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ハーバーマス入門 哲学入門シリーズ122
第一章 ハーバーマスってどんな人?
ユルゲン・ハーバーマスは、二十世紀後半から二十一世紀にかけて活躍した、ドイツを代表する哲学者であり社会理論家である。ただし、この人を単に「難しい哲学者」と呼ぶだけでは足りない。ハーバーマスは、大学の中で本を書くだけの学者ではなく、新聞や雑誌、政治的論争の場にも積極的に関わった公共知識人でもあった。しばしばフランクフルト学派の第二世代と呼ばれるが、それも半分は正しく半分は雑な言い方で、実際には彼はフランクフルト学派を継ぎつつ、そこから大きくはみ出して独自の道を作った思想家だった。彼の仕事は、公共圏、コミュニケーション的行為、討議倫理、法と民主主義、宗教と世俗化にまで広がっており、その全体を貫くのは「人は対話によって社会を少しでもましなものにできるのか」という問いである。
ハーバーマスは一九二九年六月に生まれ、少年時代をナチ体制の時代に過ごした。終戦の前後に彼が受けた衝撃は大きく、ニュルンベルク裁判やホロコーストの報道を通じて知ったナチの犯罪は、彼の政治的感覚と文化的感覚を決定的に形づくったとされる。本人は後年、自分は「再教育」の産物だと率直に語っている。ここでいう再教育とは、戦後ドイツが、立憲国家や自由主義や民主主義を単なる飾りではなく、歴史的に獲得された大切な成果として学び直すことだった。つまりハーバーマスは、戦争と独裁の崩壊をただ外から眺めた人ではなく、社会が壊れる恐ろしさと、そこから立て直す必要を若い時代に骨身で感じた人なのである。後に彼が、暴力より討議を、熱狂より公共的理性を重視したのは偶然ではない。
学問の道に進んだ彼は、ボンやゲッティンゲン、チューリヒなどで学び、ボン大学でシェリングに関する論文によって博士号を得た。その後、一九五六年から一九五九年までフランクフルトの社会研究所でアドルノの助手を務める。だが、彼はそこで完全に学派の中に溶け込んだわけではなかった。マックス・ホルクハイマーとの緊張もあり、やがてマールブルクへ移ることになる。そこでまとめた教授資格論文が、のちに『公共圏の構造転換』として出版された。この本は、国家でも市場でも家庭でもない場所で、市民が共通の問題を議論する空間としての公共圏を歴史的に描いたもので、ハーバーマスの名を広く知らしめた代表作となった。さらに一九七〇年代にはマックス・プランク研究所で研究を進め、その成果はのちの大著『コミュニケーション的行為の理論』へと結実する。九〇年代には『事実性と妥当性』によって法と民主主義の理論を深め、晩年には宗教やポスト世俗社会の問題にも取り組んだ。
ハーバーマスの面白さは、こうした著作だけでは見えてこない。彼はつねに時代の論争のただ中にいた。学生時代にはハイデガーのナチへの関わりを批判し、一九六〇年代の学生運動にも深く関わりながら、その急進化に対しては距離を取った。とくに一九六八年前後、彼は革命の身振りに酔う政治を警戒し、急進的な学生たちを「左翼ファシズム」と評してしまい、あとでその表現は厳しすぎたと認めている。ここには彼らしい特徴がよく出ている。社会を変えたいという情熱は持っている。しかしその情熱が、制度や言論や相互批判を飛び越えて暴走することも強く恐れていたのである。だから彼は、ただ現状を守る保守ではないし、ただ壊すだけの革命家でもない。その中間に立ち、社会の自己修正能力を信じた改革派だったと言える。
では、思想家としてのハーバーマスは何をしたのか。ひとことで言えば、彼は「理性」を救い直そうとした。二十世紀には、理性は人間を自由にするどころか、管理し、支配し、戦争や官僚制を強める道具になったのではないかという疑いが強まった。フランクフルト学派の先行世代も、近代の理性に深い不信を向けていた。だがハーバーマスは、理性そのものを捨てることはしなかった。彼は、支配のための理性ではなく、互いに理由を出し合い、理解し合おうとする理性に光を当てたのである。たとえば町内会でごみ置き場の場所を決める場面を考えるとわかりやすい。誰かが力で押し切るのではなく、「なぜそこがよいのか」「誰に不利益があるのか」を話し合うとき、人はすでに正しさや公平さや誠実さを前提にしている。ハーバーマスは、このような日常的なやりとりの中に、社会を支える合理性の核を見た。これが後のコミュニケーション的行為の理論へつながっていく。
だからハーバーマスは、孤独な天才が世界の真理を上から宣言するタイプの哲学者ではない。むしろ、誰か一人の声ではなく、複数の人が異なる立場を持ちながらも、言葉を通じて共通の世界を作ろうとする、その危うくて面倒な営みを信じた哲学者である。公共圏を論じたのも、コミュニケーション的行為を論じたのも、討議倫理を考えたのも、法と民主主義を結び直そうとしたのも、根には同じ願いがある。社会は黙っていても良くならない。しかし暴力や熱狂に任せても良くならない。ならば人は、対話し、批判し、言い返し、聞き返しながら、壊れた近代を少しずつ修理していくしかない。ハーバーマスとは、そうした困難な希望を、戦後の歴史を背負いながら最後まで捨てなかった人なのである。
この人物像を押さえると、ハーバーマスの本が単なる専門用語の山ではなくなってくる。彼が本当に考え続けたのは、公共性とは何か、理解し合うとは何か、民主主義はどうすれば空語にならずにすむのか、という切実な問いだった。次章では、その出発点となる戦後ドイツと批判理論の課題を見ていくことで、なぜ彼が「対話による理性の再建」という難題に向かったのかを、もう少し深くたどっていきたい。