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リッケルト入門 哲学入門シリーズ146
第一章 リッケルトってどんな人?
ハインリヒ・リッケルトは、一見するととても地味な哲学者に見える。カントやニーチェのように、強烈な名言で読者をつかむタイプではないし、ショーペンハウアーのような毒も薄い。けれどもこの人は、学問の世界の深い場所で、とても大きな問いを扱った。なぜ自然科学は法則を語り、歴史は個別の出来事を語るのか。人間の文化や歴史は、どうすれば感想ではなく学問として語れるのか。リッケルトは、こうした問いを正面から引き受けた、新カント派の代表的な哲学者だった。
彼は一八六三年、当時プロイセン領だったダンツィヒに生まれた。のちにヴィルヘルム・ヴィンデルバントに学び、フライブルク大学で教え、さらに一九一五年にはハイデルベルク大学へ移って、亡くなった師ヴィンデルバントの後を継いでいる。つまりリッケルトは、ただ本を一人で書いた人ではなく、ドイツ哲学の大きな流れの中心に立っていた人だった。新カント派の中でも、南西ドイツ学派あるいはバーデン学派と呼ばれる流れの中心人物とされるのは、そのためである。
新カント派という名前だけを見ると、昔のカントをそのまま守った保守的な学派のようにも思える。だが実際には逆で、十九世紀末の知の混乱に対して、もう一度「学問とは何か」を組み立て直そうとした運動だった。自然科学はめざましく発展し、実証主義は勢いを持ち、歴史学や文化研究も自分の立場を求めていた。そんな時代に、自然科学だけを本物の学問と見なす空気が強まると、歴史や文化を研究する営みは、どうしても不利になる。リッケルトは、その不利を理屈の力でひっくり返そうとした。
この人の発想をつかむには、ひとつ簡単な例で考えると分かりやすい。たとえば、ある町で一本の木が倒れたとする。自然科学は、風速や木の強度、腐食の進み方を調べ、似た現象に通じる法則を探ろうとするだろう。だが歴史家が同じ出来事を見るなら、その木がどこにあり、誰がそれを記念樹として大切にしていたのか、町の人にとってどんな意味を持っていたのかを問うかもしれない。前者は一般化へ向かい、後者は個別化へ向かう。リッケルトは、この違いを単なる対象の違いではなく、概念の作り方と学問の方法の違いとして考えた。
ここで重要になるのが、価値という言葉である。価値と聞くと、好き嫌いの話に聞こえるかもしれない。だがリッケルトが言いたかったのは、歴史や文化の研究は、何が重要で何が重要でないかという選別なしには成立しない、ということである。世界には無数の出来事があるのに、そのすべてを同じ重さで記述することはできない。ある王の即位、ある革命、ある芸術作品の成立が歴史として取り上げられるのは、それが文化的な意味や価値との関係で重要だからだ。だから彼は、歴史研究には価値との関係が必要だと考えた。ただしそれは、研究者が勝手に善悪を押しつけることとは違う。ここにリッケルトの鋭さがある。
この考え方のおもしろいところは、歴史や文化の学問を、自然科学より低いものとして扱わない点にある。むしろリッケルトは、自然科学にも歴史学にも、それぞれに固有の厳密さがあると考えた。自然科学は一般法則を目指すが、歴史学は一回きりの個別的な現実を、その意味のまとまりの中で捉えようとする。たとえば「フランス革命」という出来事は、石が落ちる法則のように何度も同じ形で繰り返されるものではない。しかし、だからといって学問にならないわけではない。むしろ個別性そのものを、秩序立てて理解する道がある。その道筋を理論として与えようとしたのが、リッケルトだった。
リッケルトの周囲には、ディルタイ、ジンメル、フッサール、マックス・ウェーバー、ヤスパースのような重要人物がいた。彼は孤立した哲学者ではなく、二十世紀思想の入口に立つ多くの人と緊張関係を持ちながら仕事をした人である。とくにウェーバーとの関係はよく知られていて、社会科学が価値とどう向き合うべきかを考えるうえで、リッケルトの議論は大きな影響を与えた。また彼のもとには、のちに重要な思想家となる学生や若い研究者も集まった。静かな文体の奥で、実は次の時代を準備していた人でもある。
では結局、リッケルトとはどんな人なのか。ひと言でいえば、世界を「ただあるもの」として見るだけでは足りないと考えた哲学者である。人間は、意味を持つものを選び出し、価値との関係の中で世界を理解し、そこから歴史や文化を形にしていく。だがその理解は、主観的な気分だけに落ちてはならない。どうすれば意味を扱いながら客観性を守れるのか。どうすれば文化を論じながら学問でいられるのか。リッケルトの生涯は、このむずかしい問いを粘り強く追い続けた時間だった。派手ではない。だが、歴史や文化を本気で考えるなら、一度は通らなければならない関所のような哲学者である。
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