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アルヴィン・ゴールドマン入門 哲学入門シリーズ170

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第一章 ゴールドマンってどんな人?

 アルヴィン・ゴールドマンという名前は、最初から認識論の巨人として現れるわけではない。むしろその歩みは、行為とは何かという問いから始まり、知識とは何かへ進み、さらに社会の中で人はどう真理に近づくのか、他人の心をどう読むのかへと広がっていく。だからこの人をひとことで言うなら、知ることを個人の頭の中だけに閉じこめず、行為、制度、認知のつながりの中で考え抜いた哲学者だと言える。

 彼は一九三八年に生まれ、コロンビア大学で学び、プリンストン大学で博士号を得た。指導教員はポール・ベナセラフである。その後、ミシガン大学、イリノイ大学シカゴ校、アリゾナ大学を経て、ラトガース大学で教えた。専門領域は認識論だけではなく、心の哲学、認知科学、行為論にも及んでいる。経歴だけを見ると静かな学者に見えるが、その仕事の広がりはきわめて大きい。

 初期のゴールドマンを理解するには、まず行為論の人として見るとよい。彼の初期の代表作『人間行為の理論』は、同じ一つの出来事でも、人はそれをいくつもの仕方で行っていることを明るみに出した。たとえば腕を上げるという動作は、ただ筋肉を動かすことでもあり、スイッチを押すことでもあり、部屋の電気をつけることでもあり、誰かへの合図になることでもある。この重なりを整理する感覚は、後の仕事にも残り続ける。見えている表面だけでなく、そこに至る過程や関係の層を見ようとするのである。

 やがて彼の関心は、行為から知識へと強く向かう。なぜ人は、あるときは本当に知っており、別のときはただ当てただけなのか。この違いをきちんと説明したいという欲求が、ゴールドマンの認識論を動かしている。たとえば止まった時計をたまたま見て正しい時刻を言い当てた人は、真なる信念を持っていても、ふつう知っているとは言いにくい。ここで問題になるのは、信念が真であることだけではなく、その信念がどうやって真に届いたのかという点である。

 この問いに向かうとき、ゴールドマンは理由の見えやすさだけを重視しなかった。本人がもっともらしい説明を持っているかどうかより、その信念を生み出した認知過程が、ふだん真に当たりやすいかどうかを見るべきだと考えたのである。視覚、記憶、よい推論、内省のような過程は、一般に真を生みやすい。他方で、願望的思考や混乱した推論は、しばしば誤りを生む。こうして彼は、正当化を信念形成の信頼性から説明しようとした。これがのちに信頼性主義と呼ばれる立場の中心になる。

 この発想が新しかったのは、認識論を頭の中の自己点検だけにしなかった点にある。ある信念が正しいかを考えるとき、いま意識にのぼっている理由だけでなく、その信念がどんな履歴を持ち、どんな認知装置によって作られたのかまで問うようになったからだ。ここには、哲学は哲学だけで完結しないという感覚もある。人間の認知が実際にどう働くかを知るには、心理学や認知科学の助けが必要になる。ゴールドマンはそのことを、哲学の敗北としてではなく、哲学の仕事をより具体的にする手がかりとして受け取った。

 さらに重要なのは、彼が知識を個人だけの問題で終わらせなかったことである。人は自分の目だけで世界を知るのではない。新聞を読み、医者の話を聞き、先生の説明に頼り、専門家どうしの対立を眺めながら判断する。そうだとすれば、認識論は証言や専門家や制度も扱わなければならない。どの専門家を信じるべきか、素人は何を手がかりに選べばよいのか、よい制度は真理に近づきやすい制度なのか。ゴールドマンはこうした問いを社会的認識論として押し出した。

 たとえば病気になったとき、多くの人は自分で医学論文を読破して診断を下すことはできない。医者を信じるしかない場面がある。だが医者どうしの意見が割れたらどうするのか。テレビに出る人と、地味だが実績のある人とでは、どちらを信じるべきなのか。多数派だから正しいのか、それとも過去の的中率を見るべきなのか。こうした切実な問いを哲学の正面に持ち込んだところに、ゴールドマンの強みがある。彼は知識論を、教科書の中の静かな定義論争から、現実の判断の場へ引き戻した。

 晩年に近づくにつれて、彼は他人の心の読み取りにも深く関わるようになる。私たちは相手の表情を見て、怒っている、困っている、恥ずかしがっていると判断する。このとき何が起きているのか。人は相手の内面について理論的に推測しているのか、それとも自分の中で似た状態をなぞるように理解しているのか。ゴールドマンはこの問題を、哲学と心理学と神経科学の接点で考えた。ここでもまた、彼は哲学を抽象的な独白にせず、人間の認知の実際へと接続している。

 こうして見ると、ゴールドマンは一つの旗印だけで理解できる人ではない。行為論者であり、認識論者であり、社会的認識論の推進者であり、心の哲学と認知科学の橋渡し役でもある。だがその多様さの底には、一つの粘り強い問いが流れている。人はどうすれば、偶然ではなく、よりよく世界に届けるのかという問いである。行為を考えるときも、知識を考えるときも、専門家を考えるときも、彼はつねにその届き方の条件を探っていた。

 第一章でつかむべきゴールドマン像は、信頼性主義というラベルだけでは足りない。彼は、真理に届くとはどういうことかを、行為、信念、社会、他者理解へと横断しながら考えた哲学者である。この見取り図を先に持っておくと、後の章で因果説や信頼性主義や社会的認識論が出てきても、別々の話には見えなくなる。すべては、人間の認知をより解像度高く捉え、真に近づく道筋を複数の層で描こうとした、一つの大きな仕事の一部なのである。

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