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スピノザ入門 哲学入門シリーズ79

スピノザ入門 哲学入門シリーズ79
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第一章 スピノザってどんな人?

 バールーフ・スピノザは、一六三二年に生まれ、一六七七年に亡くなった十七世紀オランダの哲学者です。彼を一言で説明するなら「人間だけを自然の特別席に座らせなかった哲学者」と言うと、かなり分かりやすいでしょう。石が落ちるのにも、雨が降るのにも原因がある。それなら人間が怒ったり、誰かを愛したり、何かを欲しがったりすることにも原因があるはずだ。さらに神についてさえ、自然の外から世界を動かす特別な存在として考える必要はない。スピノザは神、人間、感情、自由をすべて同じ自然のなかへ入れて考えようとしました。

 こう書くと、とんでもなく攻撃的な人物を想像するかもしれません。しかしスピノザの生涯を見ると、巨大な政治運動を率いた革命家だったわけではありません。むしろ彼の危険性は、世界について考え始めると途中で手加減しなかったところにあります。当時すでにデカルトは、自然を合理的な法則によって説明しようとしていました。ところがデカルトは、精神と物体を別々の実体として扱い、人間の自由意志にも特別な位置を与えます。スピノザはそこを見て「そこまで自然を合理的に説明するなら、人間だけ例外にする必要があるのか」と考えたわけです。

 スピノザはアムステルダムのポルトガル系ユダヤ人共同体に生まれました。そして一六五六年、二十三歳のとき、その共同体から破門されています。ただし、なぜ破門されたのかについては注意が必要です。スピノザが具体的にどんな発言をして、それが決定的な原因となったのかは完全には分かっていません。後の思想を見ると、人格をもった神、伝統的な霊魂の不死、聖書を神から直接与えられた絶対的真理とする考えから、かなり離れていたことは分かります。しかし「この発言のせいで破門された」と一本の物語にしてしまうと、歴史を少しきれいにしすぎることになります。

 それでも、彼の思想が宗教的常識と激しく衝突しうるものだったことは確かです。たとえば普通に「神」という言葉を聞けば、人間とは別のところに神がいて、世界を作り、人間の行いを見ている姿を想像するでしょう。スピノザの神はかなり違います。彼は「神あるいは自然」という有名な表現を使い、存在するものすべてを神=自然のうちに置きました。木も石も人間も星も、神とは独立して存在する別世界の住人ではありません。しかも彼の神は「今日は善いことをしたから褒美をやろう」と考える人格ではない。神について語っているのに、だんだん自然法則の話を聞いているようになってくるのです。

 ここで「それならスピノザは無神論者だったのか」という疑問が出てきます。これが簡単には答えられません。神を消してしまったようにも見えるのに、本人の哲学では神が中心にいます。ただし、その神の意味を猛烈に作り替えている。いわば「神はいません」と言う代わりに「あなたが神だと思っていたものを、まず考え直しましょう」と始める哲学なのです。この微妙な立ち位置のため、スピノザは後の時代にも繰り返し、無神論者、汎神論者、合理主義者など、さまざまな名前で呼ばれることになります。

 若いスピノザが新しい思想世界へ近づくうえでは、ラテン語教師フランシスクス・ファン・デン・エンデンの存在も重要でした。彼は反聖職者的で、民主主義的な傾向をもつ知識人でした。ラテン語を学ぶということは、単に外国語を一つ覚えることではありません。当時のヨーロッパの哲学や学問へ直接入っていくための鍵を手に入れることでもあります。ただし、スピノザの政治哲学をすべてこの教師から教わった、と考えるのは行きすぎです。思想家の伝記では、魅力的な先生を見つけると、つい「すべての黒幕」にしたくなりますが、歴史はそこまで便利にはできていません。

 スピノザには、哲学を作る方法にも妙なところがあります。代表作『エチカ』の正式な題名は『幾何学的秩序に従って論証されたエチカ』です。名前からして普通ではありません。定義を置き、公理を示し、命題を立て、それを証明する。まるでユークリッド幾何学の教科書のような形式で、神、人間の精神、感情、自由、幸福について論じていきます。「失恋したとき、どうすれば苦しまずにすむか」という人生相談に対して、いきなり定義、公理、命題、証明を始める人がいたら、かなり変わった相談相手でしょう。スピノザの哲学には、それに近い異様さがあります。

