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ブレンターノ入門 哲学入門シリーズ143
第一章 ブレンターノってどんな人?
フランツ・ブレンターノは、一八三八年に生まれたドイツ語圏の哲学者である。名前そのものは、カントやニーチェほど広く知られていない。けれど近代以後の哲学を内側から組み替えた人物として見るなら、彼はきわめて大きい。とくに意識とは何か、心はどのように世界へ向かうのかという問いにおいて、ブレンターノは静かだが決定的な仕事をした。
彼の思想をひとことで言うなら、心をもう一度まじめに扱いなおした哲学である。人が何かを見るとき、何かを思い出すとき、何かを望むとき、そこにはただ脳の中で出来事が起きているというだけでは済まない独特の構造がある。ブレンターノはそこへ鋭く目を向けた。しかも詩的な気分で語ったのではなく、できるだけ厳密に、学問として扱おうとしたのである。
彼の生涯には、最初から少し緊張がある。ブレンターノは若いころ、カトリックの司祭となった。つまり彼は、はじめから宗教と真理の問題に深くかかわっていた人物だったのである。哲学者の中には、信仰から離れたところで思考を始める者も多い。だがブレンターノは、神や魂や真理という重たい問いのただ中から出発した。そのため彼の哲学には、単なる知的遊戯ではない切実さがある。
もっとも、彼はただの宗教家にはならなかった。むしろ真理を大事にしたからこそ、教会と衝突した。十九世紀のカトリック世界では、教皇は信仰と道徳の問題で誤らないという教皇不可謬説が大きな争点になった。ブレンターノはこれに賛成できなかった。権威が絶対であると言われたとき、それでも本当にそうかと考えてしまう。そこに哲学者としての彼の気質がよく出ている。
こうして彼は司祭職を離れ、大学で哲学を教える道へ進んだ。ここで重要なのは、彼が単に職業を変えたのではないということだ。宗教的権威の世界から、論証と観察の世界へ重心を移したのである。言い換えれば、信じることよりも確かめることを前に出した。その転換は、彼の思想全体に刻み込まれている。ブレンターノは、哲学もまた厳密な学であるべきだと考えた。
この厳密さへの欲望は、彼の代表作『経験的立場からの心理学』によく表れている。題名だけ見ると、心理学の本のように見える。実際その通りでもある。だがここでいう心理学は、現代の実験室で数値を取る心理学とは少し違う。ブレンターノが調べたかったのは、人間の意識の中にどのような現れ方があるか、心の働きにはどんな基本的な型があるかということであった。
たとえば、机の上の赤いりんごを見る場面を考えてみる。ただ光が目に入るだけなら、それは物理的な出来事として語れる。だが人は、赤いものを見ているのではなく、りんごを見ている。さらに言えば、食べられそうだと思ったり、昨日買ったものだと記憶したり、腐っていないか心配したりする。心はいつも何かへ向かっている。ブレンターノはこの向かい方を、哲学の中心問題としてつかんだ。
ここで彼が有名になる最大の言葉が出てくる。志向性である。難しそうに聞こえるが、意味は意外と身近だ。見ることは何かを見ることであり、考えることは何かを考えることであり、望むことは何かを望むことである。怒りでさえ、ただ宙に浮いているのではない。誰かに向かって怒り、何かの出来事に対して怒る。心はつねに対象を持つ。この発見を、ブレンターノは哲学の言葉として研ぎなおした。
この点で彼は、心を物と同じように扱わなかった。石はそこにある。机もそこにある。だが「机を思い出している」という心の働きは、石や机のようには存在しない。心はただあるのではなく、何かに関わりながらある。たとえば、遠い昔の教室を思い出すとき、いまその教室は目の前にない。それでも心の中では、その教室が対象として立ち現れる。ブレンターノはこの不思議さを、心の本質として見た。
しかも彼は、心を観察するときの方法にもこだわった。人は外のものを見るだけでなく、自分が見ていることにもある程度気づいている。悲しいとき、人はただ泣くだけではない。自分が悲しいこともどこかで知っている。嬉しいときも同じである。ブレンターノは、この自分の心が自分に伴っている感じを大事にした。意識は外の対象へ向かうと同時に、どこかで自分自身も照らしているというのである。
この考え方は、のちの現象学へつながっていく。フッサールはブレンターノの弟子であり、意識の分析をさらに押し進めた人物だった。つまりブレンターノは、一人の学者として本を書いただけではない。二十世紀哲学の重要な流れの起点になったのである。直接の弟子だけを見ても、マイノング、シュトゥンプ、トヴァルドフスキなど、多くの思想家がそこから枝分かれしていく。彼は一つの学校というより、知的な震源地だった。
ただし、ブレンターノは巨大な体系を完成させた哲学者ではない。ヘーゲルのように世界全体を一つの論理で包み込むことを目指したわけではないし、ニーチェのように火を噴く言葉で時代を挑発したわけでもない。彼の強みはむしろ逆である。大きな言葉を振り回す前に、心の働きのいちばん基本的なところを丁寧に区別した。表象とは何か、判断とは何か、愛や憎しみとは何か。そうした基礎工事に力を注いだ。
この基礎工事の重要さは、家を建てる場面に似ている。目立つのは屋根や窓や外壁である。だが本当に家を支えているのは、地面の下に埋まった基礎である。ブレンターノの哲学もそれに近い。彼自身の名は、弟子たちほど派手に語られないことがある。けれど「意識は何かについてのものである」という足場なしには、その後の現象学も分析哲学の一部も、かなり違う姿になっていただろう。
また彼には、古代哲学への深い関心もあった。とくにアリストテレスを強く学び、そこから多くを受け取っている。これは大事な点である。ブレンターノは近代人だが、ただ新しいことだけを追った人ではない。むしろ古代や中世の哲学の中に、まだ捨てるべきではない洞察があると考えた。新しさのために古いものを切り捨てるのではなく、古いものの中から生きた核を救い出し、それを近代的な方法で鍛え直したのである。
だからブレンターノは、時代のはざまに立つ哲学者だと言える。宗教と近代科学のはざま、古典哲学と近代哲学のはざま、内面の経験と学問の厳密さのはざまで、彼は思考した。その立場は中途半端なのではない。むしろ裂け目の上に立っていたからこそ、どちらか一方には見えないものが見えた。心は物ではないが、気分だけでもない。哲学は主観的な告白ではないが、空疎な論理遊戯でもない。彼はその中間を貫こうとした。
ブレンターノという人を理解するには、この二つを一緒に見る必要がある。ひとつは、真理に対してまじめすぎるほどまじめだった人だということ。もうひとつは、心のごくふつうの働きの中に、哲学の大問題が隠れていると見抜いた人だということだ。人が見ること、思うこと、信じること、愛すること。そのありふれた出来事の中に、世界との関係の秘密がある。ブレンターノはそれを、大げさに飾らず、しかし驚くほど深く掘った。
その意味で、彼は目立たない革命家だった。外から見れば静かな大学者に見える。だが内側では、哲学の向きを変えていた。世界そのものを語る前に、世界がどのように意識に現れるかを問う。この転回は、のちの哲学全体に長い影を落とすことになる。ブレンターノは、派手な旗を振る思想家ではなかった。けれど地面の下で川の流れを変えるように、哲学の水路そのものを動かした人だったのである。
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