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ジンメル入門 哲学入門シリーズ131
第一章 ジンメルってどんな人?
ゲオルク・ジンメルは、一八五八年にベルリンで生まれたドイツの思想家であり、社会学者であり、同時にきわめて哲学的な眼を持った観察者でもあった。彼を一言で説明するのはむずかしい。なぜなら、国家のような大きな仕組みだけを語った人でもなく、純粋な哲学の体系を築いた人でもなく、むしろ人と人のあいだに生まれる微妙な関係、近代都市の空気、貨幣がもたらす心の変化、文化が大きくなりすぎた時代の息苦しさを、独特の言葉で捉えた人だからである。
十九世紀の終わりから二十世紀の初めにかけて、ヨーロッパは大きく変わっていた。都市は拡大し、人々は村や小さな共同体から切り離され、工場、商店、新聞、鉄道、銀行、劇場のような新しい仕組みのなかで生きるようになる。金で物が買えること自体は昔からあったが、近代になると貨幣が生活の隅々まで入り込み、人間関係のあり方まで変え始める。ジンメルは、この変化を遠くから眺めるのではなく、そこに生きる人間の感覚のほうから考えた。だから彼の文章には、歴史の大事件だけでなく、日常の会話、社交、秘密、よそ者、ファッションのような、一見すると小さく見える題材がよく出てくる。
この点が、ジンメルの最初の大きな特徴である。彼は社会を、国や制度のような巨大なものとしてではなく、人と人のあいだに生じる相互作用の網の目として見た。たとえば、二人だけの親しい関係を考えてみると、その場には強い直接性がある。ところが、そこにもう一人加わるだけで、仲裁、連合、駆け引き、孤立といった新しい動きが生まれる。三人になるだけで、関係はまったく別のものになる。このように、人数や距離や立場の違いが、関係そのものの形を変える。ジンメルは、その「形」に注目した。これが後に形式社会学と呼ばれる発想につながっていく。
しかし、ジンメルを単なる社会学の技術者と考えると、彼の魅力は見えなくなる。彼は人間を数えたり分類したりするだけの人ではなかった。むしろ、近代に生きる人間の心がどう変わっていくかを、非常に鋭く感じ取っていた。とくに有名なのが、大都市についての考察である。大都市では、毎日あまりにも多くの人、物、音、広告、事件が押し寄せる。ひとつひとつに深く反応していては、神経がもたない。そこで人は、少し鈍くなり、少し無関心になり、少し距離を取るようになる。冷たい人間になったからそうなるのではない。むしろ、生き延びるためにそうならざるをえない。ジンメルは、都会人の無関心の裏にある防衛の仕組みを見抜いていた。
ここで見えてくるのは、彼が善悪の単純な図式で近代を語らないということだ。都市は人を疲れさせるが、同時に自由も与える。共同体のしがらみから離れ、多様な人々と出会い、自分を新しく作り直す可能性を開く。貨幣も同じである。金は人間関係を冷たくし、何でも数で測る傾向を強めるが、その一方で、身分や血縁に縛られない交換を可能にし、人を古い結びつきから解放もする。ジンメルは近代を賛美するだけでもなく、呪うだけでもない。近代が持つ自由と空虚、拡大と喪失、その両方を一緒に見ようとした。
この両義的な見方は、彼の生き方そのものとも関係している。ジンメルはベルリン大学で講義をしたが、当時の大学制度のなかでは長く不安定な位置に置かれた。人気のある講義を行い、多くの知識人に刺激を与えたにもかかわらず、正統派の学界の中心にすんなり迎え入れられたわけではない。ある意味では、彼自身が「内にいながら、どこか外にいる人」だった。このことは、彼の有名な「よそ者」という考え方を理解する手がかりにもなる。よそ者とは、単に遠くから来た人ではない。集団の内部に参加しつつ、完全には溶け込まず、近さと遠さを同時に持つ存在である。ジンメルは、社会のなかにあるこの微妙な距離を、とても大事にした。
また、ジンメルの文章には、硬い学問書にしては珍しい軽やかさがある。社交、会話、装い、恋愛、秘密のような題材が、しばしば哲学と社会学のあいだを行き来しながら語られる。これも彼の大きな魅力である。多くの思想家は、重要なことは重たい言葉でしか語れないように見える。だがジンメルは、軽いもののなかにこそ時代の本質が現れると考えた。たとえば流行の服装は、ただの飾りではない。人は流行に乗ることで他人と同じになろうとし、同時に少しだけ違いを出そうとする。その同調と差異化のせめぎ合いのなかに、近代人の心の動きが映っている。こうした見方は、いま読んでも驚くほど新鮮である。
さらに、ジンメルには文化に対する強い関心があった。人間は知識、芸術、制度、技術、思想を作り出し、それを蓄積していく。文化は本来、人間の生を豊かにするためのもののはずである。ところが近代になると、その文化があまりにも巨大になり、複雑になり、個人が自分のものとして生ききれないほどに膨れ上がる。図書館には本があふれ、都市には情報が満ち、社会には専門知が積み上がる。だが一人の人間がそれを全部引き受けることはできない。このずれを、ジンメルは文化の悲劇として考えた。人間が作ったものが、人間を豊かにするどころか、逆に押しつぶし始める。この感覚は、情報が多すぎる現代にも、そのまま通じる。
こうして見ると、ジンメルは社会学者であると同時に、近代という時代の気分を描いた思想家でもあったと言える。人間関係の形式を見抜く冷静さがあり、貨幣や都市が生み出す変化を追う分析力があり、それでいて、生きることの重さや不安にも敏感だった。しかも彼は、壮大な体系を一気に打ち立てるより、断片的な題材を通じて全体を照らすことを好んだ。だから彼の思想は、最初は散らばって見える。だが読み進めると、秘密、よそ者、闘争、社交、貨幣、大都市、文化といった個々の論点が、すべて「人と人のあいだ」と「近代における個人の運命」という二つの中心に集まっていくのがわかる。
ジンメルを読む意味は、社会の大きな説明を得ることだけではない。むしろ、自分たちがふだん何気なく生きている日常が、じつはどれほど複雑な関係のうえに成り立っているかを知ることにある。友人との沈黙、集団のなかの一人の浮き方、都会での無関心、金銭のやり取りの気楽さと冷たさ、流行に乗る楽しさと息苦しさ。そうした身近な場面は、見過ごせばただの出来事で終わる。だがジンメルの眼を通すと、そこには近代社会の骨格が見えてくる。彼は、巨大な歴史を小さな場面のなかに読み取る方法を教えてくれる思想家なのである。
本書の出発点として、まず押さえておきたいのは単純である。ジンメルとは、社会を人間関係のかたちとして捉え、近代都市と貨幣経済の時代に生きる個人の感覚を、だれよりも早く、だれよりも繊細に言葉にした人である。この人物像が見えてくれば、形式社会学も、よそ者も、貨幣の哲学も、大都市論も、ばらばらの話ではなくなる。すべては、変わりゆく近代のなかで、人間がどのように結びつき、どのように離れ、どのように自分を保とうとするのかを問う、一つの大きな思索の流れとして読めるようになる。