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サイード入門 哲学入門シリーズ127
第一章 サイードってどんな人?
エドワード・サイードは、一言でいえば、文学を読んでいるふりをしながら、その背後にある帝国や権力や歴史まで見抜こうとした批評家だった。生まれは一九三五年のエルサレム、育ちは主にカイロ、のちにアメリカへ渡り、コロンビア大学で英文学と比較文学を教えた。代表作は一九七八年の『オリエンタリズム』で、この本によってサイードは、文学研究者の枠を超えて、二十世紀後半を代表する公共知識人の一人になった。パレスチナの問題についても強く発言し続け、学者であると同時に、政治的現実から目をそらさない人でもあった。
ただし、サイードを「中東について語った有名な学者」とだけ思うと、大事なところを外す。この人の核心は、最初から一つの場所にきれいに収まる人ではなかったことにある。自伝『場違いな人びと』でサイードは、自分の幼少期を、エルサレム、カイロ、レバノンの避暑地、そしてアメリカへとまたがる記憶として描いている。生まれ育った土地の言語、学校で求められるふるまい、家での空気、植民地主義の名残、それらが一つにまとまらず、いつも少しずつずれていた。その「場違いさ」は、のちの思想の傷であると同時に、武器にもなった。自分がどこにも完全には属せないからこそ、どの場所も外から見る目を持てたのである。
この「どこにもぴたりと収まらない感じ」は、サイードの文章を読むとよく伝わってくる。彼は西洋の文学を深く愛していた。英文学者なのだからそれは当然ともいえるが、その愛し方が単純ではない。たとえば、クラシック音楽やヨーロッパ文学に親しみながらも、その文化がしばしば帝国の力と結びついてきたことも見逃さない。名作を名作として味わうだけでは足りない、その作品がどんな世界秩序のうえに立っていたのかまで見なければならない、と彼は考えた。つまりサイードは、西洋文化の外に立って石を投げる人ではなく、その内部を熟知したうえで、内部から問い返す人だった。ここが彼の批評の鋭さであり、同時に読みごたえでもある。
では、なぜサイードはそんな見方を持つようになったのか。理由の一つは、彼の人生そのものが、国境や支配や追放の感覚に触れていたからだ。イギリス帝国の余韻が残る学校空間、アメリカ的な教育、アラブ人としての家族史、そしてパレスチナという切実な政治的現実。こうした複数の層が重なっていたため、サイードにとって文化は、ただの趣味でも教養でもなかった。文化は、人を包みこみ、人を選別し、人に役割を割り当てる力を持っていた。たとえば地図帳で中東を見るとき、そこに引かれた線は中立な線に見える。だがサイードなら、その線を誰が引き、誰の都合で自然なものとして見せたのかを問うだろう。彼は、当たり前に見えるものの背後にある歴史の力を暴こうとした。
その姿勢がもっとも有名な形であらわれたのが『オリエンタリズム』である。この本でサイードは、西洋が「東洋」を研究し、描写し、分類してきた知のあり方を問い直した。彼が言いたかったのは、学者や作家や旅行家が、悪意だけで東洋を語ったという単純な話ではない。むしろ、善意や好奇心や学問的情熱をまといながら、いつのまにか「東洋は神秘的だ」「非合理的だ」「遅れている」といった像を積み上げ、それが帝国的な支配と結びついていったのではないか、ということである。要するに、知識はしばしば無垢ではない。サイードはそこを突いた。だから彼は文学者なのに、歴史学、政治学、地域研究、メディア研究にまで衝撃を与えたのである。
とはいえ、サイードの魅力は、有名な理論だけではない。彼は「知識人とは何か」という問いを、かなり切実なものとして抱えていた。大学に所属し、本を書き、講演するだけなら、知識人は安全な場所にとどまれる。だがサイードはそれをよしとしなかった。パレスチナの権利をめぐって発言し、メディアの偏りを批判し、自分が所属する制度そのものにも刃を向けた。知識人とは、権力の近くで説明役を務める人ではなく、都合の悪い真実を語ることで居心地の悪い存在になる人だ、という感覚が彼にはあった。だからサイードの文章には、ときどき講義ノートより演説に近い熱が宿る。学問と政治を切り離せないのは、彼にとって現実が最初からそうだったからだ。
ここで一つ、サイードという人をつかむための身近な例を挙げてみる。ある人が映画を見て、「中東っぽい街は危険で混沌としている」と無意識に感じたとする。その人は差別主義者のつもりではない。ただ、何度も似た映像を見せられるうちに、ある地域が一つの決まったイメージで頭の中に置かれてしまう。サイードが問題にしたのは、まさにこういう仕組みだった。現実の人びとの複雑さよりも、見やすく加工された像のほうが先に流通し、その像が政治や世論や政策を支えてしまう。サイードは、こうした表象の働きを、文学から報道まで一続きの問題として考えた。だから彼は古い本の世界に閉じこもる学者ではなく、ニュースを見る眼まで変えてしまう批評家なのである。
さらにサイードには、どこか音楽家的なところもあった。実際、彼は音楽批評も書き、演奏にも深い関心を持っていた。これは余談に見えて、実は大事である。なぜなら彼の批評は、単に敵と味方を分ける発想ではなく、複数の声が同時に響く状態を聞き取ろうとするものだったからだ。一つの文化だけを正しいとしない。一つの国民物語だけに酔わない。むしろ、ぶつかり合う声、不協和音、消された旋律に耳を澄ます。その姿勢は、のちに彼が語る「対位法的読解」にもつながっていく。サイードは、怒りの人であると同時に、耳の人でもあった。そこに、この批評家の品格がある。
サイードは単なる「オリエンタリズムの著者」ではない。故郷を失った感覚を抱えつつ、西洋文化を学び抜き、その内部から帝国の影を照らし出し、しかも政治的現実に対して発言をやめなかった人である。場所のずれ、言語のずれ、立場のずれを、不幸なだけのものにせず、批評の視力へと変えた人と言ってもいい。自分が世界にうまくはまらないことを、ただの劣等感で終わらせず、世界のほうを問い返す力に変えた。サイードがどんな人かと問われたら、まずはそう答えるべきだろう。彼は「場違い」であることを引き受け、その場違いさから、世界の見え方そのものを変えた人だった。