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マックス・ミュラー入門 哲学入門シリーズ63

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マックス・ミュラー入門 哲学入門シリーズ63

第一章 マックス・ミュラーってどんな人?

 マックス・ミュラーは、十九世紀を代表する言語学者であり、宗教研究者である。けれども、最初から宗教そのものを研究していたわけではない。彼が若いころに夢中になっていたのは、サンスクリットというインドの古い言語だった。古い言葉を一つ一つ調べ、ある言語の言葉を別の言語の言葉と比べ、そこから人間の遠い過去を復元しようとしていたのである。そして、その仕事を続けるうちに、神々の名前や神話が目に入り、さらに宗教そのものへと研究対象が広がっていった。

 ミュラーは一八二三年、現在のドイツに生まれた。父ヴィルヘルム・ミュラーは詩人で、シューベルトの歌曲集『美しき水車小屋の娘』や『冬の旅』の歌詞として使われた詩を書いた人物でもある。つまりミュラーは、言葉とは無縁の家庭から突然現れた学者ではなかった。言葉を扱う仕事は、幼いころから身近な場所にあったのである。ただし、息子のミュラーが向かったのは詩作ではなく、言葉そのものの歴史を調べる学問だった。

 彼が特に関心を持ったのがサンスクリットだった。サンスクリットは古代インドの重要な言語であり、ヒンドゥー教やインド思想の古典の多くが、この言語で記されている。十九世紀のヨーロッパでは、サンスクリット研究が大きな知的興奮を生んでいた。なぜなら、サンスクリットを調べると、ギリシア語やラテン語、さらにヨーロッパのさまざまな言語との間に、不思議なほど規則的な共通点が見つかったからである。

 たとえば父を意味する英語のfather、ラテン語のpater、サンスクリットのpitarには、偶然とは思いにくい類似がある。母を意味する言葉にも、数を数える言葉にも、同じような対応が見つかる。もしこうした類似が大量に存在するなら、それぞれの言語は昔、さらに古い共通の言語から枝分かれしたのではないか。現在では、インド・ヨーロッパ語族という考え方が広く知られているが、当時は人類の過去を大きく塗り替える発見だった。

 ミュラーはライプツィヒやベルリンで学び、フランツ・ボップやフリードリヒ・シェリングらから刺激を受けた。その後パリへ移り、東洋学者ウジェーヌ・ビュルヌフのもとでインド研究を深める。ここで彼は、自分の生涯を決定づける巨大な仕事へ向かうことになる。古代インド最古層の宗教文献である『リグ・ヴェーダ』の本格的な校訂である。

 『リグ・ヴェーダ』は、一冊の思想書というより、多数の神々へ捧げられた賛歌を集めた古代の文献である。そこにはアグニ、インドラ、ヴァルナなど、多くの神々が登場する。しかし十九世紀のヨーロッパで、この文献を簡単に読めたわけではない。写本を集め、文章を比較し、どの形がより古いのかを検討し、さらに伝統的な注釈まで参照しなければならなかった。ミュラーはこの大仕事に取り組み、サーヤナの注釈を伴う『リグ・ヴェーダ』を全六巻で刊行した。

 刊行は一八四九年から一八七三年まで続いた。二、三年で終わる仕事ではない。二十年以上、一つの古代文献と格闘したのである。この仕事によって、ヨーロッパの研究者はヴェーダを本格的に研究できるようになり、ミュラー自身も一流のサンスクリット学者として知られるようになった。現代なら巨大なデータベースを構築する研究者に近い。自分の説を発表するだけでなく、他の研究者も利用できる研究基盤を作ったのである。

 しかし、ミュラーの面白さはここから始まる。普通なら『リグ・ヴェーダ』の専門家として一生を終えても不思議ではない。ところが彼は、文献の中に出てくる神々の名前に注目した。この神の名前は何を意味しているのか。この名前と、ギリシア神話に出てくる神の名前は関係していないのか。もし言葉が共通の祖先から分かれたのなら、神々の名前や神話にも、共通する古い形が残っているのではないか。こうして比較言語学は、比較神話学へとつながっていった。

