うしPのサイト
文学・思想の一丁目一番地
オルテガ入門 哲学入門シリーズ128
第一章 オルテガってどんな人?
ホセ・オルテガ・イ・ガセットは、一八八三年にマドリードで生まれたスペインの哲学者であり、同時に新聞人であり、批評家であり、教育者でもあった。哲学者と聞くと、書斎にこもって抽象的なことだけを考えていた人を想像しがちだが、オルテガはかなり違う。彼はつねに時代の空気のなかにいて、社会の危機、文化の衰え、教育のゆくえを考え続けた。だから彼の文章には、机の上だけでは終わらない熱がある。世界が壊れかけている時、人はどう生き、どう考えるべきか。オルテガは、その問いをスペインとヨーロッパの現実のただなかで引き受けた思想家だった。
彼の家は、最初から言葉と社会に近い場所にあった。父は新聞に関わる仕事をしており、母方の家系も出版や報道と結びついていた。つまりオルテガは、幼いころから本と議論と世論の世界を身近に見て育ったことになる。これはかなり大きい。哲学者のなかには、世界から距離をとることで思索を深める人もいるが、オルテガはむしろ逆で、社会に触れながら哲学を鍛えた。新聞や雑誌という場を通じて、不特定多数に向かって考えることに慣れていたからだ。そのため彼の文体は、難しい概念を扱っていても、どこか読者を現実へ引き戻す力を持っている。
青年期のオルテガは、スペイン国内だけで完結しなかった。彼はドイツに留学し、当時の最先端だったドイツ哲学を学んだ。そこで新カント派の厳密な思考にふれ、観念をきちんと組み立てる訓練を受けた。この経験は、のちのオルテガに大きな骨格を与える。感覚だけで語るのではなく、概念の筋道を立てること。けれど彼は、ドイツ哲学をそのままスペインに持ち込んだだけではない。抽象理論の強さを認めつつ、それだけでは生きた現実をつかめないとも感じていた。そこで彼は、理屈の厳密さと、人生の具体性とを結びつけようとする。のちに「生の理性」と呼ばれる考え方の芽は、すでにここで育ちはじめていた。
オルテガが面白いのは、大学の哲学者でありながら、大学の外でも言葉を投げ続けたところにある。彼はマドリード大学で教えながら、雑誌を創刊し、新聞に寄稿し、講演を行い、知識人として公的な場に出ていった。彼にとって哲学は、専門家だけの閉じた学問ではなかった。社会が病んでいるなら、その病を診断しなければならない。教育が弱っているなら、その理由を考えなければならない。こうした姿勢は、現代でいえば、大学教授でありながら新聞論説を書き、ネットでも語り、しかも文化全体の方向まで問うようなものだろう。哲学を、生活と政治と文化の切れ目に差し込む。そこにオルテガの独特な立ち位置がある。
その立ち位置をもっともよく示すのが、彼の有名な言葉である。「私は私と私の環境である」。この一文は、短いがとても深い。人間は、ただ頭の中だけでできているのではない。家族、社会、時代、職業、偶然の出会い、そうした環境のなかで生きている。しかも、その環境は単なる背景ではなく、自分そのものの一部でもある。たとえば、同じ本を読む二人がいたとしても、片方は不況のなかで読み、もう片方は豊かな時代に読むかもしれない。その時、本の意味は同じにはならない。読む人の人生と状況が違うからだ。オルテガは、こうした当たり前のようで見落とされがちな事実を、哲学の中心に置いた。人間とは、状況のない純粋な魂ではなく、つねに世界のなかで生きる存在なのである。
だから彼は、真理についても少し変わった見方をした。人はだれも世界の全部を一度に見ることはできない。見えるのは、いつでも自分の立っている位置から見た一部分だけである。これをオルテガは、遠近法にたとえて考えた。山を東から見る人と、西から見る人では、見える形が違う。だが、どちらか一方だけが嘘なのではない。両方とも、その場所から見えた本当の姿である。大切なのは、自分の視点だけを絶対化しないことだ。視点が違えば世界の見え方も変わる。そのことを認めたうえで、複数の視点を通して真理へ近づいていく。オルテガは、このようにして、単純な独断論にも、なんでもありの相対主義にも落ちない道を探した。
こうした思想が生まれた背景には、オルテガの生きた時代そのものがある。彼が見ていたスペインは、かつての帝国の栄光を失い、近代化にも遅れ、国としての自信を揺らしていた。さらにヨーロッパ全体も、戦争や政治的混乱によって不安定になっていく。オルテガは、この危機を単なる政治問題としてではなく、文明の問題として見た。人々は便利さを享受しながら、その土台を支える努力や教養を忘れていないか。制度だけを当たり前に使い、その制度を生み出した精神を失っていないか。のちに『大衆の反逆』で展開される議論は、ここから出てくる。オルテガにとって危機とは、経済の悪化や政権の交代だけではない。人間そのものが、自分の生をどう引き受けるかという根の部分が揺らぐことだった。
彼自身も、歴史の激動から無縁ではいられなかった。スペイン第二共和政の時代には政治にも関わったが、やがて失望し、内戦が起こると亡命を余儀なくされる。祖国を離れ、各地を転々としながら思索を続けた経験は、彼の哲学をさらに深めたはずだ。人は地面を失ってもなお、自分として生きられるのか。歴史に振り回されるだけでなく、それを理解する理性を持てるのか。オルテガが「歴史理性」という考え方へ進んでいくのは自然な流れだった。人間には、石のように固定した本性があるのではない。むしろ人間は、自分の過去を背負い、選び、作り変えながら生きる歴史的存在である。亡命という経験は、そのことを彼にいやでも教えたにちがいない。
こうして見ると、オルテガは、単に「大衆社会を批判した人」ではないことがわかる。彼はまず、生きるとはどういうことかを考えた。そのうえで、人間はいつも環境のなかにあり、視点の限界を抱えながら、それでも理性によって自分の生を引き受けなければならないと考えたのである。だから彼の思想は、個人の問題と社会の問題とを切り離さない。自分の生を雑に扱う人間が増えれば、社会もまた雑になる。逆に、自分にきびしく、世界を複眼的に見ようとする人が増えれば、文化も政治も変わりうる。オルテガは、その可能性と危うさの両方を見ていた。彼は危機の時代を生きた哲学者だったが、同時に、危機のなかでも考えることをやめなかった人だったのである。
この第一章で見えてくるのは、オルテガの思想が最初から現実と切り離されていないということだ。新聞人の家に生まれ、ドイツ哲学を学び、大学で教え、社会へ向けて書き、政治の混乱と亡命を経験した。その歩みのすべてが、彼の哲学の材料になった。だからオルテガを読むとは、一人の哲学者の説を学ぶことではなく、時代の崩れ目で人がどう考えうるかを学ぶことでもある。次の章では、その彼が見ていた「スペインの危機」とは何だったのか、そしてなぜ彼が「ヨーロッパ化」という課題を掲げたのかを見ていくことになる。