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マイケル・ヤング入門 哲学入門シリーズ156
第一章 マイケル・ヤングってどんな人?
マイケル・ヤングは、二十世紀のイギリスで活動した社会学者であり、社会改革の実践家でもあった。生年は一九一五年、没年は二〇〇二年。彼は大学の研究室だけに閉じこもる人ではなく、政治、教育、地域、消費者運動の現場を行き来しながら、社会の仕組みそのものを作り変えようとした人物だった。いまでは「メリトクラシー」という語で最も知られるが、彼の大きさは、その一語だけではとても収まらない。戦後イギリスの福祉国家づくりに関わり、地域調査を行い、学びの場を広げ、消費者の立場を強くする組織づくりにも手を出した。頭の中で考えるだけでなく、制度として形にしようとした人だったのである。
この人をひとことで言うなら、「社会の不公平を、ただ嘆くのでなく、仕組みの側から考え直した人」である。若いころのヤングは、労働党の政策形成にも深く関わり、一九四五年総選挙で労働党を勝利へ導いたマニフェスト作成にも参加したとされる。ここで大事なのは、彼が最初から反体制の外にいた人ではないことだ。むしろ、よりよい社会を本気で作ろうとする側にいた。そのうえで、平等を掲げる制度の内部にも、新しい冷たさや新しい序列が生まれることを見抜いていった。改革を信じる人だったからこそ、改革の失敗にも敏感だったのである。
ヤングの名を広めたのは、一九五八年の『メリトクラシーの興隆』だった。この本で彼は「メリトクラシー」という語を世に出した。だが、ここで早くも重要なねじれがある。いまではこの語は、努力した人や能力のある人が報われる、よい社会の名前のように使われがちである。けれどもヤング自身は、そういう社会を無邪気に褒めたのではない。この本は未来社会を描く風刺であり、警告だった。試験や知能指数で人を選び、勝者が自分を当然の支配者だと思い、敗者が自分は劣っているのだと信じ込まされる社会は、本当に公平と言えるのか。彼はそこを刺したのである。
この問題意識は、ただの言葉遊びから生まれたのではない。戦後イギリスでは、古い身分や露骨な世襲を弱め、もっと合理的に人材を選ぼうという気運が強かった。たとえば、子どもを早い段階の試験で振り分け、進む学校の種類を分ける教育制度が重視された。見た目には、公平で近代的である。コネや家柄で決まるより、ずっとましに見える。だがヤングは、そこに別の危険を見た。家柄で負けるのもつらいが、能力がないと判定されて負けるのは、もっと深く心に刺さる。前者なら社会を恨めるが、後者では自分そのものを責めやすいからだ。彼が見ていたのは、制度の表面の美しさではなく、その制度が人間の心に残す傷だった。
だからヤングは、単に「能力主義は悪い」と言いたかったわけではない。人には違いがあり、努力にも差があり、現実の社会が何らかの選抜を行うこと自体は避けがたい。彼が怖れたのは、測りやすい能力だけが人間の価値の全部になってしまうことである。たとえば学校のテストで高い点を取る子は、たしかにある種の力を持っている。だが、その子が他人を気づかう力、失敗した人と付き合う力、共同体を支える力まで、同じように高いとは限らない。それなのに社会が「点数の高い人こそ上に立つべきだ」と考え始めると、賢さは徳に変わり、成功は人格の証明に変わってしまう。ここにヤングの鋭さがある。彼は不平等の経済的な面だけでなく、道徳的な面まで見ていた。
その鋭さは、彼の調査研究にもよく出ている。ヤングは一九五三年にコミュニティ研究所を立ち上げ、ふつうの人びとの生活を丁寧に見ようとした。後にピーター・ウィルモットと書いた『イーストロンドンの家族と親族』では、家族や親族のつながりが、都市の暮らしをどう支えているかが描かれた。ここで見えてくるのは、社会とは試験の順位表だけでできているのではないという事実である。人は、家族に助けられ、近所に支えられ、顔の見える関係のなかで生きている。ところが政策はしばしば、その見えにくい支えを壊してしまう。ヤングは、そうした生活の厚みを見失った近代社会に、ずっと警戒していた。
しかも彼は、批判だけで終わらなかった。学びを一部の人の特権にしないための発想は、のちのオープン大学へつながっていく。消費者が企業の宣伝に振り回されず、自分で判断するための情報を持てるようにする試みは、Which?(イギリスの消費者向け商品比較・権利擁護団体)につながっていく。さらに晩年には、社会起業家を育てる学校づくりにも関わった。ここからわかるのは、ヤングが「社会を変える」と言うとき、それを抽象的な理想で終わらせなかったことである。入口を広げ、情報を開き、参加の回路を増やし、ふつうの人が力を持てる仕組みを作ろうとした。彼にとって思想とは、立派な言葉ではなく、実際に人の動き方を変える装置だった。
マイケル・ヤングという人を理解する近道は、「能力主義を批判した人」とだけ覚えないことだ。もっと正確に言えば、「能力主義が正義の顔をして人を傷つける瞬間を見抜いた人」であり、しかもそのうえで、別の社会の作り方を探し続けた人である。たとえば、試験で上位に入った人ばかりが集まる組織を想像するとよい。仕事は速いかもしれない。議論も切れるかもしれない。だが、そこでは遅い人、失敗した人、うまく言葉にできない人の声が、だんだん価値のないものとして扱われる危険がある。ヤングは、そういう社会がやがて自分自身を壊すと考えた。勝者の傲慢と、敗者の屈辱が積み上がるからである。だから彼の問いは今でも古くない。公平とは何か、能力とは何か、社会は誰のためにあるのか。ヤングは、その問いを読む者の胸に残す思想家だった。
この人物を入口にすると、戦後社会の理想、教育の選抜、階級の問題、家族と地域のつながり、学びの機会、市民の力、そして現代の自己責任論まで、一つの線でつながって見えてくる。マイケル・ヤングとは、単に一つの言葉を発明した人ではない。社会が自分を正しいと思い込む、そのまさに瞬間に疑いを差し込んだ人である。しかもその疑いは、冷笑ではない。もっと人間的な社会を作れるはずだという希望と結びついていた。そこが、この人のいちばん大きな魅力である。思想家であり、観察者であり、制度を作る人でもあった。マイケル・ヤングを読むとは、現代社会の「公平そうに見える不公平」を見抜く目を手に入れることなのである。
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