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ブルーメンベルク入門 哲学入門シリーズ151

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ブルーメンベルク入門 哲学入門シリーズ151

第一章 ブルーメンベルクってどんな人?

 ハンス・ブルーメンベルクは、二十世紀ドイツの思想家の中でも、少しつかみにくい位置にいる人である。政治哲学者としてだけ語るには広すぎるし、純粋な観念論者として片づけるには現実への感覚が鋭すぎる。近代とは何かを論じ、神話とは何かを考え、比喩が思考の中で果たす役割を掘り下げ、さらにコペルニクス以後の宇宙像まで見渡している。ひとりの哲学者でありながら、思想史家、概念の読解者、神話の解剖者、そして人間が世界にどう耐えるかを追う観察者でもあった。だからブルーメンベルクを一言で説明するなら、近代という時代の自己理解を、概念と比喩と物語の三つを使って読み直した人だと言うのがいちばん近い。

 彼は一九二〇年、ドイツのリューベックに生まれた。だがその人生は、最初から平穏な学者の道ではなかった。母がユダヤ系であったため、ナチ体制のもとで大学進学を妨げられ、学問を正面から続けることができなかったのである。戦争が終わった後、一九四五年にようやく学問へ戻り、一九四七年には中世スコラ哲学の存在論に関する論文で博士号を得た。その後、ハンブルクで教え、一九六〇年にはギーセンの正教授となる。こうした経歴を見ると、ブルーメンベルクにとって近代とは、教科書の中の時代区分ではなく、人間が自分の足で立ち直れるかどうかにかかわる切実な問題だったのではないかと思えてくる。

 この人を理解するうえでまず大事なのは、彼が近代の弁護人だったという点である。近代はしばしば、中世キリスト教の観念を薄めて引き継いだだけの時代だと語られる。進歩も自由も歴史も、もとは宗教的な約束の言い換えにすぎない、という見方である。ブルーメンベルクは、その説明に強く反発した。近代はたしかに中世の後に来るが、だからといって中世の残りかすではない。むしろ人間が、過酷な神学的世界像のもとで抱え込まされた問いに、自分たちなりの新しい仕方で答えようとした結果が近代なのだ、と彼は考えた。彼の代表作『近代の正統性』は、この一点をめぐって書かれた大きな仕事であり、ブルーメンベルクという人の中核もここにある。

 ただし彼は、近代を手放しで礼賛したわけではない。そこがこの思想家のおもしろいところである。近代は偉大だ、理性は万能だ、科学があればすべて解決する、という単純な進歩主義には寄りかからない。人間は世界をそのまま受け止められるほど強くはなく、あまりにむき出しの現実に対しては、距離をとり、言い換え、象徴化し、物語に変える必要がある。だから彼は、概念だけでなく、比喩や神話や逸話に注目した。哲学はきれいな定義だけでできているのではなく、その手前で人間を支えている像や語りに深く依存している。ここでブルーメンベルクは、概念の歴史をたどるだけの思想家から、一気に人間学的な思想家へ変わる。

 たとえば海という比喩を考えてみればいい。人は昔から、人生や世界を海にたとえてきた。安全な岸辺にいるのか、船に乗っているのか、難破を見ているだけの観客なのか。それによって、自分が世界の中でどんな位置にいるかを感じ取ってきた。ブルーメンベルクは、こうした比喩を単なる飾りだとは見なさない。むしろ、人間が世界を理解しきれないからこそ、こういう像を必要とするのだと考える。代表作の一つ『難破船と観客』は、まさにこの問題を追った本であり、そこでは海や難破や観客という比喩の歴史が、人間存在そのものの読み解きへ変わっていく。哲学者が海の話をしているように見えて、実は人間の立場そのものを論じているのである。

 神話への関心も同じ線上にある。近代人は神話を捨てた、と普通は考えがちである。だがブルーメンベルクはそう見ない。神話は消えたのではなく、作り変えられ、別の形で生き残っている。『神話の変奏』では、プロメテウスのような古い神話が、時代ごとにどのように読み替えられ、人間の自己理解を支えてきたかが詳しく追われる。ここで重要なのは、神話が真理の失敗作ではないということだ。神話は、人間が世界の恐ろしさにいきなり押しつぶされないための緩衝材でもある。雷や闇や運命を前にして、ただ怯えるのではなく、そこに名前や物語を与えることで、少しだけ距離をとる。その働きを、ブルーメンベルクは真剣に考えた。

 さらに彼は、宇宙像の変化にも大きな関心を向けた。コペルニクス以後、地球は宇宙の中心ではなくなり、人間もまた中心の座から降ろされた。この変化は、科学史の教科書では一つの発見として扱われる。だがブルーメンベルクは、それを人間の自己感覚の大事件として読んだ。自分が世界の中心だと思っていた存在が、巨大な宇宙の片隅へ押しやられる。その衝撃は、数字や天文学だけでは終わらない。宗教観も人間観も、知ることの意味も揺らぎ出す。彼の『コペルニクス的宇宙の生成』は、この揺れ全体を追いかけた本であり、ブルーメンベルクがどれほど大きな視野で近代を見ていたかを示している。

 こうして見ると、ブルーメンベルクは、何か一つの学説だけを打ち立てた人ではないと分かる。近代の正統性をめぐる論争家であり、比喩を掘り下げる読解者であり、神話の変形を追う観察者であり、宇宙像の転換から人間の立場を考える思想家でもあった。しかもそのすべてに共通しているのは、人間は現実をそのまま裸では受け止められない、という冷静な認識である。人間は言葉を使い、像をつくり、物語を編み、遠回りしながら世界に耐える。ブルーメンベルクとは、その遠回りを弱さとしてではなく、人間らしさそのものとして捉えた哲学者だった。だから彼を読むと、哲学とは正解を一撃で当てる営みではなく、耐えがたい現実の前で生きるための距離を工夫する営みなのだ、という感覚が残る。第一章の時点では、まずこの人を、近代を守ろうとした人であると同時に、人間が比喩なしでは生きられないことを知っていた人として覚えておけばいい。

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