命者」であり、「全体主義を分析した政治思想家」であり、「政治を自由の場として救い出そうとした理論家」である。彼女の文章が今も読まれるのは、彼女が過去の悲劇を語ったからだけではない。彼女が、現代においても繰り返し起こりうる危険の構造を示し、同時にそれに抗うための人間の能力、つまり思考し、判断し、言葉と行為で世界を作り直す能力を信じたからだ。この本では、アーレントを「難しい理論家」としてではなく、「世界が壊れる瞬間を直視し、それでも世界を取り戻す条件を探した人」として捉え直していく。次章では、彼女の人生を決定づけた亡命の経験と、そこから生まれた問題意識を、もう少し具体的に見ていこう。