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カネッティ入門 哲学入門シリーズ136
第一章 カネッティってどんな人?
エリアス・カネッティは、一九〇五年にブルガリアのルセで生まれ、一九九四年にチューリヒで亡くなった、ドイツ語で書く作家です。ノーベル文学賞を受けた人として知られますが、ただの名文家ではありません。小説、戯曲、自伝、ノート、そして『群衆と権力』のような巨大な思索の書まで残した、境界をまたぐ思想家でした。哲学者、社会観察者、文学者という三つの顔が、彼の中では切り離されずに結びついています。
まず大事なのは、カネッティが最初から一つの国、一つの言語、一つの文化だけで育った人ではなかったことです。彼はセファルディ系ユダヤ人の家に生まれ、幼いころの母語はラディーノ語でした。その後にイギリスへ移り、英語に触れ、父の死のあとには母とともにウィーンへ移ります。さらにチューリヒやフランクフルトでも学びました。こうした移動の多い少年時代は、世界を一つの見方で決めつけない姿勢を育てたはずです。人間は場所によって話し方も、振る舞いも、恐れるものも変わる。カネッティは、かなり早い段階でその事実を身にしみて知った人でした。
ここで面白いのは、彼が最終的にドイツ語で書く作家になったことです。ドイツ語は彼にとって生まれつきの母語ではありませんでした。けれども、父の死後に母から厳しく教え込まれたこの言語が、のちには創作と思索の中心になります。生まれた場所の言葉でもなく、いちばん幼いころの言葉でもない言語を、自分の表現の核に据える。この点だけでも、カネッティはかなり特別です。たとえば、多くの人は母語を空気のように使いますが、彼にとって言語は選び取り、つかみ直し、磨き上げる対象でした。だからこそ、言葉を雑に扱わず、言語そのものに強い緊張感を持ったのだと考えられます。
しかも彼は、最初から文学だけをやっていた人ではありません。大学ではウィーンで化学を学び、一九二九年には博士号まで取っています。ただ、そのまま化学者になったわけではなく、職業としては文学の道へ進みました。この経歴は意外に大きいです。なぜなら、カネッティの文章には、感覚だけで飛ぶ人とは少し違うところがあるからです。人間を見つめる目が、妙に執拗で、分類癖があり、現象をそのまま放っておかない。群衆、命令、権力、生き残り、といったものを一つずつ見分けようとする態度には、観察と整理への強い欲がある。そこには、科学を通り過ぎた人らしい硬さが残っています。
では、そんなカネッティが、なぜ群衆や権力に取りつかれるようになったのか。その大きな手がかりが、若いころのウィーンにあります。ノーベル賞の公式伝記でも、一九二五年に群衆心理についての本の最初の構想があり、一九二七年七月十五日にはウィーンの司法宮殿炎上の事件が記されています。彼は群衆を、本で読んだ概念としてではなく、街の熱気として、身体に迫るものとして経験したのです。群衆は人数が多い集まりではありません。そこに入ると、人は一人でいるときとは別の生き物のように動く。カネッティは、その不気味さと魅力を、若い時代に現場でつかんだのでした。
この経験は、のちの作品群にも深くしみ込んでいきます。代表的な小説『眩暈』は、書物の世界に閉じこもる学者が崩れていく物語ですが、そこには知性の誇りだけでなく、現実との接触を失った人間の危うさが描かれています。もともと彼は、世界の無秩序を大きな連作小説で描こうとしていましたが、その構想は縮まり、この一作へ結晶したとされます。ここでもう、カネッティは単に物語を書く人ではなく、人間の偏りや執着を見抜こうとする人として動いています。個人の狂気と、社会の狂気が、彼の中では遠く離れていません。
そして一九六〇年に出た『群衆と権力』で、カネッティは自分の中心テーマを本格的に打ち出します。この本は、厳密な意味での学術哲学書とは少し違います。論証だけで積み上げる本ではなく、神話、歴史、宗教、政治、身体感覚、動物の群れへの観察まで取り込みながら、人間が集団になるとき何が起きるのか、支配する者は何を欲しているのかを追いかけた本です。たとえば、なぜ群衆の中では人が急に大胆になるのか。なぜ権力者は、ただ命令したいだけでなく、他人より最後まで生き残る位置を欲しがるのか。こうした問いを、カネッティは一冊かけて追い詰めました。だから彼は文学者であると同時に、人間存在の深いところへ降りていく思想家でもあるのです。
さらに、カネッティの人生には二十世紀の暗い歴史が重くのしかかっています。一九三八年、ヒトラーがオーストリアを併合すると、彼はロンドンへ亡命しました。つまり彼は、国家が巨大化し、群衆が熱狂し、権力が人間を押し流していく時代を、外から想像したのではなく、その中を生きたのです。ここが重要です。カネッティの群衆論や権力論は、机上の模型ではありません。時代の圧力に押されながら、それでも人間を見失わないための観察でした。だから彼の文章には、抽象論だけでは出ない切迫感があります。
では、カネッティは哲学者なのか、文学者なのか。答えは、どちらか一方では足りない、になるでしょう。大学の哲学史では、プラトンやカントのような体系家として並ぶ人ではありません。けれども、人間とは何か、集団とは何か、支配とは何か、死とは何かという問いを、自分の全作品で掘り続けたという意味では、十分に哲学的です。むしろ彼の強みは、哲学の問いを、血の通った場面に降ろして考えたことにあります。たとえば群衆を語るとき、彼は数字を数えるだけではなく、肌が触れ合う感じや、恐れが反転する瞬間まで見ようとしました。そこに、カネッティならではの深さがあります。
第一章の入口として押さえたいのは、結局ここです。カネッティは、国境をまたいで育ち、複数の言語をくぐり、科学も通り、文学へ進み、群衆と権力という巨大な問題に生涯をかけた人でした。生涯だけ見ると、華やかな受賞歴を持つ世界的作家です。けれども、その核にあるのは名声ではなく、人間がどうしてここまで他人に引き寄せられ、同時に他人を支配したがるのかという、暗くて大きな疑問でした。だからカネッティを読むことは、ある一人の作家の人生を知るだけでは終わりません。人間が集まると何が起こるのか、権力はなぜ人を酔わせるのか、という本書全体の問いへ、そのまま入っていくことになるのです。