文学・思想の一丁目一番地

ハイエク入門 哲学入門シリーズ174

ハイエク入門 哲学入門シリーズ174
ハイエク入門 哲学入門シリーズ174

第一章 ハイエクってどんな人?

 フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエクは、一八九九年にウィーンで生まれた思想家である。一般には経済学者として知られるが、それだけでは足りない。彼は、市場のしくみを論じた人であると同時に、自由とは何か、法とは何か、文明はなぜ壊れやすいのかを考え続けた人でもあった。ハイエクをただ「小さな政府の人」と理解すると、この人物の大きさはほとんど見えなくなる。彼が本当に見ていたのは、社会全体を一つの頭で動かそうとする時代の危うさであり、その危うさの前で人間の知性がどこまで届き、どこで限界にぶつかるのかという問題だった。

 彼が育ったウィーンは、十九世紀のヨーロッパ文化の余熱と、二十世紀の不安が入り混じる都市だった。芸術も学問も華やかで、知識人が世界を説明できると信じやすい空気があった一方、帝国の足元はすでに揺れていた。ハイエク自身も若いころに第一次世界大戦を経験し、秩序が崩れるときに人間社会がどれほど脆いかを身をもって知った。あとで彼が、抽象的な理想よりも制度の働き方に強い関心を持つようになるのは、この時代経験と無関係ではない。社会は正しい理念だけで動くのではなく、壊れるときには驚くほど速く壊れる。その感覚が、彼の思考の底にはずっと流れている。

 ハイエクは最初から政治哲学者だったわけではない。出発点は経済学であり、特に景気循環や貨幣の問題に強い関心を持っていた。だが、経済の問題を深く考えていくと、すぐに「誰が何を知っているのか」という問いに突き当たる。工場の生産量を決める人、商品を買う人、原料を運ぶ人、それぞれが持っている情報は少しずつ違う。しかもその情報は、統計や報告書の形ではなく、現場の勘や、今朝の気配や、地域ごとの小さな変化として散らばっている。ハイエクはこの事実を重く見た。社会を動かす知識は、一人の天才にも、一つの省庁にも、丸ごとは集まらないというのである。

 この見方は、当時強い魅力を持っていた計画経済の思想と正面からぶつかった。もし賢い人々が集まり、全体のデータを集め、合理的に指令を出せるなら、社会はもっと整然と、もっと公平に動くのではないか。そう考える人は多かったし、その考えには善意もあった。だがハイエクは、そこに大きな錯覚を見る。たとえば町のパン屋を思い浮かべるとよい。小麦の出来、燃料の値段、客の好み、近所の催し、雨の日の来客数まで含めれば、必要な判断材料は細かく分かれている。中央のどこかにいる人が表だけ見て「今月はこの量を焼け」と命じても、その場で起きている変化には追いつけない。ハイエクにとって市場とは、単に儲けの場ではなく、こうした細かい知識がぶつかり合い、調整されるしくみだった。

 ここで大事なのは、彼が人間の理性を軽蔑していたわけではないという点である。むしろ逆で、理性の価値を認めるからこそ、その使い方を慎重に考えた。理性は強力だが万能ではない。目の前の問題を分析し、部分的な改善を行う力はある。だが、何百万もの人間が関わる社会全体を、上から一枚の設計図で描き切るほどの力はない。にもかかわらず近代社会では、学問や技術が成功するほど、「社会も同じように設計できるはずだ」という誘惑が強くなる。ハイエクはこの誘惑を警戒した。彼が批判したのは、単なる独裁者ではなく、善意の改革者や、理論に自信を持つ知識人でもあったのである。

 そのためハイエクの自由論は、気分のよい放任主義とはかなり違う。彼にとって自由とは、好き勝手に振る舞う権利ではない。誰かが全体を知ったつもりで、他人の生き方に細かく命令できない状態を守ること、それがまず重要だった。なぜなら、人はそれぞれ違う事情を抱え、違う知識を持ち、違う目的に向かって動いているからである。中央が一つの理想を掲げて全員を並べようとすると、こぼれ落ちるものが必ず出る。自由とは、そのこぼれ落ちるはずだった個々の判断や試行錯誤を生き残らせるための条件でもあった。ここで彼の市場論と自由論はつながる。どちらも、「知識は分散している」という出発点から伸びているのである。

 ただしハイエクは、何でも自然に任せればよいと考えたわけでもない。無秩序を礼賛した人でもない。彼が重んじたのは、だれかの気まぐれな命令ではなく、一般的で予測可能なルールである。交通を考えると分かりやすい。信号や通行区分のような基本ルールがあるからこそ、人はそれぞれ別の目的地へ向かいながら、衝突を減らして動ける。もし交差点ごとに権力者が現れ、その日の気分で「今日は赤でも進め」「お前だけ止まれ」と命じるなら、道路は混乱するだろう。ハイエクが法の支配を重視したのは、このためである。秩序は必要だが、その秩序は個別の命令ではなく、広く適用されるルールの形を取るべきだと考えた。

 やがてハイエクの関心は、経済政策の細部を超えて、文明そのものの構造へ向かった。言語、慣習、市場、法、道徳の一部は、だれか一人が発明したものではない。多くの人が長い時間をかけて使い、失敗し、修正し、残してきた結果として成り立っている。彼はこうした秩序を、自生的に生まれた秩序として捉えた。ここで彼は保守主義に近く見えることもあるが、ただ古いものを守れと言ったわけではない。人間の理性が把握しきれない知恵が、歴史の中に沈んでいるかもしれないという慎重さを求めたのである。目の前で理由を説明できないからといって、すぐに捨ててよいとは限らない。その感覚は、合理主義の勢いが強い時代ほど重要になる。

 ハイエクとは市場を褒めた人というより、人間の知性の限界を見つめた人だと言ったほうが近い。しかもその限界論は、悲観ではなく、自由な社会の可能性を守るためのものだった。人は全部を知らない。だからこそ、複数の判断が共存し、失敗が局所で済み、あとから修正できる社会のほうが強い。逆に、全部を分かったつもりで一つの計画にまとめ上げる社会は、うまくいくときは鮮やかに見えても、つまずいたときの壊れ方が大きい。ハイエクが生涯を通じて考えたのは、この単純だが重い事実だったのである。彼を読む価値は、二十世紀の論争を知るためだけではない。現代でもなお、人は「賢い誰かが全体を最適化してくれるはずだ」と信じたくなるからである。そこで一歩立ち止まり、本当にそんなことが可能なのかと問い返す声として、ハイエクは今も生きている。

続きはこちらから
ハイエク入門 哲学入門シリーズ174
ハイエク入門 哲学入門シリーズ174

哲学入門シリーズ一覧に戻る
うしPのページに戻る