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ブロッホ入門 哲学入門シリーズ168
第一章 ブロッホってどんな人?
エルンスト・ブロッホは、一言でいえば「まだ来ていない未来」を、いまの世界の中から読もうとした哲学者である。希望を語る思想家、とだけ言うとやさしく聞こえるが、実際のブロッホはもっと骨太だ。彼が見ていたのは、現実がすでに完成したものではなく、途中にあり、裂け目を持ち、別の可能性を内側に抱えたまま動いているという事実だった。ユートピアを夢物語として遠くへ置くのではなく、現実の中に潜んでいる未完成さとしてつかもうとしたところに、ブロッホの独特さがある。
彼は一八八五年、ドイツのルートヴィヒスハーフェンに生まれた。ユダヤ系の家庭に育ち、大学では哲学を学び、若いころから文学、音楽、宗教、政治をまとめて考える癖を持っていた。最初から細い専門分野に閉じこもる人ではなかったのである。世界の動き、人間の夢、歴史のねじれを、ひとつの大きな地図として見ようとした。のちに彼の文章が、哲学書でありながらどこか詩のように響くのは、この広い感受性のせいでもある。
ブロッホを理解するには、彼の生涯が平穏ではなかったことを忘れてはならない。第一次世界大戦に反対し、戦争に熱狂する時代の空気から距離を取った彼は、スイス亡命中に『ユートピアの精神』を書いた。さらにナチ政権の成立後は、各地を転々としながら亡命を続け、最終的にはアメリカへ逃れることになる。故郷を離れ、時代に押し流され、それでもなお未来を考え続けたという事実は、彼の哲学に深く刻み込まれている。希望とは、ぬくぬくした安全地帯で口にする言葉ではなく、世界が壊れかけているときに、それでも可能性を見捨てないための言葉だった。
この点で、ブロッホの「希望」は、気分のよい励ましとはかなり違う。たとえば、荒れた土地を見て、いつかここに庭ができるかもしれないと考える人がいるとする。その人は、ただ空想しているのではない。土の性質を見て、水の流れを見て、どこに芽が出る余地があるかを考えている。ブロッホにとって希望も、それに近い。現実を無視するのではなく、現実の中にまだ形になっていない未来の芽を見つける作業なのである。だから彼は、希望を甘い言葉ではなく、現実認識の一部として扱った。
そのためブロッホは、ふつう哲学が軽く扱いがちなものを真剣に読んだ。宗教、神話、童話、音楽、芸術、大衆文化、そうしたものの中には、人間がまだ手にしていない世界への願いが、歪みながらも残っていると考えたからである。たとえば宗教を見ても、彼は単純に迷信として切り捨てない。そこに抑圧された人間が自由を夢見る形跡、別の秩序を願う痕跡があるなら、それは思想の材料になる。芸術についても同じで、ただ美しいから価値があるのではなく、現実を越える感覚を先取りしているから重要だと見た。
こうした広い視野を持ちながら、ブロッホはマルクス主義とも深く関わった。ただし彼は、経済や階級だけを冷たく分析して満足するタイプではなかった。社会の矛盾を説明するだけでは、人は動かない。人を動かすのは、まだ実現されていないものへの欲望であり、世界は変わりうるという感覚である。だから彼は、マルクス主義に足りないものとして、熱、願望、予感、先取りの想像力を補おうとした。このため彼の思想は魅力的であると同時に、正統派から見ると扱いにくいものにもなった。
戦後、ブロッホは東ドイツに戻り、ライプツィヒ大学で哲学を教えた。ここだけ見ると、社会主義国家に迎えられた成功した哲学者のように見える。だが実際には、彼の思想は体制にきれいに収まらなかった。彼は未来を、すでに決められた教義の展開としてではなく、開かれた可能性として考えたからである。国家が「正しい未来」を上から確定したがるとき、ブロッホの希望の哲学は、むしろそれを不安定にする。やがて彼は東ドイツと距離を取り、西ドイツのテュービンゲンへ移ることになる。希望を語った人が、完成済みの世界観に最後までなじめなかったのは象徴的である。
代表作としてよく知られるのは『希望の原理』である。だが、この題名だけで内容を想像すると少し外す。そこに書かれているのは、がんばれば夢はかなう、といった話ではない。人間はなぜつねに前へ伸びようとするのか、なぜ世界は今ある姿だけで終わらないのか、なぜ芸術や宗教や政治の中に、まだ来ていないものの影があるのか、そうした問いを巨大な射程で考え抜いた書物である。ブロッホは哲学者であると同時に、時代の表面の下でうごめく「まだ無いもの」を聴き取ろうとした読解者でもあった。
ブロッホという人物は、単に希望を礼賛した人として覚えるより、未完成の世界の哲学者として覚えるほうがよい。壊れた時代を生き、亡命を経験し、政治にも宗教にも芸術にも目を向けながら、それでも現実の中に未来の火種を探した人。その姿をつかむと、ブロッホの本は急に近くなる。目の前の社会が行き詰まって見えるときでも、彼は「すべて終わった」とは言わない。終わっていないからこそ、まだ問うことができるし、まだ変えることもできる。このしぶとさこそが、ブロッホという人間の輪郭なのである。
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