 しかし、その形式には理由があります。スピノザは感情についてさえ「好き嫌いの問題」で終わらせたくありませんでした。怒りには怒りが生じる原因があり、嫉妬にも嫉妬が生じる原因がある。それなら感情も、雷や嵐を研究するのと同じように理解できるのではないか。たとえば誰かに無視されて腹が立ったとします。普通なら「あいつは失礼だ」「私は怒って当然だ」と考えるでしょう。スピノザなら、そこで話を終えません。なぜ無視されたことが自分の怒りにつながったのか、自分は相手から何を期待していたのか、その期待はどこから生まれたのかと、原因の鎖をたどっていきます。

 この発想は彼の自由論へつながります。スピノザは、普通に考えられている意味での自由意志を認めません。私たちは自分の行動を自由に選んでいるつもりでも、その欲望や判断には原因がある。そして、その原因にもまた原因がある。人間が自分を完全に自由だと思うのは、自分を動かしている原因を知らないからだと考えます。かなり身も蓋もありません。「今日はなんとなくラーメンを食べたい」と思ったとしても、その「なんとなく」まで自由の聖域として保存してくれない哲学者なのです。

 ところがスピノザの面白さは、そこで「だから自由なんて存在しない」と終わらないことです。むしろ話は逆方向へ進みます。自分を動かしている原因を知らず、怒りや恐怖や欲望に引っ張られている人より、自分がなぜそう感じ、なぜそう行動するのかを理解している人のほうが自由ではないか。スピノザにとって自由とは、原因のない行動をする能力ではなく、原因を理解しながら、より自分自身の本性に従って行動できる状態なのです。決定論を自由の敵にするのではなく、自由への入口にしてしまいます。

 この考え方は政治にも向かいました。『神学・政治論』でスピノザは、聖書を哲学や自然科学の教科書として扱うことに反対し、信仰と哲学を区別しました。また国家が思想や哲学の自由を抑圧すれば、かえって社会の平和を損なうと論じています。十七世紀に、宗教をめぐる争いが政治と深く絡み合っていた時代です。そのなかで「何を考えるかまで国家が支配してはいけない」と論じることは、単なる学者の趣味ではありませんでした。スピノザは人間の心を自然のなかへ戻しただけでなく、思想する人間を政治権力から守ろうともしたのです。

 晩年まで彼は哲学を組み立て続けました。一六七六年にはハーグでライプニッツと実際に会い、まだ公刊されていなかった『エチカ』やデカルト哲学などについて議論しています。その翌年の一六七七年、スピノザは亡くなりました。『エチカ』は死後に刊行され、晩年の『政治論』も民主政を論じている途中で未完のまま残されます。完成した哲学体系を残した人物なのに、その政治哲学の最後だけは、本人の死によって続きを永久に失ったわけです。

 では、スピノザとは結局どんな人だったのでしょうか。宗教哲学者でもあり、形而上学者でもあり、倫理学者でもあり、感情を分析する心理学者のようでもあり、政治哲学者でもあります。しかし、それらはばらばらではありません。「人間も自然の一部である」という一つの発想から、神も、心も、欲望も、自由も、国家も考え直していった結果です。世界に振り回されないためには、世界から逃げるのではなく、世界を理解しなければならない。スピノザの哲学を最後まで貫いているのは、この奇妙なほど冷静な希望です。

 だからスピノザを読むと、不思議な逆転が次々に起こります。神を論じているのに自然の話になり、自由意志を否定しているのに自由の話になり、欲望を肯定しているのに欲望から振り回されない方法へ進みます。そして幸福について書いた本が、数学の証明のような姿をしています。どうやらこの哲学者は、常識を正面から否定するというより、常識を最後まで考え抜いたところで裏返してしまう人だったようです。次の章では、その最初の巨大な裏返しがどこから生まれたのか、デカルトとの関係から見ていくことにしましょう。

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