うしPのサイト
文学・思想の一丁目一番地
キルヒハイマー入門 哲学入門シリーズ126
第一章 キルヒハイマーってどんな人?
オットー・キルヒハイマーは、一九〇五年にドイツのハイルブロンで生まれ、一九六五年に亡くなった法学者であり、政治学者でもある。若いころに法学を学び、ボン大学ではカール・シュミットの指導のもとで博士号を得た。のちにナチ政権の成立によって亡命を余儀なくされ、パリを経てアメリカへ渡り、戦時中にはOSSとその後の米国務省で働き、戦後は大学で教えた。最晩年にはコロンビア大学の政治学教授となり、法、国家、政党、裁判をめぐる重要な仕事を残した。まずこの人をひとことで言うなら、民主主義がどう壊れるのかを、法の言葉で執拗に見つめた思想家である。
キルヒハイマーを読むときに大事なのは、この人を単なる法学者として閉じ込めないことだ。彼は法律の条文を丁寧に読む人だったが、条文の美しさだけを信じる人ではなかった。憲法が立派でも、その背後にある社会の力関係が崩れていれば、制度は簡単に傾く。逆に、社会の緊張が高まれば、法は中立の盾ではなく、誰かを守り、誰かを押さえつける道具にもなる。キルヒハイマーが生涯かけて追ったのは、まさにその危うい境目だった。ワイマール共和国、ナチ体制、亡命、戦後民主主義という激しい時代をくぐった彼の仕事には、教室の中だけでは生まれない切実さがある。
この人の出発点には、ワイマール共和国の不安定さがある。第一次大戦後のドイツでは、議会制民主主義が始まっていたが、経済不安、階級対立、政治的不信が深く、制度の土台はやわらかかった。キルヒハイマーは、その世界の中で、なぜ憲法があるのに政治が安定しないのかを考えた。ふつう憲法というと、国のルールブックのように見える。けれど彼にとって憲法は、きれいに製本された本というより、下から地熱が吹き上がる地面の上に置かれた机に近かった。机の上だけを見て、脚元の揺れを見なければ、いつ倒れてもおかしくない。彼の初期思想には、そうした感覚が通っている。
この視点は、師であったカール・シュミットとの関係を考えると、いっそうはっきりする。キルヒハイマーはシュミットから強い刺激を受けた。合法性と正統性、国家権力、例外状態といった論点は、当時の若い法学者にとって避けて通れないものだったからだ。だが彼は、国家の強さそのものに酔う方向へは進まなかった。むしろ、制度が危機にさらされたとき、誰がその危機を利用するのか、法がどう政治に使われるのか、そこへ目を向けた。師に学びながら、師の進んだ先へは従わなかった。このねじれが、キルヒハイマーという人物を面白くしている。
ナチ政権の成立は、彼の思索を抽象論から現実の傷口へ押し出した。ユダヤ系であり、社会民主主義の運動にも関わっていた彼にとって、ドイツにとどまることはできなかった。亡命後の彼は、パリとアメリカで新しい生活を築かなければならず、しかもその間に、ヨーロッパの法秩序が壊れていく光景を遠くから見つめ続けた。ここで彼の思想は、単なる国家論ではなくなる。国家は保護の容器であると同時に、人を排除し、追放し、沈黙させる力でもある。自分の足場を奪われた経験が、そのまま彼の理論の硬さになった。冷たい文章を書く人に見えることがあるが、その冷たさは無関心からではなく、現実を甘く見ないための冷たさだった。
キルヒハイマーの名を今日まで残した仕事はいくつかある。ひとつは『刑罰と社会構造』で、これはゲオルク・ルーシェとの共著として一九三九年に刊行された。ここで彼は、刑罰を道徳や善悪だけで説明しようとせず、社会の経済構造や労働のあり方と結びつけて考えた。たとえば、ある社会で余った人間をどう扱うか、働けない者や従わない者をどう管理するか、その現実が処罰の形にまで影を落とすという見方である。牢屋の鍵は鉄でできているが、その鍵を作っているのは経済でもある。そう言い換えてもいい。犯罪と罰を孤立した道徳劇にしないところに、この人の鋭さがある。
もうひとつの大きな仕事は、一九六一年の『政治裁判』である。ここでキルヒハイマーは、裁判がただ真実を明らかにする中立の手続ではなく、政治的な目的のために使われうることを示した。国家が敵を裁くとき、法廷は単なる審理の場ではなく、権力が自分の正しさを演出する舞台にもなる。もちろん、すべての裁判が見せ物だと言いたいのではない。彼が見たのは、法が権力から完全に自由ではいられないという事実だ。たとえば、反体制派を裁く裁判では、判決だけでなく、裁判そのものが社会へのメッセージになることがある。被告を罰するだけでなく、周囲に向かって「ここから先へ出るな」と線を引く働きまで担う。キルヒハイマーは、その仕組みを見抜こうとした。
さらに彼は、戦後の西欧政治を考えるうえでも重要な概念を残した。それが「キャッチオール政党」である。これは、特定の階級や明確な理念を代表するよりも、できるだけ広く票を集めることを優先する政党のことだ。聞こえは悪くない。広く支持されるなら民主主義は安定しそうにも見える。だがキルヒハイマーは、その安定の中に別の危険を見た。政党が対立をぼかし、誰にでも少しずつ好かれようとすると、本来政治が持っていた選択の緊張が薄れていくからだ。店の看板はたくさん並んでいるのに、中へ入ると似た味の料理ばかり出てくるようなものである。選べるようで、ほんとうには選んでいない。彼はそうした民主主義の空洞化に早くから気づいていた。
こうして見ると、キルヒハイマーという人は、国家論の人であり、刑罰論の人であり、政党論の人でもある。いろいろなことを少しずつやった人に見えるかもしれない。だが、ばらばらではない。彼の問いは一貫している。法は誰のために働くのか。制度は何を守り、何を隠すのか。民主主義はどの瞬間に自分の中身を失うのか。この問いが、憲法論にも、裁判論にも、政党論にも流れている。彼の文章は、未来の理想図を大きく描くより、いま目の前の制度にひそむ亀裂を指でなぞるような書き方をする。だから読んでいて華やかさより緊張が残る。だがその緊張こそ、彼がいまでも生きている理由だ。
キルヒハイマーってどんな人か。最後にひとことでまとめるなら、法の顔をした政治と、政治の顔をした法を見抜こうとした人である。しかもそれを、遠くの安全地帯からではなく、自分の時代の破局のただ中で考えた。制度が壊れるとき、人はつい人物の善悪だけで説明したくなる。だが彼は、もっと深いところを見た。悪人がいたから壊れたのではなく、壊れるような構造が育っていたのではないか。正しい言葉が並んでいても、その下で力の流れが変わっていれば、民主主義は静かに別のものへ変わってしまうのではないか。キルヒハイマーは、その変化の音を聞き取ろうとした思想家だったのである。