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アルバート・バンデュラ入門 哲学入門シリーズ117
第一章 アルバート・バンデュラってどんな人?
アルバート・バンデュラは、心理学の世界で「人は他人を見て学ぶ」という当たり前を、理論として磨き、実験で確かめ、社会の問題にまでつないだ研究者である。二十世紀半ばの心理学は、刺激に反応し、報酬や罰で行動が形づくられる、という行動主義の影響が強かった。そこでは心の中で何が起きているかは、直接見えないものとして脇に置かれがちだった。バンデュラはその流れの中にいながら、行動だけを見ていては説明できない現象を、粘り強く拾い上げた。人は自分が経験していないことでも、他者の行動とその結果を観察し、あたかも自分が経験したかのように学ぶ。さらに、行動を動かすのは単なる「外からの強化」だけではなく、「自分にはできる」という見込みや確信、つまり自己効力感である。彼の仕事は、学習・教育・臨床・メディア研究・社会政策にまで影響を及ぼし、心理学を「反射の科学」から「主体の科学」へと押し広げた。
バンデュラは1925年、カナダのアルバータ州の小さな町マンデアに生まれた。移民家庭の子として農村的な環境で育ち、身近に十分な教育資源がないからこそ、自分で学び方を工夫する必要があったと言われる。学校の外での経験、仕事、周囲の大人たちの振る舞いから学ぶ感覚は、のちの「観察学習」という発想と相性がよい。大学はブリティッシュコロンビア大学で学び、その後アメリカのアイオワ大学で修士号と博士号を取得した。1953年にスタンフォード大学へ赴任すると、以後長く同地で研究と教育を続け、社会的学習理論から社会的認知理論へと、射程を広げながら中心人物として活躍した。彼の研究スタイルは、壮大な人生論を先に語るのではなく、日常で誰もが経験する「学び」の細部を、実験可能な形に切り出して検証し、そこから人間観を組み立て直す、というものだった。
彼の名を一気に有名にしたのは、いわゆるボボ人形実験である。大人が人形を叩いたり蹴ったりする様子を子どもが見たあと、子どもが同じような攻撃行動を示すかどうかを調べた研究だ。この実験が衝撃的だったのは、子どもが直接「叩けば褒められる」と報酬を与えられたわけでも、逆に「叩けば怒られる」と罰を受けたわけでもないのに、観察だけで行動の型を獲得した点にある。つまり学習は、必ずしも自分の身体で痛い目や得を体験しなくても起こる。ここから「代理強化」という考え方が出てくる。誰かが得をしたのを見れば、その行動は魅力的に見え、誰かが損をしたのを見れば、その行動は避けたくなる。日常でも、先輩が上司に褒められている場面を見て「そのやり方が正しい」と学んだり、炎上している人を見て「それは言わないほうがいい」と学んだりする。社会が巨大な教室のように機能している、という直観を、バンデュラは実証の言葉に変えた。
しかも彼は、観察学習を「子どもの模倣」だけに閉じ込めなかった。たとえば恐怖や回避も、観察によって獲得されうるし、逆に観察によって薄まることもある。蛇に強い恐怖を持つ人が、他者が落ち着いて蛇に近づき、何も起こらずに対処しているのを見ると、恐怖が和らぐ場合がある。臨床の現場では、モデリング(見本を見せる)を利用して、不安や恐怖への対処を学ぶ方法が発展していった。ここには、単に「真似する」ではなく、「危険だという解釈」や「自分にも対処できるという感覚」が書き換わる、という認知的な変化が含まれている。バンデュラが後に「社会的認知」と呼ぶ方向へ進んだのは、この種の現象を説明するためでもあった。
ただし、バンデュラの関心は「見れば真似る」で終わらない。観察したことがそのまま行動に現れるとは限らないからだ。人は見たことを記憶に保持し、状況に応じて再生し、実行するかどうかを選ぶ。ここに認知の働きが入る。たとえば料理動画を見て手順を覚えても、台所に材料がなければ実行できないし、失敗が怖ければ挑戦しないかもしれない。逆に、過去に小さな成功を積み重ねて「自分にもできる」と思えていれば、未経験のレシピにも手が伸びる。この「できると思えるか」が自己効力感であり、バンデュラが1970年代以降とくに強調した中心概念である。自己効力感は万能な自信ではなく、特定の課題に対して「必要な行動を組み立て、遂行できる」という見込みの感覚だ。学習の場面では、同じ教材を前にしても、自己効力感が高い人は試行錯誤を続け、低い人は早く諦める傾向がある。行動の差は才能だけでなく、期待と解釈の差からも生まれる。彼の代表的な論文や著作が自己効力感を軸に展開していくのは、学習を「外から操られる反応」ではなく、「自分で組み立てる遂行」として捉え直したかったからだ。
この人間観を支える枠組みが、相互決定論である。行動は環境によって決まる、と単純に言い切ることもできないし、逆に個人の意志だけで決まる、と言い切ることもできない。バンデュラは、個人要因(信念や感情やスキル)、行動、環境が三つ巴で影響し合うと考えた。たとえば人前で話すのが苦手だと思っている人が、発表を避け続ければ経験が増えず、結果として苦手意識が強化される。ところが小さな発表をうまくこなす機会が得られれば、自己効力感が少し上がり、次の挑戦が現実味を帯びる。挑戦が増えれば環境からのフィードバックも変わり、周囲の評価や役割も変わる。個人・行動・環境が互いを作り替え、未来の選択肢を増減させる。この循環を「主体の介入」として捉え直した点が、バンデュラの思想的な迫力である。
晩年まで研究は衰えず、人間の主体性を「個人が自分の行為を原因として立ち上げる力」として整理し、個人だけでなく集団にも「集合的効力感」があると論じた。また、残酷さや不正が「言い換え」や「責任の分散」などで正当化されていく過程を道徳的脱却として分析し、現代社会の暴力や差別の理解にも接続した。1925年に生まれ、2021年に没するまで、理論を現実の問題に接続し続けた姿勢そのものが、バンデュラの人柄を物語っている。彼はしばしば「最も引用される心理学者」の一人として数えられ、自己効力感という語は教育・スポーツ・経営・医療の現場にまで入り込んだ。SNSや動画が氾濫する時代には、学習の多くが観察を介して起こるという彼の見取り図が、むしろ現実に追いついてくる。だからこそ、何を見て、どう意味づけ、どう行動へ移すのかという問いが切実になる。
バンデュラは心理学者であり、厳密には哲学者ではない。しかし彼の仕事は、哲学が長く扱ってきた問い、つまり「人はどれほど自由なのか」「社会の影響の中で責任は成立するのか」「自己とは固定した実体か、それとも形成される過程か」といった問題に、経験科学の言葉で新しい足場を与える。環境や文化が人を形づくるのは事実だが、人は観察し、意味づけし、自己を調整し、他者と協働して環境に働きかけもする。決定と自由のどちらか一方に賭けるのではなく、そのあいだの揺れ動く地帯を、仕組みとして描こうとした。バンデュラという人物像は、そのまま「人間は学びながら自分を作る」という主題に重なる。次章以降では、観察学習から自己効力感、相互決定論、そして主体性(エージェンシー)へと、彼の理論がどのように積み上がっていったのかを追い、現代の生活の中でそれがどんな武器になりうるのかを見ていく。