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竹内好入門 哲学入門シリーズ60

第一章 竹内好ってどんな人?

竹内好は、中国文学者であり、同時に戦後日本を代表する批評家のひとりでもある。けれど彼を「中国に詳しい学者」とだけ呼ぶと、いちばん大切な部分が抜け落ちる。竹内がやろうとしたのは、知識を増やすことではなく、自分が生きている場所――日本という近代国家が、アジアに対して、そして西洋近代に対して、どういう姿勢を取ってしまったのかを、言葉で暴き出すことだった。彼の文章は、結論を気持ちよく与えるというより、読む人の足場を揺らし、考える姿勢そのものを鍛えようとする。

1910年に長野で生まれ、幼くして東京へ移り、東京帝国大学で中国文学を学んだ竹内は、学生時代から「中国をどう読むか」をめぐって仲間たちと熱を帯びた議論を続けた。武田泰淳らと中国文学研究会をつくり、学問の作法よりも、文学が持つ生々しい力を信じようとしたのもこの頃である。やがて戦争に動員され、1943年に召集されて中国へ渡り、大陸で敗戦を迎える。戦争を「外側の出来事」として語れない、その身体感覚が、のちの竹内の文章を決定的にした。

敗戦後、竹内は大学で教えながら評論を発表し、魯迅を手がかりに、日本と中国、そして近代そのものの構造を考え抜いた。竹内にとって魯迅は、偉い作家というより、「抵抗とは何か」を生きた人間の名だった。抵抗というと、力強い英雄譚を思い浮かべがちだが、竹内の魯迅像はむしろ逆で、逃げ場のない現実の中で、言葉によって逃げない態度を貫くところに核心を置く。だから竹内は、魯迅を読むことを、単なる中国理解や異文化理解にしてしまうのを嫌った。魯迅を読むとは、日本人が自分の近代を読むことであり、自分の弱さや便宜主義を読むことでもある。

この「自分の近代を読む」という視点は、竹内が書いた「中国の近代と日本の近代――魯迅を手がかりとして」に端的にあらわれる。彼は、近代を「先進国に追いつくための技術」として扱わない。近代化とは、外から輸入した制度を整えることではなく、世界の圧力に対して、痛みを伴うかたちで自己をつくり替える過程だと見る。竹内は、中国の近代には「抵抗」の契機があり、その抵抗を通して自己が近代化したのだと述べ、日本の近代にはその抵抗が弱い、と鋭く批判した。西洋に対して劣等感と優越感が奇妙に同居し、「よりよく西洋になる」ことで脱却しようとする心性が、結果としてアジアへの加害へつながってしまう。竹内の批判は、道徳説教ではなく、近代の構造分析として読める。

ここで重要なのは、竹内が「日本はダメだ」と言って溜飲を下げさせるタイプの論者ではない、という点だ。彼の文章の矛先は、いつもまず自分に向く。知識人が正しい言葉を並べても、生活や行為の場所が変わらないなら、それは批評ではなく装飾になる。だから竹内は、学問の世界にも、政治の世界にも、安易な大義名分にも、鋭く疑いを向け続けた。その緊張が、竹内の文章を読みづらくし、同時に読む価値のあるものにもしている。

1960年、安保改定をめぐる強行採決に抗議して、竹内は東京都立大学教授を辞任する。学者が職を投げ出すのは、人生設計としては無謀に見える。しかし竹内にとっては、言葉を語る立場を守るために沈黙することのほうが、よほど危険だった。辞職は、英雄的な自己犠牲ではない。自分が「ここから語る」と決めた場所を、制度や立身の論理から引きはがすための行為だった。竹内が求めたのは、きれいな正しさではなく、矛盾を抱えたままでも逃げない姿勢である。

その後の竹内は、「中国の会」に拠り、雑誌『中国』を十年にわたって刊行し、同時代の知識人たちとともに中国を考える場をつくった。ここでも竹内は、中国を理想化して日本を貶める、という短絡には落ちない。中国は日本にとって「鏡」であり、鏡は都合のいい顔だけを映してはくれない。鏡に映るのは、見たくない歪みや、隠してきた加害の記憶でもある。竹内が中国を語るとき、そこには必ず、日本が自分で自分を語れなくなっている地点を照らし出す意図がある。

竹内の有名な言葉に「方法としてのアジア」がある。ここでいうアジアは、地理や文化圏を指す便利なラベルではない。むしろ竹内は、アジアを実体化してしまう誘惑を警戒しながら、それでもアジアを「方法」として引き受ける。方法とは、考え方のフォームであり、世界の見方の訓練である。西洋近代が普遍を名乗るとき、その普遍の外側に押し出された他者の声を、どうやって自分の内側に取り込むか。アジアを方法とするとは、他者を飾りにせず、他者によって自分の思考を作り替える、という厳しい作業を意味する。

竹内の文章が独特なのは、概念をきれいに定義して積み上げるよりも、まず態度を決め、その態度にふさわしい言葉だけを選び抜くからだ。彼は、中国研究には「支那学的」な、対象に無限に近づこうとする態度がある一方で、研究者自身の生を賭けた「態度としての方法」がある、と区別した。つまり、対象を眺める側が安全地帯に立ったままでは、どれだけ資料を集めても、ほんとうの意味で他者には触れられない。自分の側が変化しない理解は、理解ではなく収集にすぎない、という感覚がある。だからこそ竹内は、翻訳を「言葉の置き換え」ではなく、他者の言葉が自分の日本語を壊し、組み替える出来事として捉えた。晩年に魯迅作品の個人訳に力を注いだのも、その延長線上にある。

この厳しさは、「近代の超克」をめぐる竹内の姿勢にもよく表れる。戦中の座談会「近代の超克」は、一見すると西洋近代批判として魅力的に見えるが、竹内はそこに、言葉だけで世界を乗り越えたつもりになる危うさ、そして加害の歴史を都合よく忘却する危うさを嗅ぎ取った。近代を「超克」すると言いながら、その語りの背後で、誰が沈黙させられているのか。竹内の問いは、思想の内容よりも、思想が成立する条件へ向けられている。

また竹内の日本批判は、いわゆる「反日」や「自虐」とはまったく違う。彼が問題にするのは、罪を数えて落ち込むことではなく、罪が歴史の中でどう合理化され、どう忘却され、どう“正しい言葉”に化けるかという仕組みだ。そこにメスを入れないかぎり、同じことが形を変えて反復される。竹内が「主体性」を繰り返し語るのは、気合いの話ではなく、この反復を止める装置として主体を考えていたからだ。自分の正しさを守るための主体ではなく、自分の言葉が歴史と他者に照らされて耐えうるかを試す主体である。

だから竹内好を読むことは、知識としての「竹内学」を身につけることではない。自分の立ち位置を、歴史と他者の前で点検する訓練である。何を読んだか、何を知っているかよりも、どこから語っているのか、何を見ないことにしているのかが問われる。竹内の文章がときに攻撃的に感じられるのは、読者を責めるからではなく、読者が寄りかかっている足場を、本人より先に見つけてしまうからだ。

本書が「入門」である以上、最後に一つだけ見取り図を置いておきたい。竹内好の中心問題は、近代とアジアをめぐる「主体」の問題である。主体とは、好きに自己主張することではなく、他者の抵抗や歴史の圧力を受け止めたうえで、それでも自分の言葉で語る責任を引き受けることだ。竹内が魯迅を読み、近代を批判し、安保で辞職し、アジアを方法と呼んだのは、すべてこの一点に収束する。読者がこの一点を掴めれば、竹内の難しさは、ただの難解さではなく、思考の筋力を増やす負荷として働きはじめる。

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