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ディルタイ入門 哲学入門シリーズ129
第一章 ディルタイってどんな人?
ヴィルヘルム・ディルタイは、一八三三年に生まれ、一九一一年に亡くなったドイツの哲学者である。けれども、ただ哲学者とだけ言うと、この人の大事なところが少しこぼれてしまう。彼は歴史を考えた人であり、宗教を考えた人であり、文学や芸術の読み方にも深く関わった人だった。もっと言えば、人間というものを、石や星や植物と同じようには扱えないと考え、その違いを、学問の形そのものから問い直した人だった。
ディルタイの出発点には、かなり切実な疑問がある。自然科学は、近代に入ってから驚くほどの力を見せた。物体の運動を説明し、病気の仕組みを解き明かし、世界を法則で捉えようとした。その成功はあまりにも大きく、学問とはまず説明することだ、原因を見つけることだ、という感覚が強くなっていった。だが、ディルタイはそこで立ち止まる。人間の人生や歴史や宗教も、ほんとうにそれだけで分かるのか、と。
たとえば、空から雨が降る理由を知りたいなら、気圧や湿度や温度の変化を調べればよい。そこでは因果関係をたどる説明が役に立つ。だが、ある人が亡き父の手紙を何十年も捨てられずに持っている理由は、同じ仕方では捉えきれない。その手紙は紙であり、インクであり、物質ではある。けれども、その人にとっては記憶であり、愛情であり、自分の生の一部でもある。ディルタイは、こういう違いを見逃さなかった。
この違いを言い表すために、ディルタイは人間の世界を「理解」しようとした。自然を相手にする学問が説明を中心にするなら、人間の歴史や文化を相手にする学問は、意味を読み取る理解を中心にしなければならない、と彼は考えたのである。ここで言う理解は、ただ共感することではない。相手の言葉や行為や作品が、どんな生の流れの中から出てきたのかを、筋道立ててつかむことだ。これが後に、人文科学の方法を考えるうえで大きな柱になった。
ディルタイがこうした考えに向かったのは、彼自身が複数の世界にまたがっていたからでもある。彼は神学を学び、歴史研究にも触れ、哲学にも取り組んだ。つまり、宗教的な内面、歴史的な事実、哲学的な概念のあいだを、ひとつながりの問題として生きた人だった。人間は何を信じ、どう感じ、どういう時代の中で考えるのか。その問いは、彼にとって机の上だけの問題ではなく、学問そのものの土台に関わる問題だった。
この人を理解するうえで大切なのは、ディルタイが人間をばらばらに見なかったことだ。近代の学問はしばしば、心を要素に分解し、社会を機械のように捉え、歴史を単なる出来事の列として整理しようとした。だが、ディルタイは、人間の生はもっとまとまりをもって流れていると見た。人はそのつど、孤立した点として生きるのではない。過去を背負い、現在を感じ、未来へ向かいながら、自分の人生をひとつの連なりとして生きている。彼はその連なりを、「生」という言葉で捉えようとした。
この「生」という見方は、あとで出てくるディルタイの中心概念につながる。彼は、人間を理解するには、まず人間が内側から生きている経験を考えなければならないとした。これを彼は「体験」と呼ぶ。ここでの体験は、たんに珍しい出来事ではない。朝起きて窓を開けたときの空気の冷たさ、誰かに言われた一言が一日中胸に残る感じ、昔読んだ小説の一節がふとした瞬間によみがえること、そうした生きられた経験のまとまりが体験である。ディルタイは、学問がここを素通りしてはいけないと考えた。
ただし、彼は主観に閉じこもったわけではない。ここがディルタイの面白いところである。人間の内面は、言葉や行為や制度や芸術作品として外に現れる。悲しみは詩になることがあり、信念は法律や政治制度になることがあり、時代の不安は小説や絵画に刻まれる。だから私たちは、他人の心の中へ直接入れなくても、その表現を通して他者や過去を理解できる。ディルタイは、この道筋を整えるために、解釈学を広い学問の基礎へ押し広げていった。
この発想は、歴史の見方も変える。歴史は単なる年号の並びではなく、人間が意味を持って生きた痕跡の集まりになる。革命ひとつを考えるだけでもそうだ。ある年に政権が倒れた、というだけなら出来事の記録で終わる。だが、なぜ人々が怒り、何を正義だと思い、何を未来として夢見たのかまで考え始めると、そこには生きられた世界が立ち上がってくる。ディルタイは、歴史とはそういう意味の網の目であり、その理解こそが人文科学の仕事だと考えた。
だからディルタイは、自然科学に敵対した人ではない。むしろ彼は、自然科学の強さをよく知っていた。だからこそ、その方法をそのまま人間の世界に持ち込むことの限界も見えたのである。石が落ちる理由を説明することと、ある詩が百年後にも人を泣かせる理由を理解することは、同じではない。前者では法則が重要であり、後者では意味の連関が重要になる。ディルタイは、この違いを曖昧な印象論で終わらせず、きちんとした学問の方法として立てようとした。
彼の野心は、思った以上に大きい。ディルタイは単に、人文科学も大事だと弁護したかったのではない。人間が歴史の中で生きる存在である以上、その人間にふさわしい理性の批判が必要だと考えた。カントは理性の条件を問うたが、ディルタイはその問いを、歴史と社会と文化の中へ持ち込みたかった。人間は、時代から切り離された純粋な知性ではない。言葉を受け継ぎ、制度の中で育ち、過去の蓄積を背負いながら考える。そうした存在としての人間を、根本から考え直そうとしたのである。
その意味で、ディルタイは地味な補助線を引く人ではなく、近代の学問の地図を書き換えようとした人だと言える。文学を読むとき、歴史を学ぶとき、宗教や社会を考えるとき、私たちはつい、客観的であることだけを正しさだと思ってしまう。だがディルタイは、客観性とは冷たく距離を取ることだけではなく、意味を持った世界をその世界にふさわしい仕方で理解することでもあると教える。ここに彼の強さがある。
ディルタイとは、人間を人間として理解したいと願った哲学者である。自然の中の一物体としてではなく、歴史を生き、意味を作り、表現を残す存在として、人間を捉えようとした人である。そしてそのために、哲学、歴史学、心理学、解釈学を横断しながら、新しい学問の土台を築こうとした人である。次の章では、そもそもなぜそんな仕事が必要になったのか、つまりディルタイが立ち向かった時代そのものを見ていくことになる。