 さらにミュラーは、神話の比較だけでも止まらなかった。神話が似ているなら、宗教そのものも比較できるのではないかと考えたのである。キリスト教にはキリスト教の神学があり、仏教には仏教の伝統があり、インドにはインドの宗教思想がある。それぞれを別々に研究するだけではなく、同じ人間が作り出した宗教という現象として並べてみる。すると、一つだけを見ていた時には気づかなかった特徴が見えてくる。

 たとえば魚しか知らない人に「魚とは何か」と聞いても、案外うまく答えられないかもしれない。鳥や哺乳類を知って初めて、魚にはえらがあり、ひれがあり、水中で生活するという特徴がはっきりする。同じように、キリスト教だけを知っていても、何がキリスト教特有で、何が宗教一般に見られる特徴なのかは分かりにくい。別の宗教と比較して初めて、一つの宗教の輪郭も見える。ミュラーにとって比較とは、違いを競わせるための方法ではなく、一つのものをより正確に知るための方法だった。

 この発想から、彼は「宗教の科学」を構想するようになる。ここでいう科学は、試験管や顕微鏡を使うという意味ではない。多くの資料を集め、分類し、歴史を調べ、比較することで、宗教にも学問的な研究方法を持ち込もうとしたのである。現在の宗教学から見ると、ミュラーの理論には古くなった部分も多い。それでも「宗教を比較可能な研究対象として扱う」という発想を強力に広めたことは、宗教学史上きわめて重要だった。

 その姿勢を象徴するのが『東方聖典叢書』である。ミュラーはヒンドゥー教、仏教、儒教、道教、ゾロアスター教など、アジアを中心とする重要な宗教文献を英訳して刊行する巨大企画を進めた。全五十巻という途方もない規模であり、もちろん彼一人が全部を翻訳したわけではない。各分野の専門家を集め、編集者として計画全体を動かしたのである。世界の宗教を比較したいなら、まず比較できるだけの資料を同じ本棚に並べようというわけだ。

 もちろん、十九世紀のヨーロッパ人だったミュラーには限界もあった。インドの宗教をヨーロッパの概念で整理し、古いヴェーダの宗教を高く評価する一方、後代の宗教文化を衰退したものとして見る傾向もあった。また彼が使った「アーリア」という言葉は、後世、人種思想と危険な形で結びついていく。ミュラー自身は後年、アーリアとは人種ではなく言語についての名称だと強く主張したが、十九世紀の言語学、人種論、植民地主義を完全に切り離して考えることもできない。

 それでもミュラーを単純に「昔の間違った学者」として片づけると、彼の重要さを見失う。彼の神話理論には現在ほとんど支持されていないものがあるが、彼が立てた問いは残っている。言葉は人間の思考をどこまで形作るのか。異なる文化の神話には共通する構造があるのか。宗教は比較できるのか。人間はなぜ、目に見えないものについて語り始めるのか。どれも現在まで続いている大きな問題である。

 ミュラーの学問人生は、少し奇妙な旅でもある。最初に調べていたのは古い単語だった。次に、その単語の中から神々が現れた。神々を追いかけていると神話へ入り、神話を追いかけていると宗教へ入り、最後には人間がなぜ無限なものを感じるのかという哲学的な問題へ到達した。言葉を掘っていたら、いつの間にか神を掘っていたのである。

 マックス・ミュラーとは何者だったのか。その答えを一つの肩書きに押し込めるのは難しい。サンスクリット学者であり、比較言語学者であり、神話研究者であり、比較宗教学の開拓者でもあった。ただ、その仕事全体を貫いていた考えは意外に単純である。違うものを並べ、比べてみれば、一つだけを見ていた時には見えなかったものが現れる。ミュラーはその方法を言語に使い、神話に使い、最後には宗教そのものにまで広げた人物だったのである。

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